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外交顧問ぺりー誕生

 五、外交顧問 ペリー誕生


「ペリー殿の処遇が決まりました。残念ながら国許へ帰ることは諦めていただくほかないが、死を求めてなどおりません。この地で余生をおすごしいただくことになりました。無念ではありましょうが、元を正せば自ら招いたこと。ここは一つきっぱり諦め、吾ら共々仲良う生きるがよろしかろう。ついては、ペリー殿を会議に招きたいということですが、承知されますか?」

 議会の意思を伝えに来た使者の意外な発言に、ペリーは訝しげな顔をした。単純に考えるならば、捕虜を抱えるということは大きな負担となるからだ。食べ物を与えねばならないのだし、監視のために少なからぬ人手を割かねばならないのだから、端的にいえば全員殺すべきかもしれないと思っている。

「我々の命を保証するというのだな。それは懸命な判断だと思うが、この地とはどこのことか、まさかこの狭い土地のことではないだろうな」

 ペリーは、精一杯の虚勢を張っていたつもりだ。いかに虜の身とはいえ、そして、生命を保証すると言い渡されたとはいえ、提督として相手に媚びるわけにはいかない。だが、ペリーが横柄な態度をとったにもかかわらず、使者は鷹揚に笑みをたたえていた。


「海を渡りさえしなければ何処でもかまいません」

「もし海を渡ろうとしたらどうなる」

 異国との交易があるという話を耳にしたことがある。外国船がやってくる港へ行けば、この国から脱出することができるかもしれないのだ。もしそういう機会に恵まれたとき、素直に帰してくれるのだろうか。それが気になった。


「吾らの使った武器は、まだどの国でも使われていないようです。もしそれが野蛮な国に知れれば、きっと真似をするでしょう。そんな物を手にしたら、間違いなく死人の山となります。となれば、口を塞ぐしかありません。が、……それは避けたい」

 確かに、あんな兵器を見たことがない。小船から撃つことができて、大砲に匹敵する破壊力を有している。いや、大砲とはまったく違う。爆発し、燃えるものを飛び散らせ、上空から銃弾をぶちまける。大砲を撃ち合っても、相手の船を燃やすことなど不可能なことだ。そして、ささくれ立った甲板を見る限り、甲板員は無傷でいられない。あのような兵器を発展させれば、死人の山を築くことは容易なことだ。それを憂いて秘密の漏洩を防ぎたいということには理ある。同時に、優位な兵器を隠しておくのは常套手段でもある。迂闊に信用するわけにはいかないのだ。


「それで、私を議会に呼び出して何をさせるつもりだ」

「それは私が言うことではありません。ただ、我々の国がどういうものかを知るには、それが一番の近道でしょう」

「そこでは自由に発言できるのか?」

「勿論です」

 使者は、やはり笑みをたたえたまま力強く頷いた。



 赤坂は、うっそうとした森の広がる小高い丘である。その森を仕切る柵が延々と続き、ほぼ五百メートル四方が厳重に守られていた。なぜなら、そここそが国政を審議する評定、つまり議会の場だからである。受け持ちにより、医薬を審議する棟、交易を審議する棟、河川改修や農地開発を審議する棟等に別れていて、その中央に一際大きな棟がある。そこがこの国の中枢ということだった。


 ペリーが議場に姿をみせると、割れんばかりの拍手がまきおこった。

 誰か著名人の到着と重なったと勘違いして立ちつくすペリーを席に案内すると、一段高い席に戻った男が口をきった。

「ペリー殿の来場を迎え、一言申し上げる。ペリー殿は、此度の小競り合いに敗れはした。が、兵力の差を考えれば当然である。されど、負けをみとめた潔さは我らの伝統と一脈通ずるもので清々しく、むしろ賞賛すべきである。又、居留地にても努めて平静を保つこと、殊勝である。とはいえ、異国に知られてはならぬ兵器を知られた以上、国許へ帰すことは到底許されることではない。ならば、一切の遺恨を捨て、仲良う暮らしたい。又、ペリー殿から学ぶことが多かろうし、ペリー殿にしても、我らから学ぶことがあろう。されば、足らぬことを補い合う胞輩として心を開いてもらいたい。評定所を代表して挨拶申し上げる」

