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黒船来航

 四、黒船来航


 家康が新体制での国家を築いて、百五十年の時がすぎた。

 初めの百年は領主と家来の関係が色濃く残っていたが、時を経るにしたがい徐々に民衆の意識に変化が現れていた。

 かねてより取り組んでいた教育がすっかり定着すると、生家の状況に関係なく、優秀な人材が輩出されるようになってきた。しかし、彼らが正当に登用されるにはまだ五十の年が必要であった。いかに優秀であったにせよ首尾よく官吏に登用されることはまれで、多くは国士の係累が門閥の横車をおしていたのが実態だった。

 ただ、官吏が優秀な若者を放っておくはずがない。自分の手先にして実務を担わせ、自分は鼻毛を抜く生活を画策する風潮がはびこっていた。


 と同時に、農作物の研究がすすんで収量が増し、何世代にもわたって浸透してきた自由闊達な文化が花開いていた。

 そのうちぼつぼつ下級武士を先祖にもつ議員があらわれるようになり、やがて商家や農家の出身者も議員に選ばれるようになっていた。

 家康の思い描いていた社会がようやく現実となってきたのである。



 それにつけても、支配者と被奪者との関係が解消するには、気が遠くなるほどの時が必要である。

 天皇を絶対的な支配者から追い落とした家康の功績は称えられるべきであるが、追い落とした武士階級が君臨し始めたのである。

 その数たるや、天皇と公家など遠く及ばないのだからかえって苦しみが増えたといえる。

 ただ、領主制度をも廃止したおかげで、生まれつき大名というような理不尽さは薄れていた。永い時の中で民衆が少しずつ気持ちをあらため、そしてわが世の春を謳歌していたのである。


 一方で、兵器の研究も進んでいた。

 ロクロを使って竹の外周を滑らかに削る工夫がされると、それだけで飛距離が増すことがわかったのである。

 そんな発見があれば、更に工夫するのが民族性である。先端部にお椀を伏せたようなものを取り付けると更に飛距離が増した。外周を丸く削ったこととあわせて飛行姿勢も一段と安定した。

 そんな折、ある工人が魚の尾びれに似た板を取り付けてみると、格段に飛行姿勢が改善されたのである。ならばというのでヒレの大きさや位置を違えて試してみたが、失敗の連続であった。あらぬ方角に飛んでいったり、大きく弧を描いて撃った場所に戻ってくるものまででるしまつ。安定した飛行を獲得するまでに何年も試行錯誤が繰り返された。

 が、いったん原因をつきとめると更に別の工夫をしたがるのも日本人の体質である。

 弾体をコマのように回転させて驚異的な直進性を確立したかとおもえば、弾体の中央に大きなヒレを取り付けて信じられないほどの飛距離を実現してみせた。


 手先が器用でありながら仕事を怠ける若者がいた。

 仕事に励んだ後に遊べばよいものを、暇さえあれば馴染みの芸者にいれあげている困り者である。腕を惜しんだ上役がいかに叱責しようが、芸者通いがやめられない。親の意見はもとより、親戚がそろって叱っても聞く耳をもたず、勘当は時間の問題となっていた。

 上役にしても、外の者に示しがつかないので最後通告をせざるをえない。いよいよ土壇場である。

 今日一日、真面目に働けば難なく終わる仕事であったが、心は宙をさまよっていた。

 なんの作業をしていても、芸者の面差しばかりが目にうかぶ。しまったと気付いた時には大きな板を愛らしい眉に似せて削ったあとだった。

 その時ばかりは驚いた、いや、覚悟をきめた。陽が大きく西に傾き、もう作り直す猶予はなかったのである。

 すっかり気落ちした若者は、その時の気持ちを素直に表したのか、困った顔のように眉尻を僅かにさげて取り付け、全体を麻布で覆って逃げるように帰宅してしまった。

 翌朝になり、立会いの役人の前に引き出された模型は、上役の考えとは全く違うものであった。しかし、上役にも落ち度があった。昨夜のうちに点検すべきを怠り、句会に興じていたのである。今更役人に弁解することなど許されず、眉間に深い皺を寄せて実験を始めた。


