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序章 十輪院仁には余裕がない

作中、他作品の名前が出たり、作者の名前が出たりします。

一応、伏せ字にしましたが、元がわかっても気にしないで下さい。

そういう部分も描写しないとオタク同士の会話にならないので。

あと、結構前に書いたものなので適度に古いです。一年ちょっと前かな?

序章 十輪院仁には余裕がない


 恒河沙学園高等部一年七組、朝のHR。

 教室には思わず冷や汗が吹き出してしまいそうな緊張感が漂っている。

 クラスの中に、今にも引火しそうな爆弾があるかのような――そんな状態だ。 

 しかしながら担任の山浦美保はそんな雰囲気に気付いていないのか、キビキビと必要な伝達事項を伝え続ける。

 グレーのスーツにアンダーフレームの小さな眼鏡と隙のない出で立ち。

 少しハスキーだがよく通る声に、重要な伝達事項はキッチリと板書して伝えていく姿は完璧と評しても良いだろう――チョークを動かす度に、盛大に揺れ動く胸を除いては。

 思春期真っ盛りの男子生徒には視覚的な毒物。

 自分の成長に劣等感を覚える女子生徒には視覚的なプレッシャー。

 それが伝達事項よりも強力に生徒達に伝わってしまう。

 それがこの教室を満たす緊張感の正体――というわけではない。

 原因は教室に響く一つの音にあった。

 カッカカカッカカカカカ……

 一心にノートに何事かを書いている音。それも凄いスピードで。

 もちろん黒板の文字を写しているのではない。その音の数は確実にHRとは関係のない作業を行っていることを告げていた。

「――十輪院くん」

 ついに美保がその音の原因である一人の生徒の名前を呼んだ。

 厳つすぎるその名前を。

「な、何か緊急の仕事でも抱えているんですか?」

 無法なことをしているのは明らかに十輪院と呼ばれた生徒の方なのだが、美保の腰は完全に引けていた。

 十輪院――十輪院仁というのが、その名前だが――は、いきなり立ち上がる。

 学園の制服は選択式で、仁はブレザーを選択。そしてキッチリと首元までネクタイを締めている姿には美保と並んで、固い印象を人に与えていた。

 しかもネクタイ以上に固く結ばれたへの字口に、何かに苦しんでいるかのようにきつく寄せられた眉根と、今にも美保に噛みつきそうな前傾姿勢。

「すいません、先生」

 しかしながら、発せられた言葉は十分に腰が低い。

「部の方での仕事が立て込んでまして、今も――」

 と、告げたタイミングでブレザーの内ポケットが震え出す。その原因である携帯を躊躇することなく取り出した仁は、新たに届いたメールの内容を見て眼を剥いた。そのまま高速で親指を動かすと、憎しみの眼差しと共に決定ボタンを押す。

 そして再び美保に目を向けると、

「――すいません、なんでしたっけ?」

「け、携帯の使用も困ります」

 ますます腰が引けている美保。

 教師の立場にある美保をここまで怯えさせる理由が、仁には確かにあった。

 新学期になってほとんどすぐに、仁が所属しているクラブに興味を覚えた美保が、どういった活動を行っているのかと軽いコミュニケートを試みたところ、仁は立て板に水、の勢いで呪文――あくまで美保主観で――をまくし立てた。

 ちなみに内容は小難しいことを並べ立てているだけで、まったく内実の伴わないものだったが、美保はそれを見抜くことが出来ず、ただ仁に不気味さを感じただけに終わってしまう。

 そのために苦手意識を感じてしまったことが第一。

 そして、もう一つがそのクラブに関することで、仁は「時間開拓部」という名の新興クラブの部長でもあるのだ。このクラブは活動内容がハッキリしないクセにすでに部員数二百人を越え(恒河沙学園はクラブの掛け持ちが可能ではあるのだが)学園内でも一大勢力へと急激な成長を果たしている。

 そんな不可解なクラブの中心に仁は存在しているのだ。

 今も言い訳に活動内容が呪文である「時間開拓部」の名前を出されると、色々な意味で美保の心が折れてしまいそうになる。

 加えて美保は非常に個人的な理由で、仁に弱みを握られていると思いこんでおり、そのせいもあって、ますます仁には強く出ることが出来ない。

「すいません。シメキリ……じゃなくて秋山先輩がかなり理不尽なことを伝えてきたもので、取り乱してしまいました」

 ところが、仁は仁の方で教師という条件を除いても、美保を尊敬していた。

 そのために美保には充分以上に敬意を払っているのだが――

 その時、再び仁の手の中の携帯が震え出す。先ほど仁のメールへの返信だろう。

 もちろん美保もそれは察した。

 ここで、これ以上の暴挙を許すわけにはいかない。

「と、とにかく手を止めてちゃんと連絡事項を聞いてください。作業の音も迷惑になってますよ」

 お互いのすれ違い状況を考えると、なかなかに踏み込んだ注意だ。

 よく頑張りました、と誉めてやっても良いぐらいである。

 これにはさしもの仁も感じるところがあったらしく、震え続ける携帯をそのまま内ポケットにしまい込み「すいませんでした」と殊勝に頭を下げると、大人しく腰を下ろした。

 だがそれも束の間。

 すぐに机の中から単行本を取り出しては、虚空に指先で何かを綴っている。

 美保もこれ以上は無駄だと悟ったのだろう。

 なんとか音が出ないところにまでは、仁の行動を後退させたのを成果と見るべきか。

「……後の連絡事項ですが――」

 この辺りで美保は日和った。

 だがしかし、仁の方は日和ったわけではない。

 最初に書いていたのは中等部二年にまんべんなく出されていた、日本史の宿題に対する回答の叩き台で、今読んでいる本は初等部五年に出されている読書感想文を仕上げるための再確認。もちろん内ポケットでは携帯は相変わらず震えているし、机の中には手つかずの宿題――本来なら仁とは無関係の――が出番を今か今かと待ちかまえており、仁の意識は半ばその対策にも追われていた。

 シメキリこと、副部長秋山閑の組んだスケジュールは非常にタイトで、読書感想文があるというのに、まず本を読む時間がまったく考慮されていない。

 読まないなら読まないで、なんとか出来るだけのテクニックを仁は持っていたが、どうしても仕事の質は下がる。

 ただでさえ非合法活動に手を染めているのだ。顧客への満足度を上げておくことは身の安全にも繋がる――はずなのに、シメキリのやり方には納得がいかない。

 と、主人公の赤シャツへの怒りにシンクロするかのように、仁が冷めた頭とは裏腹に胸の内を熱く燃やしていたのが原因だろう。

 本来なら、聞き逃すはずのない注意事項を幻聴だと処理してしまった。

 高校生に今さら言うまでもない注意、

「皆さん、自分のことは自分でするようにしてください」

 に違和感を覚えなかった。


 ――それほどに十輪院仁には余裕がなかったのである。


第一章 麻生羽雲は負けを認めない


 恒河沙学園は一言で言うとマンモス学校である。

 幼稚舎から大学まで一通り揃っており、生徒数八千人を数える巨大な敷地内には街としての機能がほとんど備わっている。

 もちろん歓楽街の様な要素はないが。

 設立の目的は「人材の都市部への流出を避けるため」であり、実は間接的に田舎の学校だということを喧伝しているとも言える。

 その反動か外部からの受け入れは熱心で、奨学金制度はもちろん中等部からは寮に入ることも出来るという充実ぶり。

 もちろん敷地内の施設に関しては格安で利用できるので、まさに学生天国。

 今では学生に優しすぎて逆に人材をスポイルしているのではないかと、そんなことも囁かれる――要は大きいだけの普通の学校である。

 そういう理由で、普通なら校舎の片隅か校庭の片隅にまとめられている各クラブの部室も、この学校では敷地内のあちこちにある「多目的会館」に収められている。

 いきなり大クラブとしてのし上がった「時間開拓部」はそんな多目的会館の中でも最新で、しかも最上階の一番大きな部屋を与えられていた。

「それで、美保ちゃん黙らせたんスか?」

 そんな広い部室内で、少女の声が虚ろに響いた。

 時刻はすでに放課後。部活が本格化する時間帯であるのに、多数の部員が在籍するクラブ用にあてがわれた、この大きな部室にいるのは、たったの二人だけだ。

 マンモス学校でありながら、ここだけ見事に過疎化の様相を呈している。

 会議に使うような長い折りたたみ式の机が部屋一杯に並べられてはいるが、それを使用している者は、もちろん誰一人としていない。

「別に黙らせたわけじゃない。俺はちゃんと注意には従った……はずだ。それと教師をちゃん付けで呼ぶな。同好の士とはいえ節度というもがある」

 と答えたのは仁である。

 部長だからいるのが当然といえば当然だが、今もまた何かに追い詰められているかのように、一心にキーボードを叩いていた。

 部室の片隅にはデスクトップパソコンのラックがあり、二人共がそこに集まっている。周囲には電気ポットに急須、それに冷蔵庫と生活感溢れる一角を形成しており、広い部室を実に狭く使っていた。