 年嵩の小男が一言づつ区切って話すのを、後ろに控えた通訳がペリーに英語で説明し、次第に彼等の考えがみえてきた。


「ビドルが迷惑をかけたことをお詫びする。逃げられないことは十分理解しただろう。もうあのような騒ぎをおこさせないようにする」

 ペリーは、ビドルがおこした騒動をまず詫びた。逃げさえしなければ、いたって穏やかに接してくれていることをありがたく感じているのである。


「ビドル殿には気の毒であった。命を落とした五人も気の毒であった。歩哨の腕前を知らせておけばよかったと後悔しておる。お許しくだされ」

 小男は、ペリーの言葉に相槌を打った。許してくれといいながら、ビドルにも死んだ五人にも憐憫の情はもっていないようで、素っ気ない感じがした。


「ところで、今の話では我々の技術を知りたいようだが、それを知ってどうする。真似をするつもりか」

「いかにも技術がほしい。そうすれば民衆の暮らしがもっと豊かになる」

 小男は、ためらうことなく言ってのけた。


「兵器に使うと白状したらどうだ」

「確かに……。その通り、兵器に使うかもしれん。しかし、民衆の暮らしを豊かにすることしか、今は考えていない」

 やはり兵器技術を盗もうとしているのだ。そんな口車にのってたまるものか。

「突然そんなことを言われて信用できるものか。何も教えることはない」

 ペリーはそれきり口を噤んだ。


「我らには、二君にまみえずという言葉がある。ペリー殿の気持ちは重々お察し致す。いずれにせよ、もう少しすればエゲレス国の使いがやって来る。さすれば多くを習うことができよう。まあ、それでよい。されど、ペリー殿を信用する証しとして、どの異人にも内密にしておるものをお目にかけることにしよう。明日にも品川に行き、そこで何がおきるかをしっかり見られよ。ただし、それこそ秘中の秘ということを肝に銘じてもらいたい。その後でもう一度話し合いたい」

「何を見せるというのだ、どうせつまらぬ物だろう。見るだけ無駄だ」

 えらく勿体ぶった言い方だ。何が秘中の秘なのかは知らぬが、火を噴きながら飛び来るモノ以上の秘密など、考えようがない。


「……我々は、空を飛ぶ道具をもっておる。先人が考案してくれたもので、改良を重ねて人が乗れるようになった。だから今では実用化されておるのだ。そして、それには火矢を載せてある」

「空を飛ぶだと? そんなことができるものか、子供じみた冗談だ」

 ペリーは腹を抱えて笑い出した。どこの世界に、空を飛ぶ道具などあるだろうか。ましてや、相手は馬車すら満足なものはもっていないのだ。どうせ蒸気船の技術がほしいのだろう。しかし、蒸気機関すら知らないような未開の土人が、こともあろうに空を飛ぶだと? 法螺をとばすのもいいかげんにしろ。ペリーは心底そう思っていた。

「嘘を言ってなんになる。そもそも、それを見られてしまったことが事の発端なのだが、その話は後日にしよう。明日、ペリー殿の船団の内、帆船を一杯燃やす。笑うのはかまわんが、まずは見てからになされ」

 小男は、淡々とした口ぶりだった。



 翌日は、抜けるような青空がひろがっていた。所々にちぎれ雲が浮かんでいるばかりである。ペリーが案内されたのは、台地が少し盛り上がった、比較的見晴らしの良い場所であった。


