普通でいい。と人は言う
歩を進めることおよそ30分。
海藍町に到着するのにおおよそ時間はかからなかった。芙蓉の早足についていったせいだ。いつもよりもかなり時間がかなり短縮された。本来なら予定より早く到着することに不都合はないが、このときに限っては不都合だった。
蓬は頬を伝う汗を手の甲で拭い言った。
「ふぅ・・・ふぅ・・・ねーお前歩くの速い疲れた休憩しよ」
蓬がいつもと違うペースで歩かされたことを不服に思い愚痴ると
「待てや。どう考えてもお前が遅ぇしたかだか2,3里程度でくたびれんな」
芙蓉にはぶすっとした表情を俺に向け一蹴されてしまった。
どうやら蓬の歩調は他人には不快なほど遅いらしい。しかし、蓬とて何も考えてなかったわけではない。普段のペースで歩いてピッタリ10時に街に到着する配分だったのが狂ってしまった。蓬は暇な時間ができてしまったのをどうするべきかと腕時計に目をやるうちに呼吸を整えた。
「だってこの時間じゃどこの店も開いてないだろ。」
「知らねーし」
まるでどうでもいい、というような反応だった。
昼の海藍町はもっぱら夏のような暑さだった。季節は春とも夏とも言えぬ、移ろいの5月下旬。ゴールデンウィークのほとぼりもすっかり冷めてしまって、これからやってくるであろう夏を先取りしているかのような熱気を感じる。
事実、道ゆく人々の中にもちらほらと半袖を着ている姿が見える。新聞でも取り上げられていたが、今年は近年稀に見る猛暑だそうで、また雨も少ないらしい。ビルの反射光も加えて体感温度は倍以上にも膨れ上がる。だからといって雨乞いが重宝されるなんてことは天と地がひっくり返ってもありえないわけだが。
「早く着いちまったものはしょうがないか。どっか開くまでその辺をぶらぶらしよう。」
「おう!」
歩くのが遅いのは怒るのに、目的もなくぶらつくことには文句はないのか。
そこになんの差があるのかはしらないが、これには芙蓉も快く賛成してくれた。
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なんとなく歩いていたら、気づけば俺達は、昨日のあの公園にたどり着いていた。
昨日は名前なんて気にする余裕もなかったし、そもそもこんな所まで来る用事も今までなかったから知らなかったのだけど、ここは『都裏公園』というのだそうだ。
街の隅っこにあるから都裏なのだろうか。多分違うのだろうけど。
「蓬!花壇がいっぱいあるぞ!ほら、花もいっぱい咲いてる!」
来るなり芙蓉ははしゃいでいた。
この公園は都裏とか言う割には文字通り華やかな公園だった。
真ん中に噴水があって、それを囲うように円形の花壇があり、ベンチと通路がありまた花壇があり・・・。都裏と言うよりかは、裏庭といったほうがしっくりくるような気もする。
・・・・都会の裏庭って言うと、なんだか秘密の庭園みたいで響きは好みかも。それに、見ればカモミールやスイートアリッサムのような素朴なイメージの花から、チューリップのような鮮やかなものまで揃っている。ベンチの外側の高花壇には紫陽花も生えていて、花の種類はバラバラなのになかなかどうして見ていて面白い。俺まで当初の目的を忘れて、ここに居座ってしまいそうだった。
ってゆーか、楽しい。やヴぁいここ好きだ。
芙蓉は「花の匂いはしてたけど、気づかなかったな。」なんて口を尖らせている。その割には楽しそうで、その男口調とは裏腹に花に戯れる姿は実に女の子らしい。しかし、喜んでいるからかふりふりと尻尾を振っているさまはまるで犬のようでなんとも滑稽である。