「それがバレていると思って、美保ちゃん十先輩にビビってるんスよ。まさか十先輩がオタクでも珍しい、腐女子に優しいだけじゃなくて尊敬までしてる珍しいタイプだなんて思わないんだろうなぁ」

 と、独り言じみた感想を述べたのはパイプ椅子に腰掛けた先ほどの少女。

 名前は加藤勇魚といい、学園中等部の二年生だ。

 ショートカットなのだが不釣り合いに長く伸びた前髪をピンで止めており、そのために跳ねた前髪がヒーローものの主人公のステロタイプに見える。

 大きな瞳に全体的に小作りな顔の造作はまず美少女と評しても良いだろう。年の割には小柄で、選択している制服は白地のセーラー服。明らかに肩幅が足りておらず、全体的にダボッとしているため、小さな勇魚をさらに華奢に見せていた。

「その点はちゃんと誤解を解いておきたいところだ」

「それは無理じゃないッスかね? そもそも美保ちゃんその手の話題ふると、基本的に逃げちゃうし。会うたびに念を押されるッスよ『この秘密が知られたら、私はなんでも言うことを聞くしかないの』って。じゃあボクは何なんだって話ッスよね」

 自嘲混じりのこの勇魚の言葉に、美保が仁に腰が引けている理由が集約されている。

 仁の担任の、山浦美保教諭は“腐女子”であるのだ。

「オプセンは信頼されてるということで良いんじゃないか? ただ俺には話したと思われてるようだがな」

「そこはボクと十先輩の仲だから仕方ないッスよ。それに実際話してるし。ところでその美保ちゃんを黙らせて読んだ『坊ちゃん』は面白かったんスか?」

「純文学にしてはまともな方だった。読み手を意識している分『トロッコ』みたいな駄作よりはよかったな。ただ着地点が見えてなくてグダグダな終わり方だったが」

「十先輩にしては優しい評価ッスね。そうだ。評価といえば、前期のアニメの評価は結局変わらず?」

「そうだな。放○○子一択だろう」

「私は○○ッス」

「また最低の名前を出してきたな。しかしよくもまぁ、毎回毎回人気作を好きになれるもんだ」

「シャル可愛いッスよ。シャル一押しッス。いやセシリアも捨てがたい……」

「あれは花澤香菜の手柄だろう。確かに可愛かった」

「そこがわかってて、なんで最低になるんスか? 可愛ければそれで良いじゃないですか」

「“可愛い”だけでアニメが観られるか」

 という議論の間にも仁の作業は止まらず、プリンターから先ほどの打ち込みの成果を引っ張り出して勇魚へと渡す。

「三人分の依頼だ。古井という奴のは全問正解で良いそうだ。古井のキャラクターには合わないがな。板倉と門脇の間違い指定は下の方に書いてあるからキッチリと間違えるように。個別に配る問題解説がこれ」

 続けて吐き出されたコピー用紙をさらに追加。

「というか、小学生の問題ぐらい自分で解け。お前中学生だろうが」

「ボクが解いたら、十先輩の取り分が減りますよ」

「一向に構わん。それよりも自分で解いて、取り分を増やそうという心意気はないのか?」

「ああ、それ魅力的ッス。なにせまど○○が神でしたからね。BDが欲しいッス」

「そうか」

「そこは否定しないんスね」

「そう思う者がいても妥協できるというぐらいだ。○○程ひどくないしな。俺個人としては映像は百二十点だが、シナリオが五十点ぐらいだな」

「え? シナリオこそが神でしょう? そう言えば、QBはなんだってあんな非効率なシステムを使い続けてるんスかね。さっさと地球から出て行けばいいのに」

「……わかったことと、わからないことが一つずつ出てきたぞ」

「なんスか?」

「わかったことは、お前の頭がやはり相当に悪いということ。わからないことは、それだけシナリオを理解してなくて『神』とか言ってしまう判断基準だ」

「ちょっとそこのところ解説をお願いしたいしたいッス」

 自己申告もあったことだし、すでにおわかりだろう。

 ――この二人は完璧にオタクである。

 付き合いは「時間開拓部」が出来る前からで寄ると触ると、まったく価値基準が違うのに、こうやってアニメ談義に花を咲かせていた。

 今は「時間開拓部」という容れ物が出来たので、談義の場所を移しただけという捉え方も出来る。今も熱心に“部活”をしながらも、話題になったアニメについて果てしなく喋り続けていた。

 お互いに作品を愛するあまりに、反対意見を持つ相手との終わりのない罵り合いから、殺意を抱くまでの修羅場を経験しているので、持論は展開するが必要以上に相手を攻撃したりはしない。

 ただアニメの話が出来る相手がいるという、その幸せを二人はよく理解していた。

 以前はそれこそ校舎の廊下や、書店の軒先で話をしていたので、今の様に座って話せる場所があるだけ格段の進化を果たしたとも言える。

「――おはよう。スケジュールに遅れは出てない?」

 そんな居場所の創造主と言っても良い存在が、部室に姿を現した。

 まず目立つのはアンバランスさを感じるほどの大きなボールバック。長い黒髪を赤いリボンでサイドテールにまとめ、袖をまくり上げた姿はほとんど運動部の活発なマネージャーというところだろう。

 制服としてはブレザーを選択しているが、仁のようにネクタイをキッチリと締めず、襟元は随分と緩い。大きくせり出した胸の谷間が今にも見えそうな勢いだ。

 彼女こそ、恒河沙学園高等部二年にして「時間開拓部」副部長の秋山閑だ。

「不思議なことに、遅れるどころか前倒し気味だ」

「この、あたしが組んでるのよ。むしろ遅れが生じそうなことを恥ずかしく思って貰いたいわ」

 そこで閑は眉を潜めた。

「というか前倒しになんかできないはずだけど。仁、あんたまさか禁止している時間帯に仕事してたんじゃないでしょうね?」

「HRにやってたらしいッスよ」

 仁が誤魔化す前に、勇魚が注進してしまった。

 それを聞いた途端に、閑のボールバックが弧を描いて仁の頭部に襲いかかった。

 間一髪でかわす仁。

 だが、閑の攻撃はそれで終わらない。

「迂闊なことしないでよ! この仕事は隠密性が大事だって、わからないわけでもないでしょ! 私の計画に間違いはないの。あんた達はそれに従ってればいいのよ!」

 堂々の俺様――いや女王様宣言。

 その言葉に仁は心底げんなりした表情を浮かべるが、無駄に逆らったりはしなかった。

 逆らうと被害が大きくなることを、仁は身をもって理解している。

「加藤は?」

 今度は勇魚に水を向けるが、こっちはまったく恐れ入ることなく気楽に申告。

「はいは~い、もう終わるッスよ」

 先ほど仁から渡された解答を元にプリントを仕上げていた勇魚の手元には、処理済みのプリントがすでに二枚あった。オタク談義をしながらでも勇魚はノルマをこなしている。

 筆跡の偽造という、自分のノルマを。

 

 「時間開拓部」

 その実体は宿題を代わりに引き受ける、営利団体の化けの皮。

 無節操に営業していると機密が漏洩してしまうので、閑によって選び抜かれた顧客の注文のみを受けるシステムを採用。そのために、図らずも「クラブ」という体裁を整えることとなってしまったのだ。

 そういう事情で生まれたクラブなので具体的な活動内容など有りはしない。

 だからこそ、仁は「呪文」を唱えて美保を煙に巻くしかなかったわけである。

 発案者は閑で、設立のために活動したのも閑だった。

 海外で長く生活し、いわゆる帰国子女である閑は強力なリーダーシップと行動力を身につけてしまっている。

 閑それを発揮して瞬く間に「時間開拓部」を作り上げてしまった。

 閑が海外に赴く前の幼い頃の知り合い、いわゆる幼馴染みであった仁はそれに巻き込まれる形で設立に関わってしまった――いや、事の発端は仁が何の気無しにクラスメイトの宿題を有料で引き受けていたという、些細なことから始まっていたので、実は発案者の一人という見方も出来る。