 壊さないために水平に置かれた模型に、小さな薬筒が取り付けられる。そして大勢が見守る中で火がついた。


 薬筒から炎が噴出した次の瞬間、模型は宙に浮いていた。そして加速するにつれ上昇を始めたのである。

 普通の弾なら、水平に飛んで地面に刺さるのだが、この模型は空高くに舞い上がっていた。

 やがて火薬が燃え尽きると、フワフワ滑るように降りてくる。その場にいる誰も見たことのない飛び方であった。しかも何倍もの距離を飛んでいた。


 それから大騒ぎになったことを若者は知らない。仮病を装って布団をかぶっていたのだから。

 後日届いた褒美は、長櫃に入った馴染みの芸者だったというもっぱらの噂である。

 粋な上役がいたものだが、それほどに画期的な工夫であった。


 まったくのマグレが引き起こしたことにせよ、これにより航空工学が発祥し、時の単位を見直し、速度の概念や単位を定める基礎となったのである。

 それから十年、初めは胸ビレとか尻ビレとか呼んでいたものを翼と改称し、徐々に大型の模型を飛ばしていた。


 その間にいろいろな試みがなされている。

 まず第一に、速度が上がると翼が千切れ飛ぶことを解決しなければならなかった。どうかすると空へ舞い上がる時点でもげてしまうのである。

 手始めに推力を段階的に増すよう工夫してみたが、速度が上がれば同じ事。すべて千切れ飛んでしまった。現代であれば笑い話にもならない理由であった。

 その根本原因は素材である。そしてボルトもナットも知らないのである。

 ようやく始まった産業革命により、来航する異国の船が増え、西欧の変革を知ってはいたが、なにせ相手は船乗りである。技術的な情報を得られるはずはなかった。

 その中で、初歩的な動力機関が開発され、工業製品を画期的に増産し始めたという情報を得ていた。

 が、そこに大きな難題がある。この国では燃料といえば薪か炭しかなかったのである。もちろん鉄鉱石も算出しない。いかに世界に誇る玉鋼があったにせよ、鉄は貴重品であった。


 第二は力学である。闇雲に実験してきた記録をまとめると、法則があることに気付いたのである。

 翼の大きさ、つまり広さが、空へ浮かぶ力を与えていることを発見したのである。

 それがわかると、次には翼の形を実験してみた。

 長い翼が良いのか、それとも幅広の翼が良いのか。はたまた分厚い翼、薄い翼。

 今考えればなんでもないことではあるが、基礎的な知識が何もない当時にあっては、ひとつひとつが実験でしか得られないことだったのである。

 しかし、根気よく続けた結果、実際に人が乗れる大きさの実験機を作り上げていた。そして、それに人と同じ重さの砂袋を積んで幾度も飛ばしてもみた。

 ついには、有人飛行にも成功していた。



 それから数年たったある日、難破船で漂流していた異人が犬吠埼に流れ着いたことから歴史の歯車が大きく動いたのである。


 季節は夏、帆柱を失い大きく船底をのぞかせるそれは、一切の推進力を失って、潮にのって流されていた。折悪しく有人機の調練をしている様を、その異人に見られてしまったのである。



 水平線上に朧な陸地をみつけた船乗りは、小躍りして喜んでいた。食料もさることながら、飲み水が流されてしまっていたのだから。

 なんとか潮がはこんでくれないかと念じながら朧な陸地を眺めていた船乗りは、水平線から一本また一本。黒い煙が柱のように立ち昇るのに気付いた。

 やがて煙がとぎれると、煙の先から奇妙な物体が飛び出し空を横切ってくる。あっという間に近づいたそれは十字架そのものであり、みるまに船の真上を通り過ぎていった。


「見たか? ありゃ何だったんだ?」

 妙な物体が飛び去るのを何人もが目撃していたが、空腹と渇きで幻覚でも見えたのかと誰もが思ったのである。


「見たぞ、十字架みたいな格好してやがったが、あんな鳥なんか見たことがない。あんなに速い鳥なんかいるわけない。もしかするとイエス様が助けてくださるんじゃないだろうか」

 口々に言い合っていると、飛び去った方角からまたもや小さな物体が飛んできた。さっき見たのと同じ格好をしているが、こんどははるかに小さくなっていて、こころもちゆっくりに感じられた。


「またきやがった、いったい何なんだ」

 皆が不思議そうに見ている間に、それは現れたのと同じ方角に飛び去り、芥子粒となってすぐに消えてしまった。その間はほんの僅かであった。



 飛行調練を見られた側としては、相手をどうするか即座に決定せねばならなかった。越後や長崎、薩摩などにはかなり頻繁に異国の船がやってくるので、人目を避けるのに都合がよい房総沖で調練をしていたのが仇になってしまった。見たところ商いに訪れる船とは違って、わりと細めの外洋船と思われた。しかし難破漂流している者を殺すことは卑怯である。ただそれだけしかない情報を元に、警備にあたる指揮者は決断を迫られていた。


「小船を出して船乗りを救え。積荷を確かめて後、火をかけて沈めるのだ」

 そうやって船を沈めさえすれば何もなかったことにできると指揮者は安易に考えた。

 なるほど、救助した船乗りを雪深い津軽に送り、一件は落着したのであるが、半年後、六杯の大型船が来航したことで歴史が一段と動くのである。



 消息不明になった捕鯨船の捜索・救助を命じられていた米国東インド艦隊司令官ジョージ・ビドルは、消息を尋ねながら琉球を経由して長崎にやってきた。行き交う船を見つけては噂を尋ねると、半年ほど前に嵐で帆を失い、漂流した船があったという情報がもたらされた。たった半年前のことなら、もし漂着したのなら残骸が残っているはずである。

