和平への一撃
十六 和平への一撃
「なんと、すさまじいものだな。これは戦闘ではない、ただの射的だ」
ロンメルが呆然と眺めているのは、自分たち遣日機甲師団の四号突撃砲四十両と、ガーランドによる航空攻撃の結果である。いくら有利な高所からの攻撃だといっても、これほど一方的な戦闘は見たことも聞いたこともない。それほどまでに悲惨な結末であった。 狐と異名をとったロンメルであるが、なにも奇策を弄したわけではない。ロンメルは合理的に事を進めただけである。今回だってそうだ。山腹に布陣したのは、敵を俯瞰できるからである。戦車の最大の弱点である上面を狙えるからである。樹木に隠れて安全だからである。
罠に嵌った猪のように、敵戦車は柵となってしまった味方戦車に突進して罠から逃れるのに夢中で、砲を撃ちかけてくるのは少数である。周囲が混乱しているためか、砲弾は正確さを欠いていた。ロンメルの足下はるか下の山腹にプスプスと突き刺さるばかりで爆発すらしない。これが敵戦車砲の性能限界なのだろうとロンメルは見切っていた。
すべての車両はエンジンを停め、乗員すべてが車外で発射筒を抱えている。そして、ロンメルが指示した車両を次々に破壊しているのである。
これはおかしい、こんな戦闘は卑怯だ。
ロンメルは心の中で叫んでいた。しかし、心の叫びとは裏腹に次の目標をまっすぐに指している。
ブシュー、ブシュー……。
細長いミサイルが駆け走るたびにまた一両、敵戦車が動きを止めた。
ロンメルは外周部の戦車を真っ先に行動不能にさせていた。戦車で定置網を作ろうとしているのである。方法はどうあれ行動不能にさせれば戦車といえども無力である。それを可能にしたのは、有利な布陣と驚異的な命中率の兵器にあった。
狭い隙間をかわして斜面にとりつく戦車がいる。しかし、それは航空機の格好の獲物となった。
それにしても、スツーカの群れほどの働きを僅か六機の飛行機がしている。フランス軍を震え上がらせたスツーカでさえ、抱えた爆弾はたった一発。今上空を舞う飛行機は何発ものミサイルを吊り下げている。恐ろしい兵器だとロンメルは思った。ヒトラーがこんなものを手に入れていたらと想像すると、頬が粟立ってくるほどの兵器である。
もうこのくらいでいいだろう。すでに敵戦車は檻の中で右往左往しているにすぎない。様子を見ながら補給と牛島の到着を待つことにしよう。
ロンメルは何度も警笛を鳴らして集合を命じた。
岩本は迷っている。線路を伝って奥地に侵入したはよいが、国境へむかう戦車がまだ列をなし、操車場には物資を満載した貨車がぎっしり並んでいる。
物資を炎上させることは簡単だが、もったいない気がしていた。かといって、戦車を攻撃すれば道を塞いでしまう。ロンメルの進撃を邪魔するようなものである。
口をへの字にして考えた岩本は、更に奥へ行ってみることにした。
ひょいと山を跳び越すと、比較的大きな町があった。航空図にはヤクーツクとある。
さすがにここまでくれば戦車の姿はないが、歩兵やトラックで埋め尽くされている。そして、ここには大きな操車場があった。
まずは補給をして、ガーランドに相談しよう。岩本は大きく反転を始めた。
戦争は莫大な消費、いや浪費である。今回のアメリカとソビエトが被った損失、かけた経費は、小国の年間予算をかるく凌駕する。日本側も大きな出費を強いられた。樺太の基地を攻略し、カムチャッカの基地も攻略した。ウラジオ、ヤクーツクにとどまらずハバロフスクまで遠征し、燃料や武器弾薬のすべてを鹵獲することになるだろう。しかし、いくら燃料や弾薬を鹵獲したところで帳尻が合うわけがないのが戦争である。だから日本は外国へ打って出ることを避けてきた。穏やかに気持ちよく商売しあうことで、共に豊かになろうとしているのである。なぜなら、貧乏人は金を使わないからである。貧乏人に金を使わせるには、それなりに豊かにしなければならない。経済がうまく循環すれば、薄い利幅でも大きな商売になる。それを元手により便利なものを提供すれば、それがまた利益をうむと考えている。だから東南アジア諸国の独立を応援し、インド独立に加担した。最初は覇権主義を唱えていたイギリスでさえ日本の考えに共感し、今では欧州諸国を相手に手広く儲けている。つい昨日まで敵であったドイツを共和国として連邦に組み込んだのも、その一環なのである。しかし世界には、絶対専制主義を捨てられない者が大勢いた。それが国家元首となったのがアメリカであり、ソビエトである。どこの国にも自分の国こそが世界一と信じる者が大勢いるが、その信念に凝り固まっているのがその二国であろう。もはやそれは哲学的な違いであった。その対極にある思想、哲学を信奉する者を納得させる。それが戦争終結にむけた最大の難関である。
「今日は無事にアメリカとソビエトの侵攻を防ぐことができました。軍はよく期待にたがわぬ働きをしてくれた。実にめでたいことであります。わが国が犯されるのは朝鮮出兵以来のことです。無事に退けた今こそ次の戦略を練り上げておかねばなりません。各部署からの忌憚ない意見をうかがいたい」
夜明け前から官邸で待機していた総務は、とにかく民衆が被害を受けずにすんだことにほっとしていた。小柄ながら筋肉質で、見るからに活動的な印象を与える人物なのだが、さすがに気疲れが高じたのか不精髭がのびて隈さえ浮き出ている。
「では、現状をお知らせする。本日未明、カムチャッカを離陸したアメリカ爆撃機五十余機が千島列島沿いに南下、北海道方面に迫りました。国後島上空で空母艦載機がこれを攻撃し、三十八機の撃墜を確認しました。また、樺太からもほぼ同数が離陸。カムチャッカからのものとともに南下したため稚内上空で全機撃墜しました。そして、ウラジオから朝鮮へ侵入した爆撃機三十余機も空母艦載機により全機撃墜しました。全部で何機だったかは集計できておりません」
説明を始めた参謀総長は、一旦言葉を切って茶をふくんだ。
「以上がアメリカ関係です。次にソビエト関係を説明します。樺太から稚内周辺にむけて上陸部隊とみられる船団が国境を侵しました。小型船ばかりでおよそ三百隻です。これを陸上から攻撃を加え、壊滅させました。そして、朝鮮でもソビエト戦車部隊が越境。ロンメル隊、ガーランド隊の活躍により無力化しました。なお、現在進行中のことについては陸海長官より説明させます」
話し終えると背もたれに身を預け、ふかいため息をついた。
「では、私が先に」
互いに先に話せと無言の譲り合いをしていた今村は、あきらめて井上に軽く会釈をした。