 閑の計画を知った仁はその規模の大きさに「さすがにマズい」と、離脱を試みた。

 だがその利益の巨大さ、つまり金銭欲と、自分をオタクの世界に導いてくれた閑への義理が、仁の身体をがんじがらめに縛り今に至っている。

 そこに、以前から親交のあった勇魚が筆跡偽造の専門家として参加して、今の「時間開拓部」が出来上がっていた。

 基本的な料金は宿題一つに付き百円。

 担当は仁が文系全般。閑が英語と数学という風になっている。

 宿題を依頼した場合は、その部分の講習を後に受けることが条件とはなっているが、これは閑が仁に言い訳を用意させるために付け足したようなものなので、設立以来一度も行われてはいない。

 それでも仁はある事柄以外については納得していた。

 その事柄だけが仁には何とも不可解だった。

 

「加藤の取り分は、それで二千円になるわね」

「まいど~、これで『まどか』のBDが買えそうッスよ」

「そのヲタク基準で計算するの辞めてくれない?」

 この反応こそが仁に首を捻らせる原因。

 仁をオタクへと導いたのは確かに閑なのだが、今現在、閑自身はオタクを完全に毛嫌いしていた。

 アメリカにいる間によほどひどい目に遭ったらしい、と仁は勝手に納得している。

「仁は何か使う予定があるわけ?」

「俺も基本的には同じだ。DVD-BOXを買う」

「何?」

「『マグネロボ ガ・キーン』」

「…………で?」

「『で?』とは?」

「ヲタクってこういう時に、頼まれもしないのに語り出すものなんでしょう」

「画一的にものを考えるなよ。俺は興味のない奴に話したりしない。話しても面白くないしな」

「それ以前に、そんな昔のロボットアニメ知ってる人の方が少ないッスよ」

 勇魚がもっとな意見と共に割り込んでくる。だが、相手が勇魚であれば仁は容赦しない。

「何言ってる。アニメファン名乗るなら、これぐらいは抑えておけ」

「オタクにそんなハードル設けるのは十先輩だけッスよ。ボクは可愛いキャラがいればそれで良いッス」

「香月舞は可愛いぞ。杉山さんの声も素晴らしい」

「花澤さんより可愛いッスか?」

「あのなぁ。俺は一時期ウリクルの声を杉山さんで読んでたことがあるくらいだぞ」

「ウリクル……誰?」

「お前はファイブスターすら抑えてないのか!?」

「知らないッスよ。ボクは今を生きるんです。女の子が可愛いアニメを楽しむんスよ!」

「お前は原田ひとみか」

「……それは女性への最大の侮辱ッスよ」


 ダンッ!!


 いつまでも終わらないオタトークに、ついに閑の鉄槌が振り下ろされた。

 誰も座っていないテーブルに拳を打ち付けて二人の話を強制終了させると、二人からは離れた場所に腰を降ろした。そしてボールバックから、自分の担当分とスケジュール表を取り出して無言でそれ広げていく。

「……ずっと疑問だったんだけど、お前のやってることはわけがわからないぞ。そもそも俺にオタク趣味を紹介してくれたのもお前だし、このクラブに誘うときにも『好きなアニメの商品が買えるぞ』と誘ったのはそっちじゃないか。お前は俺をどうしたいんだ?」

「く……!」

 それは確かに閑の急所で、閑本人も大いに矛盾を自覚している部分だった。

 だからこそ「ギッ!」と濁音付きの擬音が似合いそうな眼差しで、仁を睨みつける。整った面差しなのでその威力も凄まじい。

 恒河沙学園では「管理の暴君タイラント」と異名を獲得している、そんな閑の視線を受ければ、生徒は無論のこと教職員まで畏まるところだが、仁にはまったく影響がない。

 それというのも仁が、閑からの評価をまったく気にしていないからなのだが、それも閑にとっては癪に触っていた。

 実のところ、仁のそういった反応は喜ばしくもあるところが、閑をさらに追い込んでいる。

「まぁまぁ、そこは複雑な乙女心って奴ッスよ十先輩」

 そんな二人の再び勇魚が割り込んできた。

「乙女心は関係ないだろ」

「それがあるんスよ。ね、シメキリ先輩」

 と勇魚が水を向けたところで、その視線が閑のそれと交錯する。

 漫画ならここでライバル同士の視線の火花が散って中央でスパークしているところだが、そんな雰囲気にも仁はまったく気付かない。

 しばらくは首を捻っていたが、やがて興味を無くしたのか再びキーボードへと向き直り自分の担当分を処理しはじめる。

 こうして肝心の乙女心の向かう先が離脱してしまったわけだが、閑と勇魚の睨み合いはその後もしばらく続き、やがてお互いの健闘をたたえるように笑い合った。

 この二人はお互いを仁を巡ってのライバル同士だと完全に認識しており、部室内でもしばしばこういう緊張した空気を生み出しているのだが、仁は一向に気付かない。

 仁が気付かない理由は、

「オタクである自分が女性に相手にされるはずがない」

 という、世間一般的に見れば妥当とも言える判断に基づいており、二人の睨み合いの原因の推測に「自分を巡っての恋の鞘当て」という可能性が丸々抜け落ちているからだ。

 実は仁がこういう状態に陥ることを見越して、閑は仁をオタクの道へと誘い込んだわけだが、あろう事か自分自身が何よりもオタク嫌いになってしまったことが大いなる誤算だろう。

 しかも勇魚という、邪魔者までをも呼び込んでしまった。

 計画の鬼、秋山閑の〝千慮の一失〟が、この対十輪院仁対策なのである。

「……加藤、あたしのオプション分はこれ。筆記体もいけるの?」

「大丈夫ッスよ。書いてある意味はわからないけど“絵”だと思っちゃえば、簡単かんた~ん」

 しかもこんな風に、勇魚は宿題請負業には欠かせないスキルを持っているので、追い出そうにも追い出せないというおまけ付きである。

「シメキリ、そっちの首尾は?」

 話が自分の理解できるところに戻ってきたと判断したのか、仁が再び会話に加わってきた。もちろん顔はディスプレイの方を向いたままである。

「自分で立てた計画で、何で遅れるなんて事があるのよ。あたしは計画通り」

「前倒しは?」

「け・い・か・く・ど・お・り!」

 スタッカート付きの返答に、ついには仁も黙り込んでしまう。

「何よ、そっちも約束破ったから前倒しなんでしょ」

「確かにそうだが……」

「それよりも、どうして今回スケジュールが押しそうになったのかを、はっきりさせておきたいわ。取りあえず今かかっているものはさっさと片付けて。今日の分の割り当てを終わらせたらミーティングするわよ」

「了解」

「了解ッス」

 ――こういう部分だけを切り取ると、部活動に見えなくもない。


 一段落ついたのが、午後五時頃。

 四月も半ばほどのこの時期では、すでに夕闇に差し掛かりつつある。

 三人の前には、それぞれ湯呑みが置かれていた。お菓子を持ち寄るなどという、気の利いたものは一人もいないので、ただそれだけの侘びしい情景がそこに出来上がっている。

「――つまり根を上げるわけ?」

「違う。客観的な判断に基づくものだ。このままのペースで行けば遠からず読書感想文については破綻する。というか破綻しかかったから、約束破ってでも前倒しで計画を進めたんだ」

「あんた、本はもの凄く読んでるでしょ」

「読んでないとは言わない。だけど俺が読んでいるのは、教師が喜びそうな本じゃないんだ」

「十先輩は純文学が嫌いッスからね」

「その通り。あんな読み手を意識せず、着地点も定めずに、感覚でだけで作ったようなもの、吐き気がするほど嫌いだ。滅んでしまえばいい」

「あんたの主張はどうでもいいわよ。仕事だと割り切れば読めるでしょ。読むのも早いんだし」

「割り切るという考え方に反対はしないけど、それでもやっぱり無理だ」

「何でよ?」

 そのあっさりとした問い返しに、仁の眉根がますますきつく寄せられた。

「お前は自分で人に割り振った仕事量も把握してないのか? 俺は今、自分の好きな本も読めないほどの状況なんだぞ。どこに嫌いな本を読む時間がある。嫌いなだけに時間もかかるし」

