遣日機甲師団
十五 遣日機甲師団
ハリー・トルーマン。
彼は狂喜していた。いつまで無能な大統領を支えねばならないのかと鬱憤の溜まる日々の連続であった。さりとて副大統領の地位を投げ出すという選択肢は毛頭なく、一秒でも速く大統領選挙が始まるのを待っていたのである。
そこにやってきたのがルーズベルトの失敗。奴が職を投げ出したおかげで、自動的に副大統領の自分が夢に見た大統領になった。
日本に対する開戦通告が遅れ、犯罪人として国際手配された。それもルーズベルトを筆頭者として。ただ、当時の政府や軍関係者も同時に国際手配されたので、トルーマン自身も同じ身の上である。
さらにフィリピンもグアムも失った。確たる証拠はないのだが、一切の連絡が途絶していることから、そう考えるのが順当だろう。加えて、サイパン占領に向かった艦隊と上陸軍。様子を調べに行った艦隊も消息を絶った。
その戦費たるや尋常な額ではない。消息を絶った全員が戦死するなどありえないが、何万人もの人命がかかっている。
それをごまかすために、ルーズベルトは隔離政策をとった。しかも、強制収容所である。アウシュビッツを再現したことも、外国からの電波乗っ取りによって暴露されてしまった。
俺はそんなヘマをしない。歴史に名を残す大統領として君臨してやる。
そのためにも、この戦争に勝って国際手配を反故にさせねばならない。
さて、まず何から始めようか。
深々と腰かけた大統領の椅子を撫で擦りながら、トルーマンは報告書の束を手に取った。
何はともあれ、最優先課題は戦争に勝つ、あるいわ有利に終結することであろう。
そして、軍事に偏りすぎた経済を立て直さねばならない。
世界の仕組みも見直さねばならないだろう。
口の中でブツブツ呟きながら仕分けを始めた。
窓から差し込む春の陽を浴び、金縁眼鏡をかけた横顔は怜悧である。
年の瀬に日本を発った第二次遣英艦隊は、シドニーとサイパンに立ち寄って、丸三ヶ月にわたる勤めを終えた。すでに四月、小学校にあがる子供が元気に青洟をたらして駆け回っていた。
「第二次遣英任務、ただいま完了しました。人的、物的被害はありません」
海軍長官室で三川は潮焼けした顔を引き締めて任務完了の申告をした。
「ご苦労だった。イギリスから感謝の電報が届いておる。……これくらいでいいだろう、どうも型にはまった挨拶は窮屈でいかん。貴様も楽にしてくれ」
背の高い、ちょび髭の海軍長官、井上成美である。
彼は艦隊勤務より政治家のようなおもむきがある。
「その御仁がガーランド少将か。三川、早く紹介してくれ」
井上は、三川が見込んだ相手ということで、最初からガーランドと友人のように接しようとしていた。
「ドイツ軍、アドルフ・ガーランド少将です。独断で同行を許可しました。他にも五名の戦闘機搭乗員を同行しました。ガーランド君、海軍長官の井上大将だ」
「ドイツ空軍少将、アドルフ・ガーランド。三川少将に無理をお願いして同行しました」
三川に対するより鮮やかにガーランドが敬礼をした。
「海軍長官、井上です。よく来てくれました」
井上にとって久々の敬礼であった。
「船旅は疲れたでしょう。よもやま話は後日ということにしましょう」
井上は、船酔いを心配したのである。が、ガーランドは平気なのか端正な表情を崩そうともしない。
「ところで三川、大変な情報を仕入れたそうだな。町を消し去る爆弾など、とんでもないことを考えるやつらだ」
「私には想像できませんが、チャーチルから資料を言付かっています」
井上は、三川が差し出した茶封筒の中身に鋭い視線を這わせていた。そして、おもむろにガーランドに視線を移した。
「ガーランド君、率直に質問するが、白人というやつらは虐殺ということを平気でできるのかね?」
「馬鹿なことを言わないでいただきたい。私も部下も、それが許せなかった。だからヒトラーに疎まれ、ヒムラーに煙たがられ、第一線から遠ざけられていたのです。無抵抗な者を殺して自慢できますか?」
ガーランドは即座に否定した。
「すまなかった。ただ、我々がまだ知らないことがあるのかと思ったのでね」
井上はまじめくさって頭を下げた。少なくとも良識をもった白人がいることに安堵しながら。
「ところで、アメリカは出てきたか?」
「いえ、不気味なほど静かでした。こちらではどうでした?」
「そうか。いや、こっちも静かなんだ。不気味じゃないか? まだまだアメリカには力があるはずだ、艦隊の二つくらい屁でもないだろうに」
「情報部の分析は?」
「何もつかめておらん。ハワイには貨物船が頻繁に出入りしているようだが、ウェークにはさほどではない。艦隊を養っているとみるべきか、それともハワイを要塞化しようとしているのか……」
「ハワイを要塞化して効果ありますか? 太平洋のちっぽけな島にすぎませんからなあ、交通を遮断されたらジリ貧でしょう」
「そうとも考えられる。ま、しばらく様子をみようか」
「失礼ですが……」
二人のやりとりを黙って聞いていたガーランドが、遠慮がちに声を出した。
「何かね?」
退屈になったのか、それとも疲れがでたのか、井上はうっかり自分たちの世界をおしつけていることに気付いた。
「北は調査されていますか?」
「北? どこのことかね?」
「ここです」
ガーランドは地図の一点を指した。
「そこは我々の勢力圏に近いし、厳冬期だったし。それに、ソビエト領だし……。そこが気にかかるかね?」
「アメリカは南方の基地を失いました。艦隊を差し向けても効果ないばかりか、すべて捕虜にされてしまいました。とすれば、どうしますか? またしても同じようにしますか?」
「しかし、そこはソビエト領、それに、ソビエトとわが国は不可侵条約を締結している」
