同盟の証
八、同盟の証
日露戦争が比較的短期間で終結したことは、僥倖である。
国内経済に過度な負担を負わさずすんだからだ。
人的被害も少なかったので、概ね国民の理解が得られたのだが、影で暗躍した李一族と取り巻きは姿を消していた。
出国した形跡はない。しかし密航もできれば、密かに鴨緑江を渡ることもできる。山越えをすればロシアへ逃亡することもできるのである。しかし、外国へ逃亡したとすれば、何の価値もない過去の地位にすがることはできない。つまりは金しだいなのである。その財力があるだろうか。
そんなことはどうでもいい。金がなければ地下で悪巧みをすることも適わないのである。そんなことより、本土での電灯普及が順調に伸びたことのほうが大切だ。
寧日すれば五十万戸に達しようとしていた。
朝鮮にも水力発電所を建設している最中で、多くの電柱が立ち並んでいる。
しかし、本土と違い電線は敷設されていない。もし電線を敷設したなら、翌朝には盗まれてしまうことは確実であった。実際に、屑鉄屋に鉄管を売りにきた男を捕らえてみれば、すでに使用している水道管を途中で切り取ったことを自白する。その現場では地面に水溜りができていて、突然の断水に怒った住民が工事の作業員に悪態をついていた。
嘘のような笑えない事件が頻発するのが朝鮮なのである。
対する本土では、伝染病の予防薬や植物の品種改良がますます盛んに行われていた。
衛生指導が広くゆきわたったのか、寄生虫が原因とみられる下痢や嘔吐が少なくなり、元気そうなのに生気がない人が少なくなっている。
大元をたどれば家康の改革に行き着くだろう。
農作業をする者に特に多かったのが、正体不明の発熱とひきつけ、運が悪けりゃ死亡にいたる謎の病が絶えないことを重くみた政府は、謎の解明に取り組むことになった。それは長い年月を要して原因を推定し、あらゆる薬草を試したのである。農民ばかりか、職人でも同じ病に犯され、商家にさえ病人が出ると、それまでの見立てが的外れであったと認めざるをえなかった。そこで方針転換したのである。
これまでは治す薬ばかりを考えていたのだが、治すではなく、病にならないようにする。つまり、病気に対する積極的取り組みが醸成されることになった。ちなみに、色町での性病はあいかわらず盛況というか、繁盛というか……。こればかりは怪しげな検査が役に立たないようである。
話を戻すが、商家や職人が発症する前に何をしていたか調べてみると、さび釘で傷を負ったり、不衛生な包丁で指先を切ったことによる、なんでもない生活の一部であることがわかってきた。であれば、包丁の衛生管理を周知させ、釘などは尖ったところが露出しないようにさせただけである。
たいして期待せずに出した触れであったが、それによるものか患者が激減したのである。喜んだ政府は諸国すべてに触れを徹底させたのである。こうして防疫という考えがすべての民衆に行き渡っていた。
寄生虫の問題もその流れで解決され、すっかり根絶する日も近かろうと考えられていた。
絹製品や工芸品なども重要な輸出品目である。これまでは高価なために鳴かず飛ばずであった産品が、イギリスとの通商条約を境に急激に重要産品として成長したのである。
同盟関係が確立すると、いちいち買い手を捜すこともなくなった。つまりは、イギリス政府が問屋になったと同じである。
イギリスには植民地がある。そこには必ず支配者がいるわけで、日本の絹は飛ぶように売れているらしい。そんなに売れるのなら直に交易をすればという意見も全体の半数を占めるが、イギリスからはそれ以上に価値のある最新技術を導入できるのである。
それがまた民衆の生活に役立つとの理由で政府はこれまで通りに輸出を続けていた。
そして軍事面では、日露戦争の前年に動力飛行機が発明され、わずか数年で驚異的に改良されていた。
伝え聞く話では、偵察に使用されることがあるくらいで、永く飛び続けることも、高く舞い上がることも、早く飛ぶこともできないようである。
現状では自分たちが五年も十年も先を歩いているのは確実である。しかし、空を飛ぶ方法を人がみつけてしまった以上、最先端でいなければ勝てないのは確実である。そこで、飛行機を研究し、それをしのぐ兵器を保有していることを感づかれないためにも、後発国として飛行機を開発することに決まった。