「参謀総長からの報告と重複することは省きます。稚内から旭川第二連隊を樺太に上陸させ、大泊湾周辺を征圧し、アメリカ軍の使用していた航空基地も接収しました。現地防衛部隊との戦闘により、戦死五名、重症二十二名、軽症四十九名をかぞえております。捕虜は、アメリカ兵三百二十名、ソビエト兵四百二十九名。戦死者は合計六十六名です。約百五十名が逃走しましたが、軽装でほとんど武器を持っておりません。運が悪けりゃ熊のエサになりそうです。なお、重爆撃機五機と修理部品。燃料・弾薬を鹵獲しました。無線機も鹵獲しましたが、暗号書は発見されておりません」
紙を一枚繰った今村は、むつかしい表情になって何度も眉間を指で掻いていたが、やがてあきらめたように続きを始めた。
「朝ソ国境の阿吾地付近から侵入した敵戦車約三百両を行動不能におとしいれ、ことごとく捕虜にしました。その際、不祥事があったと報告が届いております。その内容については後ほど説明します。ガーランドを主とする航空隊は内陸部ハバロフスクを攻撃。軍施設ならびに鉄道を破壊しました。また、ウラジオの航空基地を攻撃し、離着陸不能にしたようです。こちらでも燃料・弾薬は保全されているようです」
そこまで話し、辛そうに口を閉じた。
「陸軍長官、不祥事とはなにかね? 隠し事はいかんぞ」
総務は顔をくもらせて大ぶりの灰皿を引き寄せた。
「ソビエト軍は欧州で痛手をこうむり兵士が不足しているようで、戦車に大勢の女兵士がおりました。牛島の第五軍が掃討した際に、朝鮮兵がそのう……、手篭めに……」
マッチを擦ろうとした総務の手が止まった。
「馬鹿が……。恥を知らんのか。いいか、厳罰にせよ、絶対にいい加減な処断はいかんぞ」
タバコが机に落ちるのにかまわず、総務は今村に念を押し、マッチを置いた手で額を覆った。
「実はそれだけではなく、捕虜から金品を奪う不埒者がおりました。それもすべて朝鮮兵です」
今村が言いにくそうに続けた。
「軍法会議にかけるのだろうな、もし軍が庇うのなら刑法で処罰せよ」
「もちろん軍法会議で裁きますが、牛島があやうく斬り殺すところだったそうです」
「まったく、程度が低すぎる。……陸軍に関してはよくわかった。海軍の報告を聞きたい」
「アメリカの爆撃機を撃墜したことについては参謀総長が報告した通りですが、カムチャッカの航空基地を無力化し、資料回収にあたっています。重爆撃機をほとんど無傷で入手しましたので、数日中にこちらに運ぶ予定でおります。爆撃機の性能がわかりませんが、アメリカ本土からカムチャッカへ直行することは不可能と思われます。おそらくアラスカに中継基地を設けているとにらんで空母に探索を命じました。幌筵と占守から陸戦隊を組織しているところですので、カムチャッカ接収には時間をいただきたい。ハバロフスク周辺は念入りに交通遮断をはかったようです」
簡単な説明をした井上は、まだ憮然と腕組みを解かない今村が気の毒であった。
「そこで提案ですが、ソビエトの女兵士を内地に移送しましょう。どこか瀬戸内の小島をあてがっておけばよいのではないですかな」
「井上さんの考えに賛同します。が、それはともかく、別の手だてを考えねばなりません。欧州での戦闘も残すはフランスだけ。そろそろ戦争終結の準備をすべきかと思いますが、皆さんのお考えを伺いたい」
総務はそう言ってマッチを擦った。トルーマンとは違い、同じ丸眼鏡でもこちらは黒縁である。
「実は、外務関係で独自交渉を始めております。アメリカ国内にも問題意識を抱えている一派がありまして、現政権に批判的な将官も少なからず名を連ねております。それを後押しする意味で一発しかけてみたらどうでしょう」
「外務長官、それは具体的にどういうことですかな。参謀本部としても興味深い、ぜひ拝聴したいが」
参謀総長はまたしても茶をふくみ、急須の茶をつぎ足そうとして冷めているのに気付いた。
「今回の戦闘結果を世界に公表してしまうのです。特にアメリカに対しては、フィリピンの情勢やグアムの現状。そして我らが虜にした艦隊について、ありのままを教えるのです。その方法はイギリスが見本を示してくれました」
「厭戦意識を煽るということか。どれほどの効果があるか未知数だが、やる価値はあるかもしれんな。それで、誰とどんな交渉を始めたのかね? 教えてはもらえんか」
「残念ですがご容赦いただきたい。それよりも、特殊爆弾についての情報が少し洩れてきました。八方ふさがりの状況を打開しようと、どうやら本腰で研究を進めているようです」
「外務長官、詳しく聞かせてもらえませんか。話によってはアメリカ遠征をせねばならん。その主役は我々ですからなあ」
井上は教師のような面持ちで外務長官に尋ねた。すでにその手は万年筆を握っている。
「ぼつぼつ洩れた情報を繋ぎ合わせるとこういうことになります」
外務長官は、科学者同士の情報交換で漏れ伝わったことを繋ぎ合わせ、ある結論を導いていた。
「うわー、そんなに進んでいるのかぁ。とすれば、完成までにどれほどの猶予があるか予測がつくかね?」
井上の話し方が間延びを始めている。難題に突き当たるときまって井上はこうなる。
「早ければ一年、遅くても半年延びるかでしょう」
「なーるほど。一年と考えなきゃいかんということかー。ときに科学長官、以前言っていた、何だったかなー、真空管の代用品。あらー、どんなあんばいですかな?」
「真空管の代用品? 半導体のことですか? 残念ながら途中で頓挫しております」
科学庁長官は学究肌の白髪男である。わき目をふらぬ熱心さがあるが、自説を曲げない頑なな男である。
「ほぉー、頓挫ですかぁ。何が問題ですかなー、我々で協力できることはないですかぁ?」
「試作した半導体の純度が問題でして、まだまだ純度を上げねばいけません。それと、結晶をできるだけ薄く切ることです」
「文部長官、科学省と協力するという約束は守っていただいてますかー」
「文部省としても協力しておりますが、なにぶんにも電力が必要ですので……」
「産業長官、どういうことですかな? めぐりめぐって最後は産業省の管轄になる技術ですぞー、しっかりしてもらわねば」
井上は酒に酔ったようになった。この状態はめまぐるしく頭を回転させている証拠である。
「井上長官、いったい何を考えているんだね?」
総務の問いかけなどおかまいなしに井上は続けた。
「軍需長官、大型ミサイルの航続距離はどれくらいに延びましたかな」
「ようやく千キロを達成しました」
「手ぬるいなあ! せめて千五百に延ばしてくださいよー」
「そんな無茶な。知恵をしぼってようやく達成したのですぞ」
「いや、手ぬるい! 空母艦載機をごらんなさい。……たしかに艦載機だけなら二千キロしか飛べない。だけどねー空母は片道八千キロ。ねー、あわせて一万キロ以上の航続距離ではないですかー。もっと頭を柔らかくしましょうよー」