「条約を信じるのですか? ヒトラーとスターリン、どう違うのですか。ソビエトは自ら侵攻しないかぎり条約を守っていると言い逃れできます。アメリカに基地を提供してもです」
井上の表情から穏やかさが消えた。これまでの作戦会議で見過ごしていたことである。
「なぜそう言い切れる?」
「まず、アメリカが日本を攻撃するには足がかりが必要です。フィリピンからなら大陸伝いに。グアムからなら、なるべく日本に近い島に拠点を設けます。そこから長距離爆撃を敢行すれば、攻勢をかけられるでしょう。しかし目論みが外れた。でもそれは南方に限ったことです。北にも同じような島がたくさんあります」
「なるほど……、千島を狙ってくると……」
「そう思わせて、実はここに基地を整備する。欲を言えばここも」
ガーランドは地図を指した。
「誰かおらんか!」
井上が突然大声を出した。
「情報部を召集せよ。陸軍長官と参謀総長も呼べ! 大至急だ!」
海軍省を辞去したガーランドは、井上が用意した車で航空機に関する施設を案内されていた。薄暗い工場でよく飛行機が組み立てられるものだとガーランド一行は感心していた。
ドイツでも工場は窓が少ないせいで薄暗いのだが、日本の工場は特にそれが顕著である。電球が弱いせいもあるだろうが、壁や天井の煤と油汚れで薄汚く感じるのだろう。それにしても、ドイツでは見たことのない方法で部品が作られていて、それが他の部品ときっちり組み合うのである。たいした加工精度を保っているのだろうが、それを作っているのは女性である。それに作業自体、雑である。なのに不良品がほとんどない。きっと公差が甘いのだろうと考えることにした。
それにしても妙な国民だとガーランドは思っている。ガーランドだけではなく、五名の部下もそろって同じ感想を述べた。それは、……
「おはようございます」
「こんにちは」
一行の行く先で出会う人々がきまってそう言い、頭を下げてゆく。字が読めずに困っていると、近寄ってきて丁寧に説明してくれる。それも、一行の誰も助けを求めていないのに。
ただ、ドイツ語を話す人は少ないが、年端のいかない子供ですら英語を話す。そのくせ難解な日本の文字を巧みに操るのだから余計わからなくなる。
迂闊なことを話していたらすぐに悟られるのではないかとさえ思えてくる。
粗末な家に住み、粗末なものを食べているというのに、血色がよく元気である。
やはりドイツ人にとって異世界には違いない。
物質的な文化圏で育った者には理解できない国民に思えた。
ハンス・フォン・オハイン。
絆須という当て字をもらったジェットエンジン開発者は、ガーランドが見学に訪れると知らされ、とても怯えていた。事情はどうあれ、国を捨てた絆須は最低でもガーランドに殴り倒されることを覚悟していた。
「彼は?」
一人だけ白衣を着た青年をガーランドが見とめた。
「絆須さん、こちらに来てください」
案内をしている軍需省の役人が絆須を呼んだ。
「ジェットエンジン開発責任者の絆須です。元はドイツ人でしたが、こちらで嫁をもらって絆須という名を名乗っています」
険しい眼差しをしたガーランドが絆須の前につかつかと歩み寄った。
「グート」
拳を口に当て、再び呟いた。
「ヤー、グート」
意表外の言葉を聞いて絆須の膝から力が抜けた。
「閣下!」
絆須の目頭に涙が盛り上がってきた。
「ハンスというのか?」
「ハンス・フォン・オハインです。国を裏切って申しわけありません」
絆須はじっとガーランドを見つめていた。
「そうかハンス。結果として国を裏切った恰好だが、偉大な貢献をしてくれた。ドイツ人の名誉を一層増してくれた。よくやった」
「正直に言います。基礎設計はホイットル中佐です。日本で実用化のための研究にうちこみましたが、完成に導いてくれたのは日本人です」
「何を言うか、自分に誇りをもて。開発したのはわがドイツ人だ」
「いえ、違います。彼らの発案がなければ完成していません」
「そうではないだろう。まだ日本人には不可能な技術のはずだ」
「そうではありません。理屈ばかりで融通がきかなかったのは私だけでした。いくら考えても解決できなかったことを、彼らは示唆してくれました。思いもしなか
った方法を考え付いて、でなければ量産できていません」
「では、そういうことにしておこう。で? 君を導いたのは誰だね?」
「はい、この部屋にいる人たちです」
部屋のあちこちに小汚い作業員がたむろしている。それを見てガーランドは眉をひそめた。
「イギリスで試乗したが、素晴らしいエンジンだった。速度も驚異的だった。しばらくは世界一の戦闘機として君臨するはずだ」
ガーランドにすれば、それは最大級の賛辞だったのであろう。しかし、小汚い男達はそれを聞いて見下したような笑みを見せるだけだった。
「どうした? 何かおかしなことを言ったか?」
ガーランドには男達の笑みが何を意味するのか理解できなかった。
「大変失礼しますが、飛行機ってのはエンジンだけで性能が決まるわけじゃあねえですぜ。優秀な機体がなきゃあ半人前ってもんだ」
「イギリスの機体がどれほどかは知りませんがねえ、日本の機体に乗ってからのお言葉ですかねえ」
口の悪い男たちであった。
「なるほど、それはもっともなことだ。では日本の機体を試乗したいが、許可してもらえるかね?」
ガーランドは、つい男たちの挑発にのってしまった。
「スロットルはイギリスも同じだと思います。押せばパワー、引けばアイドルです。このレバーは特に注意が必要です。慣れるまでは三百ノット以下で操作してください。ここが中立で、押せば下降し、引けば上昇します。最高速を出す時は、レバーを一段押してください」
絆須から簡単に操作説明を受け、操縦席に埋もれたガーランドは軽く大地を蹴った。
