ぺりー死す
六、ペリー死す
ペリーの思わぬ尽力により製鉄設備の輸入契約から二年、日本初の本格製鉄所建設が始動した。すでに建設予定地の選定はすんでいたことから、有頂天になった政府は早くも地ならしにとりかかろうとし、そこでペリーに叱責されることになった。
「君たちに尋ねるたい。この国では、外国から届いた資材をどこに保管するのかね? どうやって陸揚げするのかね? 大型船を横付けできる港があるのかね? 落ち着いて考えたまえ!」
ペリーは冷静に状況を分析していた。
製鉄所を建設するには、それこそ膨大な資材が必要である。しかし、日本で用意できるのは用地だけ。資材も人材もイギリスまかせなのだ。
ならば、せめて港を整備し、倉庫を用意し、陸揚げのためのクレーンを設置できるよう、基礎工事くらいはしておかねばなるまい。なのに、彼らは浮かれ騒いでいるばかりである。こんな場当たりで工業化をめざすというのか。ましてや、各地に近代的な港を整備しなければ、せっかく作った鉄材を運ぶことができないのだ。また、港を整備するには、どうしても修理施設としてのドックが必要だし、港から製造設備のある場所までを鉄道で結ばねばならない。どう考えても、国を挙げてかからねば達成できない事業なのだ。
ペリーは、酷く失望していた。
それにしても、座礁した艦を引き出した知恵はどこから湧いたのだろう。たいした土木技術があるとは思えぬのに、自分たちの知らぬ間に浦賀の船溜まりに移してあった。その一事だけをとってみても、とても理解しきれぬと呆れてもいた。
品川で座礁していた艦はすべて引き出され、可能な限りの修理を施されている。
ペリーだって、工業現場で働いた経験のある水兵と技術将校を残して、久々の外洋に出たくてたまらなかった。というのも、対馬からの早舟が急を告げたからだが、ペリーは、その救援のために自分も行くつもりでいた。
闇夜を狙って上陸した朝鮮兵が次々に監視所を襲い、役場を占拠したというのである。
島を守っていたのは、武士を先祖にもつ者であった。かろうじて住民を避難させ、激しく戦ったそうである。しかし、数にものをいわせて攻め寄せる敵に対し、あまりに至近に迫られては為すすべなく、壮烈に討ち死にした。
急ぎ船を漕ぎ続けた者の報告である。
壱岐から唐津に伝えられた悲報が小倉に届くまで、さらに一日かかっている。すでに対馬が制圧されて四日たっていた。
たまたま小倉で港の作り方を指導していたペリーは、サスケハナとミシシッピを派遣した。
遠い先祖が海賊だったという松浦党がいきりたった。佐世保を中心に、小さな島々に移り住んでいた男たちが、続々と海へ漕ぎ出していた。
洋上で黒船と邂逅した松浦党は、喜び勇んで行動を共にした。黒船から垂らしてもらった綱で数珠繋ぎになり、夜の闇をおして対馬に向かった。
松浦党の船は五丁櫓だ。引き綱から解かれたあとは、渾身の力をふるって島に迫った。短時間で漕ぎ手が交替するので勢いが衰えないまま、松浦党は岸にとりつき、一塊になって役所を目指した。
マークはそのまま島の反対側にまわり、増援を絶つとともに退路を断つ手はずになっていた。
島の裏側には、松浦党の船より一回り小さな船が、びっしりと波に揺れていた。その中のひと際大きな楼船が、指揮官の船だろう。それだけでもざっと十隻。しかし、朝鮮は海洋国家ではない。明の影響を強く受けているので、形も大きさも明の船とそっくりだった。
無駄なほど角ばっていて、いくら風を受けても亀のように船足が遅いだろう。それが、巨大な蒸気船の出現に慌て、帆を張っているところであった。
「信号。左翼から突入せよ。われ退路を絶つ。発砲するな。以上だ」
マークの指示で信号旗がするすると揚がった。
汽笛を響かせて、ミシシッピが左に舵を切った。
「進路このまま、半速」
マークの視線には、大慌てで櫂を出した楼船が捉えられていた。
花筏の中に竹の葉が分け入ってゆくといえばさだめし風情のある光景だろうが、こちらの花筏は巨体に押し潰されてもみくちゃになっている。巨大な推進器も、一掻きごとに小船を噛んでいた。