「さっきも言ったけど、あんまり尻尾振るなよ。人に見られたら誤魔化すのメンドイんだから。」
「え?・・・あ。」
今のところ近辺に人の気配はないけど、念のため注意しておく。芙蓉は思い出したように自分の尻尾を見つめ、両手で揺れる尻尾を抑えた。止まってないけど、一応努力はしているつもりらしい。揺れる尻尾をじっと見ていると、芙蓉は俺の方を睨みつけてきた。視線に気づいて見てみれば、芙蓉は顔を若干赤らめていた。
「お、おい。あんまりじろじろ見るなっ。ハズいだろっ」
「ハズいのか。」
「ハズいよっ」
狐の価値観というのはよくわからない。まぁ、芙蓉がそういうので俺は腰掛けるベンチを探すために周りに視線を移した。近場のベンチに座ると、やはり芙蓉がこちらを睨んでいる。尻尾は止まったみたいだけど顔は赤いままだった。それから何を思ったか、芙蓉はこちらに近づき、俺の隣に腰掛けた。
「・・・・なぁ、蓬」
芙蓉は花壇を見ながら口を開いた。
「あのさ、尻尾振るなとか言うけど・・・・やっぱ難しいよ。楽しいとどうしても振っちゃうよ。」
・・・・・俺には、その言葉がうわ言のようにも聞こえた。
それが俺には、ふと心に引っかかった。
思っていたとおり、どうやらこの尻尾は楽しいとか、嬉しいとか云う正の感情に左右されて揺れるようだ。ただし、芙蓉の話を聞く限りだと尻尾の動き自体も感情的なものらしく、自主的に制御できるものではないらしい。
つまり、アレか。芙蓉の意思とは関係なく勝手に動くということか。
まぁ、ある程度どうにか出来るようではあるが、芙蓉にしてみれば酷な話のようだ。
・・・・よくよく考えて見れば、それはそうか。感情に左右されて動くというなら、尻尾を動かさないためには楽しいと思わないようにしなくちゃいけないということだ。
それは、いうなれば感情を殺すということ。
芙蓉は見れば一目瞭然のごとく、自分の気持ちに素直だ。そんな奴にいきなり“楽しむな”と言うのは、やはり間違いなのだろう。
それに、芙蓉の言い回し。どこか感傷的なニュアンスを含む物言い。
まるで、この昨今に幸福の一つもなかったと、こんなに楽しいのは初めてなのだと暗に告げているかのような・・・・。
それは、往時の不幸を憂うようで。
それは、切ない想いを忍ぶようで。
勝手な思い込みかも知れないが・・・・・俺は、少し無茶を注文し過ぎたのかもしれない。俺は頬をかいた。
思うが早いか、俺は口を開いていた。
「悪い。無理しなくていい。」
ホント、俺はデリカシーが無いというか一言余計だというか。こんな後悔ばっかりだ。
昔から何も変わっちゃいない。変えなきゃいけないことなのに・・・・。
芙蓉は目を瞬かせたて、俺を見た。
「え?あ、いや、別に無理とかじゃ・・・・ってか、なんで謝んの?」
「・・・・や、なんとなくな。」
なんか、こっちまで恥ずかしくなってきて顔を逸らした。
後ろからは芙蓉のはい?どういうこと?とかいう声が聞こえた。
「・・・・・・ん?」
そして顔を逸らした先を見て、俺は思わず目を見張った。公園の入口付近、そこに人影が映る。そこには、見覚えのある少年が立っていた。
すると向こうも俺の気配に気がついたのか、こちらを見る。そいつは俺と目が合うなり、俺と似たような反応をした。見知った顔に驚いているようだった。それは俺も同じなのだけど。
「うわ、見間違いじゃないよな・・・・」
別に会いたくなかったわけじゃないけど、俺は思わずそんなことをつぶやいていた。
そいつは苦笑しつつ俺の方へと寄ってきて、そして言った。
「奇遇だねえ。こんなところで会うなんて思ってもみなかった。」
そいつは『三条 甘夏』という、俺の数少ない友達の一人だった。