「あ~~~~~~……そっか」

 仁のもっともな言い分に、さしもの閑の攻勢も鈍らざるを得ない。

「けど、読書感想文の宿題なんか、そうそう出るッスか? 今やってるのは春休みの課題の遅れとか、結局出来なかった課題の代わりとかそんなのばかりッスよね?」

 そこで勇魚が疑問を差し挟むと、仁はますます厳しい表情になり、

「もう少しでゴールデンウィークだぞ。この学園の過去の傾向からみて、必ずこの手の宿題は出るだろう。で、俺の手持ちはもう尽きているといっても良い」

「確かに十先輩の読んでる本は、偏ってるッスからね」

「まったく読まないお前に言われたくない」

「……じゃあ、どうするのよ?」

 と、再び恨みがましい声と共に参戦してくる閑。

 そこで仁は溜息を一つついて、おもむろに切り出した。

「一応、それに対する腹案はある」

「え?」

「ただしシメキリの協力と許可が要るが……」

 勢い込んだ閑の勢いを殺ぐように、仁が慎重に言葉を重ねるが、それが逆に閑に勢いを与えてしまった。

「そりゃあそうでしょう。なんてたって、あたしの部なんだから」

「……時々どうして俺が部長の肩書きを持っているのかわからなくなるな」

「大和撫子らしく、男を立ててあげたんじゃない。それよりも、その腹案というのをさっさと話なさいよ」

「――実は単純な話なんだ。人手を増やせばいい」

 それは確かに仕事量が増えたときの常套手段ではある。

 だが、もともと表には出せない仕事なのだ。人数をかけて情報漏洩の危険性を増すことも避けなければならない。

 それを閑が指摘しようと口を開きかけた瞬間、

「言いたいことはわかる。だから追加するのは精鋭一人で良い」

「……まさか……」

 それで、勇魚には仁が何を言おうとしているのか察しがついたらしい。

 いや察しがつかない方がどうかしている。

 この学園で仁に匹敵するほど本を読んでいる生徒となると、一人しかいない。

 その勇魚の反応を見て、閑も思い至ったらしい。

「あいつか……確かに引き込めれば、読書感想文の問題は一気に片付くかも知れないけど……」

「そうだな、まずはこちらの事情を秘匿できる人物かどうかを見極めなければならないから、単純にいい手だとは言い切れない。そこでシメキリ。いつもの通りで見極めを頼む」

「う、うん……」

 その歯切れの悪い返事に、仁は首を傾げる。

「何か問題があるのか? 知っている限り交友関係も少なそうだし、有望かと思ったんだが……」

「そ、そうね……」

 閑の顔が引きつる。その横では勇魚も渋い顔をしていた。

 二人が、仁の提案を危険視しているのは情報の漏洩を心配しているからではない。

 麻生羽雲。

 その思い当たった人物は「鉄血の活字中毒」の異名を持っていた。

 確かにコイツならば、仁の言う“精鋭”である素質は十分にあるだろう。

 だがしかし、コイツは他にも恐るべきポテンシャル秘めていた。

 まず、女生徒であること。

 そして赤い巻き毛に、緑の瞳を持つ、クォーターのとびきりの美女であるということだ。

 もちろん仁には「あわよくば、これを機会にお近づきになろう」という魂胆はないのだろう。だがしかし身近に美女がいるという、それだけで心は騒ぎ立つ。

 ――それが乙女心というものだ。


 それから数日後の放課後。

 高等部の校舎の廊下に、人目を集めるに足る豪華な風景が出来上がっていた。 

 燃え上がる炎と見紛う赤い巻き毛。真夏の葉の色を思わせる濃い緑の瞳。

 真っ黒のセーラー服の上から、焦げ茶のカーディガンといういかにも重たげな配色を身に纏っているが、その圧倒的な美貌には微塵も影響を与えていなかった。

 言うまでもなく、この女生徒こそが高等部一年五組の麻生羽雲だ。

 今もすれ違う生徒達の視線を自然に集めている。

 いや、視線を集めている理由は羽雲だけではない。

 その場所には、もう一人注目を集めるに足る“原因”が並び立っている。

 ばっさりと切り揃えられた黒髪と冴え渡る双眸。ブレザーの制服が包んでいる肢体は、どこにも隙がないにもかかわらず、それでいて優美な曲線を描いていた。

 トレードマークの白手袋も目に眩しい。

 こちらの女生徒の名前は秋津鳴。

 高等部二年三組で羽雲から見れば先輩に当たる上に、鳴は学園全体の統括風紀委員の中でただ一人「独立執行官」という役職を風紀委員相談役で生活指導部の主任、渡邊由葵夫から拝命している、学園公認の堅物だ。