「井上、おい井上! しっかりせんか、なにを埒もないことを言うか」
参謀総長は苦虫をかむように言った。
「なるほど……、空母……ですか。おもしろい考えですね、空母……。空母のかわりに増槽というのも案外……」
突然軍需長官がうなり声をあげた。
「なんだ、今度は軍需長官がうなりだしたか。どうしたのだ?」
「どうした? 参謀総長、海軍長官の言ったことを聞いていなかったのですか? いや、実に示唆に富んだ発言でした。……そうか、鉄砲だって薬莢なんか捨てているんだ。なるほどなあ」
「だから何の話だ。どうしたというのだ」
「海軍長官、それでやってみます。参謀総長、井上さんがヒントをくれました。それならすぐにでも実験にかかれます」
軍需長官は参謀総長など無視して井上に頭を下げた。
「だからな、こっちには意味が通じていない。これだから頭の切れるやつとは話したくないんだ、まったく」
「ですからね、ミサイルというのは、推薬……つまり燃料がやたらと必要なんです。その燃料タンクにあたるのが本体で、実際に爆発する弾頭はちっぽけなんです。距離を延ばそうとすると余計に燃料を積まねばなりません。だからどんどん図体がでかくなります。ところで、燃料をいくら使っても図体は元のままだから重い。井上さんのヒントはそれですよ。役に立たない図体を捨てれば軽くなるから距離を延ばせるはずでしょう? こんなくだらない会議に付き合っている暇はない。申し訳ないが、仕事に戻らせてもらいます」
軍需長官は書類をまとめると立ち上がって帽子をかぶった。
「もうひとつ、ジェット機の航続距離を延ばしてください。なあに、ミサイルなんか必要ないから翼と胴体に増槽を吊るくらいでいいですから。最低3千キロは飛ばんと意味ないですからねー」
「井上! 貴様いったい何を考えておるか!」
参謀総長が目を剥いて怒鳴った。
「早く戦争を終わらせないと、しまいには怨みが残りますからなあ。かといって、遠慮したらつけあがる。お灸をすえてやらんと。申し訳ないが、私も帰ってよろしいですかー? この先のことを考えなきゃいけないのに、今日はもうくたくたー。あとはよろしくー」
井上もゆらりと立ち上がった。帽子を小脇にはさんで会釈する表情が緩んでいる。薄笑いをかくそうともせずに井上は退室したのであった。
さて、遣日機甲師団はどうしていたか気にかかるところである。
清津を発した機甲師団は、阿吾地で国境を侵した敵戦車郡を行動不能に落としいれ、余勢をかってソビエト国内に侵攻していた。異変に気づいて反撃に転じたソビエト戦車を上空からガーランドが襲っていた。それに、空母からの攻撃機が応援に加わっていた。それがわずか十機とはいえ、合流した岩本をあわせると十七機もいる。ましてや、爆撃機のように一度の攻撃をかわせば安全ということではなかった。間断なく援護につき、動けなくなった敵戦車を横目に無人の荒野を行くがごとき快進撃を続けた。機甲師団がひとまず制圧したところは、牛島中将の指揮する第五軍が隅々まで掃除をするように、敵戦車兵を捕虜にしていた。なにせ戦車を捨てて逃げ惑う兵士は徒歩で、しかも丸腰である。水や携行食糧さえ持たぬ身で逃げおおせるものではない。
やがてヤクーツクを制圧したロンメルは向きを転じ、ウラジオストックの飛行場をも制圧した。そこにはB29の予備機が隠されていて、基地警備隊の散発的な抵抗もあった。しかし、小火器でいくら抵抗したとて、相手は装甲を施した突撃砲である。両手を大きくかかげるしか助かる道はなかった。
ソビエト製戦闘機が翼を並べているのは、航続距離が短いために着陸を余儀なくされたからである。飛行場とヤクーツク上空の戦闘で不利を悟って逃走を図った戦闘機は、圧倒的な速度差で行き場をふさがれ、強制的に着陸させられていた。しかも、すでにその時には燃料が乏しくなっていた。
それに、いくら反撃したところで小銃でどうにかなる相手ではない。発砲炎めがけて砲弾を撃ち込まれては素直に降服せざるをえなかった。岩本が攻撃をためらった燃料や火薬がほとんど手付かずで日本の手に渡ったのである。そして、ロンメルがようやく足を止めたのは、ウラジオから遥かな奥地、ハバロフスクであった。
稚内では悲惨な状況になっていた。地上と海上から撃ち込まれるミサイルに対抗できる船は一隻もなく、どの船が戦車をつんでいるのかはっきりしない状況だったのが最悪の事態をまねいてしまった。
とにかく国土をおかされることを嫌った陸軍は、一隻残らず海に沈める方針を貫いたのである。たしかにその大多数は兵士だけを乗せていた。しかし、小さな野砲なら積める船ばかりである。いちいち予想をして攻撃対象を絞ることのほうが不都合である。結果として、すべての船が波間に消えて初めて攻撃が止んだのである。小型船舶など一発でもミサイルが直撃すれば、大穴どころか船体をへし折られてしまうのである。しかも誰がどの船を狙うなど統制できるはずがなく、同時に数発被弾して一瞬で消しとぶ船ばかりであった。分乗していた兵士は、仮に生きて海に投げ出されたとしても、身に着けた装備の重さで泳ぐことも適わない。見ようによっては惨劇の名残など一切ない、常と変わらぬ光景が広がっているだけである。が、それこそが最も無残なことかもしれない。あまたの兵士がどう生き、どう死んだかを記すことすらできないのだから。
日本に向かった爆撃機が帰ってこないという報告が重なり、トルーマンは執務室を苛々と歩き回っていた。やみくもにタバコを挟んだ手で髪をかき乱し、スチムソンの到着を待っているのである。巨額を投じた作戦が、ただの一度で失敗するなど許されることではない。
おろかにもソビエトが条約を無視して侵攻さえしなければ、少なくとも基地は保全できたのに、樺太もウラジオも日本に占領されてしまった。おまけに、どうやって調べたのかウニマク島も一通の悲報を最後に連絡が途絶えたままである。
まったく、あの馬鹿が強欲を突っ張らねばうまくいったのに、やはりスターリンなどと手を組んだのが間違いの元だ。カムチャッカなど攻め取ればよかったんだ。
トルーマンの頭の中ではそんな声が渦巻いていた。
トルーマン自身、自分を切れ者と思っている。金縁眼鏡も、その奥の細い目も見る人をして知恵者であることを印象づけている。でありながら友人がいない。
細い目、薄い唇が冷酷な印象を与えているとは、本人は意識していない。
「もう一度訊ねる。爆撃は完全に失敗したのだな? 全滅したのだな? 基地はすべて壊滅したのだな?」