「目標にする船には帆を張りました。あれに空から火矢をしかけます。狙いをつけ辛く、なかなか成功しないので困っているのですが、失敗もまた愛嬌というものです」

 案内の男が首筋を撫でながら合図をすると、シュルシュルと狼煙玉が上がった。


「向こう岸をごらんください。じきに煙が上がります。その中から小さい点が現れます」

「それで?」

「それがこちらに飛んできて、空から船に火矢を打ち込みます」

「なんの冗談かしらんが、その前に飲み物をもらえないか。できれば紅茶がいいんだが」

 また空を飛ぶ道具の話をもちだしている。しかも人が乗って対岸から飛び来たり、あろうことか艦を燃やすと真顔で言っている。そんな馬鹿げた嘘を平然とつく神経がペリーにはどうしても理解できない。

 こんな遠くに足を運んだのも、ピクニックと考えれば腹も立つまい。となれば、飲み物がつきものだ。ペリーが紅茶を要求したのにはそんな思惑からであった。


「その暇はありませんよ、向こう岸に煙があがりました」

 案内の男が対岸を指した。


「いくら速くても紅茶を飲む余裕はあるだろう」

 それが何なのかを知らないペリーは、適当に相槌をうつつもりでなおも紅茶をねだった。


「ほら、あの黒い煙を引いているのが見えますか。すぐにここへ来ますからね、お茶を飲む暇なんかありませんよ」

 ペリーの態度を無視するかのように、案内の男はしきりと対岸を見つめている。しかたなくペリーが言われた方角に眼をやると、なるほど煙の先端に小さな物体があり、空高くへかけのぼっている。その速さからして、鳥ではなさそうだ。


 対岸まで二十マイル離れているとすれば、毎時二十ノットの速度であっても一時間かかる。二十ノットを出せる船などお目にかかったことはないし、陸上であっても馬並みの速さである。これから茶を沸かしてもゆっくり間に合うはずであった。


「ほら、もうそこまで来ました」

 そのしつこさに辟易し、不機嫌な眼差しを上空に向けたペリーは、信じられない光景を目の当たりにした。

 空を十字架が飛んでいる。しかも豆粒のように小さかった十字架が瞬きする間にはっきりとしたシルエットとなり、いくらもたたないうちに頭の上で大きく弧を描いた。



 綿入れの頭巾と半纏で身を包んだ男は、風除けの金魚鉢をすっぽり被った頭をわずかに傾け、幔幕を中心に多くの人がいることを確認した。そして首を捻じ曲げて後続の状態を確認した。危険を知らせる煙が出ていないことを互いに確かめ合うと翼の前に帆船を捕らえるべく足を踏み込んだ。



 一旦頭上を通り過ぎた十字架が、遥か先で向きを変えて艦に突き刺さるように突っ込んでゆき、かなり遠くから火矢を放つのをペリーは呆然と見ていた。


 一の矢は外れ、艦の前方に水しぶきを上げた。二の矢は舳先、係船ロープが束ねてある部分に命中。再び上空へ駆け上った十字架が反転して残りの火矢を撃ち込んだ。

 今度は指揮所と後甲板に命中した。


 突如黒煙を噴出したとみるや、十字架が一気に空高くへ駆け上がり、そして来た方向へ去って行った。


 今のはいったい何だったのだろう。夢でも見たのだろうか。

 人が空を飛ぶ? 馬鹿をいうんじゃない、アメリカでさえそんな機械は発明されていないではないか。しかし、ならば今見た物はいったいどう説明すればよいのか。

 ペリーの思考は混乱を極めていた。



「御覧いただけたかな? 我々は空を飛ぶことができる。空から船を沈めることもできる。だからこそ、他国に知られてはならんと考えておる。他国がこれを持ったならどうなる? 他の国を犯し、富を奪おうとするであろう。そのようなことはさせとうない。それが我々の気持ちである」

 皆から総務と呼ばれている小男がしみじみと言った。


「あんなものを持ちながら、この上何を知りたいというのだ」

「何から何まで。すべて知りたい」

「技術を知りたいのではないのか」

「ペリー殿が技術と申したから、そう答えたまでのこと。国の仕組み、民衆の気性、考え。食べ物や着る物、医者は? 教育は? 異国に対する考え方は? つまりは、一から十まで教えてもらいたい。無論、技術も知りたい」

