大食らいのベルセルケル
この世界には魔獣と呼ばれる存在がいる。
森や海といった場所から溢れ出る魔力を取り込んで、独自の進化を遂げた獣のことだ。
大抵は凶暴である彼らは、人にとっては天敵と言っても過言ではない。
しかし、そうした魔獣たちを狩ることを生業としている者もいる。
かくいう俺もその一人だ。
ちょっとした成り行きで、森の中の湖に潜むという魔獣の退治を請け負ってからはや三日。
件の魔獣はまだ見つからず、今日もまた夕方を迎えようとしていた。
獲物を見つけるのに時間はかかるもの、と思っている俺はともかくとして、相棒の方の機嫌が悪くなり始めていた。
「……いつになったら見つかるですか、その竜蛇とやらは」
隣を歩いているローナが、ぽつりとそんな言葉を漏らす。
子供のように小柄な女ではあるが、これでも俺より年上……だったはずだ。確か。
結構な美人なのだが、種族柄、日が出ているときはフードとローブで肌を晒さないようにしている。
「そうカリカリするなよ。湖沿いを探してればいつか見つかるって」
「それで探し始めてどれくらい経っていると思ってるんです!? 三日ですよ、三日!」
竜蛇は、基本的に湖や沼地などに潜む大型の魔獣だ。
でかいだけならともかく、生まれ持った毒でもって周囲の動物に害を与えるとんでもない奴なのである。
ともかく、生息地の近くであるここらに張っていれば見つけられる。
宥めようとしてかけた言葉は、むしろ彼女を怒らせてしまったようだった。
ぎろり、と俺を見上げて彼女は言う。
「そもそも件の魔獣には討伐隊が派遣されるはずだと、あの女将さんも言っていたでしょう! あんまりのんびりしていると先を越されますよ!」
「そうは言っても、なぁ。腹が減っては戦はできないだろう」
「だからって、目標以外の魔獣狩りにうつつを抜かす阿呆がどこにいますか……!」
どこにいるかと聞かれたら、お前の目の前にいる、と答えるしかない。
……いや、仕方ないだろう。久しぶりの大物なのだから、しっかりと腹の調子を整えておかなければ。
とは言え、それを真っ正直に言ったらまた彼女の怒りに油を注ぐだけというのはいくら俺でもわかることである。
さてどう落ち着かせたものか、と彼女を見下ろしていると。
「……ん」
ぴくり、と小さく身を震わせ、ローナが辺りの様子をうかがい始めた。
彼女は耳がいい。
こういう挙動を見せたときは、なんらかの異常を察知している時に他ならない。
弛んでいた気持ちを引き締めながらも、俺は彼女に囁いた。
「魔獣か?」
「……わからない。けど、不自然な物音。複数いる……?」
断片的な報告をしてくるローナ。
おそらくその意識は異音の主に向けられているのだろう。
「その物音、どっちからする?」
「あっち」
と、ローナは迷う事なく俺の背後を指差した。
どうやら進行方向に何かいるらしい。
「わかった。俺が先に行く。後からついてきてくれ」
「……気をつけて」
声をかけてから、俺は音がするらしい方向へと歩みを進めた。
ずんずんと進んでいくうちに、俺の耳にもたしかに物音が聞こえているらしい。
いや、物音というより、これは。
「……人の声だな」
「ですね。しかもかなり多い」
囁き交わしてから再び前進。
とはいえ、さっきよりは肩の力が抜けているのも事実だ。
何者かは知らないが、少なくとも自分とは同じ人間らしい。
まぁ、なんとかなるだろう。
だんだんと近づいてくる音源に、俺は気兼ねすることなく近づいた。
「……あ、ロヴァル。出るときは少し気を使って」
などとローナが口にしていたがもう遅い。
俺は茂みから出て、その声の正体に立ち会っていた。
小綺麗な鎧を身に纏った男たちだ。
騎士団か何かだろうか。
などと思っていると、その内の一人が俺を見た。
その途端、その男が悲鳴を上げる。
「ま、魔獣が出たぞぉぉぉぉっ!」
……いくらなんでも、それは失礼じゃなかろうか。
***
菓子に群がる蟻のごとく集まってきた鎧の一団の誤解を解くのに、少なからず時間を使ってしまった。