大きな後退翼をもった機体は、若干短い滑走距離で軽快に飛び上がった。しかし特段の違いが見受けられない。スロットルを開くにつれ、より上昇しようとするのは翼面係数の違いであろう。日本人は曲技飛行を好むようだとも感じていた。
視界は広い。細く絞られた胴体とあいまって下方視界も開けている。
一通りの襲撃機動をためしたガーランドは、全速をだしてみることにした。
『そういえば、全速を出す時に操作するよう言われたな』
ガーランドは謎のレバーを一段押し下げ、スロットルを奥一杯まで押し込んだ。
フワッと体が浮くような奇妙な感覚がして、速度がぐんぐんついてゆく。
じきに四百ノットを超え、四百五十、そして五百ノットに達した。それでも速度計の針は動きを止めず、五百四十まで回った。
イギリスで試乗した時は四百九十だった。それを五百ノットと公称していたのである。
どうしてこんなことになるのだろう。
深い青色をした空に星がチカチカ瞬いている。高度一万四千メートル。もちろんガーランドが初めて経験する空であった。
試乗を終えたガーランドは、工員のいやに粘っこい視線と、部下の興味深げな視線に曝され、難しい表情で黙り込んでいた。
いぶかしげな部下に対し、工員のニヤニヤ笑いは勝ちを確信しているようであった。
井上が手配した旅館で歓迎宴となった冒頭、ガーランドは工員に非礼を詫びた。
「諸君に大変失礼なことを言った。どうか許してほしい。イギリスで試乗した機体とはまったく違う、より優秀な機体である」
「そんなこたぁいいからよう、早く始めてくれよ。おあずけってのはどうも、犬にゃあなりたかぁねえや」
ギョロッと鋭い視線を投げただけで、ガーランドはそのまま席についた。
料理が運ばれ、酒がすすむとあちこちで車座になって酌み交わしている。ガーランドは、無礼な言葉で挨拶を止めさせた工員に近づいた。
「さきほどはすまなかった。挨拶の言葉に困っていたのでね。しかし、私は日本の機体を褒めたつもりだが、あれでは不満かね?」
ガーランドは努めて穏やかに話しかけた。
「褒めた? あれで? あんたあの機体をどこまで知ってる? 知りもしねぇで褒められたって……、なあ」
工員は隣で飲む工員に相槌を求めた。
「あの機体にも秘密はあるだろう。しかし、素晴らしい機体だ」
「どこが? どこがすごいっていうんだ?」
「まず視界がいい。速度も出る」
「他には? 何も感じなかったか?」
「応答性が鈍い。もっと鋭敏なほうがいい」
「けっ、そんなことならよ、五分もありゃあ敏感にしてさしあげますよってんだ」
「ほう、操縦桿の利きを五分で敏感にできるか。そんな設計者はドイツにはいない。いったいどうするのかね?」
「操縦桿を短くすればいいだけのことだろうが」
ガーランドは意外な言葉に驚いた。操縦系の応答性に設計者が苦労しているのを知っているだけに、いとも簡単に言ってのけるこの男。本当に工員なのだろうかと疑問に思った。
「どうしてそう思うのかね? それに、短くしたら力がいるのではないかね?」
「操縦桿なんてたいそうな名前がついていますがね、どっち転んだところでテコでしかねぇ。ちっとでも短くすりゃあ応答が良くなるだろうが。そんなのがヒョイと動いてみな、中の者はたまったもんじゃねえぞ。目ぇまわしてポトンよ」
工員は、酔ったふりをしていながら、目に力がこもっている。よく見れば、飲んだふりをして杯の中身を空いた椀に流した。
この男は酔ってなどいない。自分たちを甘く見た我々に勝負をしかけている。
ガーランドはそう判断した。
「ではどこが違うのかね? 些細な違いしかないようだが」
「そうかい。違いがわからなかったかい。 そんな素人に教えるのは損だなあ」
「おい、いいかげんにしろよ。違いなんかあるわけないじゃないか。すいません、ちょっと自慢したがるのがこいつの悪い癖でして……。どうか忘れてください」
年嵩の工員が割って入った。
「素人と言ったな。私を素人だと」
「言ったよ、だって素人じゃねぇか。嘘だけはつくんじゃねぇってのが親父の遺言だぁ。だから正直に素人って言った、そのどこが悪い」
「そうか、では言葉をかえよう。どこが違うのか教えてもらえないか」
「なんでぃ、下手に出れるんじゃねぇか。まあいいや、井上長官直々の客人だから教えてやらぁ」
工員は膳を横にのけて紙を取り出した。
「いいか、こいつはイギリスにも内緒なんだからな。絶対に他所で洩らすんじゃねえぞ」
そう言って翼断面を書いた。
「飛び上がる時、どうだったぃ」
「少し滑走距離が短いと感じたが」
「気づいたかい。ところでな、スロットルを開けると飛行機ってのはどうなる?」
「速度が上がり、その分揚力が増す」
「スロットルを全開にしたら全速が出るかい?」
「いや、水平飛行をしているかぎり、その力は上昇に使われる」
「じゃあ、全速を出すためにどうする?」
「機首をさげるが」
「つまり、こうだ」
工員は図を前側に傾け、矢印を書いた。
「どうだい? 飛ぶ方向とジェット後流があさってだろ、つまり、エンジンの力が奪われちまう理屈だわな。ところでよ、全速試験してみたかい?」
「ああ。イギリスで試乗した機体より五十ノット速かった」
「例のレバーは?」
「言われた通り一段押した」
「そん時どんな感じがした?」
「浮き上がるように、いや、実際に浮き上がった」
「飛行姿勢は? 機首を下げたかい?」
言われて初めてガーランドは奇妙な感覚の原因に気づいた。
「いや、機首下げは……。でも、まさか……」
「まさか、なんだい?」
「あれは機が沈んだのか? なぜ? いや、どう考えればいいんだ。だけど、まさか……」
「いいから言ってみな。どうせここにいるのはど素人っきゃいねぇんだ、恥ずかしいことなんかないぜ」
「揚力係数が下がらなければ、あんなことはありえない……」