「アメリカを占領しようと考えているのか?」

「愚かな。我々はこの国で満足しておる。異国を侵す気など毛頭ない。その証が琉球であり、蝦夷だ。もうどれほどになるか、対等な近所付き合いをさせてもらっておる。とはいえ、琉球は清から属国になるよう脅されて困っておってのう、加勢をやっておるのだが、いずれ日の本に統合したいと相談があった。どうすべきか皆で相談しておるところだ」

 占領すればよいのにと言いかけて、ペリーは口を噤んだ。自分たちが当然のように考えることをこいつらは望んでいない、忌み嫌っているように感じたからである。そして、自分も王宮へ繰り込んだことを思い出してぞっとした。知らなかったとはいえ、うっかりしたら全滅していたかもしれないのだ。相手をみくびり、自分たちの武力に自信をもっていたのだが、なんの根拠もない自信だったことを思い知ったのだった。


 国民性を知ることは、戦略上重要なことである。何を常食にしているかだけでも国民性が窺える。衣料や教育の充実した国を侵すには、相当の用意と覚悟がいる。軍人の頂点に立つペリーにすれば、すべてを戦争に結びつけざるを得ないのであった。しかし、少なくともこの小男は、そんな野望を抱いてはいないように感じられた。

 もし自分が協力するふりをして外国の商人を通じて秘密をもらしたら。そんな疑いを抱かないのだろうかとさえペリーは思った。


「あんな物を見せられて混乱していると思う。もう一晩ここに泊まって、明日帰るがよい。ささやかだが料理を用意した。今夜は気楽にするがよい」

 総務は立ち上がってペリーを別室に促した。



 大井村の長屋に帰ったペリーは、何日も人を遠ざけて考えこんでいた。あんな物を見せられて、闘う気力が失せてしまったのである。だからといって、彼らの言いなりになることは祖国への裏切りに他ならない。いくら考えたところで結論が得られるはずもなく、ペリーの懊悩が続いていた。


「提督、どうなさいましたか。先日来ふさぎこんでおられるようですが、まさか拷問にかけられたのではないでしょうね」

「ああマークか。何でもない、考え事をしていただけだ」

 不意に声をかけられたぺりーは、心配そうに立つマーク大佐にようやく気付いた。

 ペリーが東洋艦隊司令長官に任命されたときにマークはサスケハナの艦長であった。士官学校の後輩であるマークの人柄と能力をたかく買っていたぺりーは、着任するや、すぐさま旗艦をサスケハナに替え、以来ずっと行動を共にしている。彼は、ペリーの一番の理解者である。


「マーク、君に尋ねるが、この国の人間をどう思うかね」

「どうと言われても、チビで痩せていて、なにかというとヘラヘラ愛想笑いをする……」

「そんなことではなくて、人間性をどう見るね」

「人間性ですか? そうですね、ふだんは紳士的ですが、悪魔の凶暴さを隠していると思います」

「そうじゃないよ、彼らは信用できるかと尋ねているんだ」

 言いたいことがうまく伝わらなくて、ペリーは苛立ちをおぼえていた。外見的なことではなく、もっと本質的な中味の話をしたいのだ。


「それは難しい質問ですな。信用するのは賭けかもしれません」

「そうか。……やはり、そう考えるのが自然だろうな」

「何かありましたな。提督がこんなことで考え込まれる姿は見たことがありません。よければ話していただけませんか。口の堅さはご承知のはずですね」

「……では話すが、絶対に漏らしてはいかん。実はな……」

 ペリーは、空を飛ぶ物体を見せられ、しかも人が乗っていることを教えられたこと。彼らはアメリカについてのすべての情報を知りたがっていることを話した。



「どうだ、信じられるかね? だが、私はこの眼で見たのだよ。飛ばした所へ戻るのならブーメランでもできるだろう。だがね、私の頭の上を往復して、おまけに火矢を放ったのだよ。あんな物に狙われたら逃げることは不可能だ。私の知る限りで最強の絶対兵器だよ」