 ビドルは、海岸線を視界に捉えながら捜索していた。


 いくら目を凝らしても深い緑に覆われた陸地が続くばかりで、残骸などは発見できないでいた。なすすべなく漫然と東へ進むしかなかったのである。

 はるか遠くに捉えた陸地には長い砂浜らしきものがあり、その先に岬が突き出している。そこを過ぎると船は強く横に圧された。


「ここは陸から強い流れがあるようです。進路を維持しますか?」

 露天の指揮所に赤ら顔の男が二人、他の船乗りにくらべて立派な身なりをしている。潮焼けした頬より鮮やかな紅色の顔である。太陽は天頂を少し西に傾いたばかり。心地よかった追い風は強い海流に乗ったことで相殺され、蒸し暑いほどである。彼らの青い瞳には強すぎるのか、手の平で影を作ってもなお眩しそうに陸と舳先を凝視していた。


「いや、漂流したとすれば進路を変えることはできないだろう。このままにしよう」

 肩にすだれのような房を吊った男が命じた。ジョージ・ビドル、顎鬚を蓄えた細身の男である。


「帆はどうしましょうか」

「しばらく様子をみよう。帆をたため」

「帆をたため、舵中央。別命あるまで待機せよ。後続艦にも伝えよ」

 ビドルの命を艦長が伝えた。すぐさまそれが甲板仕官へ、水兵へと伝えられる。一方、伝令が走った後部甲板では、当直仕官によって命令が航続艦に伝えられた。そして伝達が終わるとまたしても伝令が指揮所に戻り、命令か完遂されたことを報告する。それが甲板仕官から艦長に伝達され、ようやく一連の作業が終了する。帆をたたむのも同様であった。

 ひとしきり続いた騒動をビドルは満足そうに見やっていた。


 やがて艦隊は沖に流されながら次第に東に進み始めていた。


 夜が明けると、日没までの景色と一変している。いつのまにか小島をかすめたようで、後方に小さな島がぽつんと見えた。そして、行く手に入江が口を開けており、入江の右手に大きな岬がつきだしていた。


「この島には複雑な流れがあるようだな。岬の近づき具合からするとかなり流れているようだが、速度の見当はつくかね」

「確かめようがありませんが、おそらく三ノット以上ではないかと」

「なら随分流されたことになるが、ここはどこなんだ」

「あいにく海図がありませんので」

「そうか。しかし補給地にするには良い場所かもしれん。少し調べてみよう」

「どちらを調べますか。入り江の中にしましょうか、それとも岬にしましょうか」

「土人が騒ぐと面倒だから、まずは岬を調べよう。岬に近づけて停船してくれ」

「伝令。半帆、左へ転陀。左砲戦用意をし、射程内で停船せよ。各艦八名上陸。以上だ」



「お奉行、異国の船がこちらに腹をみせて停船しました。小船を降ろしているので上がってくるつもりでしょう。いかがいたしましょうか」

 物見櫓からの報せを受けた警備組頭が馬を走らせてきた。


「様子をみよう、ただし友好的とは限らん。火筒の用意を怠るな。決して悟られるでないぞ」

「承知。小船はいかが致しますか」

「仕度だけしておけ。お主、杖術の遣い手であったな。なれば腰の物はつけずに参れ」

「お言葉を反すようですが、手前は抜刀術が得手でございます。せめて脇差しをお認めいただきたい」

「たわけ、脇差しというが尺八ほどに長い柄ではないか。……まあ良い、好きに致せ。お主の手に余るようなら合図せよ、手勢を引き連れて駆けつける。相手の出方しだいで戦となるやもしれぬでな、かまえて気を抜くでないぞ」


 安房の防人奉行は悠然と構えて組頭を現場に返した。



 浜に小船を引上げて周囲を警戒しながら探索を始めた一行が、矢来に誘導されるように組頭の正面に姿を現した。組頭の外に十人ばかりの手勢がいるだけで特に怪しい気配はなく、ほとんど丸腰である。それに安心したのか、一行は組頭に近づいてきた。


『エゲレス国の言葉に似ているが発音に強い訛りが感じられる。ちょうどよい、エゲレスの言葉なら自分の出番だ』

 組頭はうっそりと床机から腰をうかし、一寸二分ほどの太さがある杖を引き寄せた。


「止まれ!」

 二人の兵士が銃を構えて立ちはだかった。


「そっちこそ止まれ! どこの国の者だ。誰の許しを得て陸に上がった」

 組頭は臆することなく歩みを止めない。

「どこの誰かときいている! その格好では商いではなさそうだな。何の用だ」

 言いながら歩を進め、立ち止まったのは銃の一メートルほど手前であった。



「私はアメリカ合衆国、東インド艦隊のビドル提督だ。半年ほど前に我が国の捕鯨船が遭難した。ここに流れ着いた可能性があるので捜索する。水と食料の補給をする。すぐに用意せよ」

