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朝、露、水の音

「おはよう」


この言葉を家で言うのは、何年ぶりになるだろう。


普通の人が聞いたらきっと驚くだろう。


だって、「おはよう」って当たり前の挨拶だから。


朝起きて、おはようって言う。


おはようが、自分に返ってくる。


それが当たり前であって、かけがえの無いものだ。


でも、俺にはその当たり前がなかった。


おはようは、自分に返ってこなかったのだから。


いつも、おはようと言ってくれた人は、俺の前からいなくなるから。




      *          *          *




「芙蓉。朝だぞ」


朝だ。朝が来た。それはもう清々しい快晴の朝が。


陽光は暖かくも柔らかく包み込むように部屋に差し込む。


小鳥がさえずる声は耳に心地よく、少し湿気を含んだ緑の匂いが肺をいっぱいに満たしてくれる。


そんな中、ただ一点のみ暗雲の立ち籠める箇所があった。


菜丘家一階、茶の間の中心、さらに細かに言えば狐娘の眠る枕の西側に10cm。


正座した刺々しい表情の蓬が、芙蓉の寝顔を見つめていた。


「いい加減起きくだされ駄狐さんや。呼んだぞ、お前。何回名前呼んだと思ってる。10回以上呼んでるし、揺さぶっても反応なしと来たら。せっかく朝飯作ったのに冷めるだろー」


「・・・・・・・うにゅ・・・・・」


「わー、媚びた寝言を」


がくっ・・・・と蓬はとうとう脱力する。なんだか、無理やり起こそうとしてるのがアホくさくなってきた。

はぁ、と短くため息をついて、芙蓉の頬をつつく。会った時から思ってたことだけど、どんな時でも自由マイペースなやつだ。


しかし、蓬としてはそれでは困るのだ。とりあえずこいつの着ている寝間着を洗濯したいし、布団も干したい。なんとしても起きてもらわねばならなかった。

どうしたものかと、芙蓉の寝顔を眺める。もう一度揺さぶってみるが、やっぱり起きなかった。


あどけない寝顔は、崩れぬままだ。起きている時の強気な表情は、そこには微塵もない。


「・・・・・・黙ってれば・・・結構かわいいな・・・この子・・・」


気づけば、そんなことをつい口にしていた。どうせ聞こえてないのだろうけど後からセクシャルハラスメントの可能性に気づき、起訴を危惧して一応言い訳だけ予めこしらえておく。

なんて気楽に構えていたのだが




ぴくっ




「・・・・・・・ん?」


不意に芙蓉が若干動いたような気配がしたので、視線をそちらに戻す。


ぴくっ ぴくぴく


見れば、狐耳がなんとなく動いているようにみえる。


「・・・・・・・・・芙蓉?」


ぴくんっ


「・・・・・・・もしかして、起きてる?」


びく!