そして、バルチック艦隊を打ち負かした戦訓から、魚雷の改良、防御鋼板を貫く徹甲弾の開発、さらには、激しい機動に耐えられる船体つくりが決定された。
海戦に参加したすべての艦艇は、外観ではわからない深刻な損傷を受けていたのである。
特に激しい機動をした魚雷艇は、船体のあちこちでリベットが緩み、あるいわ抜け落ち、沈没寸前の状態で帰港したのである。報せを受けた技師が調査するうちに、急旋回を繰り返した時に漏水が始まり、横滑りさせるたびにバケツをぶちまけるように水が噴出したことがわかった。咄嗟の排水で自沈を免れただけである。驚いて三笠を調べてみると、少なからず同様の兆候が現れていた。とはいえ、あの機動は相手にとって始末に困るものである。直進してくる相手の正確な未来位置へ放った砲弾は、大きく横にずれているのである。しかも相手はまっすぐ突っ込んでくる。かと思えば、片舷を波に洗われるほど傾けて急転回してみせる。それはすべて船体に取り付けた水中翼のおかげなのだが、船体を破壊するほどの荷重がかかっていたのである。
さらに、強速を出すと船体がわずかに持ち上がったと、魚雷艇乗員の誰もが口をそろえていた。なぜそう感じたのか。それは、船体に衝突する水の音だそうで、ドカーンという音が、ドーンに変わったということであった。
艇長からは、司令を介して速度向上の要望が届いていた。喫水線下の上昇は抵抗を減らす効果があり、その余剰動力は速度向上に作用するという意見書がついている。
そしてもう一点。砲弾はともかく、ミサイルの弾頭に貫徹力がないことが指摘されていた。今回は露天指揮所ばかりであったので運よく指揮命令系統を封じることができたが、艦橋で指揮をとるようになると想定すると、是非とも貫徹力が必要と考えられた。なにも艦船ばかりでなく、すでに重装備の戦車が登場していることから、装甲を打ち破る方法を講じなければならない。
これが日露戦争終結二年目の国内情勢であった。では外交はというと、
魚雷艇に同乗した武官の報告がイギリス国内で議論を招いていた。
堅く口止めした上で流した情報である。同じ観戦武官であってもロシア陸軍と対峙していた他の武官には知らせれておらず、ただ一人の報告であるために多分に懐疑的に受け止められたのは確かである。
しかし、武官の報告は詳細であった。とても動転してありえない妄想にとらわれたのではなさそうであった。たしかに昔は武官の言うような自力で飛翔する弾を採用したのだが、ただ脅威を与えるのが主目的であった。しかも長距離を飛ばすことは不可能である。
そして、船体に施した装置を説明する時、冷笑する技師や科学者、同僚をも睨みすえて言い放ったのである。
「わかった。私が出鱈目を言っているというならそれでもいい。じゃあ実際に体験しようではないか。もし嘘だったら旅費は全部私が払う」
そんないきさつで日本を訪れた一行は、四国に案内されていた。
「失礼します。案内をさせていただきます、海軍中尉ムーア宗次郎と申します。御用があれば何なりと」
丁寧に挨拶したのは年若い海軍将校である。しかし、たしかに日本海軍の制服を着てはいるが、茶色の髪と真っ青な瞳。色白で鼻梁も高い。どう見ても白人である。
「ムーア? 失礼だが国籍は?」
誰からともなく質問の声が上がった。
「やはり混乱させてしまいましたね。もちろん私は日本人です」
ムーア中尉は照れくさそうに自分の出自を語って聞かせた。
「すると、アメリカが言うように東洋艦隊は日本に拿捕されたということですか。しかし、それがなぜ海軍中尉に? 処刑されたのではないのですか?」
「逃走を図って格闘になり、何人かは死んだそうです。が、他の乗員は自由に人生を送ったそうです。国外逃亡さえしなければ」
「何か逃亡を許さない理由があるのですね?」
「祖父から聞いた話では、今回皆さんが知りたがっている兵器を見たからだそうで、ペリーが対応を誤ったばっかりに船の自由を奪われたとか。その後、空を飛ぶ兵器を見せられて考えを改めたそうです」
「ムーア中尉、空を飛ぶ兵器というのは今回見せていただくはずだが」
「いえ、それとは別に、人が乗って自由に飛ぶ機械があります。ロシア地上軍を無力化したのは、実はそれでした。その原型をペリーは見せられ、その攻撃能力が他国に知れたら悲惨なことになるので、国外逃亡を許されなかったのです。皆さんはそれを御覧になることができます。ただし、絶対に口外してもらっては困ります。野蛮な人がうようよしていますのでね。私に許されたのはここまでです」