 一人だけ豪勢な服を着た男が傲慢に言い放った。


「他国の者など流れ着いていない。勝手に立ち入ることは許さない。水と食い物を提供するのはよいが、何と交換するか」

「我が国の紙幣で支払う」

「交易のない国の金なぞ屑でしかない。交換する物がないのなら諦めよ」

 組頭は鼻先で笑った。


「補給の確保は国際法で保証されている。早く用意せよ」

「そんな約束をした覚えはない。用がすんだなら早く帰れ」

 国際法などといわれても、何のことやら組頭にはさっぱり意味が通じなかった。異国との交易を拒んではいないが、相手が勝手に取り決めた約束事の内容を受け入れるつもりはなかったし、高圧的な言い方も我慢できなかったのである。


「貴様では話にならん。責任者を連れて来い」

「自分がここの責任者だ。今なら帰ることを認めるが、帰らぬのなら捕縛する」

 最高責任者と名乗った小男に従うのは、十人ほどの痩せた男だけである。しかも武器らしい物は腰に挿した大振りのナイフだけであったことから、提督は完全に馬鹿にされたと怒り狂っていた。


「無礼なやつだ。私は東インド艦隊の最高指揮官だ。こんな下っ端では話にならん。邪魔をするな」

 言うなりサーベルを抜き放っていた。

「アメリカ合衆国と言ったな、よくよく野蛮な国とみえる。どうしても通るのなら自分を倒して行け」

 稽古ばかりで実戦の経験がない組頭は、自分の腕前がどのくらいなものか知りたくてウズウズしていたのである。思わぬ展開に薄ら笑いを浮かべる余裕すらあった。


 護衛の兵士が腰だめにしていた銃を構えるのと同時に、組頭の爪先が砂を跳ね上げていた。次の瞬間、杖の頭で左の兵士の喉を突き、右の兵士の脛を打っていた。その二人には目もくれず、脇差しを抜くと頭目の首にピタリと刃を当てた。


「死にたくないなら鉄砲を捨てろ。弾も捨てるのだ」

 頭目に囁き、僅かに刃を引いた。


「武器を捨てろ、弾もだ」

 咽喉にチカッとした痛みを感じたビドルは、相手が本気であることを悟り、頬を強ばらせて掠れた声をあげた。

「初めてのことだから許してやる。すぐに国へ帰れ。次は容赦しない、必ず殺す」

 組頭は頭目に囁いた。



 それで帰ればよかったのに、いったん船に戻ったビドルは屈辱にうちふるえ、なんとか一泡吹かせようとしか考えられなくなっていた。国の威信にかかわるとは大義名分であり、本心は、部下の面前で辱めをうけたことが屈辱でならなかったのである。


「砲撃を始めろ。大統領からは占領の許可を得ているから問題ない。相手は銃すらもっていなかった。十分砲撃した後で上陸、占拠する」

 実際は琉球を占領する許可は得ていた。しかし、結果さえ残せば問題にはならない。いや、英雄として賞賛されるに違いない。自分は大統領の代理だ。

 ビドルには、そんな勘違いと思い上がりしかなかったのである。


 やがて、旗艦から轟音とともに大砲が発射された。それを合図に、六隻合わせて六十門余の大砲から砲弾が飛び出したのだ。

 六隻の艦隊には、合計百二十門の大砲が搭載されている。いかに炸裂しない鉄の弾とはいえ、海岸のいたるところに大きな穴が抉れていた。


 おっとり刀で駆けつけた奉行が呆れるくらい鉄の弾が降り注いでくる。

「もう少し待て、そのうち弾切れになるだろう。せっかく鉄をくれるというのだ、ありがたく貰うとしよう。大儲けができたと上に報告しておく」

 奉行がほくそ笑んでいる。まだ自由に鉄を得られない状況だから当然だろう。

 波の高い外海に面していることから漁民の小屋掛けすらされていない場所なので、実質的な損害はまったくないのである。


「反撃をなさらないのですか」

 組頭は不服そうである。彼には武士の血が流れていて、防人という役目のために日々鍛錬を続けているという自負がある。自分たちの実力がどれほどのものか、実戦で試したくてならないのだろう。