おかげですっかり日が暮れている。
「申し訳ない。私の部下が無礼をしてしまったようだ」
と、頭を下げてくれたのは彼らのリーダー格であるらしい小柄な騎士。
名前をエドヴァルドというらしい。
やたらと整った顔だちが印象的だ。たぶん女性にもてるのだろう。
「おかまいなく。声かけもせずに顔を出したこの木偶の坊が悪いです」
俺よりも早く、傍らのローナが言った。
木偶の坊とは失礼な話だ。まぁ、確かに常人よりは背が高い自覚はあるが。
それでも巨人族の子供よりは小さいのだから、俺もまだまだである。
ローナの辛辣な物言いに苦笑しつつも、エドヴァルドさんは俺を見上げた。
「それで……ええと、あなた方はいったい? この森は昨日から一般人の立ち居入りが禁止されていたはずですが」
彼の言葉に、思わず俺はローナと顔を見合わせた。
どうやら、彼らが件の討伐隊だったらしい。
「ええと、俺は……じゃない、私はロヴァル。魔獣狩人です。で、こっちがローナ。私の連れで」
「どうも」
揃って一礼する俺たちを、驚いたようにエドヴァルドさんは見つめた。
「魔獣狩人? ああ、もしかして村で依頼を受けていた方ですか! 話は聞いております。まさかご無事だとは」
「……と言いますと」
「依頼を受けてくれた旅人が、三日経っても帰ってこないという知らせを村の者から聞いていたのです。予定より早く討伐隊が来たのもそのためでして」
「は、はぁ。そうでしたか。それはご心配を……」
思わず顔が引きつってしまう。
こういう生業をしている以上、魔獣のいる環境で生き延びるのはそう難しいことではない。
が、普通の人間にはそれができないということをすっかり忘れていた。
戻ったら女将さんに謝っておかなければなぁ。
そんな俺に不思議そうな視線を投げかけ、エドヴァルドさんは口を開く。
「しかし、魔獣の住む森で三日も過ごされるとは。何をしていらしたんです?」
「いえ、魔獣退治に向けて英気を養っていたところで」
「はぁ……?」
怪訝そうに首を傾げるエドヴァルドさん。
ああ、これだと通じないか。
どう言ったものかと悩んでいると、傍らのローナが口を挟んできた。
「どうでしょう、騎士様。我らにも討伐隊のお手伝いをさせていただけませんか」
唐突なその言葉に、面食らったようにエドヴァルドさんは視線を彼女へと移した。
ついでに俺もである。
思わず彼女をつついて囁く。
「おいおい、何を言い出すんだローナ。彼らに協力したら俺の取り分が」
「黙ってなさいロヴァル。彼らは竜蛇を討伐しにきただけでしょう? その後は私達が何をしようと気にしないはずです」
そう返されて俺は口を噤んだ。
正直な話、細かい事は彼女に任せておいた方が上手く回る。
彼女は再び目の前の騎士へと向き直ると、交渉を再開した。
「我らも魔獣退治を任された身。何もせずに森を出るというのは、依頼主に申し訳が立たないのです」
「う、む……お気持ちはわかりますが」
「特にこの男は腕に自信があります。必ずや討伐のお役に立てるかと」
エドヴァルドさんが値踏みをするような目で俺を見た。
よくもまぁローナは口が動くものだ。感心してしまう。
とはいえ、腕に自信があるのは間違いない。そうでなければ魔獣退治など生業にしないのだから。
自分を少しでも売り込もうと口を開いたその時だ。
「腕に自信がある、ねぇ。自信があっても実力が伴ってなきゃどうしようもねぇぜ」
粗野な男の声が後ろから響いた。
振り向いてみると、軽装の鎧を身につけた男がこちらに向かってきている。
いかにもけんかっ早そうな風貌の持ち主だった
「……口を慎め、ヤン。無礼だぞ」
咎めるように、後ろのエドヴァルドさんがその男へと声をかけた。
その言葉遣いから察するに、彼の部下の一人らしい。
ヤンと呼ばれた男は小さく肩をすくめてみせた。
「へいへい、申し訳ありません。それはそうと、この辺の巡回が終わったぜ」
「そうか。どうだった?」