ひしめく船団の中を突き抜けると、通過した後に水路ができていた。
ぽっかりと開いた水路には夥しい木片が、そして、投げ出された朝鮮兵が溺れ、また、プカプカ浮いていた。
そのありさまを見て、積極的に攻撃を仕掛けてくる船など皆無であった。
海上の勢力が一掃されたことを知ると、上陸していた敵は、抵抗を諦めて続々と投降を始めた。
気骨のある兵士が抵抗を試みはしたが、逃げ場を失った悪足掻きでしかない。血に狂った松浦党の凄惨な殺戮に、逃げる気力さえなくしてしまった。
捕えた者の衣服を剥ぎ、わずかでも略奪の証拠があれば、問答無用で指をすべて斬り跳ばしてしまう。
捕えた場所に女の遺体があれば、萎えたままの急所を切り落としもした。子供の遺体があれば、腹を割いて内臓を引きちぎりもした。
何もしていない者にさえ大量の海水を飲ませ、島で口にしたであろう食料をすべて吐き出させ、海水だけを与えて三日間放置した。
そうしていくらか気の治まったあとで、底を抜いた小船に兵士をおいたて、朝鮮の近くまで曳航して解放してやったのだ。
楼船も一隻は帰してやったのだが、舳先には頭立つ者の生首が並び、船室には臓物がぶちまけられていた。甲板は首や手足のない死体で埋め尽くされていた。
その凄惨さに、曳航を引き受けたマークは何度吐いたか忘れるくらいであった
。
朝鮮は、何代にもわたって中国に朝貢することで生き延びてきた国である。
明に、そして清に。すでに何百年も中国の属国にあまんじている。
朝鮮の民が自立していたのは、はるかな昔。その永い時が朝鮮の国、民の意識を捻じ曲げ、こつこつ努力することを忘れていた。
強い相手におもねり、唯々諾々と我が身の安穏だけを考える。それが朝鮮国の主だった者の処世術のようだ。その反動からか、身分が下の者には情け容赦しないようだ。まったく、民衆は権力者の奴隷扱いであった。そしてえおこでも悪弊が顔を覗かせる。虐げられつづけている民衆は、平気で嘘をつく。哀れみを乞い、平気で同輩から奪おうとする。
この日本だって、あの天下普請がなかったら同じ路を辿っていたかもしれない。
ペリーもマークも、この国に溶け込むにつれ、次々に驚かされていた。
その第一が国家体制である。彼らの説明が真実ならば、どの国より早く共和制を敷き、議会制を採ったことになる。
一部権力者の君臨を赦さない仕組みや、ほぼ全員が文字を読める教育制度を敷いている。
この国の歴史を深く知ったわけではないが、すでに二百年も昔にその体制を整えたそうだ。どんな経緯でそういう考えを導いたのだろう。
世界の大国を気取るイギリスやプロシア、ロシアにしても、いまだに帝政を敷いているのだし、議会制を敷いているアメリカでさえ、大統領の権力は絶大で、帝政と大差ない。
成り行きでアドバイザーとなったペリーだが、考えれば考えるほど自分の価値観を否定されているように思えてしまうのだ。
今回の朝鮮人に対する扱いでもそうだ。なにも惨たらしい殺し方をしなくてもと思うのだが、ろくに抵抗できない女子供を殺した報いとして相手をどう処分するかと訊ねられたとき、どう答えるべきか自分には答えが見つからない。また、銃で頭を撃ち抜くのと首を斬り落とすのとを較べてどちらが残酷かと訊ねられても、答えられないのである。
深く交わるにつれ、日本に同化している。しかも、困ったことに何の違和感もなく。
さんざん考えた末に、ペリーはマークと顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。
ペリー艦隊が日本にもたらした物は他にもあった。
小型蒸気機関車や電信機がそれである。
そのどちらも、製鉄所建設が決定した時点で取り入れることが決定された。鉄道にせよ電信機にせよ、日本で複製を作ることは困難、いや、絶望的であった。なぜならそのどちらも、先端工業力がなければ素材すらできないからである。