「手の内を見せたくないのだが……。仕方あるまい、半分を沈める」

 組頭のいきり立つ様子を頼もしげに見やった奉行は、なんとかして半分を拿捕できないものかと欲をだしていた。


「どれを撃ちましょうか」

「それよ。思案に暮れるのう。なれど、燃やすが一番かもしれん」

 組頭はどれを狙うかと尋ねたつもりだった。なのに、奉行は兵器の種類を考えている。

 ということは、どの船を狙うかは自分に任されたことだと組頭は解釈した。そこで、自分の考えを言ってみた。


「では、こう致しましょう。陸の砲台から撃ちかけている間に小船で近づいて、硫黄弾でなるべく低いところを狙いましょう」

「こやつ、嬉しそうにしおって。よい、そう致せ。余の者は虜を救う用意を致せ」

 許しを得た組頭は、二十人ほどを引き連れ小さな入江に急いだ。


 二丁櫓の船に交替の漕ぎ手と撃ち手を載せて目立たぬように滑り出す。

 梅雨のはしりで雨雲が海面近くに下がっていることが好都合であった。敵艦から見えにくい位置を選んで漕ぐのをやめた。相手とはかなり離れている。


「お主は先頭を狙え、お主は二番手だ。舳先の下側を狙えよ。二発しか撃つな。よいな」

 小船に乗る前の指示はそれだけである。


 陸の砲が攻撃をかけた。

 バン、バンという軽い音がして艦隊の中央近くに小さな水煙が三度、四度と上がった。しかしどれも船には届かず、空しく水煙を上げるばかりである。

 その水柱の小さなことに、艦隊は俄然元気を取り戻していた。


「撃て! かまわん、全員殺せ。たかが未開の土人のくせに、よくも恥をかかせてくれた」

 首筋を撫でながらビドルは叫んでいた。皆の前でかかされた恥をすすぐまで、怒りは治まるものではない。たとえ許しを乞うたとしても無視しようとさえ考えていた。


「あの小船は何でしょうか、さっきから停まったままですが」

 小さな入り江から漕ぎ出した小船が銃の射程を外す位置で様子を窺っていることを不審に思った艦長が、ビドルに判断を仰いだ。


「そんなものはかまわん、あんな小船で何ができる」

 ちらっと小船をみやり、鼻先で笑ったビドルの顔が次の瞬間に凍りついた。


 小船が突然黒煙に包まれると、その煙をついて細長い物体が海面すれすれを飛んでくる。

 声を上げる間などなく、舳先に鈍い衝撃があった。やがて、どす黒い煙に混じって赤黒い炎が吹き上がってきた。二番艦も三番艦も同じように炎に包まれている。


「被害を確認せよ。消火を急げ」

 艦長が伝令をやろうとすると、またしても衝撃があった。


「船首に大きな穴があいています。そこが激しく燃えていて消火できません。航行すると浸水します」

 船首に走った伝令がメガホンで叫んだ。


「消火を急げ」

 艦長が指示をしたすぐあと、船首の砲台に用意されていた火薬に火がまわった。

 轟音とともに船首が吹き飛び、もはや前へ進むことは不可能になってしまった。

 これ以上火がまわると舷側の火薬が爆発してしまう。


「やむをえん、総員退避」

 艦長は苦渋の命令を発した。

「たかが未開の土人のくせに、よくも恥をかかせてくれた」

 ビドルは歯軋りをしたが、先頭艦に乗っていたことが災いし、航続艦の救助が間に合わずに六十名ほどの部下とともに捕虜となってしまった。


 他の部下は航続艦に救助され、ほうほうの体で逃げ帰ってしまった。

 無残な敗北を喫したアメリカ艦隊はやがて本国に戻され、任務を達成できなかったばかりか、三隻の船を沈めた上に捕虜となったビドルを解任してしまった。報告が曖昧であったこともあり、本国では状況報告をまともに受け止める者は一人もいなかった。

 イギリスからの独立を勝ち取って以来、アメリカにはプライドばかりが高まっている。今回の事件の報復として、日本の完全占領が決定されたのは当然のことであった。

 次の艦隊司令官に任命されたペリーには、すすんで属国となるよう大統領からの国書(脅迫状)が与えられていた。


 ペリーは、鋼鉄で装甲した新式艦六隻と外洋型大型帆船四隻で、自信満々に太平洋を渡ってきた。

 真っ先に琉球に上陸した際にも尊大な態度を崩さず、役人の制止を無視して王朝府まで進軍している。

 そして、琉球を発ったペリーは、黒潮にのって房総沖に姿を現した。


 房総半島の西は広い入り江となっている。東は水平線しか見えないことから、ひとまず入り江に入ったのだが、これがなかなかに大きな入り江であった。

 岸近くには大きな一枚帆の荷船が点々と浮かんではいるが、ペリーの乗艦と比べると、とるにたらない大きさである。それに、ただ浮かんでいるだけで、いかにものんびりとした歩みであった。


 どこまで行けるのか不安にかられながらも奥へ進むと、水の色が薄い緑色に変わってきた。

 これが限界かもしれない。万一座礁でもすれば身動きできないまま干からびてしまう。そこはすでに品川沖であった。


 ペリーは政府に対し、沈没艦の賠償と無償補給を要求。同時に、属国化をも要求する書簡をつきつけた。そして回答期限を三日と定め、湾内の測量を始めた。


 期限の三日が過ぎた。が、政府からは何も回答がないことに腹を立てたペリーは砲撃を開始、それが決定的な敵対関係となってしまった。




「まだ何も反応がないではないか。いったい何を考えているんだ土人どもは。これは少し甘やかしすぎたのかもしれん。空砲を撃って驚かせてやろう」

 旗艦、サスケハナの司令官室で夕食をとっていたペリーが、薄笑いをうかべて居並ぶ艦長を見渡した。


「そうです、そうすればきっと慌てて降伏するに違いありません」

「一斉に撃てばそれだけで降伏するでしょう」

 ペリーの提案に皆が口々に同意した。半数を沈められ、多くの捕虜を残したままかろうじて帰国した前司令官ビドルの報告は、本国ではまともに扱われていなかったのである。わずかに奇妙な兵器を使用したことも報告されたが、大敗による錯乱として処理されていた。だからこうして全艦長が不遜な態度でいられたのである。品川沖からの退去を求められたことを無視し、勝手に測量を始めたことを制止しようとする船手配下を蹴散らし、傍若無人に振舞っていられたのもすべて、相手を知らぬが故の慢心にすぎなかったのであるが、翌朝の空砲直後から雲行きが激変したことに気付かない始末であった。