「危険性はなし。というか、まるで魔獣がいねぇから逆に拍子抜けしちまったよ」
なんだかなぁと呟いてから、ヤンはこちらに視線を向けた。
その目には、過分に挑発的な光が込められているように思える。
「で? なんだよそのでか物は。協力するだのなんだのとか話してたけど」
「……魔獣狩人のロヴァル殿とローナ殿だ。我々がこの森へ入る前に魔獣退治の依頼を引き受けていた」
「あぁ、あの飯屋の女将が言ってた連中か。本当に頼りになるのかよそんなの」
なるほど無礼な物言いをする男だ。
一応は彼も騎士であるはずなのだが、受ける印象は無頼の傭兵に近い。
まぁ、大口を叩くだけの実力があるのだろう。
などと考えていると。
「ええもちろん。少なくともあなたよりは腕が立つと思いますよ。こいつは」
ローナが言った。
……いや、なんでお前は喧嘩を買っているんだ。
それを聞いたヤンの眉が吊り上がる。
「ほう? 面白いこと言うじゃねぇか。本気かおい」
「えぇもちろん。なんなら試してみてはいかがです?」
「……おい、ローナ」
彼を挑発し始めるローナに、思わず声をかける。
このままの流れだと、俺はこの男と戦うことになりそうだ。
なんというか、あまり歓迎できる事態ではない。
個人的には、戦う相手は丁重に選びたいのだ。
が、ローナはそんな俺を睨んでくる。
「なんですか、こんな時に」
「あのな、俺が戦うのは魔獣だけだって。いつもそう言ってるだろ」
「何を情けない……あそこまで喧嘩をしたがっているのです。買ってやらないで何が男ですか」
「そういうことじゃなくてさ」
「受けて立ってやりなさい。そして彼奴の得物をへし折ってやるのです!」
「……ああ、はいはい。そういうことね」
俺は諦めて彼女の提案を受け入れた。
彼女が何を目論んでいるかがわかったのだ。
こうなったときのローナはえらく強情なのである。
「おい、なにこそこそやってやがんだ!? 怖じ気づいたのか!?」
「ああ失敬。そう言われてはこちらも武を示さないと失礼ですな」
頭に血が上っているらしい眼前の男に、俺は落ち着いてそう言い放ってやる。
男の顔がさらに険しくなった。
そんな男は気にする様子もなく、ローナはエドヴァルドさんへと提案をした。
「騎士様。腕試しとして模擬戦をさせていただいても?」
振り向いてみると、彼はひどく渋い顔をしていた。
が、ややあってからゆっくりと頷いて見せたのだった。
***
夕闇の中、いくつもの灯りがつけられ、他の騎士たちが囲むその中で。
俺とヤンは向かい合って試合の始まりを待っていた。
「……おい、お前。武具はつけないのか」
「ええ。これで充分」
そう言ってから胸を叩いてみせる。
ヤンの方はといえば、何とも言えない表情でこちらを睨みつけていた。
まぁ、わからなくもない。
軽装とはいえ鎧をつけ、剣を腰に下げている彼とは違い、俺は丸腰だ。
というより、剣はもちろん鎧さえ身につけていない。着ているものといえば単なる革製の服である。
とはいえこの服、魔獣の皮から作られているので見た目よりは丈夫なのだ。いちいち説明するつもりはないが。
「……舐められたもんだ」
苦々しげにヤンが呟くのが聞こえた。
気にする事なく準備運動をしていると、エドヴァルドさんが心配そうに近寄ってきた。
「その……ロヴァル殿。そのままで大丈夫ですか? ヤンはああ見えても我が討伐隊では一番の腕利きで」
「お気遣い感謝いたします。ですが問題ありません。これが私の常ですので」
丁重にそう返すと、複雑な表情を浮かべながらも彼は引き下がった。
うーん、やはりこのなりは人には頼りなく見えるのか。
「えー、それではこれより模擬戦を開始する! 両者、準備はいいか!」
「おう!」
「問題ありません」
ちょうど俺とヤンの間に立って、エドヴァルドさんが声を張り上げる。
俺たちはそれぞれに、その問いかけに応えた。
その様子を見たエドヴァルドさんは頷くと、後方へと一歩さがった。
「では……はじめっ!」
その号令と共に、ヤンが駆けた。