 大真面目に話すペリーを初めは錯乱したかと疑ったマークは、落ち着かせようと話題を変えてみた。


「ところで提督、パーティーはいかがでした? ここではお口に合う料理は望めませんが、それでも豪勢な料理が出たことでしょう」

「料理ばみすぼらしいものだったよ。だが味は良かった。水みたいな酒も出たよ。おかしな奴らでな、少し飲んだだけで酔っ払って、その場で眠ってしまった。その気になれば何人か殺せたかもしれん」

「どうせ護衛が隠れていたのでしょう?」

「そうでもなさそうだった。風邪をひかぬよう上掛けをかけると、会場の明かりを消して誰も出入りしなかった」

「どういうことですか?」

「私を信用すると言ったよ。だから無防備だったのだろう」

「ビドル提督とは大違いですね」

「マーク、ビドルは予備役に落とされている。提督ではないから呼び捨てでかまわんよ。奴らは言っていた。自分たちの持っている兵器は、まだどこの国にもない。それを持ち出されたら、苦しめられる者がきっと出る。それが嫌だから、国外へ逃げようとする者は赦さんそうだ」

「自分たちが優位に立つためですか? それは理解できます」

「そういう意味ではなく、穏やかに暮らしたいから。奴らはそう言っていた」

「そんなこと口先だけでしょう」

「そうだ。我々の社会ではそう考えるのが当然だ。しかし考えてみないか、我々が教えられてきたことを。知られたくない兵器を知れたら、しかも相手を捕らえたら。君ならどうするね?」

「主要な者を残して全員殺します」

「そうだ、それが軍人の務めだ。満点だよ、マーク。ところで奴らはどうしてる? 誰を殺した?」

「逃走しようとした者を五名。しかも無残な方法で」

「殺し方に紳士も悪人もないさ、そんなことは関係ない。逃走に加わらなかった者に危害を加えたかね?」

「いえ、女子供をよこすくらいですから。ですが、あんな殺し方は惨すぎます」

「では、銃で頭を撃ち抜くのは紳士的かね? 私はそれを考えていたのだ。奴らの言うことも理屈にかなっていると思えるのだ」

「では、提督は奴らの要求を呑むおつもりですか」

「だから迷っているのだ。そこでだ、君も考えてくれないか。実際に空を飛ぶ物体を見てくれないか」

「祖国を裏切ることを考えているのですか?」

「そうなるかもしれん。いや、私の理性は、祖国から解き放たれようと望んでいる」

「わかりました。ただし、私が違う判断をしたとき、私は提督の命を奪うかもしれません。それでよろしいですか?」

「君は任務を遂行するだけだ。恨みはしないよ」

 心の内を聞いてもらえたことで、ペリーの表情に以前の自信が戻ってきていた。




 品川に座礁しているサスケハナの煙突が、一年ぶりに黒煙を吐いている。冷え切ったボイラーを焚いて、水漏れ、蒸気漏れの点検が始まったのである。


 マークと信頼できる腹心に飛行訓練を見せ、議会と何日も話し合った末に日本の考えに共感し、部下を説得したのである。部下たちは居留地での待遇に満足していたし、捕虜である自分たちを特別扱いせずに近隣住民として接してくれることを喜んでいた。上官が皆に諮ったことが精神的免罪符となって、この地で生きることを承諾したのである。それでも抵抗姿勢をつらぬく強硬派や不平分子は、やがて奥地に移住させられた。関節の炎症に苦しんだビドルも、不自由な足を引きずりながら共に送られていった。

 そして、永らく休ませていた艦を修理をするために、ボイラー点検を始めたのである。



「トラ、これがボイラーだ。こうして湯を沸かすと蒸気ができる。それでも火を焚き続けると蒸気の圧力が高くなって、この大きなシリンダーを動かすことができる。これがその心臓部だ」