「飛行機ならイギリスでも改良していますが、まだ脅威というには程遠い代物です。ペリーが失踪したのは四十年以上昔。そんな頃に飛行機が? 笑えない冗談ですな」
それにはムーアは何も答えず、黙って立ったままであった。
「ところで、とても俊敏な船があるとか。体験させていただけますかな?」
「もちろんです。まずは乗船していただき、近くの造船所で改修しているのを見学していただく予定です。その際、攻撃演習を行います。駆逐艦から実弾を撃ちますので楽しみにしてください」
「実弾? 我々の乗る船を狙うのですか? 馬鹿な冗談は言わないでください」
「そうしなけりゃ現実味がないでしょう。いつもの演習ですから心配いりませんよ」
ムーアはこともなげにフッと笑った。
二隻の魚雷艇には技師と武官が二名ずつ乗艇し、特別に据付られた座席にしっかりベルトで固定されていた。
「各部異常ないか」
ムーアの問いかけに伝声管から元気な声が返ってきた。
「微速前進。二番ブイで初雪に正対し、停止。暫時待機」
ムーアは操舵手に伝え、首を捻じ曲げた。
「艇は沖合いで初雪を待ちます。初雪はまだ接岸したままです。その離岸状況をまず御覧いただきます」
隣に二号艇が並んで行き足を止めた。
ムーアが天井のスイッチをパチパチ切り替えたのに答える点滅信号があり、汽笛が二声鳴った。
「初雪が離岸します。よく御覧ください」
ムーアが言ったが何の変化もみられない。ずっと横腹をこちらに曝したままである。
が、やがて艦首がこちらを向いた。わずかに前進する間に艦首が急速にこちらにむいている。その艦尾はまだ繋留ブイを過ぎていないのにである。
「これはまた、とても小回りが利く駆逐艦ですな。あとで説明していただきましょう」
一人の技師が膝板にメモ書きしながら呟いた。
港外に出た初雪は急に速度を上げ、煙突から黒煙を一度吐いた。
「面舵ふたじゅう(二十)。半速」
魚雷艇は初雪を挟むように追い抜き、はるか豆粒に見えるところで初雪に向き直った。
初雪が再び黒煙を吐いたのを合図に、魚雷艇の攻撃が始まった。
しかも、射程内に入り込むと情け容赦なく砲弾が飛んでくる。着弾の飛沫を見れば演習弾か実弾かの違いは一目瞭然である。なのにムーアは回避運動をとらず初雪に突進した。
「すべるぞー。ひだり、ひだり、ひだり、左!」
左舷にあがっていた飛沫が急に右にそれた。
同時に右へ吹っ飛ばされそうな力が働いた。艇はわずかに艦尾方向へずれただけで真っ直ぐに初雪を狙っている。
「危ない! 回避しろ!」
同乗の武官は距離が詰まっていることに恐怖を覚えていた。
「半速、取り舵」
ムーアが命令を発したのはそれからしばらく後であった。
そして魚雷艇が初雪の後方で追走すると、またしても初雪が黒煙を吐いた。
「空からの攻撃が始まります。甲板へどうぞ」
ムーアは一同を魚雷の間に誘った。
その間に艇はずいぶんな距離をあけて初雪と平行に位置取りを変えた。
「来ました」
ムーアの指差す先にポツポツとした点が現れ、見る間に頭上を通過して遠くで旋回した。
それがまっしぐらに初雪めがけて突き進むのだが、一切の物音がしない。
皆の知っている飛行機は、どれも軽い音を響かせるばかりで、ただ空に浮かんでいるだけだった。それがどうだ。高い空から駆け下った機体は、矢のように一直線に駆逐艦に突き進み、ずいぶん高いところで空に駆け上がったではないか。そして翼をひるがえして元の場所に戻ってゆく。その速いこと。
再び突進を始めた飛行機は、銃弾の届かないような距離から小さな矢を放った。そのまま飛行機は上昇を始めたが、放たれた矢は尻から炎を噴き出しながら駆逐艦に突っ込んでゆく。
矢が海面に激突した瞬間、巨大な水柱が湧き上がった。場所は艦首の少し前方。
その飛行経路を少し違えるだけで、確実に命中させられるだろう。
さらに、駆逐艦の放った砲弾とは比べものにならない破壊力が想像された。
飛行機が、腹の下から炎を噴き出した。そして急に高度を上げ、来た方角へ去って行った。
自分たちの知っている飛行機とはまったく違う。速さ、上昇力、到達高度、どれをとっても異次元のものである。その上艦船を攻撃する能力をもっていた。