いつの間にか引き抜いた剣を手に、こちらへまっすぐに接近してくる。
ははぁ、なるほど。一気に勝負をつけてくる算段か。
俺はといえば、ほんの少しだけ体を動かし、彼の攻撃を受け止める構えをしてみせただけだ。
「……おぉぉぉぉっ!」
気合い一閃。
間合いに入るや否や、ヤンは剣を振りかぶった。
俺は動かない。
誰かが息をのむ音が聞こえた気がする。
剣が俺の脇腹目がけ振り抜かれた。
鈍い音がした。
ヤンの目が、信じられないものを見るかのように見開かれる。
まぁ、それはそうだろう。
俺の肉体を切り裂くはずだったその剣が、逆にその刃をひしゃげさせているのだから。
彼の攻撃が終わったようなので、今度はこちらの番である。
無造作に、俺は彼の腕をひっつかんだ。
一瞬だけ彼の体が強張る。
ほんの少しだけ辺りを見回した俺は、ちょうどいいところに生えていた木を見つけた。
そこで。
「う……お、おい、冗談だろっ」
「ふんっ!」
「うおぉぉぉっ!?」
その木を目がけ、彼を放り投げた。
悲鳴が遠ざかっていく。
目の上に手のひらを当て、俺は彼の行く末を見守った。
……うん、目論見通り木の枝に引っかかったようだ。
「……さて。こんなものでどうでしょうかね、エドヴァルドさん」
「え? あ、ああ」
呆気にとられていたらしい討伐隊の体調は、惚けたような声を上げる。
ついで、ゆっくりと俺に向けて腕を上げた。
「え、ええと……勝者、ロヴァル!」
その宣言に応えるものは、ローナの拍手だけだった。
他はと言えば、驚き呆れたように俺を見ているだけである。
……ここまで注目を浴びたのは、生まれて初めてかもしれない。
***
模擬戦の結果、俺たちが討伐隊に参加することに異議を唱えるものは一人としていなかった。
あの生意気な口を聞いていたヤンも、むっすりと黙り込んでいる。
まぁ、彼に関しては木から降ろす時にいろいろあったのでそれを根に持っているのかもしれない。
「……あの木を蹴り倒すとか。どんな体してんだよ、あんたはよ」
文句とも恐れともつかない口調で、ヤンは問いかけてきた。
ちょっとしたいたずら心で木の枝に引っ掛けてやったのはいいが、場所が悪かった。
俺の腕も届かない場所だったので、仕方なく引っ掛けた木を蹴って落とそうとしたのである。
が、力加減を間違えたせいでその木ごと叩き折ってしまったのだ。
反省しきりである。
「す、すみません。ちょいと力を入れすぎてしまって」
「力を入れすぎたって、あんたなぁ……まぁいい。くそ、剣がおしゃかになっちまったよ」
「……申し訳ない」
「いいよ、俺が未熟だったせいだ。あと言葉遣いは楽にしてくれ。あんたが勝ったんだからな」
「…………わかった。いずれにしてもすまない、ヤン」
いいよもう、と苦笑して、ヤンは手をあげた。
その顔はひどくさっぱりしていた。
「あんたみたいのがいるとはなぁ。俺も調子に乗ってたってことか。……にしても、この剣はどうすっかなぁ」
と、彼は手に持った剣を見下ろした。
その刃は潰れ、歪んでしまっており、もう実戦で使う事はできないだろう。
それとなく頼まれていたこととはいえ、少々心が痛む。
申し訳なさでいっぱいになっていた俺の後ろから、弾んだ声がかけられた。
ローナである。
「おやおや騎士様。新しい武器がご入用ではないですか」
「んあ、ロヴァルの旦那の連れか。そうだな、どっかで調達しねぇと」
唸るヤンの前で、彼女は含み笑いを漏らした。
懐から一枚の布を取り出すと地面に敷く。
そして。
「よろしければご提供いたしましょう。ほら、ご覧あれ!」
と、懐から取り出した武具を次々に並べ始めた。
その様子をヤンは驚いたように見ている。
……ああ、あれは初めて見ると不思議だろう。
彼女はいつも懐に魔法の収納袋を忍ばせている。
なんでも一族秘伝のものとかで、俺は彼女がそれを肌から離したところを見た事がない。
そして彼女はその袋の中に、自作の武具を入れて持ち歩いているのだ。