「揚・力・係・数ときやがった。そんな難しい言葉は聞きたかねぇが、まあいいや。要はあれだろ? 揚力は速度の二乗と揚力係数に比例するってやつだろ? 速度が二倍になったら揚力が四倍になるそうだな。速度が同じなら揚力係数とやらを変化させればいいってことだ。ところでよう、揚力係数を決めるのは何だ?」
「翼の断面係数だ」
「そういうこった。言っとくがよ、あいつと空中戦はやらねぇほうがいいぞ。真後ろについたつもりが、一瞬で後ろを取られる。恐ろしい機体らしいぜ」
「待て、断面係数などどうやって変えられる。馬鹿なことを言うな」
「できたらどうする? というより、乗って確かめただろ? ええ? ガーランド閣下」
「もういいだろうが。お前の悪い癖だぞ、日本人が馬鹿にされると剥きになりやがって。こっから先は芸者遊びだ。腰抜けるほど相手してもらえ」
「ところでよ、お前ぇターボファンでもそうだが、どうやって思いついた?」
箸に差した里芋をうまそうに食べる男がいる。それが口をもごもごさせながら訊ねた。
「ターボファンはなぁ、ありゃあ下駄の歯よ。おうよ、差し替えの歯だな。翼はこれだ」
言うなり芸者の襟元に手を差し入れ、もぞもぞ捏ねくり始めた。
「なっ、どうにでも形が変わるだろ。これを設計屋に見せたのよ」
工員は差し入れた手を抜こうともせず、しだいに大胆に揉み始めた。
これが職人たちの唯一の楽しみである。
アラスカ、ウニマク島。
厳冬期をものともせず、突貫工事の甲斐あって巨大な飛行場がほぼ完成していた。北からの攻撃ルート確保を目論むアメリカは、スターリンを相手に悪戦苦闘していた。
アメリカもソビエトも狡猾である。すこぶるつきに狡猾である。
一時しのぎにせよ手を組むことが何より重要だということは解かりすぎるほど解かっている。しかし、互いに有利な条件を得ようと駆け引きに終始していた。
共に手ひどい痛手を受け、さりとて退くに退けない状況なのにである。
が、どちらかといえばアメリカの立場は弱い。それを見透かしたソビエトは、少々の援助で首を縦にするほど甘くはなかった。食料をよこせの、燃料をよこせの、やれ飛行機だ、やれ貨物船だと要求は天井知らずである。業を煮やしたアメリカがカムチャッカの買い取りをもちかけたが、そんな話に乗るはずがない。とどのつまり、戦争終結後の世界支配を対等にするという密約を与えることで決着した。
まだ春には遠いこの時期、蚊が湧かないうちに工事を終えようとアメリカは焦っていた。天の助けか、毎日のように発生する海霧が、工事を隠す絶好のベールとなっていた。
シアトルを離陸した長距離爆撃機は、最短コースをとってウニマク島を目指していた。
アンカレッジに不時着場を用意してはあるが、アンカレッジ上空が霧に包まれることも多い。どちらも着陸できなければ、爆撃機には引き返すだけの燃料は残っていない。たとえ一周、いや、一分でも飛び続けるために、少しの燃料も無駄にできないのである。
網目鉄板を敷き詰めたウニマク基地には、すでに整備兵が駐在して爆撃機の到着を千秋の思いで待っていた。
カムチャッカと千島は至近距離にある。魚食習慣のある日本人は千島先端にまで漁に出ることが多く、アメリカの意図が洩れる危険があった。ましてや最北端の占守島と幌筵島には航空隊が前線基地をおいている。
それでもカムチャッカに前進基地を設けなければ、いくら長距離爆撃機とはいえ航続距離が足りない。カムチャッカからでさえ東北地方北部が精一杯の攻撃圏であった。さらに追い討ちをかけるように、日本上空には西から東へ抜ける強い風が年中吹いている。逆ならともかく、重い爆弾を抱えて逆風に突っ込むのは想像を超える燃料を消費した。
次の前進基地はナホトカ郊外。
飛び上がって高度をとれば新潟が目の前である。ここならば北海道から九州までまんべんなく攻撃できる。
そして中国にも基地が必要だった。北京郊外に基地を設ければ、関東から琉球、台湾さえも攻撃圏内におさめることができる。その中国は昔から日本とは仲が悪く、しかも貧しい国である。使い古しの戦闘機でも提供してやれば、ホイホイと言いなりになるのは確実であった。
そのカムチャッカ、滑走路の整備が終わり、燃料タンクと弾薬庫を建設中であった。一旦譲歩を勝ち取ったこともあり、ウラジオ郊外にも長大な飛行場が建設され、北京郊外にも同じように飛行場が建設されつつあった。
しかし、まだ解決しきれないことがあった。それは補給である。
海上輸送が見込めない現状、どうやって補給物資を輸送するかが悩みの種である。事を急いで北海道だけを攻撃したところで、かえってカムチャッカの基地を察知されたらウラジオも北京も用を成さなくなる。
ひたすら空輸で物資を蓄えるにはもう少し時間が必要であった。
一方でソビエトからの提案をどうするか、アメリカでは議論が繰り返されていた。
提案の内容は、樺太から北海道への強行上陸である。
欧州進出が果たせなかったソビエトも焦っていた。国土ばかり広大なのに農地は少なく、魚介類を得られないことが最大の悩みであった。そのためには南進しかないが、トルコ以西では欧州各国が協力して防御をかためているし、トルコ以東にはヒマラヤのような天然の要塞がひかえている。比較的標高が低くなる天山山脈あたりが侵攻の限界で、多少の無理を覚悟すれば砂漠がある。出費に見合わない見返りである。
そうしてみると、中国から樺太までの地域しかソビエトが侵攻する地域は残っていない。朝鮮を攻め取り、海を挟んで日本と対峙するという方法もあるが、すでに朝鮮は日本式の防備体制がとられている。
では中国はどうか。
中国を席巻することはたやすかろうと思われる。兵器も装備も貧弱な物しかないということも承知している。しかし、同時に物資もないし生産設備もない。
占領を果たしたとして、物資をどこで調達できるだろう。現地調達の可能性がない土地を占領するのは馬鹿げたことである。