機銃の射程外から攻撃できるのである。
日本にはなんという兵器が存在するのだろう。そして、どうやってこんな兵器を開発できたのだろう。
技師も武官も、兵器はもとより、ろくな工業力をもたない日本人の能力に空恐ろしさを感じていた。
演習が終わり港に戻る間も、滑らせたり、傾けたまま直進したりと求められるまま激しい機動を披露したのはよいが、桟橋を歩く姿は、初めて歩く子供そのものであった。
それほど平衡感覚を破壊する体験であり、かつて経験したことのない体験でもあった。
改修されている船体を見学させたときも同様で、装備されている突起の意味を悟るには、技師といえども長い混乱を経てからであった。
「御覧のように、一般的な船にはない突起が装備されています。船首側から水平安定翼、旋回翼。舵は前後に設けてあります。まず水平翼ですが……」
造船技師の説明を熱心にメモするばかりで質問する者は一人もいない。
「前後に舵を設けたことにより、横滑りができるようになりました。当初は急回頭のために設けたのですが、前後を同時に同じ方向に曲げれば、回頭せずに横滑りすることがわかりました。ただ問題がありまして、船体に大きな荷重がかかって歪んでしまうのです。かなり丈夫な補強をしておりますが、戦闘となれば予想外の使われ方をしますので、リベットが抜け落ちたこともあります。そのかわり進路は変わらないので攻撃には都合が……」
前後二枚の舵について説明が終わると、造船技師は口を閉じて質問を促した。
「そういえば、駆逐艦が離岸する際に自力で回頭しているように見えました。しかも離岸直後で歩く程度の速度だったように記憶しています。どういうことでしょうか」
一人の技師がメモを片手に質問した。
「お気付きになりましたか。あれは実験的に取り付けてみたのですが、離岸や接岸に大変重宝しています。すこしでも舵の利きをよくしようということで取り付けました。構造は……」
構造はいたって簡単である。艦首と艦尾に横向きのスクリューを取り付けただけである。
小型スクリューが必死に水を掻いたとて巨体を動かすには非力である。だから緩慢な動きしかできないが、離岸や接岸のような横の動きがほしい時にはことのほか便利である。
更に、航行中に舵と併用すると異常な回頭能力を発揮した。
「ですから、初雪はその場で転回できるというわけです。もっとも、こんな能力は無意味でしょうがね」
造船技師は自嘲しながら席に戻り、すっかり冷めてしまった紅茶を含んだ。
「どうでしょう、ぜひともその技術を研究したい、できることなら取り入れたいと思います。そこでお願いですが、資料を見せていただけないでしょうか」
技師の一人が口火をきると、他の技師も真剣な表情で頷いた。
「すべての資料をお持ち帰りいただくよう用意してあります。これはお国から譲っていただいたコルタイトのお礼です。一切の資料を差し上げるよう政府からの指示ですから遠慮なさることはありません」
「貴重な資料をいただけるのはありがたいのですが、あの飛行機について教えていただきたい」
やはり驚いたようだなとムーアは思った。しかし見せるだけということしか指示をうけていない。
「残念ですが、それについては口止めをされています。御覧になったように、驚異的攻撃力がありますので、他国に洩れるのを畏れています。あれを見た外国人は、ペリー一行のほかにはあなたがただけですから」
「ペリーですと? そんな昔から?」
「改良を重ねてきました。いずれ時期がくれば詳しくお話できるかもしれません。それより兵器はいかがでしたか?」
ムーアは何気なく話を逸らすためにミサイルについて語ることにした。
基隆の町は各地からの船が集まり賑やかである。港に面した一角に日本人町があり、同時に日本からの物資集積地でもある。
家康の開国以来、他国への進出をはかる商人が増え、この基隆にも避難所を作っていた。
住民との諍いもあった。船を焼き討ちされたこともあったが、やはり危険を承知で逃げ込む港が必要だったのである。
何度も何度も訪れたことでわかったのは、住民同士が争っていることであった。その真っ最中に訪れたから船もろとも焼き殺されたのかもしれない。
どうかそんな暴挙にでてくれるなという願いをこめて、筏に産品を積んで流すことを繰り返すうちに、特徴のある日本の船に危害を加えなくなった。