そう、ローナは鍛冶屋なのである。
その武具に見入っていたヤンの他にも、近くを通りかかっていた騎士たちがぞろぞろと覗き込んできた。
うむ、彼女の思惑通り盛況している。
「……なかなかの上物に見えるけどよ、これ、誰が作ったもんだ?」
「あたしです」
ローナの言葉に、ヤンが驚いたように顔を上げた。
騎士たちの視線が集まる中、彼女はフードをとってみせる。
灯りに照らされ、彼女の素顔があらわになった。
尖った耳、銀色の髪、そして何より褐色の肌。
あどけなさが残るものの、目を惹くには充分な美貌の持ち主だ。
それを見た騎士たちが小さくざわめく。が、それはその顔立ちに対するものではない。
「あ、あんた……闇小人だったのか!?」
「いかにも」
驚きを隠せない様子のヤンに、ローナは笑みを浮かべてみせた。
闇小人。
本来は洞窟などに潜む亜人族で、細工や鍛冶に優れていることで知られる。
小柄で褐色の肌、というのが特徴だ。
とはいえ普通の人間で彼らを目にする機会のある者はそうそういない。
というのも、彼らは日光を嫌うからだ。
なんでも肌に触れると体が石になるとかなんとかで、多くの闇小人たちは洞窟の中で一生を過ごす。
ローナが日中肌を晒さないのもそのためだ。
「これらはすべてあたし手製の武具です。質のほどは保証いたしますよ」
その言葉を聞いて、騎士たちの中から小さく歓声が上がった。
彼らにとって闇小人特製の武具を見る機会というのはほとんどない。
市場への流通が少ないので、高価になりがちなのである。
ヤンもまた品定めをしながら武具を見渡し、ある片手剣を手に取った。
「これなんか、いい出来だよな……けどよ、やっぱり高いだろ?」
「ふむ。騎士様、今は財布にいかほど入っておられますか」
「ええ……と。金貨が二、三枚だな……」
食事をするには充分だが、闇小人製の武具を買うにはまるで足りない。
もっとも、それは市場に出回っているものに限る。
ローナは頷くと、彼に向かって手を出した。
「よろしい。財布の中身全てでその剣をお売りいたしましょう」
「い、いいのかっ!?」
ヤンが叫んだ。
信じられないという感情と予期せぬ幸運に対する喜びが入り交じった声だった。
「もちろんです。そのかわり、大事に使ってくださいね」
「お……おう! もちろんだ!」
闇小人の彼女としては、しっかりと対価さえ得られればそれでいいのだ。
財布からなけなしの金貨を取り出したヤンは、迷う事なくそれを彼女へと支払った。
「さて、皆様方。まだまだ武具はありますよ」
その声を皮切りに、群がっていた騎士たちが動き始めた。
こんな安価で闇小人の武具が得られる機会はそうない。これを逃すわけにはいかないのだろう。
そんな彼らを横目に見ながら、俺は一座から離れ森へと向かう。
「……ん? どこに行くんだい、ロヴァルの旦那」
声をかけてきたヤンに振り向いて、答える。
「晩飯の調達。なぁに、すぐ戻るさ」
怪訝な顔をしているヤンを放置し、俺はそのまま森の中へと向かうのだった。
***
暗闇の中、気配を隠し俺は獲物を探す。
少しの間彷徨ってから、ついに良さげな相手を見つけた。
猪である。
大の大人より巨大なそいつは、こちらに気が付いた様子もなく鼻を鳴らしている。
その立派な巨躯に、思わず口角が吊り上がった。
これなら夕食に充分だ。
***
ちょっとした運動をこなした後、俺は獲物を担いで陣営へと舞い戻った。
「ん……おわぁ! びっくりした、あんたか!」
見張りに立っていたらしい騎士を、また驚かせてしまったらしい。
叫んだ彼は何か文句でも言おうとしたのか、口を開いて……俺が担いでいるものを見て硬直した。
「……なぁ。あんたが持っているそれはなんだ?」
「ん? あぁ、夕飯代わりにちょっと狩りを。夕飯はもう始まっているのかな?」
「い、いや。今、ちょうど準備が始まったところだと思うが」
彼の言葉を聞いて、思わず顔がほころんだ。
なんてちょうどいい時間に戻ってこれたのだろう、俺は!