気のせいか、表情にも若干陰りがあるように見える。口の端を引きつらせて、蓬はそいつの名前を呼んだ。


「おいこら紅菊」


こらえきれず、蓬は芙蓉の狐耳をぎゅっと摘んだ。


「ひゃうっ!!?」


ぐっすり寝ているかと思われた芙蓉は、俺が耳を摘むと同時に妙に艶っぽい声を上げて両目を見開いて飛び起きた。


「お前、狐のくせに狸寝入りかよ」


耳を掴まれたことがそんなに驚いたのか、芙蓉は布団を跳ね飛ばし即座に俺から数歩離れる。自分で耳を守るように頭を抱えると、口元をわなわなさせながら蓬を見る。


「や、だ、だって、お、お布団、気持ちよくて、こんなの、だって、っていうか、お前、私のみ、耳・・・・!つか紅菊ダイナミックじゃねえし」


よほどビビったらしい。芙蓉のろれつは回ってなくて、思考もまとまってないらしい。狐って耳を触られるのがそんなに嫌なのだろうか。


「まぁ、布団が気持ちいいのは同感だけど、朝だから起きろな?」


「あ、朝ってお前」


芙蓉は枕元の時計を見やり、それから言った。


「まだ6時じゃねーか!」


「それがどうかしたか?」


「どうかしたかって、全然早いと思うんだけど。」


「俺はもう1時間早くに起きてる」


「早寝早起きだと!?超健康的な生活しやがって気色ワル!」


「したらダメなのかよ。なんでもいいけど、朝飯出来てるから着替えたら台所に来いよー」


「飯!?あざーす!」


思っていた以上にゲンキンだった。



ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー


「ごちそーさま!」


芙蓉は朝食を平らげてご満悦の様子だった。今朝のメニューも白飯と味噌汁だけという、芙蓉からしてみれば二食連続で同じ献立だが、彼女はそれでも文句を言わずに食べてくれた。


それにしても、芙蓉の食いっぷりは見ていて感嘆さえした。白飯のなくなる速度の早いこと。ちゃんとかんで食べてるかどうか逆に不安になるくらいだった。


勿論、昨夜ほど食わせてはいない。あのペースで毎度飯を消費されては、こっちの家計もたまったものではないからだ。・・・と言いたいところだが、そもそも芙蓉が今朝はそれほど食べようとはしなかった。



どうやら昨夜に限って極端にお腹が空いていたらしい。聞けば、数日間まともに食事を取れなかったとか。それで、アレほど暴食の極みに至ったというわけだ。おかげで今日の芙蓉は消極的で、茶碗2杯しか白飯を食していない。そのことを聞いた直後に、


「私食いしん坊キャラ違ぇし!勘違いすんな!」


と釘を差されてしまったわけだが。


さて、食事を終えて一息入れる蓬と芙蓉。今日は日曜日で、特に用事もない。

蓬はコーヒーで一服しつつ、朝刊を広げる。真正面に座る芙蓉は、コーヒー牛乳を飲んでまったりしている。ブラックは無理らしい。コーヒー牛乳こそ至高であるとのこと。


時刻は7時半。蓬の日曜日は毎週、こんな様子でのんびり過ごされる。一週間の疲れとかを忘れるように、特に何も考えず、時間を無為に過ごすのだ。俺にとって、それが一番至福であって、幸福だった。


対する芙蓉はマグカップを口につけつつも、どことなく落ち着かない様子だった。キョロキョロと台所を見回したり、廊下の奥に目をやったりしている。


「・・・・・どうかしたか?」


なんとなく気になって、俺は芙蓉に話しかける。


「・・・・・・いや、なんて言うか、どこ見てもボロいなと思ってさ。」


「なに唐突に居候先ディスってくれてんの。神様だからって何でも許されると思うなよ」


蓬もボロいのは認めているが、そこまで直球で物を告げられると家の所有者としてはものすごくフクザツな気分になる。


「いや、別に悪く言ってるわけじゃねーんだ。味があっていいんじゃねぇの?」


芙蓉はそう言った。一切の悪気はなさそうである。


「味、ねえ。どこを齧っても渋味しかねえけど」


芙蓉は続けて言った。


「それにしても、この家広いな」


その声はどこか楽しげだった。


芙蓉は生まれてこのかた野宿生活続きであったという。屋根の下自体彼女には珍しくて、蓬の家のように広めの家は案外驚きが大きいのかも知れない。蓬は芙蓉が野宿生活を続けていた理由に特に興味を持たなかった。狐神なのだからそういうこともあるだろう、くらいの気持ちでいた。


だが、逆に芙蓉は俺の生活には興味津々のようだった。


「なんでこんなに広いんだ?」


なんでと言われても困る質問だが、蓬は少し考えて


「さあね。ウチが神社だからだと思うけど、詳しいことは知らね」


そう答えることにした。投げやり感が否めないがそれ以上の回答を持ち合わせていない。


「へぇ、神社なのか!何を祀ってるんだ?」


どうやら興味は絶えないらしい。芙蓉は至って楽しそうである。

神社というからにはなにか祀ってるんだろう?と、芙蓉は加えて問う。


(狐神ってことは、こんな姿をしててもこいつは神様ってことなんだよな。同じ神様として、神社に祀られてるものは気になるものなんだろう。蓬はそのようにに解釈した。


水神みずがみ様だよ」


蓬は単刀直入に答えた。

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