やがて陸上に粗末な小屋掛けをして休むようになると、用心しながら住民が現れるようになった。そこにたどりつくまでに何年もかかっている。
住民は、原色の鮮やかな布を身に纏っていた。しかし、日本の木綿のような柔らかな手触りではない。その交換をかわきりに始まった交易は着実にその量を増し、きちんと約束を守る相手として受け入れられるようになった。
中には強奪を繰り返す者もいたし、娘を連れ去ろうとする者もいた。しかし恥を知る国民性がそれを許さず、公開の場で遠慮なく処刑してしまった。
「ご先祖さまが必死になって掴んだ信用を、貴様は一晩でだいなしにした。これから子孫が意味のない苦労をせねばならなくなった。死をもって償うほかない」
それを可能にしたのは、船長に与えられた絶対的な権限であった。
無法が横行するようになると、船長は乗組員が船に持ち込む品の出所を確かめ、互いの納得がなければ奪ったものと処断したのである。
そうして自らを厳しく律することは、住民の更なる信頼につながった。
脈々と受け継がれていた武士の気概と覚悟が、そうさせたのである。
まだ明が支配していた頃、政権闘争に敗れた一族が台湾に移り住み、倭寇を名乗って各地を荒らしまわったことがあった。その時などは、普段は温厚な商人や船頭が、凶暴な武装集団に変身したという記述も残っている。陰ながら地域の平和に貢献してきたのである。
ここ基隆は、そうして住民に許され、発展した町なのである。
それに、当時は国という概念がなく、部族同士が争っていた場所でもあった。困ったことに、部族間で言葉が通じないこともあり、余計に混乱していたのである。
日本の商人は、穏やかに、そして対等に相手と接していたことで多くの部族とつながりをもっていた。時間をかけて皆を説得し、国をつくることをすすめ、相談がまとまる都度国づくりに役立ちそうな援助を始めた。
住民は喜んだ。諍いを治めるたびに薬や農機具がもたらされるのである。それで育てた野菜を高値で買い取ってくれるのである。
同様のことをアジア各地で行っていた日本は、西洋の植民地であるにもかかわらず、自由な交易が保障されていた。現地の役人が宗主国の眼を盗んで物資を横流しするくらいである。個人が持ち込む品物もばかにならない量であった。
長年にわたる援助は無駄ではなかったのである。この台湾にも、もう少しで政府が誕生しようとしていた。
その正反対だったのが西欧諸国である。
植民地政策は世界的流行ではあったが、富を得ることが難しいのである。産物を栽培するための施設を作り、それを運搬する鉄道を作り、積み出す港を作らねばならない。
それに、教育を受けさせねば意思の疎通すら図れない。風土病の心配もある。
政府は事あるごとにイギリスに対して植民地の放棄を提案し続けていた。
つかの間の平和であった。
日本から持ち帰った資料を基に、イギリスが小型艦艇の建造に着手し、航空機の開発を本格化させ始めると、待ち望んでいた技術が開発された。無線電話がそれである。
これまでは長短の信号を組み合わせることで文字化していたのが、話す声が聞こえるようになったのである。とはいえ、周波数帯の特性から長距離を隔てた通信はできない。それでも見通し距離なら聴き取ることができたのである。ぜひとも導入を希望した政府は、下瀬火薬の製造・使用方法とひきかえに技術導入に成功した。
イギリスにとってもその技術交換は望んでいたことだったようで、双方がっちり握手を交わしたのである。
さっそく無線電話の研究に没頭しているのを狙ったかのように、イギリスから支援要請が届いた。
以前からドイツとの間で続いていた紛争が拡大し、ヨーロッパ全域を巻き込んだ戦争に発展してしまったのである。
日本と同じく周囲を海に囲まれたイギリスは、陸伝いの侵攻こそないものの、海上交通を閉ざされたら手出しすらできなくなってしまう。そこを衝かれてしまったのである。
大西洋進出を狙うドイツ海軍を北海で釘付けにしている隙に、ドイツは潜水艦による後方撹乱を始めたのである。主力艦は出払っており、駆逐艦ですら地中海方面の作戦で身動きできない状態に陥っていたイギリスは、アメリカに救いを求め、そして地球の裏側の日本にも救いを求めてきた。
行かねば信義にかかわる。時代が下ってもまだ武士の魂は健在である。