最終的に行き着くところは、北海道占領ということであった。
理屈はそうだとしても、ソビエトは典型的な陸軍国である。欧州を席巻できたのも強力な戦車を駆使したからであった。その陸軍国が、たとえ数時間の距離にせよ戦車を海上輸送できるのだろうか。日本は、陸上からも海上からも、そして空からも反撃することができる。ましてやサハリンやウラジオを攻撃されたとしたら上陸軍は孤立してしまう。
アメリカはそう読んでいた。とはいえ、放っておけば航空基地がどうなるやらわからないし、仮にソビエトが占領に成功してしまったら、ソビエトの海洋進出を許すことになってしまう。
なかなか答えの見出せない問題であった。
ガーランドは、井上に無理をたのんでジェット機の慣熟訓練をさせてもらっていた。
小汚い工員に刺激を受けたのである。彼はガーランドの自尊心をものの見事に打ち砕いてしまった。低脳だと軽蔑していた国民の、それも下層を生きるしがない工員に言われたのである。怒りがこみあげてきたが、彼の言うことには筋が通っていた。筋は通っているが、だからといって理屈通りにはならない。だからこそ、現実にそれを解決したことが信じられないのである。
そして、理性が否定する機体に今日もとり憑かれたように乗っている。
ガーランドはその機体が面白くて仕方なかった。それは部下も同じなようで、厳しい指導員に罵倒されながら、機体が体の一部になるよう訓練ばかりしていた。
基礎訓練から戦闘訓練をへて、長距離侵攻訓練に達していた。
主戦場が大陸であったドイツ将校は、ともすれば安易に不時着を選択しがちである。また、地図と地形を見比べながら現在位置を知ろうとする癖があった。地文航法といって、別に悪くはないが弱点の多い航法であった。霧中、雲上などの地上を目視できない状況では現在位置さえ把握できない。ましてやプロペラ機の邪魔を受けない高空を飛行するのならなおさらであるし、高空になるほど燃費がよかったのである。
今日もその訓練を受けていた。計器盤の上に厚紙で目隠しを置き、高空図に現在位置を書き込みながら利尻島までのコースであった。高度を一万五千にとり、十五分。北東に転じて一時間ほどの飛行である。
「目標、到達」
ガーランドは目隠しをとってはるか地上を眺めた。が、どこにも利尻らしき島影がない。
かなり流されたと思ったガーランドは、そのまま一旋回した。
突き出た半島に接するようにスプーンのような湾が見えた。高空図に照らせば樺太である。流された距離があまりに多いことに苦笑して、ガーランドは三沢へ機首を向けようとした。
「旋回待て。左にバンク」
後席の岩本が鋭く言った。
「何か?」
「見えますか? 湾の奥にたくさんの船が集結しています。海岸から離れたところに飛行場ができています。写真機を持ってくるべきでした。行き先を変更して厚木に戻ります。自分が操縦します」
岩本は、そう告げて鮮やかに翼をひるがえした。
厚木に戻った岩本とガーランドは基地司令に状況を報告した足で、そのまま海軍省へ向かった。ガーランドにとっては迷惑かもしれないが、よくよくガーランドは大事件を呼び込む宿命を背負っているとみえる。
「貴様、船が多数集結していただけで我らを集めたのか! 多数とは何杯か! きちんと報告せよ!」
岩本の急報で作戦会議が開かれたのだが、陸も海も、参謀たちの突き上げが厳しい。
「はっきり数えておりません」
岩本は馬鹿正直に答え、それがまた参謀の怒りをかった。
「そんないいかげんなことでどうする! 貴様はめくらか!」
陸の参謀も威気高に怒鳴った。
「まあいいじゃないか。とにかく善後策を講じておくのが先決ではないかね。質問することがあるかもしれん。しばらく隣で休んでいてくれ」
井上は岩本とガーランドをさがらせようとした。
「発言をお許し願いたい」
突然ガーランドが立ち上がった。
「少し質問させていただきたい。まず、高度一万五千メートルから地上を見たことのある方はおられますか?」
出席者を見回すガーランドに挙手をする者は一人もいない。
「では、高度一万五千メートルから小船を見分ける視力のある方は?」
やはり誰も名乗り出ない。
「私も同乗して目撃したのです。船が多数という報告ではいけないのですか? それとも、……報告したのが迷惑でしたか?」
冷ややかな眼差しを一人ひとりに投げかけ、呆れたようにため息をついた。そして、井上に意外な提案をもちかけた。
「井上閣下、ロンメルを呼びましょう。あの海峡は狭い、海上で防ぐことはできないでしょう。ソビエト軍は強力な戦車をもっています。上陸を許せばどうにもならないでしょう。北海道を占領したら、本土になだれ込むまでに時間はかかりません。ロンメルと機甲師団を呼びましょう。ロンメルのほうがソビエトに詳しい。そうしましょう」
「ロンメル将軍ですか……。いや、個人的にはぜひお近づきになりたいが、陸軍の名誉にかかわる」
とかく体面にこだわる参謀や、陸軍上層部がどんな非難を叫ぶかを想像していた。
「……わかりました。では、私が個人的に連れてきます。それなら文句ないでしょう」
「個人的にであれば黙らせることもできますが、しかし……」
「お許しありがとうございます。ついては、岩本君とジェット機を十日ばかりお借りします。では急ぎますので失礼します」
ガーランドは岩本の腕を掴むと、会議室の出口で見事な敬礼をして扉を閉めた。
海軍省を辞したガーランドは、外務省に出向いて経由地での給油の手配をし、イギリスとドイツに緊急電を打った。
「大丈夫ですか? 勝手に飛んでいって撃墜されませんか?」