「シリンダーが動くとどうなる?」

「このロッドがクランクを押して、回転運動に変えてくれるのだ」

 トラと呼ばれていたのは、吉田寅次郎。長門出身の青年である。

 吉田は、何にでも興味を示した。機械だけでなく、鉄板を繋ぎ合わせるリベットにも興味を示した。鉄板に通した鉄棒を潰して繋ぎ合わせると説明すれば、鉄板にはどうやって孔を明けるのかと矢継ぎ早に質問してマークを困らせていた。いくらつっけんどんに突き放しても、決してマークから離れようとしないのである。


「いいかげんにしてくれ。私は技術者ではない。軍人だ」

「だけど、海に出て壊れたら修理しないと帰れないよ。まんざら素人じゃないはずだ」

 そう言って根掘り葉掘り聞き出しにかかっていた。


「先生、マーク殿を困らせてはいけません。それに、先生がマーク殿を独り占めにするのはやめてください。僕だってお尋ねしたいことが山ほどあるんです」

 吉田の横から久坂という青年が不平をもらした。

 久坂は、吉田が主催する研究会、平たくいえば私塾の塾頭で、自らを玄瑞と名乗っている。日頃から強力な指導者の必要性を叫んでいる青年である。


「わかった、ではこうしよう。昼まではトラの質問に答える。昼からは久坂の相手をしよう」

 たまらずにマークが解決案をもちだした。


 同様の光景が随所で繰り広げられている。それにつけても不可解なのは、誰もが不自由なく英語を話すことである。しかも、訛りの強いアメリカ言葉とは違い、上品な本場の英語である。ただ、時代がかった話し方しかしない。



 ちょうど同じ日、ペリーは議会の敷地内にある通商部の一室で、イギリス商人と政府の交渉の様子に聞き耳をたてていた。


 コークス高炉を発注しようとする政府に対し、商人はしきりと反射炉を薦めていた。しかも法外な金額である。軍人であるペリーは商人のような狡さを快く思っていないこともあり、憮然として聞いていた。

 やがて商人が武器の購入をしきりと勧めだした。

 あろうことか、フリントロック銃を正規の値段で売りつけようとしているのである。それを知ったとたんにペリーはきつく目を閉じ、指先で机を叩き始めた。

 今更フリントロックなど屑鉄同然だからだ。きっと商人は、銃メーカーの在庫を屑鉄の値段で買い入れ、莫大な利益を上げようとしているのだろう。

 それには政府も真っ向から反論した。少なくともミニエー銃くらいを勧めるべきではないか、誠意があるならスナイドル銃を勧めるはずだと言い返していた。

 なぜかペリーはほっとした。商人の口車に乗せられない知識をもっていることがわかったからである。


 イギリス商人と政府の交渉が不調に終わって半月。はるか海を渡ってイギリスから特使がやってきた。ほかの商人とくらべてイギリス人が最も高潔であったために、政府が商人を通じて政府代表の来日を促していたのである。

 仰々しい挨拶が始まる前から、ペリーは衝立の後ろに隠れていた。


「このたびは日本政府のお招きで足をのばしました。わが大英帝国と通商条約を結びたいとお考えのようです。すでに国王陛下のお耳に届いております」

「エゲレス国は騎士道精神にとんでおられるとうかがっております。わが国にも武士道というものがあって、一脈通じるものがあります。それに産業が盛んだとも聞いております。ついては、わが国と義美を通じていただけないかと願っております」

「国王陛下のご判断を仰がねばいけないので、お答えはご勘弁願いたい。ところで、コークス高炉を望んでおられるようだが、あれは国外持ち出しが許されていません。大型反射炉のほうが、使うに便利と思います。そちらで検討されたらいかがでしょうか」