トルーマンは何度目かの質問をあびせた。最初だけ参謀総長であるスチムソンに。次からは陸軍航空軍のアーノルドが槍玉に上がっている。
「……おそらく……」
アーノルドは伝い落ちる冷や汗を拭うこともできず、肥満気味の体を縮こまらせていた。
「だから、おそらくとはどういう意味かを教えてほしいんだよ。いったい何機投入したのかね? 二百機だよ、二百機。それが全滅だって? 何を馬鹿言ってるんだ。あれも失敗これも失敗、それも一切情報が得られないような負け方なんだぞ」
眼鏡の奥の細い目が、無機質になっている。言葉は厳しいが声は低い。しかしその分だけ力がこもっていた。
「いえ、なにも失敗と決まったわけでは……。連絡が途絶えただけですので……。もしかすれば無線機の故障かもしれませんし、通信妨害ということも……」
アーノルドは怯えていた。怖くてどうしようもないからこそ、何かを言い続けることですこしでも恐怖から逃れようとしたのだろう。が、かえってそれがトルーマンを苛立たせることになった。
「もういいアーノルド、……もういい」
赤い顔で何か言いかけるアーノルドを、トルーマンは手の平で黙らせた。一切の言葉を拒否する圧力を青白い手の平が発していた。
「海軍が無能だと思ったら航空軍も無能だった。陸軍などは出る幕がない。軍はいったい何をしておるのだ。それともなにか? 私を大統領の座から追い落としたいのか? 」
トルーマンが激しく机を叩いた。いかに大統領とはいっても、ルーズベルトが任期途中で職を投げ出したから大統領になれたという負い目が常にある。次の選挙で当選して初めて世間に認められたということである。であればこそ、どうしても日本に攻勢をかけ、勝利に導かねばならないのである。
「ところで、例の計画が順調に進行していますが、なにぶんにも計算せねばならないことが膨大で困っています。そこで、数学に堪能な学生を動員していただけるとありがたいのですが」
あいかわらず蝶ネクタイで現れたのは情報部のハロルドである。しかしアーノルドはハロルドは、関与している研究内容を詳しく知る立場にない。トルーマンはぎょっとしてハロルドを振返った。
「こんな時に株の予測をさせるのかね。まあいい、その話はあとで聞く。もう少し待ちなさい」
その慌てぶりがトルーマンの小心さを見事に表していた。
「では、控え室で待たせていただきましょう」
皮肉な笑みをのぞかせて、ハロルドは執務室をそっと出た。今日こそはマンハッタン計画を一段と加速させねばならないとハロルドは心に秘めていた。都合が良いとは間違っても口にできないが、軍の失敗が強力な後押しとなってくれるのは間違いない。 あと一年。それだけ待てば日本という国を地球上から葬り去ることができる。そのプランが現実性を帯びてきたのである。
とにかく、何杯ものコーヒーを飲む羽目になろうが、今日は話を煮詰めねばならないと考えていた。
ちょうど同じ日、海を隔てた日本では戦争終結の条件を議会で諮ることになっていた。
奇襲攻撃を撃退した当日に話し合われたことを議会に報告し、戦争終結条件を議決してもらわねばいけないのである。特に、外交部の活躍なくして進まないのが終戦交渉である。
外務長官が示した謀略を推し進めるたまにも、避けて通れない道であった。
それも対米、対ソ両面を見据えねばならない。
そして、交渉を有利に進めるために歴史上初の直接攻撃を承認させる必要があった。
漠然としたことしかわからないが、驚異的破壊力をもつ爆弾が開発されつつあることも知らさねばならなかった。
が、それを議会で諮る前に外交部は地下で動き始めている。
まず最初に行ったのが、報道機関を通じて詳細な推移を公表することである。強制収用所の悲劇を白日の下に曝したように、今回の失敗を全米にラジオ放送するハラである。
きっと軍も政府も今作戦を社会に公表していないはずである。となれば当然失敗を公表するはずがない。しかし、爆撃機搭乗員だけでも二千名の命が失われたのをどう説明するつもりだろうか。基地員でさえ無駄に命を散らせてしまったのである。
これまでは日本が頑なに防衛に徹していたからそれでよかった。しかし、こうまであからさまに日本へ侵攻するのであれば、日本としてもアメリカ本土を攻撃せねばならない。
その覚悟を促すためであったし、同じような内容をソビエトにも放送するつもりでいた。
日ソ相互不可侵条約を結んでいるのに、交戦国であるアメリカに日本本土爆撃のための基地を提供した事実。アメリカの爆撃に呼応して上陸せんと、樺太から大船団を繰り出して国境を越えた事実。そのすべてが沈められ、一名の生存者もいない事実。
千輌に及ぶ戦車部隊で国境を侵した事実。そして、その大多数が人馬もろとも生け捕りにされた事実。さらには、樺太南部が、ウラジオが、ヤクーツクが、そしてハバロフスクまでもが制圧された事実を伝えようと考えているのだが、問題はラジオの普及率と当局の締め付けである。権力の中枢に立った者は、絶対支配という魔力に魅せられてしまう。貧しい出自の者ほどその傾向が強いらしく、意に染まぬ者はスターリンによって始末されてしまうのである。学者も芸術家も、官僚や軍首脳でさえ粛清というきれいな言い方で始末され続けている。
つまりは内部に膨大な火薬が仕掛けられているようなものだから、雷管として機能する者を探したいというのが外務部の狙いである。
スイスやトルコ、リスボン、マドリッド。カイロにも外交部員がツテを求めて暗躍していた。
同様のことをアメリカも行っていた。しかもまったく対照的なグループが、である。
まず片方は情報部。不安定な中国情勢に乗じて新たな展開をそそのかす算段をしていた。
ソビエトに倣って共産主義革命半ばの革命軍と、旧体制を引きずった蒋介石率いる国民党軍。両者の勢力争いは激化の一途をたどっていた。よって国内は疲弊しきっている。なぜなら、両陣営が民衆に重い税を課したからで、税を納められない者は容赦なく家財を奪われ、女を奪われ、働き手まで奪われるのである。それを拒んだら? 一家皆殺しになるだけである。しかし、強制的な苦役や同属同士の殺し合いに駆り立てられるより、相手もわからぬ男の慰み者になるより、かえってそのほうが幸せかもしれない。いずれにせよ、足手まといの老人と子供は無駄飯食いとして殺されるのだから。
そこをつけこんだのがアメリカ情報部である。
形勢不利な国民党軍を台湾に移し、台湾での再起を促そうとしたのである。
台湾はすでに独立を宣言したとはいえまだ無政府状態に等しく、中国からの難民を装って上陸し、いずれ政権を乗っ取ればよいという荒っぽさである。さすがに毛沢東も蒋介石も一歩退く内容である。