岩本は通過国との関係悪化が心配だった。ドイツだろうがイギリスだろうが、どこへでも飛んでゆく覚悟も自信もある。なぜなら、一旦飛び上がれば最後、誰の助けも受けられない稼業で生きてきたからである。だから、岩本は階級に何のこだわりもない。ウデ、純粋にウデがよければ、そして人格重視である。
「急がねばいかん。樺太の飛行場だけでは攻撃できまい、日本全土を攻撃するにはもっと別の場所に基地が必要だ。保険の意味で中国にもほしい。基地が完成し、飛行機が揃ったら同時に攻撃をかけてくるだろう。時間がない」
他国の心配をして懸命になっているガーランドを、岩本は感心して見ていた。
「カムチャッカ上空にアメリカの大型爆撃機が集まっています。台湾を空襲したものより大型です」
ベーリング海で哨戒にあたっている潜水艦が、霧の晴れ間から多くの爆撃機が飛来するのを発見した。戦闘機を伴わず、どこへともなく姿を消したそうである。
「占守島からは報告ないか?」
「天候が悪く、飛行困難との報告です」
「樺太方面はどうだ」
「かずは少ないですが、貨物船が出入りしています」
「他に情報ないか」
「ウラジオに飛行場建設中との情報があります」
「どの程度完成したか」
「地ならしの最中です。建物はまだありません」
……
ガーランドが伝えた一報により綿密な調査を行った結果、これだけの情報が集まってきた。
ソビエト沿岸部から中国にかけての航空偵察を行っている最中で、ガーランドの指摘は正に正鵠を射ていることを裏付けるものであった。
長距離ミサイルの増産配備を下令したはよいが、攻撃目標さえ決められない状況である。
参謀本部も軍需省も、まだ混乱の真っ只中にあった。
ガーランドが見事な敬礼をみせて姿を消した十日後、大きくバンクを繰り返しながら二機のジェット機が厚木に着陸した。
砂漠の狐と異名をとるロンメルが日本の地を踏んだ瞬間である。
参謀総本部に案内されたロンメルは、地図を見るなり、一点を指した。
「ここが一番危ない。敵が行動をおこしてからでは防ぎきれないだろう。だが」
ロンメルは稚内を指していた指をつつーっと左に滑らせる。
「ここも危ない。ソビエトは陸軍国だ。兵と装備を運ぶには鉄道がいる。ここならすべて揃っている」
「ウラジオですか……。今村さん、二面作戦の可能性を念頭に入れねばならんようですな。それについて対案がありますかな?」
井上は陸軍長官をうかがった。
陸軍長官、今村 均。温厚、理知的。決して過度の要求をしない男である。ともすれば気合いにたよりがちな敢闘精神を、論理的な方法に切り替えた男でもある。軍人というより教育者にちかいその男は、井上の言葉に眉を寄せた。
「稚内を中心に、東西に部隊を配置しました。上陸に適した海岸に重点をおいてです。しかし、敵の規模が予想できません。最悪の事態を考えると、旭川以北に敵が侵入すると想定しております。住民の避難は半ばですが、あと三日でなんとか。海軍はいかがですか?」
「択捉島に空母『くまたか』と、『おおたか』を配置しました。駆逐艦と魚雷艇は浜頓別に移動させます。三日前にサイパンから空母部隊が戻って補給しています。これは朝鮮に移動させます」
「その朝鮮だが、陸軍はどう対処するね?」
「牛島の第5軍を投入します。朝鮮人が自国を守ることに賭けます」
参謀総長の問いかけに今村が答えたのだが、少し歯切れが悪い。というのは、牛島の率いる第五軍はほとんどが朝鮮出身者で、たえず不平を漏らす者が多かったからである。
「失礼だが、私が清津に行こう。大陸のほうが戦いやすい」
黙って成り行きをうかがっていたロンメルが自信ありげに言った。
「いや、あなたはお客さんです。戦闘に加わって怪我でもされたら国際問題になります。そんなご心配は無用に願いたい」
参謀総長は驚いてやんわりと申し出を断った。なぜそんな態度に出るのか、訝しげであったロンメルは鞄から封書を取り出し、あらためて自己紹介をした。
「チャーチル首相の命により、遣日機甲師団司令官、エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル、ただいま着任しました」
「け、遣日機甲師団ですと?」
三人の首脳は思わず顔を見合わせた。
「少しでも恩を売っておかねば戦後処理で不利になる。チャーチルがそう言っていました。トルコ駐留部隊に即刻移動を命じましたので、すでにインドを過ぎたはずです。間に合えばよいのだが」
「なぜそれを先に言わんか! 誰か! 総務に連絡せよ、大至急だ!」
「私も協力を命じられました。ただし、日本の飛行機を借用せよとのことでした。ロンメルを支援したいと考えますのでよろしくお願いします。それと、できれば岩本君をお借りしたい」
ガーランドも真っ白な封書を取り出し、意外な注文をつけた。
「岩本を?」
「わが航空隊長に岩本君をあてます。私はその指揮下に入ります」
「馬鹿を言わないでください。岩本は特務少尉です、隊長などとんでもない」
「いや、そこをぜひ」
ベーリング海の潜水艦から大型機多数飛来の情報が寄せられた数日後、ウラジオに大型機が集結していることが偵察機によって報告された。同じ日、カムチャッカを西へむかう大編隊が確認され、樺太でも大小おびただしい船が岸伝いに集まっていた。
もういつ侵攻があってもおかしくない状況になったのだが、通信を傍受している者が妙なことに気づいた。それは、出発前の無線チェックである。呼び出し符号の数を聞いていれば敵の規模が予測できるのである。些細なことにみえて、とても重要なことであった。
そうして四月が無事に終わった。いつくるかジリジリしながら待つというのはとても苦痛である。皆が苛々し始めた四日。それも午前二時。
カムチャッカの方面で急に多数の交信が傍受された。
「各部署に警報を出せ。特に、国境を越えるまでは攻撃してはならんと伝えよ」
参謀総長は、うっそりと呟いた。