「君には前にも注意したな、麻生」

「……はい」

「読書は結構だが、廊下で歩きながら読むなと」

「…………はい」

 廊下でいきなりこの説教モードに入ってしまったので、己の醜態をさらし続ける状態に陥ってしまった羽雲の頬が赤く染まっていた。

 だが鳴の追求は止まらない。

「君は寮住まいではなかったから、このまま帰宅か?」

 放課後であることも災いした。後から後からギャラリーが湧いて出てくる。

「……そうです」

「言っておくが、学園から出ても本を開くんじゃないぞ。敷地内であればせいぜい人にぶつかるぐらいで済むが……何だその今にも死にそうな顔は」

「……本を読めなくなるなんて……想像しただけで吐きそうです」

「……困った依存症だな」

「秋津先輩、ちょっと良いですか?」

 全員が取り巻くだけで積極的に関わろうとしなかったこの見せ物に、一人の生徒が乱入した。ある意味、女性の美貌についてはまったく不感症である仁の所業だ。

「実はこちらの麻生さんに用があるんですよ。そろそろ解放していただけませんか?」

 その申し出に戸惑った表情を浮かべる羽雲。それもそのはずで、羽雲は仁のことをまったく知らないのだ。

「何だ十輪院。麻生に用だと? 知り合いだったのか?」

 そんな羽雲の反応を見て、鳴は当然といえば当然の質問を仁にぶつける。だか仁は慌てず騒がず、切り札を差し出した。

「いいえ。正確に言うと用があるのはシメキリなんです。部に勧誘するつもりらしくて、俺に探してこいと」

「秋山か……」

 今にも苦笑を浮かべそうな鳴。

 実は閑と鳴は寮で同室なのである。

 閑の女王様な性格は仁と同じ様に把握していた。

「十輪院もご苦労なことだ。ただ、いくら幼馴染みとはいえ先輩をあだ名で呼び捨てとは感心しないな」

「そうですね、すいません。秋山先輩でした」

 そこは素直に従う仁の態度に鳴の視線が外れ、再び羽雲へと戻る。

 再び向けられる厳しい双眸に、羽雲は苦渋の決断を迫られる事になった。

 よくわからない相手からの勧誘か、なおも説教を続けそうな怖い先輩。

「私は……」

 羽雲は少しの逡巡の後、目の前の危機を回避するために未知へと飛び込むことにしたらしい。

「……この人と一緒に行くことにします」

「そうか。だが、その途中で本を開くんじゃないぞ。おまえもだ十輪院。二人並んで本を読みながら歩いていては、お前達よりも周囲が危険だからな」

「え?」

 その鳴の言葉に、羽雲ははじめて仁を見た。

 ――もう間もなく終生のライバルとなる、男子生徒の姿を。


 鳴から解放されれば、もう我慢できなくなったのだろう羽雲は再び本を開いた。

 それを咎め立てする仁でもない。さすがに自分までそれをしてしまうと、どうしようもなくなるので、羽雲の露払いをするかのように先導して、部室へと向かう。

 その道中、階段を昇る時でさえ本から眼を話さない羽雲。

 もちろん二人の間にまったく会話はない。

 だが、そんな羽雲もさすがに部室の前に来たときには思わず呟いた。

 連れてこられた先がいかなる場所であるのかは、確認しておきたかったのだろう。

「『時間開拓部』――モモ……?」

 その呟きは仁に珍しい現象を引き起こした。

「何という解釈だ。これは凄い!」

 突然大声での賞賛。そしてそのまま、あははは、と声を立てて笑ったのである。

「その発想はなかった。なるほどミヒャエル・エンデならそう読んでいたかもな」

 即座に自分の呟きの意味を読み取った仁。

 そこではじめて、羽雲の関心が活字から人へと移った。

「わかるの?」

「わかるとも。児童文学の金字塔だろ。オタクとしては当然の嗜みだ」

「オタクってそういうものなんだ。というか、ええと……」

「十輪院。十輪院仁」

「凄く物々しい名前ね」

「そうだな。名字で呼ぶのが面倒なら好きに呼んでくれ」

「じゃあ十の人」

「……また思い切られたな。まぁ、いい。しかしこの部を『モモ』と呼ぶとは、さすがの素養だ」

「何? 『モモ』ぐらいで。そこまで偉そうに出来る程のことじゃないでしょ?」

「普通の基準がおかしい……ますます素晴らしい。とにかく中に入ってくれ」

 そのまま部室の扉を開ける仁。

「ちょっと待って。何をしてるクラブなのかの説明を……」

「それも中で」

 という部室の中には、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべた閑と勇魚が待ちかまえていた。

「な、何?」

 二人のただならぬ様子に、思わず逃げ出しそうになる羽雲。

「紹介するから、安心してくれ。そっちのブレザーが秋山閑。この部の副部長。一応先輩だ」

「ども……」

 と羽雲は一応頭を下げると、閑もいかにもおざなりに頭を下げる。

「小さいのが、加藤勇魚。中等部二年。役職は別になかったよな?」

「それをボクに聞くのはひどくないッスか? まぁ、平ッスね」

「ということで部員には変わりはない」

「ひどい紹介だわ。ええと、よろしく」

「うん、よろしくッス先輩」

 そこは如才なく、しかめっ面をやめて対応する勇魚。その対応に、幾分か落ち着きを取り戻した羽雲がキョロキョロと広すぎる部室の中に視線を巡らせる。

「他の人はいないの?」

「いない。部長の俺を入れた三人で、この部活は成り立っている」

「え? でも……」

「それで、麻生さんには四人目になって貰おうと思っているわけなんだけど……」

 強引に話を進める仁に、羽雲の表情がだんだんと曇ってきた。

 それを読み取ったのだろう、突然、仁の口調が改まる。営業中のサラリーマン――いや、寸借詐欺師のそれに。

「ところで随分熱心に読んでいたようだけれど題名を教えてくれないか? 俺はここ最近良い本に巡り会って無くて、ちょっと不幸続きなんだ」

 先ほどの鳴の注意も後押しとなったのだろう。

 仁も同じく本を愛する人間だと知って、悪化しかけていた羽雲の機嫌が幾分か持ち直す。

「そ、そうね。今は『仲達』を……」

「塚本靑史さんの?」

 その時の、一瞬跳ね上がった仁の声に勇魚がピクリと反応する。

 それはよほど上機嫌にならないと現れない、仁のクセだったからだ。

「え、ええ……これも知ってるの?」

 もちろんそんな反応も、知らない人間からすれば警戒するしかないわけだが。

「ああ、もちろん。中国史好きなのか? いや、三国志好きか?」

「両方ね。三国志は好きよ」

「いいぞいいぞ。なかなかなやるな。ちゃんと自分がある」

 その一瞬に、羽雲の表情が今度こそはっきりと曇った。

 否が応でも気付いたのだろう。

 自分が値踏みされているのだということに。

「……さっきから随分偉そうじゃない。一体どういうつもりなの?」

 赤い髪が燃え上がるようにざわめくが、仁にはそんな怒りのオーラも効果がない。

 むしろ、ぬけぬけとこう返事をした。

「オタク様だ」

「え?」

 さすがに虚を突かれる羽雲。だがそこに続けて仁の言葉が襲いかかる。

「こう言い放つことで、他者からの蔑視を優越感に変え、自己を保っているんだ俺は。それよりも、三国志の時代を中国史の中で一段低くは見てないんだな?」

「え? ええ……っていうか、そんなことする意味がわからないんだけど」

 自分の攻撃をあっさりとスルーされた上に、またも強引に話を進められてしまう。

「中国史にかぶれてくると、日本では三国時代を一段低く見る風潮があるんだ。多分田中芳樹の影響だと思うが、その理屈はこうだ。三国時代は結局、どこも統一しないまま終わっただろう。つまりは、その時代に生きた武将や軍師達の能力が一段低くて、ドングリの背比べをしている状態だというのがそれだ。だから統一王朝を作り上げた時代の人間と比べれば、能力は落ちる、という結果を導いてくる」

「それは……一理あるんじゃない?」

「ところが俺はそうは思わない。何しろあの時代には〝破格の人〟曹操がいたんだ。その曹操を相手にして、統一させなかったんだ、あの時代の連中は。少なくとも一段低く見る理由にはならない」

 スラスラと並べられる、世間一般の風潮と仁独自の理論。

 羽雲はそれについていけず今にも眼を回しそうなほどに混乱していた。

 そこを見計らって、仁のこんな質問が飛んだ。

「ちなみに、三国時代で好きな人物はいるのか?」

「あ、えーと……賈詡……とか」

「賈詡?」

 オウム返しに聞き返す仁。

「かく?」

 その後ろでは、明らかに漢字を知らないまま閑が同じように声を上げている。

 そして、そんな閑の疑問に答えたのは、どういうわけか勇魚だった。

「エロエロな眼鏡ッ子スね。そんなに胸は大きくないッすけど、色々陰謀を巡らせていた策士ッス」

「へぇ~」

 突然始まった勇魚の説明に戸惑いの色を隠せない羽雲。

 圧倒的に間違っている部分と、正しい部分があり言下に否定できないためだろう。

 そして、この部室の中にその解説が出来るのは仁ただ一人だけだったが、こちらは勇魚が説明をはじめた途端、いつものしかめっ面に戻ってしまった。

「……気にしないでいい。あとで塩○雄二を滅ぼせば済む話だ」

「恋姫無双はどうするんスか?」

「塩○には大暮の絵を○○○○してる悪癖もあるし、何より先にはじめたのは奴だ。滅ぼすならまず塩○」

「一体何の話?」

「オタク同士の話だ。気にしないで良い。それよりも賈詡が好きなんだって?」

「う、うん……そうよ」

「どんなところが好きなんだ?」

「ええと、やっぱり強かさかな。時勢を読んで、自分達が息子を殺した相手に投降して、そのあと後継者の相談を受けるまでに信頼されているところとか、実は曹操の軍師達の中で一番能力が高いんじゃないかと思えるわね」

「なるほど、張良も呂皇后に後継者の件で相談を受けていたと言われているしな。それこそが一番信頼を受けている軍師の証かも知れない」

「そ、そうね……」

「で、他には?」

「ほ、他って……」

「君の今言ったことは、どこかで聞いたような理由だ。君の独自の見解はないのか?」

「わ、私の……? そ、そんなこと言うなら、そっちはどうなのよ?」

「残念だけど、今俺は三国時代よりも唐初のある人物に感心があるんだ。そちらの話でもいいか?」

 仁がそう告げた途端、羽雲の表情が微妙に引きつる。

 それを見た閑と勇魚は、大方の事情を察した。

(この女、仁の話しについて行けてない)

 と。

 しかし、だからといって羽雲が劣っているとは思わない。

 元々、仁の博覧強記ぶりの方が異常と言っても良いぐらいなのだ。勇魚もオタク知識では引けを取らないが、仁はそのバックボーンにあるものまで理解しようと、暇さえあれば知識をため込んでいる。

 仁に言わせれば、

「オタクという人種はすべからく、楽しみを享受するために知識を蓄えなければならない」

 ということになるのだが、確認するまでもなく異端な主張だろう。

 だが仁はそれを実践しており、変な話になるが高校生ぐらいの知識量ではどうやっても太刀打ちできない。

 何しろ教師ですら手の届かない地平に立っているのだ。

「おや、中国史好きでも、この辺りの知識は希薄か?」

 それに加えて羽雲の反応を見逃すほど鈍くもない。さっそくいたぶりにかかる。

「則天武后という名前は知っているか?」

「そ、それは知ってるわ」

「どういう経緯で即位したのかは?」

「……知らない」

「やれやれだな」

 そこで仁は思いきりよく羽雲を突き放した。

 その言葉に明らかに怯んだ羽雲であったが、仁はまったく容赦しなかった。

「麻生さん、君は活字中毒者として有名だけれども、確かにその通りだな。君は印字された活字に夢中になっているだけで、そこから思いを巡らせたり、影響を受けたりをまったくしていない」