日本のどこを探せば、製鉄所に直結するだけのレールを製造する能力があるのか。どこに磁石を作る能力があるのか。電線を作る能力があるのか。
しかし、すんでのところで工業化の波に乗り遅れることをまぬがれ、近代工業国家へと足を踏み出したのである。
軍事用としては、雷管が画期的技術であった。雷管さえあればより安全な火薬の取り扱いが約束される。なにより危険な火縄を使わずにすむ。
そして、単純に雷管を弾頭部に備えるだけで、激発信管として使うことができた。
これまでは、薄い紙で密閉した薬室に、火種を突き込ませていたのだから、わずかな洩れが誤爆の原因となっていた。一応はその解消ができたのだが、誤って信管を叩いてしまうことがある。発射の衝撃で誤作動することもある。しかしそれも、折り重ねた和紙を挟みこむという方法で実用化してしまった。
その応用力はどこから生まれるのか。ペリーにとって謎は深まるばかりである。
そんなことより、青い眼や金色の髪をもつ子供が続々と生まれている。
日本語と英語を器用に使い分ける彼らは、父親と違って難解な漢字を読めるようになっていて、いずれ成長すれば立派な後継者となるだろう。彼らが若者に育つその頃まで生を許されているだろうか。どんな人生を切り開いてゆくだろうか。楽しみであり心配でもある。
ようやく馴染んできた畳に大の字に寝転がり、仄暗い灯りの下でペリーは物思いにふけっていた。
先の報復に懲りたか、朝鮮人による海賊行為はぴたっと止んだ。そのかわり、清による海賊が目立ってきていた。
海上警備のために、帆船は遥か琉球の先端にある小島までを繰り返し巡視するようになっていた。それは、日本人に操船技術や航海術を学ばせるためではあるが、実のところ、潮風に吹かれていたいのだ。
帆船サラトガ艦長のゲイツは、マークからその役目を奪い、嬉々として任務を楽しんでいた。
西部の荒涼とした土地で生まれ育ったゲイツにとって、潮風を胸いっぱいに吸いながら遮るもののない大海原を行くのが何よりの喜びである。あるものはギラギラ照りつける太陽と、時に高く、時に頭上に覆いかぶさる雲。満天にきらめく星。うなる風と水しぶき。
陸の上ではとうてい味わえない風景を満喫できる。
何日も変わらぬ風景を見てきた末に、ようやく人の肌にふれるのである。それこそ海の男でなければ味わえない天国である。
明日には別天地で大騒ぎできるとウキウキしていたゲイツは、見張りの報告に紅茶をおいた。
「右水平線に貨物船。ジャンクが取り囲んでいます」
「右回頭、帆を張れ」
間髪をいれずゲイツが指示を下すと、サラトガはぐぐっと右に頭を振った。
右後ろからの風を受けているので、回頭しても速度が増してゆく。そしてあろうことか、回頭の最中、サラトガは僅かに右に傾いていた。しかも、舵の効きが敏感であった。
どんな乗り物でも、曲線運動をしている時には慣性が働く。艦のような重量物は、重さに応じた慣性力を受けた。その力を支えるのは容易に形を変える水だから、とてものことに力に抗うことはできないものだ。特に艦のように上部に重量物を装備していれば、より顕著にそのとばっちりを受けるものだ。つまり、右へ舵を切っている今は、艦は左へ傾くものだ。それが当たり前なのだ。
しかし、サラトガには小回りを利かせるための改造が施されていた。もちろんゲイツにとってまったく初めての試みである。まだ飛行機が発明されていない欧米では未知の工夫なのだ。
海と空は同じかと問われたら、まったく違うと誰もが考える。が、船は水に浮き、飛行機は空に浮く。つまり、見方を変えれば同じ原理で成り立っているのだ。水も空気も流れるものだから、それを流体と名づけよう。
では、同じ流体の作用で行動できるのなら、船に翼を取り付けたらどうなるだろう。それは日本の大工の単なる思い付きだった。
そんな奇妙な物を取り付けたら、艦の生命ともいうべき速度が落ちてしまう。ゲイツは真っ向から反対した。が、見たこともない兵器を開発した奴らの提案である。気に入らなければ取り外せばよいということで、サラトガが実験台になった。