両者が顔を背けるにもかかわらず、仕掛け人であるアメリカは粘り強く交渉を進めていた。
もう一方は、あまりに不可解な出来事が多いために戦争継続を疑問視する一派である。
政府の発表が信用できないのである。その理由は、フロリダの事件である。そもそも強制収容所の設置からして理解できないことであった。共に社会を支えてきた者を信用しようとせず、無垢な住民の反米意識をかきたてると同時に、アウシュビッツのようなホロコーストを再現してしまったのである。突如流されたラジオ放送を政府はやっきとなって否定した。しかし、連行されてゆくのを住民が目撃しており、それはラジオ放送と寸分の違いもなかったのである。
さらに、フィリピン駐留軍やグアム駐留部隊の動向を一切公表されていないし、応援にむかった艦隊についても何も公表されていない。
まだある。開戦通告のない攻撃を受けたことを日本は世界に公表した。そして、攻撃に関与した者全員を国内法で裁くとして国際氏名手配までした。その中心には、当時の正副大統領も、陸軍航空軍関係者も含まれている。
そんなことを政府は認めていないし、それを否定する声明を世界に発信してもいない。
そんな大事なことを怠った理由はなにか。ラジオ放送が真実を伝えたということである。
政府首脳はアメリカという国の威信を泥まみれにしてしまったのである。となれば、いかに闘ったところで正義の闘いではない。最も重要なことは、交渉する余地があるうちに日本との講和をめざすことである。でなければ、アメリカは恥知らずな国として国際社会から放逐されてしまい、信用を回復するためだけ途方もない労力が奪われるのである。それは決して看過できることではない。
そうして国の威信を憂うる一派の急先鋒であったのがアイゼンハワーである。彼は陸軍中将として欧州での地位回復をめざしてモロッコで準備をしている最中であった。
彼は独自に強硬派に悟られないよう細心の注意をはらいながら日本との交渉方法を探っていたのである。
「善良なるアメリカの皆さん、こちらは日本政府です」
軽快なジャズが不意に中断されたとおもうと、とても静かな、そしてきれいな旋律がラジオから流れてきた。曲の名はモルダウ。戦争によって奪われた国土を取り返す、強い意志が籠められた曲である。
「日本政府から皆さんにお知らせがあります」
曲をバックに流暢な、それも正統な英語で語りかけてきた。
「皆さんの国、アメリカ合衆国は、開戦通告をせずに民間人が住む町を突如爆撃しました。これは国際法を無視した犯罪であります。そこで日本政府は、フィリピンのアメリカ施設をすべて制圧し、フィリピン在住の民間人を含めたアメリカ人全員を捕虜にしました。同時に、グアムに駐留していたすべてのアメリカ人も捕虜としました。そして、二度にわたりアメリカ艦隊を生け捕りにしました。開戦前の爆撃に関与した将士については犯罪者として裁きますので、言及を控えますが、それ以外の将士については安全に収容しております。戦争が終わり次第帰国できます。そして、今月の初め、アメリカは大規模な爆撃を敢行し、約二百機にものぼる重爆撃機を失いました。こともあろうに相互不可侵条約を結んでいるソビエトをもまきこみ、ソビエトにも通告のないまま侵攻させたのです。これは日本国に対する裏切りには違いありませんが、みなさんんへの裏切り行為でもあります。日本政府はこれまで防衛に専念する方針を貫いてきましたが、事ここに至っては止むを得ず、日本を守るためにアメリカ本土への攻撃を開始することになりました。みなさんの住む町が攻撃対象になるかもしれません。なるべく大きな町から離れるようにしてください」
大変な内容である。
放送されたことが事実であるとすれば、これまでの政府発表は出鱈目だったということだろうか。それとも苦し紛れの謀略放送なのだろうかと市民の憶測がひろがった。
アメリカ本土への攻撃など強力な海軍が防いでくれると呑気に構える者に、ではなぜフィリピンやグアムからの手紙が届かなくなったのか、なぜ日本攻撃のニュースが流れないのかと首をかしげる者もいる。治安を監視する警察官ですら内心は何を信じてよいやらわからなくなっていた。
それにしてもイギリス情報部は徹底して情報を流し続けたのである。
協力を要請した外務省の担当者が遠まわしに手を緩めるようたのむくらいの執拗さであった。
しかしその甲斐あって、各国の通信社を通じて日本政府の声明が世界中をかけめぐったのである。
和平条件をめぐって紛糾した議会も、アメリカ本土を攻撃するとした政府提案を受け入れることでまとまり、史上初となる他国への侵攻が認められた。もちろん細部は参謀本部に裁量が委ねられている。しかし、無条件に何をしても許されるわけではない。
強硬派が主張して止まなかった敵地侵攻を認めるかわりに、民間人の殺傷を極力控えること。無条件降伏を求めないかわりに、軍事力を制限させること。
硬軟とりまぜてのいわば折中案ではあるが、根の部分は一貫している。
アメリカから軍事力を剥ぎ取り、国際社会での横車を許さないということである。
ソビエトに対しても同様の要求を突きつけることに決せられた。ただやっかいなことにソビエトは国土が広すぎる。いくら主要都市を占領したところで、地図に線を引くに等しいのである。それに、攻めあがる戦力などどこをさがしてもあるわけがない。
となれば、外務省の働きしだいにかかっている。
それとは別に、勝っているからこその問題が重くのしかかっていた。それは、捕虜の食糧問題である。南方だけで数万にのぼる敵兵を捕虜にした上に、またしても総勢一万におよぶ捕虜を抱えることになってしまった。全部で五万を優に超える人数である。五万といえば地方都市に匹敵する数で、その食料だけでもばかにならない量である。しかも、南方へは海上輸送をせねばならないし、水もいる。ソビエト兵については、収容所の建設から維持管理も必要であるし、ハバロフスク以南の治安維持にも人手を割かれる。ことに、朝鮮兵の行動を厳しく監視することが急務でもある。
闘いに勝つのはよいけれど、そういった目に見えぬ負担が増しているのである。差し迫った課題は食料にあった。アメリカ軍は当座二週間分程度の食料を準備していた。食文化の違いや風土病をおそれて自前で用意していたのであるが、ソビエト軍はそうではなかった。
携行食糧は三日分しかなく、部隊に随伴するはずだった補給物資は、燃料弾薬とともに燃えてしまっていた。幸いなことに後方軍事拠点に追加物資がいくらか残っていたが、相手は大柄で大食である。内地からの緊急輸送を待たすのがやっとというありさまであった。