 仁はそこでへの字口を開いて笑ってみせる。

「正しく活字中毒者だ」

「ち、違うわ!」

「――と、未だに俺の前で否定するとは良い度胸だ」

 仁はさらに追い詰める。

「すまないが見込み違いだったようだ。ここまで来てくれたお礼に――いや、それさえも秋津先輩から逃げ出す口実にはなったんだから、お互い様だよな。お帰りはあちらだ」

 そして反論も許さぬままに、最後通牒を叩き付ける。

 羽雲は大きく肩をいからせて肉食獣の構えを見せたが、ついには何も言わぬまま「時間開拓部」を飛び出していった。

 その怒りの大きさが、足音となっていつまでも再び三人となった虚ろな部室にこだまする。

「……えっと、仲間にするのやめたんスか?」

 どこからどう見ても、そういう風にしか見えなかったが、勇魚が念のため確認すると、仁はあろう事か首を横に振った。

「いいや」

「え? でもだって、見込み違いだって……」

「シメキリなら、わかるだろ?」

 突然話を振られたシメキリだが、そこはさすがに心得たもので仁の狙いを見抜いていた。

「頭に血を上らせて、判断力を鈍らせようって事よね?」

「どうしてッスか?」

「自覚がないようね。この仕事は威張れたことでもないのよ。気付いたときにはどっぷりと首まで浸かって、引き返しが効かないような状況に追い込んでからじゃないと、全てを話すわけにはいかないわ」

 勇魚の質問に答えるようにしながら、閑もまた仁の意図を再確認しているようだ。

 そして、それは正解だったらしい。

「さすがにシメキリだ」

「でも……やり過ぎじゃないかしら? 戻ってくる可能性なんかある?」

「そっちの調査は信頼できるんだろ?」

「調査?」

「全部を話しても、秘密が漏れる可能性が少ないって調査だよ」

「ああ、その話か。そうね、あの子の交友関係は非常に狭いわ。友達がいないと言っても良いぐらい」

「じゃあ、はけ口が俺に向かうしかないだろ。もう一回は必ず来ると思う――なんと言っても麻生さんはオタクだ」

 仁が相手をオタクだと呼んだ場合、それは特別な意味を持つ。

 なぜなら仁にとっては、オタクとは特殊な人種。

 滅多なことでは、人をオタクだと認識しない。

「……それで」

 と、先を促す閑。

 この段階で、閑と勇魚の表情が、羽雲が来たときよりも険しいものに変化しているが、もちろんそれに構う仁ではない。

「オタクには今日の侮辱は耐えられない。活字中毒というステータスを否定してやったんだからな。必ず、俺に挑んでくる」

 仁が笑みを見せる。

 その笑みには。自分と同じ仲間をみつけた喜び、それ以上の意味はないはずだ。

 ……と閑と勇魚は信じたかった。

 何しろ噂に違わず、麻生羽雲はとびきりの美人だったのだから。


 どうしてくれよう。

 どうしてやろう。

 どうすればこの怒りが収まるのか。

 そんなどす黒い怨念だけが、羽雲の胸を満たしていた。

 原因はもちろん仁にある。

 めった打ちであった。しかも反撃できなかった。

 別に自慢したくて本を読んでいたわけではないが、だからといってあそこまで否定されて腹の立たないわけがない。

 おかげで昨日から活字を追うことすら出来ないでいた。

 実はすでに、ほぼ一日が経過している。ここは羽雲の一年五組の教室。

 頭の中では、どうやって仁をやりこめてやるか、そのことだけがグルグルと巡り巡っていて、授業はおろか、とても他のことにも集中できない。

 ――ここまでは、仁の目論見通りの反応と言っても良いだろう。

 ただ、仁は自分でも気付かぬうちに羽雲にもう一つの爆弾を植え付けていた。

 それは、羽雲が本から顔を上げたことが原因。

 新たなクラスメイトとなった生徒達が、羽雲の美しさをその時初めて認識したのだ。そしてそれは羽雲も、自分の美貌を再確認すると言うことでもある。

 羽雲は自分の容姿が美しいことを十分に理解していた。

 赤い髪、緑の瞳。

 日本にいればどこにいても目立ちすぎる。

 そして目立ちすぎる容姿は、子供のウチはどうしてもからかいの対象になる。羽雲はいつも人の目から隠れるように過ごしていた。

 だが、それも限界は訪れる。

 もうきっかけは覚えていない。

 羽雲はある日、コソコソするのを止めた。

 何も悪いことをしているわけではない、と開き直った。

 それが功を奏した、と言うべきか。

 羽雲の周囲の反応が変わりはじめる。ちょうどその頃に、羽雲の美しさは華開いていったのだろう。

 からかいの対象であった羽雲の容姿は、周囲を圧倒する美しさへと反転した。

 その変化を羽雲自身も自覚することができた。

 自分は美人だ。しかも発育よく育ったプロポーションも悪くないはずだ。油断するとすぐに太ってしまうのが玉に瑕だが、それさえ気をつけていれば、十分な魅力となる。

 野暮ったい制服を選択しているのは、目立ちすぎる美貌を隠すため。

 羽雲はそこまでの自信を抱くに至っていた。

 だが、仁の言葉がそんな羽雲の自信に影を落とす。


 ――他者からの蔑視を優越感に変え、自己を保っている


 あれは、遠回しな嫌味ではなかったのか?

 そもそも、あの男は自分の容姿に対する反応を一切しなかった。

 奇異の目で見ることも、美しさに見とれることもなく。

 最初は、部活の勧誘を隠れ蓑にしたナンパの類かと思っていた。

 だが連れて行かれた先は、正体不明とは言え間違いなく部活ではあるらしく、何より驚いたのは、行った先には自分と同じレベルの美人が揃っていたこと。

 それでいて、あの男はそういったことをまったく意識していなかったようだ。

 そういった条件が揃って、あの台詞だ。

 むしろ自分に悪意があると思った方が自然ではないのか?

 いや、自然だ。

 あそこまでそこ意地悪く、自分を否定したのだ。

 どうしてくれよう。

 どうしてやろうか。

 絶対にこのままでは済ますものか。

 その感情に呼応するかのように、羽雲の長く赤い巻き毛がざわざわと蠢き、さらに人目を引くが、すでに羽雲の意識からそんなことも消え失せていた。

 ただひたすらに仁が憎い。

 その感情の高まりは、仁の予想を大きく上回るものであった。


 そんなことも知らず、羽雲を待ち受ける形となったのが仁と勇魚である。

 閑が現在ほとんどの場合遅れてくるのは、新しくなったクラスでの人脈を築いているかららしい。

 その辺り、まったく無頓着な仁と勇魚にとっては素直に頭が下がる思いだ。

 「時間開拓部」の活動において問題を解く以外のことは、全て閑が受け持っていると言ってもいい。

 それはともかく今日の話題となれば、取りあえずこれしかない。

「麻生先輩は、すぐにリベンジにくるんスか?」

 もちろん羽雲の動向だ。

「来るだろうな。そもそも、昨日は俺に完全にペースを乱された。時間を置けば、自説の一つや二つ作り上げて、挑戦してくることは難しくないだろう」

「そんなもんスかね。で、十先輩は昨日と同じようにやるんスか? そーてんぶーこがどうとかいう話を」

「則天武后な。それはしない。今日の目的は麻生さんを褒めちぎることだ。『脅して、宥めて、また脅す』のいわゆる三点セットで対応するつもりだ」

「ああ、ヤクザの理屈ッスね」

「……お前は則天武后も知らないクセに、そういうことだけは知ってるんだな」

「よくある台詞ッスから。でも、麻生先輩はどんな話をもってくるんスかね? まぁ、十先輩なら大体の話について行けるでしょうけど……」

「そこは確かに不安なんだよな。賈詡推しで、もう一回来るのか、全然関係ない話を振ってくるのか……『モモ』の一件もあるしな」

「モモ?」

「このクラブの名前を見たときに、麻生さんが呟いたんだ――」

 ダンダン!