感覚を研ぎすましてみると、ほんのりといい香りが漂ってきている。
「よし! これもついでに調理してもらうとしよう」
なぜか呆然としている見張りを置いて、俺は香りの元であろう場所へ歩を進めるのだった。
調理場に顔を出した途端、悲鳴を上げられた。俺が何をしたというのだ。
***
「いやはや……あなたが、これを?」
待望の夕飯の時間。
並べられた大猪の丸焼きを見て、エドヴァルドさんは驚いたように呟いた。
「ええ! ああ、あなたのところの調理師はいい腕をしていらっしゃる。これは英気を養うに充分でしょう!」
「……英気を養うとはそういうことでしたか。これ、魔獣ですよね?」
何故か確認してくるエドヴァルドさんに、俺は満面の笑みで持って答えた。
魔獣狩人が魔獣以外を狩ってどうするというのだ。
彼の隣に座ったヤンが、呆れたようにこちらを見てくる。
「……もしかしてとは思うが。この辺に魔獣がいなかったの、あんたのせいじゃなかろうな」
「もしかしてもなにも、こいつのせいです」
彼の問いに答えたのは俺ではなくローナである。
呆れたように、彼女は俺を見上げる。
「そもそも魔獣退治に時間がかかったのもそれが原因でして。なんで魔獣を退治するために他の魔獣を狩らなくてはいけないんだか」
「準備を万全にするためだと、何度も言ったじゃないか」
「人に頼まれたことは手早くこなすものだと、何度言ったらわかるんです」
じろりと半眼でローナが睨んでくる。
ふぅむ、この議論に関しては未だ決着が見えないようだ。
困っていると、苦笑しながらもエドヴァルドさんが間に入ってくれた。
「まぁまぁ、その辺で。……しかし魔獣を食べるというのは、私も初めての経験ですね」
平然と言う。
俺にとっては信じられないことである。
「それはもったいない。そんなことだからエドヴァルドさんも背が伸びなかったのでしょう」
「な……し、身長は関係ないでしょう!?」
「ああすいません騎士様。こいつ、食べたものが体格に直結すると考えているのです」
なぜか取り乱すエドヴァルドさんに、ローナが言う。
といっても彼女の言葉は正確ではない。
思わず彼女に向けて小言を言う。
「巨大なものを食えば巨大に、強いものを食えば強くなるのは自明の理だろう? それを無視して魔獣を打ち捨てているのでは、そうなるのも仕方がない。お前だってそうだったろうに」
「……まぁ、確かに背は伸びましたけど」
「え、本当に!?」
驚いたように尋ねるエドヴァルドさんに、ローナは小さく頷いた。
こう言ってはなんだが、ローナも俺と旅をするようになってずいぶんと成長したのだ。肉体的に。
闇小人の中でも長身と言ってもいいのではないだろうか。
ついでにいうと、太陽の光に対する耐性も、他の闇小人よりは強まってきている……らしい。これは本人が言っているだけなので俺にはわからない。
いずれにせよ、食べるものは自身の血肉となるということだ。
いい加減に冷めてきそうな料理を見て、口を開く。
「さ、それでは早く夕飯を食べるとしましょう。このままでは冷めてしまう」
議論を打ち切って、俺は早速目の前の魔獣料理へと手を伸ばした。
***
凄まじい咆哮と悲鳴で、俺は目を覚ました。
昨夜、大いに呑んで大いに食べた後。一部の見張りを除き討伐隊は就寝していた。
俺やローナもまた、適当なテントに潜り込んで一眠りしていたのだ。
一息で跳ね起き、外の様子を伺う。
日が昇り始めているのだろう、あたりが若干明るくなり始めている。
そんな中、騎士たちが慌ただしく駆けていくのが見えた。
「……ロヴァル殿!」
駆け寄ってくる人影が一人。
見ると、エドヴァルドさんだった。
「なにかあったんですか!?」
「竜蛇です! 近くの村に向かい始めていたところを巡回隊が発見しました!」
「出たか……!」
思わず笑みがこぼれる。
まさか向こうの方から出てくるとは!