それに、戦車には無傷の機銃が残っている。少なくとも機銃の撤去作業にこれまた人手を割かれる始末である。
こんなことならいっそ皆殺しに……。誰の胸にも去来する悪魔のささやきである。
それに、まだ基盤の弱い東南アジアの国々への支援も欠かせない。結局、戦火に見舞われていないオーストラリアやニュージーランドから輸入して支援に当てるしかない。
結論として、戦争は不経済である。勝ち負けにかかわりなく、実に不経済である。
が、その反面特殊技術が飛躍的に発達するのは確かである。
新合金しかり、加工技術しかり、溶接技術に電波技術。そして、電子技術が開花を始めた。
シリコンの結晶を製造することが可能になり、それを薄く切って三本の端子をつけるとスイッチとして働くことが実証され、石油を精製した残り滓から絶縁物質を取り出すことを発見した。状況が状況だけに真っ先に軍事利用されるのはいたし方ないとしても、さまざまな電気製品に応用されるようになっていた。何年か前のように、銅線に紙を巻いて被覆線にするという無茶はなくなったし、スイッチを捻ればすぐに音の出るラジオが登場し、真空管が廃止されたので携帯できるほど小型になった。
その恩恵を真っ先に受けたのが無線機である。いくら小型化をめざしてもランドセルほどの大きさだったものが、弁当箱ほどに小さくなってしまった。この技術、まだ日本とイギリスでしか使われていない。しかも、水晶発信機が不要になったために、広域の周波数帯を使用できるようになっていた。
こうして様々な新技術を獲得した日本製品は東南アジア以外の地域でも評判をよび、日用品輸出高を伸ばした。そうして得られた税金があるからこそ捕虜の食い扶持を賄えるのであるが、そろそろ限界となっていた。
鹵獲した重爆撃機の試験飛行や、井上が示唆したロケット改良も順調に進んでいた。
試験飛行はあくまで性能を調べるためであるが、そこからアメリカの航空技術が推測できる。ただ、運用思想が異なる日本にとって、後日のための資料でしかない。
それにしても長大な航続距離である。実用上昇限度も申し分なく、乗員の持ち場が与圧されていることは先進的である。しかし、この爆撃機に随伴する護衛機をどうするつもりなのだろう。輸送機としてならまだしも、戦闘に参加させることには賛成できないというのが大方の見方である。
そしてロケット、長距離ミサイル。
井上の言葉にヒントを得た軍需省では多段式ミサイルの基礎実験を進めていた。
実際に携帯ミサイルを改良してみると射程が二倍に延びたのである。しかし、切り離しが不安定で実用化に待ったがかかった。
「射程が延びたと聞いて見学にきたんだが、どうしてむつかしい顔しているのかね?」
次期作戦にどうしても必要な兵器である。井上が勇んでやってくるには理由があった。
「連結部分の切り離しが不安定でして、うまく切り離すことができれば射程は倍に延びるのですが」
担当将校が苦りきった顔で模型を示した。
「なるほどなあ、こういうことになるのか」
ひょいと模型をとって井上は方々からじっと見つめている。その模型は、ちょうど鉛筆にキャップを被せたようにしっかりと嵌りこんでいた。
「実物もこういう構造かね?」
「はい。そうしなければ振動でゆがんでしまいますから」
「そうか。だが、こんなにしっかり嵌っていたら振動で抉じて抜けなくなるだろうに」
「その通りです。それにたえず押し込む力が働くからよけいに嵌りこんでしまって。それで困っています」
「なるほどなあ」
井上は模型をいじくりまわしながら聞いていた。
「どうもいかんな、こういうことになるとさっぱり妙案がうかばん。どうだね、少し時間をとれるか?」
「それは……、どうせ行き詰っているのですから」
「ではな、まず嵌め方を考え直してみよう」
「しかし、作りやすさと性能を考えたらこの方法しか……」
「だから、そんなことは忘れて、まずは嵌め方だけを考えるんだ。物事は単純化しないといかん」
「ですが、組み立てや切り離しを考えるとこの方法しか……」
「まあ待て、ここはひとつ俺の言うとおりに考えてみてくれ。この模型だと挿し込みしきだが、別の方法を試したのか?」
「いえ、別といえばただ積み上げるだけですので、飛行中に分解するおそれがあります」
「そんなものは固定金具で解決できるだろう。挿し込みで不具合なら積み上げしかなかろうが」
「しかし、分解したら……」
「まさかてっぺんに点火するわけじゃあるまい? 積荷は絶えず押し上げられるのじゃないかね?」
「そりゃあそうですが……」
「ではそれでやってみろ。ところで、命中率は予想できるか?」
「風や気温、気圧が関係しますので、実験してみないと。地球の自転が影響するかもしれませんし」
「もう一つ尋ねるが、目標修正が可能か?」
「修正量を観測できれば時限装置で調整できるでしょうが、どんなに頑張っても半径二キロが限度でしょうね」
その言葉を聞いて井上が破顔した。
「よし、それで安心した。いいか、まだ参謀本部にも打診していない作戦だが」
急に真顔になり、声をおとす。
「こいつでアメリカ本土を叩く。その前に太平洋艦隊を無力化せねばならんが、アメリカは広いぞ。西海岸からでも千キロ奥地を叩かにゃならん。艦隊の安全を考えたら射程は長いほどいい。それに時間がない。あと二ヶ月、ぎりぎり待って三ヶ月で出港せねばならん」
そして一度だけうなづいた。誰かに話したらとも、間に合わなかったらともとれる曖昧なうなづきであった。
アメリカ向けの放送は真綿に点した熾き火であった。揉んでも揉んでも、消えたように見えてもすぐにくすぶる魔性の火種である。少しばかり水をかけたところで消せはしない。
小さい火種は庶民の噂話だし、会社同士の情報交換がそれをさらに加速する。その結果、証券取引が急激に落ち込んだのである。そして、トルコの商社を通じてアメリカ商社を名乗る男から外務省に接触を求める動きがあった。
相手が何者かにもよるが、いずれにせよ朗報である。
外務省よりも、むしろ井上がいろめきたっていた。
アメリカ西海岸、サンフランシスコ南西二百キロ。異形の船団が南下速度を上げ始めた。
三つの胴体の上に全通甲板を載せた大型空母が二艦、視界いっぱいに距離をとってウェーキを引いている。少し後方には二隻づつの輸送艦が、双同の船体でぴったり随伴していた。その周囲に豆粒ほどに見える小型艇が前方から陸側にかけて猟犬のように従っている。
アメリカ本土攻撃艦隊のうちの、サンディエゴ攻撃部隊である。
ハワイの太平洋艦隊を無視して迂回路をとってきた艦隊は、魚雷艇を展開させると南下を開始したのであった。