「小船が近づきます」

 舳先に奇妙な旗をなびかせた小船の接近を見張りが伝えた。


「何をするか。他国で勝手な振る舞いは許さん。お前達は退去命令に従わず、制止を無視して測量をした。更に朝から威嚇射撃をしておる。すぐに立ち退くなら見逃す。さもなくば、全ての船を沈める。わが国の秘密を知られたなら生かして帰すわけにはいかん。次に大砲を撃ったら攻撃する。すぐに退去せよ」

 使者にたった船手組配下の兵が大音声で告げたのだが、相手を舐めきったペリーは砲撃を中止するつもりなどまったくない。


「生意気な土人だ。実弾を一発撃て。生意気な口をきけなくさせてやる」

 おもしろくなさそうにペリーは吐き捨てた。


 ドゴン

 サスケハナの船首近くの砲口が火を噴いた。しばらくして海岸近くに土埃が舞い上がった。


「各砲台、撃ち方始め。ボロ小屋を吹き飛ばしてやれ」

 ペリーの命令を艦長が復唱し、伝令に伝えている時に事態が激変した。


 さきほどの小船が艦と平行に向きを変えた瞬間、突如わきあがった黒煙の中から奇妙な物体が飛び出し、それが水面すれすれを艦めがけてとびこんでくる。

 その正体を確かめる間もなく、左舷推進器のあたりで爆発がおこった。

 どこの砲台が事故をおこしたのかと甲板に視線をはしらせるが、煙を上げている砲台は一つもない。ではあの爆発は何だったのかさっぱり見当がつかない。


「どの、砲台だ。火薬の取り扱いに注意せんか。状況を報せろ」

 艦長もどこかの砲員があやまって火薬を爆発させたと勘違いしていた。


 小船が再び黒鉛に包まれ、こんどは二発を同時に放ったものの、なぜか激しく揺れながら陸へと遁走を始めた。

 その次の二発は爆発などせず、艦腹をぶち破って大穴を明けた。三千トンもある艦が不気味に揺れるほどの衝撃であった。


「何があったか調査しろ。各砲自由に撃て。後続艦にも伝達せよ」

 事の重大さを知らない艦長は、落ち着いて副長に命じた。


「黒煙多数、左舷。謎の物体、多数飛来します」

 見張りの怒鳴り声がした。

 陸に目を転じると、さきほど飛来した物体が海面近くを這っている。そのうちいくつかは旗艦にむかい、二番艦、三番艦にも赤黒い炎を噴きながら飛んでゆく。


 またしても艦に物体が衝突した。こんどは衝突した瞬間に火球が膨れ上がった。


「物体、二番艦に接近」

 いったい何がおきているのか不安になったペリーが、二番艦の見える場所へ駆け寄った時、海面近くを飛んでいた物が艦首付近に衝突する瞬間であった。


 突如喫水線の近くに大きな穴が口を開けた。続く一発が推進器の覆いに衝突し、さらに一発が砲門のすぐ下に衝突して火球となって弾けとんだ。


「あれは一体なんだ。あんな兵器は見たことがないぞ」

 ビドルの報告は嘘でも妄想でもなかったことをペリーは実感していた。遥か後方ではすでに煙が上がっている。このままでは静止した標的でしかないことに気付いて陣形を整えようとしたのだが、時すでに遅かった。


「前進、右回頭。右砲戦用意」

 艦がゆっくりと動き始めたのだが、右回頭どころか直進さえままならなくなっていた。

 最初の爆発で左舷推進器がゆがんでしまったからである。

 ところが、右舷機は無傷なので盛大に水をかく。すると、意に反して急速に左回頭を始めた。

 なんとかそれを打ち消そうと当て舵を一杯きったのだが、結果的に大きな半径で左回頭するしかできなかった。

 そこは品川沖である。遠浅の砂地が続いていることを測量で知っていたペリーの顔が青ざめてきた。

「艦長、帆走しろ。このままでは座礁する」

 艦上はもはや応戦する余裕を失っていた。


 一方で、陸にいる者はいたって冷静である。

 初めての動力船を無傷で鹵獲できるまたとない機会である。なるべく壊さぬよう厳しい命令が届いていた。しかし、帆船に用はない。全面的に戦闘する以上一人として逃がすことは考えていないが、無駄に燃やすこともなかろうとさえ考えていた。船体に大穴をあけ、上空から炸裂弾をみまえば戦意を失うと予想していた。