なぜかこっちに怯んでいるエドヴァルドさんは置いておいて、俺は後ろで眠たげなうめきをあげているローナに声を投げかけた。
「来たぞローナ! 獲物だ!」
「うるさいですね聞こえてますよ……ああもう、騎士様? 被害はいかほどで?」
「……伝令によるとすでに数名が傷を負ったと。竜蛇には毒がありますから、早めに決着をつけなくては」
「わかりました。解毒剤を持って後から行きます。……ロヴァル、先に行ってなさいな」
言われるまでもない。
彼女がしっかりと目を覚ましていたことを確認した俺は、全速力で目的の場所へと向かう。
獲物が待つ戦場へ。
***
何人かの騎士を追い抜き、竜蛇のものとおぼしき咆哮を数度耳にした頃。
ようやく俺は目当ての魔獣を視界に入れた。
巨大だ。
一抱えはあろうかという太い胴体に、それに遠目でも全貌を把握できないほどに長い体。
全身を濃紫色の鱗がまるで鎧のように覆っている。
体の側面から等間隔に生えている棘は、己が持つ毒のためか、ぬらりとした輝きを放っていた。
そして竜と呼ぶに相応しいその面構え。
まさに、村の女将から退治の依頼を受けた竜蛇に違いあるまい。
それに立ち向かっているのは、ヤン一人。
他に戦っていたらしい騎士たちはすでに竜蛇に打ち倒されてしまったようだった。
鎧に穴を穿たれ、あるいはひどい咬傷をその身に受けた犠牲者たちが散り散りに転がっている。
と、竜蛇がその牙を剥き、ヤンへと襲いかかった!
「おおおっ!」
しかし彼は臆する事なく、その攻撃を受け流し、反撃を加えて距離をとってみせた。
さすがの手腕だ。
しかし、決定力が足りない。
よく見ると竜蛇の体にはいくつもの傷ができていた。
ヤンによるものなのだろうが……
どれも浅く、致命傷にはいたっていない。
もともと生命力の強い竜蛇にとって、これでは行動の制限にすらならないだろう。
これは彼には荷が重い。
というわけで、代わってもらおう。
「ウォオオオオオオオオッ!!」
何度か聞こえた竜蛇のものに負けぬ程の咆哮をあげる。
睨み合っていた両者の注意がこちらへと向けられた。
……これでヤンが後方に退く余裕ができたというわけだ。
が、咆哮の意味はそれだけではない。
こちらが全力を出すための予備動作でもある。
俺は握りこぶしを固め、竜蛇へと飛びかかった。
心無しか唖然としていたそいつの横っ面を、思いっきり殴り飛ばす!
悲鳴を上げる間もなく、竜蛇の体が横へと吹き飛んでいった。
「ロヴァルの旦那!」
「怪我人を連れてさがっててくれ、ヤン! あれは俺の獲物だっ!」
着地すると同時にヤンに声を投げかける。
彼は一瞬戸惑った様子だったが、すぐに頷いてくれた。
よし。あとは俺があいつを仕留めるだけだ。
殴り飛ばされた竜蛇は、再び鎌首をもたげてこちらを睨みつけていた。
その目には心無しか怒りの火が燃えている気がする。爬虫類の心情など知る由もないが。
「来いよ、でか物。料理してやる!」
そんな挑発を送ってやると、竜蛇が動いた。
その棘の生えた尾を、横薙ぎにこちらに振るってきたのだ。
なるほど、何人かの騎士たちはこれにやられたのだろう。
が、それで俺を仕留められると思っているようでは甘過ぎる!