ところが、速度が若干落ちた見返りに、安定性が格段に増していることがわかった。
横揺れが減り、頭を上下に振ることもなくなった。そして、旋回能力が向上している。
最高速での回頭は、操作を誤ると波が甲板を洗うほど内側に傾くのである。
ゲイツは狂喜した。世界のどこにこんなに軽快な帆船があるだろう。しかも自分は艦長だ。蒸気船の艦長に抜擢されたマークに対する嫉妬は、きれいさっぱり消し飛んでいた。
そのサラトガは風に流されながら、やがてジャンクに正対していた。
「我々は日本の船だ。ここは日本の海だ。お前たちはどこの船か」
「我々は大英帝国の船だ。小倉へ資材を運んでいる。ジャンクに船を奪われそうだ」
かすかに応答があった。ジャンクはサラトガが迫ってきたので慌てて離れようとしている。
「ゲイツ、わしらの庭先でかっぱらいは許さん。火矢を撃ってみたかったんだろ? 遠慮なく暴れようぜ」
ゲイツに囁いたのは、周防の国で村医をしていた大村益次郎。ゲイツは、いつもマスと呼んでいる。
「撃たせてくれるか、マス。何発撃たせてくれる?」
「ゲイツ、用意だけして待て。相手に仕掛けさせてから撃て。だが壊滅させてはいかん。一杯だけは沈めるなよ、かろうじて浮いている程度でやめろ。約束だぞ」
腕白坊主が腕試しをするような気軽さでサラトガはジャンクの群れに迫ってゆく。
あと少しで最後尾の貨物船にジャンクが接弦しようとした時、水兵の一人がミサイルを発射した。
いくら艦底の翼で動揺が抑えられているとはいえ、艦の上下動はとても大きい。せっかく撃ったミサイルはジャンクの帆柱をはるかに越える高さに舞い上がっていった。
「へたくそー。あやまれー」
方々から罵声があびせられる。
「俺様にまかせろ」
二番手は腕自慢をする砲手であった。彼は艦が沈み込んで、頭を持ち上げる一瞬の静止を狙って発射した。
残念ながら、艦が頭をもたげる瞬間だったためか、喫水線付近を狙ったつもりが上部甲板近くに命中した。微動だにしない陸上と違い、絶えず動揺がつきまとうのが海上である。その見越し角は自分で覚えるしかないが、大砲のように山なりに飛ぶことはなく、しかも自分の撃った弾を肉眼で捉えられることは水兵に好評であった。
加えて信管を取り付けてある。火の粉による誤爆がまったくなくなっていた。
「これぐらいでいい。あとは砲撃。貨物船には絶対当てるな」
快勝に気を良くしたゲイツは、小回りを利かせてジャンクの間に割り込んで砲撃を開始させた。
そうして貨物船を護衛して小倉へ戻ったことが後に大きな転機となった。
ジャンクを攻撃した兵器が並々ならぬ能力をもっていることを知ったイギリス政府が、日本に通商条約を申し入れてきたのである。もちろん日本に断る理由はない。厳重に管理することを条件に、ミサイル技術を持ち出すことを了承した。
見返りとしては、工作機械や医薬品の輸入。化学技術や電気関係の設備を輸入することであった。
ジャンクが貨物船を襲ったのは、アヘン戦争に納得しない強硬分子によるものと清は説明した。が、清が黒幕であることは間違いないことである。その証拠に、朝鮮とともに対馬に侵攻を始めたのである。
海を埋め尽くす船団にわずか三隻の艦では太刀打ちできない。砲弾もミサイルも限りがある。できることとすれば体当たりしかなかった。
カッカッカッ……
矢ぶすまの中を巨艦がザザーーッと掻き分けてゆく。
舷側に槍が突き立ち、火のついたホウロクも雨のように降り注いだ。
業を煮やしたミシシッピが、楼船ばかりを狙って衝突を繰り返すと、やがて小船はすべて逃走を始めた。
ゲイツは、サスケハナやミシシッピには不可能な快速を発揮させ、俊敏な小回りを存分に活用してそれを追いたてては踏み潰していた。
大きなウネリをものともせず、ハリネズミにされた敵討ちとばかりに、敵の密集しているところを狙っては突入を繰り返したのだった。
またしても壊滅の憂き目に遭った朝鮮は、ほうほうの態で逃げ帰ったものの、国内には癒しきれない患部があった。