「そろそろいいだろう。これより炸裂弾だけを使う。調べることがたくさんありそうだから絶対に燃やすでない。五発撃ったら一旦休め。降服に応じたら攻撃は中止せよ。早馬」

 船手奉行の下知が早馬で伝えられる。


 ほぼ一時間後、シュルシュルと上がった狼煙弾を合図に最後の攻撃が始まった。

 甲板の上すれすれをめがけて炸裂弾が飛んでゆき、あと少しというところで爆発した。


「火縄を五分延ばせ。狙いはそのまま」

 二本目は甲板の真上で爆発し、小指大の礫を撒き散らした。小さな石ではあるが少しくらいの板なら苦もなく貫通する威力がある。砲員にとって悪魔のような攻撃である。

 それが立て続けに四発。きれいに磨かれた甲板がささくれ、一面が血の海と化している。

 露天艦橋で指揮をとっていたペリーも、艦長とともに散弾を浴びて虫の息であった。


 旗艦に白旗が掲げられた。

 指揮官が瀕死状態なので誰が指示したのか定かではないが、座礁し推進器が機能しない今、抵抗を続けることは無駄死にでしかない。ならば少しでも可能性のある投降を選ぶしかない。彼等の合理性が自らを救うことになった。



 大井村につれてこられた米兵たちの数、千八百名。そこに急拵えの長屋が立ち並び、穏やかな監視下での生活が始まった。津軽に幽閉されていた者の内、希望者は大井に移り住むことを許され、ビドルを先頭に勇んでやってきた。



 援軍を得たことで元気を取り戻したビドルは、疎らな歩哨を襲い逃亡することを主張した。逆にペリーは、実際に何がおこったのか、原因はどこにあるかを追究したのである。

 というのも、大井村では献身的な医療も行われているし、強制労働も差別も全くない、比較的自由な生活を保障されていたからである。

 今回の件にしても、政府の説明を鵜呑みにしたからおこったようなもので、仕掛けたのは自分だった。その意味では日本人に非はない。

 退去勧告を無視して大砲を撃ったのは自分である。西洋の国に対してこんなことをしただろうか。そんなことより、土人と侮っていた相手の兵器に完敗したのである。

 それなのに、僅かな歩哨しか立てず、子供や娘が居留地に立ち入ることを咎めもしない。ペリーにとって不思議な民衆であった。そんな民衆にふれて敵愾心などきれいさっぱり失せていた。



「ペリー、兵士の体力が充ちている今が勝負だ。ここは海に近い、海岸防御の基地があるはずだ。そこを襲い、本国へ帰ろう。言っておくが、これは東インド艦隊指令長官の命令だ」

 銀髪を振り乱してビドルがまくしたてた。

「ビドル、お前は指令長官を解任されている。今の指令長官は私だ。命令は私が下す」

 ペリーは冷ややかな目でビドルをねめつけた。

「階級なんかどうでもいい。では攻撃命令を下すのだな?」

「そんなことは考えていない。あんな兵器を見てしまったのだ。生きてこの島を出ることは不可能だ。それより、奴等に興味が湧いてきた。しかし、お前は納得できまい。そこで皆の意見を聞こうと思う。階級を気にすることはないから自由に発言してくれ」

 大井村にいるのは千九百名。ペリーの発案がさまざまな集団を作った。誰もが等しく考えたのは、自分達の処遇である。処刑されると不安がる集団もいれば、帰国を許されると楽天的に捉える集団もいた。そうなると集団同士の反目が生まれる。一方で、反目しあう集団を冷ややかに眺める集団がいた。それがペリーであった。

 冷静に考えれば、この島を脱出することは不可能なのである。

 大きな海に囲まれたこの島から、どうやって逃げ出すことができるのだ。可能性があるとすれば長崎や堺へ行ってどこかの船に救助を求めるしかない。が、無事にたどり着ける保証はない。それに対して、殆どの民衆が紳士的である。もし帰国が許されればよいが、帰国できないとしたら民衆にとけ込めるだろうか。ふっとそんな考えすら頭をよぎるペリーであった。