「ふんっ!」
慌てる事なく、俺はその尾を受け止めた。
棘がある分、実に持ちやすい。
せっかく持ちやすいのだから、相応に扱ってやるとしよう。
離れようとする尾を両腕で抱きとめると、俺は全身に力を入れてそれを引っ張った。
竜蛇は多少の抵抗を見せたが、遅い。
その体が宙へ浮くのに、そこまで時間はかからなかった。
「オオオオオオオオッ!」
振り回す。
振り回す。
ただひたすらに振り回す!
周りの木がへし折れる音がした。
心なし、遠くから小さな悲鳴が聞こえた気もする。
が、そんなことを気にする事なく、俺は竜蛇を風車のごとく振り回しつづける!
「おーい、ロヴァール!」
と、耳に聞こえてきたのはローナの声。
さすがに返事をする余裕はない。
向こうもそれをわかっているのか、用件だけを簡単に告げてきた。
「あまり派手にやりすぎないでくださいねー! あたしの分、とっておくのも忘れずにー!」
……そうだった。すっかり忘れるところだった。
このまま何度か地面に叩き付けてやろうと思った俺は、その声を聞いて冷静になる。
彼女が俺についてきているのは、魔獣から武器の素材となる牙や骨などを採取するためだ。
普段からいろいろと手助けしてくれているのだ。彼女のことも考えてやらねば。
そう考えた俺は、振り回していた竜蛇を人の気配のしない方角へと投げ捨てた。
木々の倒れる音が辺りに響く。
散々に振り回された竜蛇は、満足に動けないようだった。
それを目がけ、俺は走り出す。
今さっき投げ捨てたばかりの尾の上にのり、そのまま奴の体を駆け上がる。
ちょうど首筋のところまで来たとき、俺はそこへ抱きついた。
そして。
全身を使って、その首を締め上げる!
竜蛇が悲鳴を上げた。
なんとか俺を振り落とそうと動こうとしたらしいが、振り回されたのがこたえたのだろう。抵抗が弱い。
それを好機とばかり、俺は一心不乱に竜蛇の首を絞めつづけた。
だんだんと奴の悲鳴がか細くなっていく。
そして。
ぼきり、という鈍い音と共に、竜蛇の体から力が抜けた。
「お……っと」
そのまま倒れいく竜蛇の体から、俺は飛び退る。
見ると奴は白目を剥いて泡を吹いていた。
「……ロヴァル殿!」
後ろからかけられた声に、俺は振り向く。
見ると、エドヴァルドがヤンと騎士たちを引き連れてこちらに向かってくるところだった。
***
さて、件の竜蛇を倒したその後。
負傷していた騎士たちに特製の薬を振る舞ったローナが、獲物を検分していた。
「うーむ……棘、鱗、牙は使えるか。骨は……どうですかねぇ。ロヴァル、もう少し丁寧に仕留められなかったんですか?」
「これでも気を使ったんだけどな」
「……ま、そうですね。じゃあ早速」
彼女は懐から解体用のナイフを取り出すと、意気揚々と竜蛇の死体へと向かっていった。
俺はその後ろであんぐりと口を開けている騎士たちに目を向ける。
「さて、いい時間に獲物を仕留められましたな。早くあいつを捌かないと」
「さば……く? あの、ロヴァル殿。まさかあなた」
「まさかもなにもありません。あいつを朝飯に頂きます」
はぁ、と呆れとも驚きともつかないため息を、エドヴァルドさんはついた。
そして、竜蛇の死体へと目を向ける。
「……あれすらも食卓に並べるのですか。あなたは」
「殺した相手は敬意を持って、その身を自らへと収めるもの。俺は親父殿からそう教わったもので」
そう言ってから、俺もまた竜蛇を見やる。
手早いもので、ローナはすでにおおかたの鱗を剥いでしまったようだった。
「……とんだ狂戦士もいたもんだなぁ」
どこか感心したようなヤンの呟きが、空へと消えていった。