「ソビエトがどう出るかですな。不可侵条約はまだ破棄されていませんからなあ。もし出てきたら作戦通り?」
緊張をほぐすためか、今村が妙に間延びした話し方をした。
「情け無用! 約束を守らんやつは人ではない」
吐き捨てるように参謀総長が続けた。
「占守島より入電。敵大編隊、南に向かう。夜明け前にて追撃不能」
伝令が駆け込んできた。
「黎明を狙っているようですな。なに、すでにわが国の領空を飛んでいるのだから撃墜するのは当たり前でしょう。伝令、『くまたか』に邀撃命令。遠慮はいらんと付け加えろ」
アメリカ陸軍最新型長距離爆撃機、B―29。
アメリカ航空兵は日本の飛行機を知らない。そればかりか、日本人を蔑視しているので日本人に飛行機が作れるとも、操縦できるとも信じていない。しかし、イギリスと同盟を結んでいる関係でスピット程度は保有していると予想している。だから、初期のスピットではあがれない高度を飛ぶ以上、安全だと安心していた。
三時間ほど飛び、航空図に書かれた地点で爆弾をばら撒き、強い追い風にのって帰るだけの単調な任務である。いくら与圧され、暖房が効いているといっても、肌を刺す冷気が満ちている。今のうちにスープで温まろう。誰の思いも似たようなものである。
と、機の左側から得体のしれない物がツツーッと隊長機の方に走った。
「何だ?」
思う間もなく、隊長機の直前でそれが爆発した。
その爆炎に突っ込んだ隊長機は、機首に大穴が明き、すさまじい炎に炙られている。
操縦士を失った隊長機は、急激に機首を天に向け、そのまま沈み始めた。
十字架のようになった隊長機に二番機が右の翼をぶつけ、錐揉みを始めた。
何がおこったのかさっぱりわからない。しかし、わかったとして何ができるのだろう。密集して飛んでいるから右へも左へも舵を切れないし、減速すれば後ろからぶつけられる。せいぜいできて降下くらいしかない。しかしまだ編隊は崩れていない。自分だけが回避操作をしたら基地でどんな処分を受けるやら。第二悌団の三番機は混乱していた。
空母『松』艦載機は暁闇の空に飛び立ち、敵想定進路を遡上しながら限度一杯まで高度をとっていた。やがて登る朝日を背にして襲撃できるよう、大きく東側を迂回していた。
遠くかすかな煌きをみとめ注意して近づくと、三つの悌団に分かれた爆撃機編隊が悠々と飛んでいた。じりじりと攻撃位置に占位して、隊長が敵戦闘機めがけて初弾を発射した。
発射から爆発までの時限調定は五秒。初弾命中といくか外れるか、運命の分かれ道である。
敵仮想位置に向けて発射されたのは、榴弾である。命中しなければ無駄弾になることを恐れ、威力は小さくても効果が高い榴弾が搭載されていた。各機六発、合計九十発のミサイルがある。また、榴弾であれば外れ弾であっても被害を与えられるだろうし、あわよくば一発で複数機を撃墜できるかもしれないという胸算用もあった。さすがに一撃で何機も撃墜できるなどと甘い考えをもつ者などいない。しかし、一撃必殺の心意気で次々に巨大な敵を屠っていた。
どす黒い煙の尾を引いて海面めがけて突っ込んでゆく機体があれば、当たり所が悪かったのか、一瞬で爆発する機体もあった。片翼をもぎ取られて独楽のように回転するものも、着弾のショックで車輪が落下し、急激に速度と高度を失う機体もあった。
大型爆撃機にとって阿鼻叫喚の空域になったのである。
離陸時には五十機以上いたのが、空戦開始わずか十分で半数以下になっていた。
樺太からも多くの爆撃機が飛び上がった。一旦北に進路をとり、高度を上げながらカムチャッカからの編隊を待つつもりであろう。しかし、離陸したのは爆撃機だけで、ただの一機も戦闘機が含まれていない。それこそがアメリカの台所事情であろう。
少なくとも太平洋における空母運用に尻込みしているのである。航空隊を全滅させられたのとは違い、空母ごと、艦隊ごと消息を絶つ事件が続いた結果である。
空母がなければ戦闘機の随伴など夢のまた夢。太平洋を越えることは長距離爆撃機をもってしても容易ではないのである。
しかし、樺太へ前進してきた爆撃機隊もまた日本の技術を侮っていた。
仮に邀撃機が現れても、密集した編隊が繰り出す射線をかわすことはできないとふんでいた。それに、爆撃機と同じ高度まで上昇することも、爆撃機を追いかけることもできないと思っていた。だから悠々たるものである。そんなつまらないことよりも、実質的にソビエト軍の上陸支援になってしまうことが不満であった。
大きく旋回しながら高度をとり、カムチャッカからの編隊との会合地点で待つことしばし、無残な姿でかろうじて逃げてきた編隊を見て、ただならぬものを感じた。
樺太東方沖で集合した爆撃機隊は、徐々に降下しながら爆撃コースにのった。
グワングワンと同調したエンジンの唸りが耳を聾する中、照準機の中で地上の景色が流れてゆく。数瞬後にはすべての生き物が死に絶え、新たな造山活動が再現されるのである。今はただ、爆撃開始合図を待つばかりであった。しかし、その照準機はただならぬ物体を捉えていた。地上から打ち上げられるそれは、煙の尾を引いてまっしぐらに上昇してくる。それが高射砲弾でないことは容易に想像がつく。なぜならそれは、砲弾にしてはゆっくりとした速度で駆け上がってくるからである。しかも悪いことに、それは編隊との衝突コースにのっている。
回避しようにも密集体型にある以上動きようがなかった。しかも、高射砲のように散発的に打ち上げられるのではなく、あたかも機銃か、でなければ歩兵による一斉射撃にも似た密度であった。
歩兵一人ひとりが放つミサイルは、目標を統制されていないぶん上空で錯綜し、煙の帯で機を織っているような光景を描き出した。
一機に数発命中することもあれば、尾を消して落下するものもある。かと思えば、上空に大きな傘を開くものもあった。