 それから四日ほどすぎて、強硬派が歩哨に襲い掛かる事件がおきた。

 歩哨は、四箇所の出入り口に二名づつ配置されただけで、丸腰である。脱走より暴漢の侵入を警戒しているにすぎなかったのだ。

 それを侮ったのか闇夜を利用して襲い掛かったのである。



「なあ、草が騒いでると思わんか?」

 歩哨の番小屋である。入り口に松明がぼんやりと光を放っていた。

「ちょっと脅してやれば静かになるさ」

 歩哨を受け持ったのは二人。奪われることを考えて丸腰である。

「どうする?」

 この男は琉球から腕をみこまれて空手を教えに来ていた。少々の武器など歯牙にもかけぬ腕と自信をもっていた。

「二人ほど殺すか。苦しまないようにな」

 こちらは甲賀の流れをくむ忍びの子孫である。飛び道具に加え体術にも秀でている。まして夜目が利くことから闇夜の闘争には長けている。

 昼間もらった瓜をむしゃぶる手を休めず、二人の歩哨が囁き交していた。



「来たな。どうする?」

 空手を使う男が囁いた。

「こっそり外へ出よう。柵から出た奴なら殺してもかまうまい。相手は松明を背にするだろうから丸見えだ。おまけにこちらの姿は闇に隠れる」

 忍びくずれはそう言うと腰板を外した。


「人気がありません。どうしますか?」

 すばしこそうな男が番小屋の様子を探ってきた。

「好都合だ。海岸へ出て船をさがせ。ペリーの船が残っているはずだ」

 ビドルは低い声で指示を出した。


 一団が柵を出ようとした時、闇の中から不意に声がわいた。

「柵から出るな! 柵の中では勝手を赦すが、出た者は殺す!」

 ギョッとして松明をかざすと一人の歩哨が両手をだらりとさげて立っていた。


「もう一人いるはずだ、さがせ。見つけ次第殺せ」

 ビドルは誰にともなく指示をだし、立ったままの相手に屈強な男をむかわせた。


 五人の男が、無言で棒立ちの歩哨を取り囲んだ。前屈みになって徐々に間合いをつめ、誰が先に手を出すか牽制しあっている。と、その隙に歩哨が一歩踏み出した。

 正面の相手に拳を突き出し、相手が頭を引いたところで右足を膝に打ち込んだ。

 ゲシッという鈍い音をたてて男の膝が砕かれる。その激痛に大きな図体をした男が悲鳴を上げた。

 蹴りを放った歩哨は、左から迫る男に向き合った。

 左右から繰り出される拳を難なく払い、男の左わき腹に蹴りを打つ。たまらず身をかがめたのをみすまして咽喉を突いた。

 そして、右の男のいる場所を確かめると駆け寄ってきた。


 仲間がいとも簡単に倒されるのを見て血が上ったのか、右の男は遮二無二拳を突き出してきた。

 いくら腕っ節に自信があろうが、いくら突き出す拳が速かろうが限度というものがある。突きから構えに至る一連の動作にさえ動きの止まる瞬間があり、無防備な瞬間がある。

 歩哨は、突き出された拳が戻るのに合せて拳を突き出した。そして、顔の前でピタリと止めると、握った拳を大きく開いた。

 何事かと男の動きが止まった瞬間を、歩哨は見逃さなかった。

 男の眼に指を突き立てたのである。


 ギャーッという悲鳴をあげて男は地を転げまわった。


 歩哨は、咽喉を突いた男の横に立った。気道を潰されてヒューヒューと苦しい息をしているばかりで、手当てしても助かる見込みは少なそうに思える。そして、苦しんでいる男の左胸に拳を叩き込んだ。

 カッと見開いた眼が徐々に裏返り、トカゲの尻尾のように激しい痙攣を始めた。


 膝を砕かれてのた打ち回っている男の胸倉を掴み、

「楽にしてやる。愚かな上役と軽率なオノレを恨め」

 無表情に囁くと鋭い一撃を加えた。


 一連の攻撃に、さほどの時を要していない。柵の内側で成り行きを見守っていた男達からしわぶきすら聞こえてこなかった。


 歩哨が三名を相手にしている時、背後に回っていた男達は黙って見過ごしていたわけではない。仲間を守るために掴みかかろうとしたのである。しかしその時、

「ここにも相手がいるんだぞ」

 すぐ背後から含んだような声がした。

 が、言われた本人がそれを聞いたとは思えない。

 男の首を両側から手刀が炸裂し、瞬時に男の意識は消し飛んでいた。ちょうど絞首刑と同じで急激に頚動脈を圧迫されると即死状態になってしまう。男にとっては楽な死に方だった。

 残った一人は、仲間が崩れ落ちるのを見たものの、相手の姿を捉えられないでいた。キョロキョロ見回しても闇が広がっているばかりである。


「見えんか? ここにいるではないか」

 ニタッと笑った顔が突然現れた。あまりの近さに殴りかかることもできないうちに細引きで首を絞められてしまった。


 ビドルは初めて後悔していた。平時の穏やかさが影を潜め、猛々しさをむき出しにする相手に太刀打ちできないと悟った。しかし部下の手前がある。怯えた姿を曝すわけにはいかない。そのプライドが益々彼を窮地に追い詰めた。

 相手のいそうにない闇にむけて走り出したビドルが、肩を抱えて立ち止まった。


「逃げるな! 次はどこを狙ってほしい? 背中か? 足か? 一思いに頭を打ち抜いてやろうか?」

 忍びくずれはビドルに手裏剣を放っていた。長さ三寸、幅四分ほどの四角い鉄柱である。熟達すれば三間離れた相手を倒す威力があるのだ。


「お前達に面白いものを見せてやる。そうすれば柵から出たくなくなるだろう」

 ビドルを引き立ててきた忍びくずれは、無造作にビドルの足首を捻り、間接を外してしまった。激痛に喚くのを無視して膝の関節も外してしまう。両足の間接を外すと、両手首の間接も外した。

「お前は殺さないでおこう。笑いものになるがいい。長屋まで這って帰れるよう肘は外さないでおいてやる。さあ、次は誰が相手だ!」

 たった二人の歩哨に一括されて男達は声もなく長屋に戻り、騒動は落着した。




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