 と、仁が説明をはじめようとしたところで、部室の扉が叩かれた。

 叩いた者の意図としては、ノックのつもりなのだろうが、その音量は明らかに討ち入りのそれだ。

 仁と勇魚は顔を一瞬だけ見合わせて小さくうなずきあう。

「ドーゾー」

 そして仁が返事をすると、勢いよく扉が開かれた。

「十の人はいる?」

 と、わかりきったことを確認しながら姿を現したのはもちろん羽雲だ。

 ……と、その後ろに何故か雲霞のごとく男子生徒。

 出迎えのつもりで扉へと近寄っていた仁は、その光景の異常さに気付くと共に、ある明確な事実にも気付いた。

「……麻生さん、今日は一段と美人だな」

 その言葉に嘘はなく、今日の羽雲はその美貌に一段と磨きがかかっていた。

 まず顔を上げているということが一番効果があるわけだが、今日はどうも薄くではあるが化粧を施しているらしい。

 それに加えて、赤い髪も丹念に梳ったのか 輝きを増しているし、何よりはっきりと攻撃色を浮かべている緑の瞳は、今にも仁を射殺さんばかりの光を放っていた。

 しかも変化はそれだけではない。

 焦げ茶のカーディガンを脱いで黒のセーラー服姿になり、背筋を真っ直ぐに伸ばした羽雲は、そのプロポーションの良さをまったくもって隠し切れていなかった。

 思春期男子を刺激して止まないボディーライン。

 その効果は、群がる男子生徒が証明している。

「気合いが入ってるようだ」

 だが、仁はその一言で片付けてしまった。

 羽雲の“変身”を見ていた勇魚が悲しげに首を振る。

 仁相手にめかし込んでも、まったく意味を成さないのは勇魚が一番よく知っていた。

 仁が厄介なのは、綺麗さに気付かないと言うほど鈍感だ、という単純な話ではなく、綺麗さに気付いても、それが自分に向けてのものだと絶対に考えないところだ。

 もちろん、強引に「あなたのためにお洒落してきたの」と萌え台詞を付け加えて、それを思い知らせることも出来る。

 だけど、そうなったらそうなったで、仁はさらにややこしくなる。

 それを知った時のことを思い出して、再び勇魚が悲しげに首を振った。

 ――だが、それは勇魚の大いなる誤解だった。

 羽雲は決して、仁のために“変身”したわけではなかったのだ。

「それで、その後ろの連中は? まさか入部希望者じゃないよな」

「もちろん違うわ。この人達にはジャッジをお願いするために来て貰ったの」

「ジャッジ?」

 そこで改めて羽雲の背後にいる男子生徒の群れを確認する仁。ざっと見ても十人以上はいる。そして何よりも仁が恐怖したのは、今の今まで誰も声を発していないことだ。

 どうやら、ただ色香につられただけでなく、しっかりとした目的意識を持って連れてこられたらしい。

 もしそうなら、羽雲は閑に匹敵する指導力の持ち主ということになる。

「私がここに来た理由には見当がついているんでしょ?」

「昨日の――リベンジだよな」

「そうよ、あなたは持論を持つことこそが重要だと思っているんでしょう? でもその優劣のジャッジをあなたが行うのはおかしいと思うわ」

「その理屈はおかしいぞ。このクラブへの入部資格を審査――」

「勘違いしないで」

 仁の言葉を羽雲が遮る。

「誰がこのクラブに入りたいと言ったの? 私がリベンジしたいのは、私の活字中毒を否定したあなたに対してよ」

 その言葉に、眼をパチクリとさせる仁。

 仁には完全に想定外の事態だったのだ。

 自分に執着されることを、まったく想定していない仁ならではのミスとも言える。

「ジャンルは昨日のリベンジだから中国史でいいわ。昨日は賈詡を出したから立て直しようがなかったけど、そうでなければ言いたいことはいっぱいあるのよ!」

「待ってくれ」

 この事態の急変に、仁は一時休戦を申し込むが、羽雲の方はそれに応じない。

「則天武后についてだったっけ? 先攻はどっちにする?」

 一方で、仁も羽雲の挑発に乗ったりはしない。

「麻生さんが集めてきた面子でジャッジするのはおかしいだろう」

 どう考えても、後ろの男子達は言い含められている。

「それじゃあ、わけのわからないままに私をここに連れ込んで、一方的に私を否定したのはおかしくないって言うの?」

「それは……」

 まさか今の状況――目論見よりかなりひどいが――を作り出すために、手ひどくやったのだとも説明できない。その隙に、羽雲がさらに攻めてくる。

「私は、その不利を補うために自分の力で、自分の有利な状況を作り出したのよ。文句があるなら、十の人も自分で有利な状況を作ればいいじゃない」

「だから待ってくれ。そのやり方で、本当に俺へのリベンジを果たせることに……」

「私のリベンジの意味を、そっちで勝手に決めないで。これが私の復讐よ」

 極端に低い声で、宣戦布告する羽雲。

 文化系怒らすと怖いなぁ、などと勇魚の他人事発言が聞こえるが、確かに言葉の意味の争奪戦などという、根本からの戦いは体育会系には無理だろう。

 さすがに二の句が継げないでいる仁にも、羽雲は手を緩めることはしない。

「攻める気がないんだったら私から行くわよ。私が本当に好きなのは岳――」

「――この騒ぎは何?」

 羽雲の声を遮って聞こえてきたのは閑の声。

 冷水、というレベルでは到底足りない。

 気体さえも凍り付きそうな冷ややかな声が沸騰しかかっていたこの場の温度を一気に下げた。

 遅れて部室にやってきた閑が、男子生徒の群れのさらにその奥から声をかけたのだ。今日は髪を高々と結い上げている。

「また盛った連中ばかりね。半分ぐらいは知った顔だわ」

 舌なめずりが似合う声というのは確かにあって、今の閑の声がまさにそれだった。

 その声に生物学的な危機を感じ取った半分ほどの男子生徒が部室から逃げ出してしまう。

 そして羽雲の変身した姿を確認すると、顎を少し持ち上げて、いかにも睥睨するような眼差しを向けた。

 その、あまりに閑に似合いすぎた行為が、元々必要以上にあった閑の美しさを際だたせている。それに加えて閑はわざわざ胸を持ち上げるようにして腕を組み、さらに挑発的なポーズをとって見せた。

 胸の大きさで言えば羽雲の勝利ではあるが、成長期の一歳の差は大きい。しかも、それを隠していた羽雲とは違い、閑はむしろそれを活かす方向で生活してきた。

 色気で言えば完全に、閑の勝利だ。

「状況を説明してくれる?」

 と閑が話しかけたのは、羽雲でも仁でもなく、未だに残っていた男子生徒の一人だった。

 その言葉にあらがえるはずもなく、学ラン姿の男子生徒は羽雲に誘われたところから、直前まで仁と羽雲間で行われていた舌戦までも説明してしまった。

 色香に迷ったことで、記憶力が刺激されたのかも知れない。

「ふーん、なかなか見上げた根性だとは思うけど、残念だわ」

 説明を聞こえた閑が、すぐさま攻撃を開始する。

「元の怒りが仁に活字中毒であることを否定されたかららしいけど、その腹いせに仁をやりこめて、それで自分の活字中毒の証明になると思うの?」

「ならないッスね」

 勇魚がここぞとばかりに口を挟んでくる。

「自分が中毒だと証明するためのリベンジって言うのも、おかしな話だと思うッスけど」

 しかも無視しにくい感想付きだ。

「その辺は仁が見込んだ相手だから気にしないわ。でも、その勝負のジャッジをこんな素人共にやらせるのは、完全に本末転倒。そうじゃない麻生?」

 羽雲は反論も出来ない。肩がふるふると震えているが言葉が紡ぎ出せないでいる。

 理は完全に、閑にあった。

「リベンジというなら、こっちの土俵に乗った上で堂々と持論を展開すればいいじゃない。そうじゃないと所詮自己満足よ。仁が審査方法に納得していない以上、あんたが一人で勝ったと喚いてみたところで虚しいだけよ」

「それは、そうですけど……」

 羽雲のテンションが肩と一緒にだだ下がっている。

「そもそも自分のシンパを集めて、仁に一方的に負けを宣告して、それで仁の心が折れるとでも思ってるの? あんまり仁を舐めない事ね」

 凄みを増した声に、思わず羽雲の額を冷や汗が伝う。

 その声が今度は仁へと向けられた。

「仁も狼狽えてないで、これぐらいは対処しろ。どこから見ても穴だらけの理屈じゃない」

 これには仁も首をすくめるしかない。

「私達の部活は、ある程度知識がある人に向けての活動が主になるの。そんな学生こどもじゃ話にならないわ。それを専門的にやっている学生ならともかく」

 宿題を提出する相手が教師であるから“ある程度知識がある人”とは教師のことを指すのだろう。なかなかに傲岸不遜な言い回しだが、本当のことを言えない以上、これぐらいの表現で留めるしかない。