おあつらえ向きに天候は日付が変わる頃から荒れの気配をみせている。いずれレーダーに捕捉されるとしても、もう目標は指呼の先。あわてて敵艦隊が邀撃に出てきても支障のない地点に達している。
発進五分前。搭乗員が目視点検を終えると同時に、一斉にエンジンが息を吹き返した。
ようやく薄明るくなってきた空は鉛色の雲に覆われ、巨大な空母が大きくがぶっている。
通常訓練なら発進停止となる条件下なのに、飛行甲板の先端に発艦仕官がランプを持って立っていた。
艦がうねりの底にまさに突入する寸前、右手の旗が大きく振られた。
プロペラの回転を上げて合図を待っていた機がさらに回転を上げた。接地抵抗を減らすために昇降舵を効かせて尾輪を浮かせるや、一気に加速を始めた。もう発艦を中止できないことを見極めた発艦仕官が反対側の旗を振ると、右側の待機線で突進する姿勢にあった機が勢いよく走りだした。
その二機目が甲板を切る頃には、艦はうねりの頂点にさしかかっている。
発艦仕官は両手を開き、旗で通せんぼをした。
それぞれ四十機、総計八十機が発艦するのに五分ほどしかかかっていない。
上空で編隊を組み終えた攻撃隊が雲すれすれを這うように飛び去る頃には、第二次攻撃隊の出撃準備が始まっていた。
乗員のきびきびした動きを満足げに見終えると、三川は航空隊からの連絡をじかに聞けるようにさせ、肘掛のついた小さな回転椅子に腰を落ち着けた。
胴体が三本になり横揺れが減った分船酔いをうったえる者が少なくはなった。しかし、今は風に立つことを優先して斜めからのうねりにのし上げている。慣れない者には辛かろうと三川は部下を思いやっていた。いずれ修羅場になるまでは、厳しくしないでおこうとさえ思っている。そんな好人物に見えて、実は同期の中でも最右翼の武闘派として鳴り響いているのだが、末端の兵士はそれをまったく知らない。
「くまたか、こちら索敵二番。敵艦隊発見。SDより二三五度、距離三百、速度十五。北西に進んでいる。艦隊は正規空母二、戦艦三、巡洋艦六、駆逐艦十二。なお、空母は発艦準備中。これより空母を攻撃する。繰り返す、……」
二番索敵機からの一報がとびこんできた。
「航空参謀、第二次攻撃隊発進待て、艦隊攻撃を優先させろ」
「兵装転換の必要がありますが、どうしますか」
「徹甲弾を積んでいないのか?」
「はい。基地攻撃なので触発信管ばかりです」
「かまわん、その方が好都合かもしれん。とにかく搭乗員待機所に連絡、敵の位置を知らせてきてくれ」
三川は敵艦を撃沈するなど毛頭考えていない。単に行動不能にするだけで良いと考えている。
自力航行さえできなくすれば、射程外で停船したところで何も手出しできないのである。それに、防空火器を沈黙させるには、かえって徹甲弾は用をなさないだろう。比較的無防備な射手を倒すには、むしろ榴散弾こそ望ましい。
「作戦参謀、魚雷艇を急行させろ」
三川の決断は素早い。動かない敵基地なら後でも料理できるが、艦隊はどこへ行くかわからない。ならばこそ、持てるすべてを投入して敵艦隊を無力化せねばならないのである。
「くまたか、こちら索敵二番。敵輪型陣の対空防御熾烈にて、輪型陣突破できず。わが攻撃により空母一が小破。待機中飛行機およそ三十が炎上している。なお空母一が健在。発艦準備中。速度二十五、進路北西変わらず」
索敵機からの続報と同時に電話が鳴り響いた。
「長官、航空参謀からです」
いぶかしげに受話器を受け取った三川が、顔をしかめて受話器を耳から離した。
「長官、お願いします。ドイツ将校を説得してくださ。攻撃に行かせろといってきかないんです。芋ほりしそうな剣幕です」
「いもほり? 穏やかじゃないな、ここへよこしてくれ」
ドイツ将校が芋ほりと聞いて、三川はクツクツと笑いがこみあげてきた。
「三川閣下、我々にも出撃させていただきたい。失礼だが、実戦経験なら日本の誰にも負けない。どうか許可をお願いする」
ルーデル大佐が代表して一歩前に出た。赤ら顔をさらに紅潮させ、さながら赤鬼のような形相になっている。
「あなたたちには大切な役目をお願いしていますから、できれば休んでいてもらいたいのですが」
「大切な役目? 弾着観測ではないですか。それだって隊長と岩本が先で、結果しだいで出番がないかもしれない。敵艦隊まで三十分もあれば十分の距離。ちょっと行って帰ってくるだけです。信用してもらえませんか?」
「いや、実戦をくぐりぬけた腕利き揃いなのはよくわかっています。しかし……」
「しかし?」
「いいでしょう、あなたたち五人で行ってください。ただし、攻撃隊発艦後にしてください」
まるで駄々っ子である。しかし、三川は彼らの申し出が嬉しかった。
「航空参謀、彼らの乗機を準備させろ。一番威力のある兵装にせよ」
困り果てて突っ立ったままの航空参謀に指示を与えた。
ルーデルは勇んでいた。バルクホルンもシュタインホフもベーアも、そしてリユッツオウも腕白盛りの子供のように喜んで機を駆っている。発艦してすぐに真っ白なウェーキを長く引いた魚雷艇の群れを飛び越え、先発した攻撃隊を追い抜き、指示された方角に突き進んでゆく。地文航法しか経験のなかった彼らにとって、四周すべて同じ景色というのは初めての経験である。巡航速度で二十分。進路左手の水平線に淡いシミが湧いていた。
シミの方向に機首を向けると、鎮火したばかりの空母と、今まさに邀撃機を放っている空母。それを護衛する重量艦が堂々と波を切っている。そして周囲を駆逐艦が護る、鉄壁の輪型陣を敷いている。無線を聞いてかけつけた索敵機も加わって輪型陣から飛び出てきた敵機と空戦の真っ最中であった。
一旦やりすごしたルーデルは、健在な空母の着艦コース上を全速で突進した。しかも超低空である。ちょうど巡洋艦の指揮所くらいの高度である。殿の駆逐艦が瞬きする間もなく飛び去ると、巡洋艦も一瞬で後方に消し飛んだ。前方には平らな甲板が矢のように迫っている。ルーデルの左中指がヒクッと動き、機銃を掃射しながら空母の上を一瞬で航過した。わずかにスロットルを戻しながら揚力を増加させる。急な揚力増加で体重の何倍もの荷重が尻にかかるのをルーデルは感じた。そして、まばたきをしない、戦闘機乗りの顔を取り戻している。
何をするにも先輩に先をこされるリュッツオウは、自分の順番がまわってくるまでの間、上空から先輩の攻撃を観戦していた。
いとも簡単に輪型陣を突破したルーデルが空母の上をかすめた時、甲板上の発艦待ちをしていた機同士が衝突したことと、発艦したばかりで速度の出ていない機が吹き飛ばされて海没したのを目撃している。その空母にバルクホルンがミサイルを命中させ、シュタインホフはもう一隻の空母にミサイルを命中させた。距離をとったベーアは海面すれすれまで降下すると、大瀑布のような水しぶきを巻き上げて駆逐艦の喫水線すれすれに命中させた。次は自分の番である。リュッツオウは、戦艦の指揮所とおぼしきところに狙いをつけた。