朝貢により政権を維持してきた朝鮮は、貢物のために、そして国を牛耳る一部の者の栄華のために、民衆の財を吸い上げてきたのである。民衆に教育をほどこさず、医療も受けさせず、ただ一部の権力者が豪勢な生活をするために民衆を奴隷化していたのである。
そこへもって二度の敗戦である。何世代にもわたり、奴隷同然の生活を強いられてきた民衆の不満が爆発し、ついに王朝と、王朝を隠れ蓑にして安逸な生活をしていた貴族が引きずり倒されてしまった。
そういう動きを黙っていられないのが清である。
清も慢性的な国力低下に喘いでいた。先のアヘン戦争でさんざんに打ち負かされ、アヘン常用者の蔓延で働き手を失っている。アヘンほしさの泥棒や、人殺しがいたるところでおきている。
沿海部からはアヘン渦が、内陸部からは飢饉が押し寄せていた。
それなのに王朝は生活を慎むことを厭い、朝鮮からの貢物がなくなった分、庶民にしわ寄せがいったのである。
王朝を倒して政治を握ったはよいが、朝鮮国を維持することは、民衆には到底不可能であった。というのは、政治の実権を握ったとたんに、自分の利益だけを追求する姿勢が露骨になったからである。それは民衆に責任があるのではなく、幾世代にもわたって搾取されたことで理念を奪われてしまったからであった。
政権に就いた者が失脚し、新たな権力者が不正に走る。その構図が膨れ上がるばかりで、国を憂うる者の出現が期待できなかった。そのうち食料が行き渡らなくなり、餓死する者が随所で放置されるにいたった。
どうにも手の打ちようをなくした政府は、あろうことか船に貢物を満載して日本に救いを求めた。
困窮する食料事情を訴え、原因の一端は日本による攻撃で働き手を失ったことだと強弁し、食料援助を申し出たのである。
日本政府は言下に断った。二度も他国を侵しておいて、その言い草はないとはねつけ、追い返してしまったのである。
しばらくして、こんどは低姿勢でやってきた。
ますます餓死者が増え、いたるところに死骸が放置されていることを訴え、このままでは女子供が死滅し、国が絶えてしまうと大泣きしてみせた。
それでも政府は支援を断った。女子供が死滅するというのなら、大人の男が犠牲になればいいと言い切ったのである。
そして三度目、こんどの使節は支援という言葉を使わず、朝鮮全土を買い取ってほしいと願い出た。
日本にとって、朝鮮を買い取ったところでどんな得があるかさっぱり考え付かない。答えを留保して数日、朝鮮使節が三顧の礼をもちだしたことにより政府の対応が変化し、ついに朝鮮全土を購入することになったのであった。
朝鮮が日本に併合された以上、日本の制度を広め、馴染ませねばならない。
大勢の役人が赴任し、急ピッチで日本式社会を整備したのである。
その中で、鉄道整備が最優先され、イギリスとの貿易が倍増していった。
そのイギリスを通じて輸入したのが自動車であり、電話であり、発電機である。ことに自動車や電話はアメリカ製であった。
アメリカから輸入した設備が日本に渡っているのを知ると、アメリカとイギリスとの関係に隙間風が吹き始めた。
アメリカにすれば、ペリーがなお外交顧問でいることを不満に思っているのである。元の関係に戻るためにはペリーを日本から引き離すことが条件であるとして、イギリスを牽制していたのである。
ところが、イギリスは日本がもっている秘密兵器の威力を知っていた。その技術を知りたくて盛んに秋波を送っているくらいである。それに、日本との貿易で経済は好転していた。
大西洋への進出を目論むドイツとの間で衝突が繰り返されている今、なんとしてでも繋ぎとめておきたい相手だったのである。
やがてドイツとの戦端を切ったイギリスは、日本に同盟関係をもちかけ、対等な同盟関係ができあがった。ペリーはその締結に尽力し、数奇な生涯を閉じた。
彼が日本にもたらしたものは計り知れない。
先端工業製品であり、工業規格獲得であり、子孫である。
最大の功績たる子孫はすでに社会を牽引するにふさわしい年齢に差し掛かっていた。