「あんたたちみたいな素人何人集まっても、どうしようもないわよ。この中で中国史に自信がある人は? 三国志とか読んでるだけじゃダメみたいよ。何だっけ? 眼鏡をかけたエロイ娘の話だっけ」

「やはり塩○雄二は滅びるべきだな」

 間髪入れずに、元凶を除く決意を固める仁。

 そこにどういうわけか、羽雲から閑をフォローするような言葉が放たれた。

「秋山先輩、何の話かわかりませんが、それで自信があるなんて言う人がいたら、確かに私にとっても有害です」

 その言葉が合図になったのかどうか。あるいは実際に「一騎当千」だけを知っている男子がいたのかどうか。

 その辺りは不鮮明だが、それで残っていた男子も残らず去っていく。

 もちろん不満を抱く者がいるだろうが、悲しいかな閑に羽雲、それに気付いたものは勇魚の可愛さまで堪能できたことで概ね納得して帰っていった。

 不満を抱くとしたら、むしろ仁の境遇への嫉妬心からだろう。

「――それで、本当の意味でのリベンジは続けるのか?」

 その仁が、タイミングを見計らって水を向けると、羽雲もすぐさま応じた。

「も、もちろんよ。男子を呼んだのは言わば保険よ。私が語りたいのは岳……」

「岳飛だな?」

 仁が割り込む。

「そ、そうだけど……」

「わからないな、それならそれで何で賈詡なんだ? 全然違うじゃないか。もっと似ている武将がいるだろ。趙雲とか張遼とか……」

「ウウ……」

 それは図星だったのだろう。盛り返しはじめていた羽雲の勢いが鈍る。

 それを見て、いつもの仁のペースに戻ったと判断したのだろう。

 閑は王者の足取りで適当な椅子に腰掛けると、珍しく勇魚がその前に湯呑みを差し出した。羽雲を丸裸にしたことを労ってのことだろう。

 閑は鷹揚にうなずくと、その視線を何だか根をつめて話し込んでいる二人へと向けた。勇魚は肩をすくめてその視線の意味を了承すると、再び急須にお湯を注ぎはじめる。

「……つまるところ、俺の疑問はこうだ。何だって賈詡を好きだって言ったのかって事だ」

「そ、それは……その方が格好良いでしょ」

「は?」

 と、仁の動きが止まったところで、勇魚が二人にも座るようにと声をかけた。仁に聞かされていた計画ではここから長丁場になるはずだ。

 宥めて、脅かす、という二つの工程が残っている

「ありがとう。ええと、加藤さんだったっけ」

 羽雲がその勧めに従って腰を下ろしながら勇魚に声をかけた。

「勇魚で良いッスよ」

「じゃあ、勇魚ちゃん」

「ちょっと待て、それ自体が面白いじゃないか!」

 一方で立ったままの、仁が突然叫んだ。

 羽雲はさすがに驚いたが、勇魚は慣れているので、そのまま勇魚の前と仁が座るであろう場所に湯呑みを置いて退避していく。その姿が避難しているようにも見えた。

「賈詡と答えた方が“格好良い”だと? じゃあ、趙雲とか張遼とか、もっと言って岳飛とか言い出すと格好悪いのか?」

 その台詞だけを捉えれば、非難しているようにしか聞こえないが、その前に仁は「面白い」と言っているわけで、羽雲もとっさには返答できない。

 だが、羽雲も昨日とは違い覚悟を決めてきたのである。

 まず、誤解を招いていそうなところを潰していくことにした。

「勘違いしないで欲しいんだけど、私はそういった人が格好悪いと言ってるわけじゃないの」

「賈詡が特別に格好良いというわけではなく?」

「そう。あくまで私の問題なのよ。なんて言うのかしら……そういう人達の名前を安易に出すのって、ミーハーみたいでしょ?」

「ミーハー……」

 およそ、中国史を論ずる時には出てこない単語だ。

「……じゃあ、賈詡はミーハーじゃないわけか」

「だってそうでしょ、あんな渋い生き方そんなにないわよ」

「で、あまり人が好きだとは言わない?」

「まぁ……そういう“通”ぶってみようという考えが無いとは言わないけど」

 そこまで聞いて、仁はうーんとうなり声を上げて黙り込んでしまった。

 あまり褒められない告白をした直後だ。また無茶苦茶に言われると、半ば覚悟して首をすくめていた羽雲へ、仁はこんな言葉をかけた。

「それ、面白いぞ。それで何か考察が出来そうだ。ちなみに日本の武将で賈詡に似ていると思う人物はいないか?」

「え? ええと……陶晴賢とか?」

「なるほど! それは面白いぞ。俺も賛成だ。似ている点を洗い出してみよう。まず陶晴賢は結局滅んでいるが――」

「それは、毛利元就と敵対してしまったことが原因だと思うわ。あの武将も尋常じゃないもの」

「曹操と敵対した賈詡?」

「ああ、そうね。そういう風に考えると比較しやすいかも――」

 そのまま、時に言い合いにはなるが、昨日とは違い議論を途切れることなく話し続ける仁と羽雲。

 そんな二人の様子を、閑と勇魚がまったりとお茶を啜りながら眺めている。

「……仁がやたらに楽しそうなのは、作戦の一環よね」

「いや、どう考えても違うっしょ。シメキリ先輩、往生際が悪い」

 確かにどこからどう見ても仁は全力で楽しんでいた。

 だが、自分は――自分達はそれを呑気に喜んでいる場合ではないはずだ。

 閑の苛立ちは募る。

「何でそんなに余裕なのよ。危機感覚えなさいよ」

 もちろん声は、仁争奪戦に強力なライバルが登場したことを危惧しての台詞である。

 だが、勇魚の方は呑気なままだ。

「十先輩となら、ボクはいつだってあのぐらい話が弾んでるッスよ。ボクをシメキリ先輩と同列に並べようたって、無駄ッスよ」

「う……」

 容赦のない後輩の言葉にたじろぐ閑。

「それに、十先輩が色恋沙汰に物事考えないのは知ってるっしょ。シメキリ先輩がそう仕向けたんだから」

 その言葉に閑の目が見開かれる。

「……な、何で……知ってるの?」

「あ、やっぱり当たりだったッスね。どうも昔の話聞いてると、シメキリ先輩の企みが見えてくるようだったんでカマかけてみたんスけど」

 勇魚が相変わらず呑気にそう答えると、閑は今度こそ言葉につまる。

「それについては感謝してるッスよ。今度、十先輩が喜びそうな話については相談に乗ってあげるッス」

「本当?」

 途端に喜色を取り戻す閑。

「じゃあ、優先的に身につけるべきヲタク知識を……」

「オタクが優先的に身につけるべきのは知識じゃないッスよ」

「え? でも仁は……」

「あんなオタクの特別変異みたいな人、手本にしちゃダメッス。ボクが思うにオタクに一番必要なことは――」

 勇魚が極意を口にしかけた途端、

 ガタン!

 ガタタタタタン!

 一度も座られたことのない、パイプ椅子が音を立てて散らばっていく。

 その内の一つは折りたたまれて、羽雲が高々と頭上に掲げている。

「いちいち喧嘩売るの止めてくれる!」

 一方で、仁の方は涼しい顔で落ち着くようにと羽雲を宥めている。

「――あれッスよ、シメキリ先輩。オタクは喧嘩しちゃダメッス。オタクは争い出すと泥沼になるッスからね」

「それは……厳しそうだわ。あたしにも――」

 そこで閑は仁に宥められて、渋々腰を下ろす羽雲を観た。

「あの娘にもね」

 座りはしたものの、羽雲の表情は険しいままだ。

 勇魚の理屈では、羽雲にはオタクにはなれないということだ。

 つまり仁を巡るライバルにはなり得ないと言うことでもある。

 思わずほくそ笑む閑を見て、肩をすくめる勇魚。

 確かに、羽雲には大人しいオタクにはならないかもしれない。だが、争いを好むオタクも存在する以上、それはオタクの絶対的条件ではないのだ。

 それよりも、羽雲には仁を巡るライバルとなった時に、非常に厄介な資質を持っていることを恐怖した方が良い。

 そう――


 ――麻生羽雲は決して負けを認めない。

前書きで大体書いたので、ここで書くことあんまり無いです。

ここまでで、面白そうだと思ってくれる方がいればいいんですけどね。

キャラクターが結構強烈なので、好き嫌いが別れそうです。

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