いかに多数の飛行機であろうと、歩兵の数から較べれば微々たるものである。
弾扉の中に被弾した機などは、一瞬にして巨体を消し去った。
上空の趨勢が決まると、歩兵にとって大事なのは落下物から身を守ることである。
方々に作られた退避壕に飛び込み、タバコでも吸っていればよかった。
樺太では、対岸の上空で爆撃隊が被害を受けているのを見て出港を逡巡していた。下手に出れば甚大な被害を被るかもしれない。無理な攻撃は避けて様子をみたいというのが司令官の本音であった。しかし、スターリンにそんなことは通用しない。予定通りに実行せねばシベリアでの重労働か、最悪の場合銃殺になる可能性もある。泣きたい気持ちをおくびにも出さず、司令官は出港を命じた。
そして船団が日本の領海に入った瞬間、ソビエトは一方的に約束を破る国と後世まで後ろ指を指されることになってしまった。儀に背く行為は武士の忌み嫌うことである。哀れみも同情も必要なく、闘争心をむき出してよい相手となったのである。
ソビエト軍越境の一報が発せられたと同時に、竹島付近で遊弋していた空母『松』と『梅』から一斉に攻撃隊が発進していった。目指すはナホトカ、ウラジオの軍事拠点である。そして、ロンメルはすでに清津を進発し、羅津に達していた。
ロンメルが率いるのは四十両の突撃砲である。脆弱な車体ではあるが、十分な機動力を発揮することをロンメルは高く評価していた。それに、空からガーランドが守ってくれている。それに、日本軍によって取り付けられたミサイルがとても気に入っている。
戦車砲より細い弾体を見て不安を漏らしたロンメルに、
「これは対艦弾です。海の戦いは距離があります。なんせ、敵艦の射程外から攻撃するための兵器ですよ。五キロやそこらならまっすぐ飛んでくれます。それに弾頭がいい。どうかすりゃあ、十センチくらいの鉄板だって穴をあけてしまいますからね。歩兵を倒すにはこっちの黄色を使ってください、榴弾です」
兵器員が自慢げにそう言った。
懸念を払うために行われた試射では、五キロ離れた目標をものの見事にぶち抜いた。それをまのあたりにした突撃砲同士で奪い合いになるほどで、どの車両も通常弾を降ろしてまで余分に積み込もうとさえした。
こんな秘密兵器をあけすけに見せ、無用心にも使わせる日本人とは……。
「チャーチルが肩入れするのは無理ないか」
天蓋から身を乗り出して遥か前方に沸き起こる土煙を注視しながら、ロンメルは無性に笑えてならなかった。
図們江の川幅が狭い場所を渡河するために、中国領を突っ切るだろうとの読み通り、阿吾地を選んだのであろう。さて山道を選ぶか、それとも平坦な海沿いを選ぶか。
山の中腹で見下ろすロンメルに気づくソビエト戦車はない。背が低いうえに迷彩が施してある。その天蓋に腰まで出したロンメルが鷹のように鋭い視線を向けているなど、誰も予想していまい。
侵攻してきたソビエト戦車は、躊躇することなく山道に突っ込んだ。ロンメルが観察している所にまでキュルキュルという音を響かせている。
「皆、よく聞け。敵戦車は山道を選んだ。三番隊は隘路を出た戦車を狙え。なるべくエンジンを狙え。無理なら履帯の間だ。まだ続々と侵入してくる、無駄弾は撃つな。二番隊は現在地を確保。海沿いに出すな。できれば平地に追いやれ。本隊は後続を狙う。三番隊の攻撃に合せるので合図せよ。決して敵の射程内に近づくな。以上だ」
ロンメルは無線を切って左右を見た。彼が率いる本隊20両がずらっと並んでいる。
胸ポケットからタバコを取り出し、旨そうに吸うのを部下に見せ、お前たちも今のうちに吸えと手真似で勧め、一服吸ったものを砲塔の中へ渡した。
敵先頭車が隘路を抜けるにはまだ少し時間がかかりそうである。
ガーランドは蟻の行列のように戦車が図們江を渡ってゆくのを眺めていた。敵を刺激しないよう視界いっぱいのところを、二百ノットという低速で飛んでいる。強い後退翼は速度向上には有効だが、揚力を得にくいという欠点がある。それを補ってくれたのが主翼の揚力調整機構である。今はそれを最も揚力を得られるようにして飛んでいる。
仮橋を渡った戦車はそのまま直進し、街道の分かれ目をなおも直進した。そのまま街道は会寧を経て清津に至る。反撃にあっても中国へ逃げ込むには好都合である。とはいえ、なだらかな丘陵地ばかりではなさそうである。
戦車が進む山道は、右に左に曲がりながらやがて少し狭くなった部分がある。そこを抜けたやつを無力化し、出口を塞いだのを合図に一斉攻撃をするというのが、ロンメルの説明であった。ガーランドには、山道への入り口を塞ぐよう指示が出ていた。山道に閉じ込めた戦車は脅威にならない。渡河している最中のや、仮橋でもあればそれを破壊するようにも指示されている。
何度目かの旋回で図們江の上に達した時、先頭を行く岩本機が激しくバンクして速度を落とした。そして、ガーランドを向いて山道の出口に立ち上る黒煙を指した。
こくりと小さく頷き、ガーランドは僚機とともに山道への入り口にむかった。
岩本は、次の分隊に仮橋の攻撃を、残った分隊には上陸した戦車の中央部への攻撃を指示した。そして、単機でソビエト領に突入した。
ソビエト軍はまだ続々とやってくる。その街道沿いをばかに長い貨物列車が走っていた。
無蓋車にはびっしりとドラム缶が、木箱が、麻袋が積み込まれている。扉を開けた有蓋車にも多くの兵士が詰め込まれていた。
はるか後方で線路すれすれまで降下した岩本は、パパッ、パパッと短い連射をあびせて列車を炎上させ、再び高度をとって奥地をめざした。
派手な戦闘は捨てがたい魅力があるが、補給物資を奪うことが勝敗の分かれ目。
入隊以来叩き込まれた教訓が岩本を地味な行動にかりたてている。
彼もまた、まごうことなき日本海軍の軍人であった。