先頭を行く戦艦に一発、そのまま輪型陣を突破して最後尾の戦艦に一発放って上空へ舞い戻った。
母艦に帰る五人ははしゃいでいる。そっと横に並んだベーアがルーデル機の翼を自機の翼端で叩いたり、シュタインホフが意味のないロールを繰り返したり、リュッツオウが何度も宙返りをしたりしている。
ルーデルにはそれが痛いほどわかる。常識外れの機体を与えられ、敵に抵抗する間を与えず、しかも十分すぎる勤めを果たしたのである。あの三川という司令官には礼の言葉がない。生粋の軍人であるルーデルは、いつしか三川や日本という国に強く惹かれていた。
ルーデルが空母に戻ると、艦橋前の一機を残し、甲板上がきれいに片付いていた。
「さすがは撃墜王揃いだ、やってくれましたね」
岩本が大喜びで五人を迎えた。
「話を聞くのは帰ってからにします。まずは三川司令官に報告を」
言い残すと岩本は操縦席についた。
牽引車に引かれる間に、航空図を確認し、邂逅予定時刻を何度も丸で囲んだ。
岩本の務めは着弾観測である。事前の計算で軌道修正時刻を調整したとはいえ、さまざまな要素によって正確に命中することなどありえない。その微調整のために誤差を報告するのが任務である。その現場まではサンディエゴから東に千キロ。滞在時間を加味して三千キロの航続距離が得られるよう、両翼下と胴体にばかでかい増槽が取り付けられている。
速度も巡航速度を守るよう厳しく注意を受けていた。
軌道車が横付けされ、圧縮空気がエンジンに送りこまれる。胴体によじ登っていた整備員が操作盤のスイッチを捻ると、一瞬にしてあたりが騒音につつまれた。
ベルトの点検をしていた整備員が、肩バンドの緩みに気づき、拳骨を岩本の頭にみまって規定通りに閉めなおした。
不服そうな岩本にかまわず、舵の試験を促し、きちんと動作しているのを確かめると、再び拳骨を見舞って姿を消した。数秒後には両手にチョークを持って、車輪止めを外したことを知らせる。そして乱暴にチョークを落とすと、アッカンベーをした。
機付き整備員と岩本の間のいつもの光景である。悔しかったら帰ってこい、相手をしてやるというゲンかつぎであった。
荒涼とした大地が眼下に広がっている。右も左も茶色く殺伐とした岩山である。自然に高度が増すにまかせて単調な飛行を続ける岩本は、なぜこんな奥地にこだわるのかがわからない。砂山こそないものの、眼下は砂漠なのである。刻々と変わる位置を膝板に書き込む作業も、なまじっか地上が見えるだけに自信を失いがちである。予定ではもう少し先のはずだと理性が語るが、迷子じゃないよなと弱気が心を惑わせる。やっぱり海のほうがいい。そうして何度目かのため息をついた岩本は、飛び越した峰に隠れる巨大な建物を発見した。谷の突き当たりに立つ建物には、普通では考えられないほど巨大な変電施設が併設されている。建物に通じる道は一本きり。それが無人の荒野を延々とのびていた。
これがきっと目標なのだろう。邂逅予定時刻三分前であった。
予定時刻を三十秒遅れて着弾したミサイルは、目標を大きく逸れていた。
「こちら岩本、中継を請う。予定時刻を三十秒遅れて着弾。遠弾、二キロ。方位修正、右へ十二キロ。なお、目標右三キロに変電施設あり」
これが岩本の任務である。まっすぐ母艦に帰れるように、岩本は慎重に向きを変えた。
岩本の報告を元に修正を加えて第二弾を発射。
その着弾位置はガーランドが確認していた。
「方位概ねよし。近弾、二百」
輸送艦に組まれた発射架台に、デリックが次々とミサイルを載せては打ち上げる作業が二時間ほど続いた。
最後のミサイルを架台に載せるとともに、戦果確認のために一機飛び立った。
「こちらルーデル。施設は完全に破壊されている。変電施設も被害甚大。多数が徒歩で避難している」
待ちに待った一報である。これでアメリカは起死回生の兵器を作ることができなくなった。
時間を遡ること一ヶ月。アメリカ軍内部で異変がおきていた。
中央からの作戦命令に異を唱えたアイゼンハワーが更迭され、陸軍省や参謀本部との溝が埋まらなくなって、ついに退官してしまったのである。アイゼンハワーは庶民的な司令官として将兵から絶大な人気があった。エリート育ちのマッカーサーと対比されるほどの任期があり、柔軟に事態に対処する能力がある。ヨーロッパでの失地回復のためにモロッコでの準備が整う寸前のことである。北西ヨーロッパの紛争を収束させたイギリスは、ドイツを取り込んで後背の憂いを取り払ってしまった。死に体のフランスなど歯牙にもかけず海洋防備を完璧なものにしている。始末が悪いのは、イギリスがUボートを展開したことである。ドイツ軍のように積極的攻撃は控えているものの、軍需物資、とりわけ弾薬輸送がままならなくなっている。アメリカも潜水艦を多数展開してはいるが、イギリスの対潜兵器にかかって消息を絶つものが毎日のように報告されていた。
さらに、ヨーロッパ域内で紛争がおこっている事実がないのである。紛争地域でないところへ武力進出する大儀がどこにあるのか、それがアイゼンハワーを悩ませていた。そこへ下った命令が、中東地域の制圧である。敵対していない国に攻め込む理由をたずねると、異教徒だからという答えが返ってきた。
これまで洩れ伝わってくる情報を彼は否定し続けていた。
宣戦通告のないだまし討ち攻撃や、民間人を巻き込む無差別爆撃など、誇り高いアメリカ軍人がするわけないと思っていた。
ヒトラーに匹敵するようなホロコーストを大統領が許可するはずないとも思っていた。
情勢の伝わってこないアジアについても、アメリカが健全に管理していると信じていた。
アメリカと正反対の社会を目指すソビエトと共同作戦を実施するなど考えもしなかった。
その反面、イギリスも日本も相手国に攻め込んでいないし、公表通りに後進国の独立を後押ししている。
もう限界だと彼は腹をくくった。退官して大統領をめざす。
そういう経緯である。
又、ソビエト域内の共和国に分離独立を働きかける組織があるらしい。
スターリンの専横に恐怖を抱くのはあまたいる。階層を問わず、職業も年齢も、性別さえ無関係に皆がみな、ひたすらスターリンの横暴から逃げているのである。中心的支配者に対する潜在的離反を利用して、ソビエトのもてる力を分散させる狙いであった。
もしその気になったら連絡するように。国をあげて全力で支援すると言って闇にまぎれるらしい。連絡先にはスウェーデンの、あるいわトルコの雑貨屋が指定されていた。