「もうすでにコークス高炉は広く使われているときいております。なんとかお願いできないでしょうか」

「誰が言った嘘か知りませんが、まだ国外持ち出しを禁じられているのです。やはり大型反射炉のほうが費用の面からも得策ではないかと……」

「お言葉ですが、費用のことを言ったおぼえはありません。なんとしてもコークス高炉が必要なのです」

「そう言われても、例外は認められていないので……。どうしてもと言われるのなら、他の国に打診されたらいかがでしょうか」


 何を思ったかペリーがすっくと立ち上がって机を軽くノックした。

「お話中、失礼する」

 一声かけて衝立の影から姿を現した。


「どなたですかな? 立ち聞きするとは関心しませんな」

 イギリス特使は片眉を吊り上げて闖入者を見やり、ぎょっとした表情をうかべて固まった。そして交渉代表に説明を求めるような眼差しを向けた。


「失礼は幾重にもお詫びする。私は外交交渉アドバイザー、マシュー・ペリーです」

 ペリーは、長年その職にあるかのような落ち着いたものごしで自己紹介した。


「外交交渉アドバイザー? それがなぜアメリカ海軍の軍服を着ているのですか? しかも大物ですな。アメリカは日本のアドバイザーになったのですかな?」

 正装で出現したペリーは、イギリス特使の嫌味に臆することなく、交渉代表の背後に而立した。


「そのアドバイザーがどんな用件でしょうか」

「特使はコークス高炉が輸出禁止になっていると言われた。なぜそのような嘘をつくのですか。フランスやスペインに輸出しているではありませんか」

 ペリーは、イギリス特使に遠慮のない一言をあびせた。


「……わが大英帝国とフランスとは、特別な関係ですので……」

 尊大にかまえていた特使がわずかに口ごもり始めた。


「そうですか、イギリスとフランスは特別な関係ですか。国をあげて闘ったのは何年前でしたかな。まだ二百年ばかりではなかったですかな。スペインも特別な関係ですか。植民地の獲得競争を繰り広げている相手ではないですか、嘘はいけませんなあ」

「しかし、コークス高炉より大型反射炉のほうが扱いやすいはずです。費用面からも有利なはずです」

「そうではないでしょう。鉄を得るのに最も優れているのが、コークス高炉だと聞いています。しかもですよ、コークス高炉を輸出するとなれば、石炭が必要になります。コークスを製造する炉も必要です。熱風を送り込む装置も必要です。合計すれば莫大な取引になるでしょう。違いますか?」

 イギリス特使と違い、ペリーは笑みさえ浮かべている。


「うううむ。ではこうしましょう。設備の輸出を認められるよう国王陛下にお願いするかわりに、技術指導料を負担いただきたい。それでどうですかな」


「設備を輸出するということは、技術指導が前提ではないですか。修理部品も一式揃えるのが当たり前。石炭を継続して輸出できるのですよ、欲はほどほどにしないと、話を振り出しに戻して競争入札にしてもいいのですか?」

「待ってください、競争入札をされるつもりですか?」

「それはお返事しだいですな。他の国に打診せよと、ついさっき言ったのはどなたですかな? そちらの条件が厳しいのなら、可能性として排除できないということです。どうされますか? せっかくの商談をふいにしますか? 即答いただきたい」

 ペリーは勝ち誇っていた。国を代表して交渉するのなら、少しばかりの利幅は目を瞑りもしよう。が、暴利は赦されない。少なくとも紳士の名を汚すものだとペリーは信じていた。それこそが、ペリーが軍人である証拠であった。


 それにしてもペリーの交渉術は見事である。製鉄設備と対になるのが加工設備。鍛造設備や切削設備なくして製鉄は意味をなさないのである。そして設備の動力源である蒸気機関、さらには保守点検のための工具や測定具。そして、ダメ押しとして、工業規格の添付まで認めさせてしまった。

 確かに費用は莫大であるが、長年にわたって蓄えた金地金での支払いで決着できた。日本側がおおまかな金の相場を知っているだけに、特使はそこでも私腹を肥やすことができなかった。ペリーが認めたのは、特使に対する骨折り賃として、一万ポンドに相当する金地金だけであった。


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