青い空、白い雲
「あつい」
薄暗闇の中で俺は言い放つ。7月といえど気温は30度近いこの部屋。扇風機の風を受けてもなお寝苦しいと言うのに、シングルベッドに二人が密着なんてすれば、もはやそこは蒸し風呂である。風呂にならさっき散々浸かったと言うのに。
「いいじゃん。明かりのない部屋、深夜の密室。ベッドの上に男女が二人とくればやることなんて一つしかないぜ。ほら、私いまノーブラだぜ?」
ふんす、と鼻息を荒らげる狐娘。意図的に使っていたらしい私という一人称だが、俺という男ができたためにオスとしての自分とは決別する意思表明のためかどうやら今後も継続して使われる模様である。そしてまさに女としてのアピールに繰り出したようで右腕には確かにブラの存在を省いた柔らかい感触が押し当てられている。今こそうら若き男女の健康的で健全な愛の営みこそあらんシチュエーションで、俺はごくりと喉を鳴らしてしまった。
距離感がはっきりした瞬間オープンスケベである。両思いであることが相当ご満悦であるらしく、テンションが上って眠れないらしい。犬のように転げ回り嬉ションでもしかねない騒々しさではあるが、かたや俺もそのクチである。風呂から上がって芙蓉と髪を乾かし合い、尻尾の手入れを手伝い、コーヒー牛乳で一息入れて歯を磨いてここに至る。だというのに、体の火照りは治まりがつかずラブバードを模したように互いを求め合って肌をすり寄せている。紛うかたなき阿呆である。きっと暑さに頭をやられたのだろう。こういう時、霊でも現れれば少しは冷えたりするだろうか。・・・・いや、目の前にいたな。とびきりのが。
「・・・・・・それにしても、どうしてお前は俺のことなんか好きになったんだ?」
寝苦しさに挫けた俺は、隣の元気そうな娘に昔話でも聞かせてもらおうとその源流を訪ねることにした。惚れてくれることには文句の一つもないのだが、なにせ俺にはそのような気にさせた心当たりがないのだ。一度だって芙蓉を口説いた覚えはないし、アピールポイントも何一つない。男らしささえ雀の涙というのにどこにそんな要素があったというのだろう。芙蓉は「野暮なこと聞くねえ」とは言いつつもパタパタと尻尾を弾ませながら答えた。
「んー・・・・それがですね。恥ずかしい話が、一目惚れなんですよ。」
「なんだ寝言か」
胡散臭え、とばかりに俺は鼻をひくつかせた。そんなものは都市伝説だと思っていた。一目惚れとは要は面食いであり、可愛いorかっこいい→好きという全く根拠のない恋愛欲求であり、お米の種類である。一目惚れが成就するはよっぽどの一途な努力家か物語の主人公か立派な米農家だけだ。しかも俺の見た目なんてとてもじゃないが女が一目惚れするような・・・・・・・そこまで考えて、まさかと気づく。
「ひょっとして、根っこがオスだから?」
「うん。」
即答だった。芙蓉は女の姿をしているがその実、精神は男性である。と言っても男性だったのは彼女がまだただの獣であった頃…神に転生する200年ほど前の話だ。芙蓉は自身の精神を男性と称していたが、体だけ女に性転換した男が男に惚れたと言うならまだしも、獣畜生の頃の性別を参照にされたところで果たしてそれは男が男を好きになったとカウントするに値するのだろうか?俺にはそのあたりの倫理観を測りかねるのでなんとも言い難いが、芙蓉にとっては深刻な問題だったらしい。ともかく、芙蓉は男であったからこそ、女のような見た目の俺に一目惚れをしてしまったのだという。ふりふりとまた尻尾を揺らしながら晴れやかな面持ちで芙蓉は言った。
「それで、その後すぐに匂いで蓬が男って気づいたんだけどさ。むしろこの見た目で男なんて都合がいいじゃん。それに蓬からはなんか懐かしい、いい匂いがしたから逃がすか!って押しかけた。いや、あの時は焦ったね。男なんて性欲に語りかけて乳でも掴ましゃこっちのもんだって思ってたのに、蓬ったら驚くほど奥手なんだものなぁ。まぁ考えてみれば男に襲われる男になんて期待すべくもなかったな。けど、思ってた以上の男だったよお前は。一緒にいるのが楽しい。それに女装に照れる顔は格別に興奮した。」
そこはかとなく馬鹿にされているような気がするが、芙蓉に出会えたのはこの顔のおかげであるらしい。喜んでいいのか、結局芙蓉もつまるところ面食いだったわけである。しかし、共に過ごすうちに俺の内面にも惹かれてくれたと言うので、複雑な気持ちは留まるところを知らない。
「じゃあ、俺がもし普通の顔だったら・・・それか、普通の女だったら芙蓉とはこうはならなかったのかな」
「普通の男の顔だったらチンピラにナンパはされないだろうから助けなかったろうし、普通の女だったら私、告っても断られてたかもしれないか。ま、たらればの話なんて無意味なことよりさっさとデートの予定でも立てようぜ。命短しなんとやらって言うだろ」
極めて芙蓉の言はストイックだった。納得の行方はともかく、いろいろな条件が重ならなければ俺と芙蓉の絆はこれほど深いものにはならなかった。縁結びの神様になんて今まで祈ったこともなかったが、この喜びはすべからく感謝に値するだろう。近日中にはその手の神社に報恩にでも向かおうかしら。気づけばそんなことを考えていた。
「そうだな・・・生きてるうちにできることやっとこうか。」
人生19年。自分がこんなに生き生きとしていることが初めてである自覚もないまま、俺は近い未来に思いを馳せる。残りの時間をずっと芙蓉と過ごし、叶うなら芙蓉に看取られて逝きたいものだと心の底から願った。生きることへの執着を思い出したことが、まさかこんなにも幸せなことだとはきっと芙蓉に出会わなければ一生気づくことはなかったかもしれない。芙蓉への感謝を込めて、俺は芙蓉の額に軽く口づけをした。驚いた様子で芙蓉は言った。
「なっっ・・・!蓬が・・・・!蓬がなんか、積極的!?よし、この流れでいっちょまぐわおうか!」
「ムードもへったくれもなしによくやる気になれるな。」
「男なのになんでこう、蓬は性欲に正直にならないかなぁ。これだから童貞は度胸が・・・・」
「言っておくけど俺一応経験は・・・・って、あ。しまっ・・・・」
「はあ!?ま、待てよ!嘘だろ!?いつだよ!どこの誰と!」
「あ、い、いや・・・・それはその・・・・・・はぁ・・・・・・何年か前に誘拐されたことがあって、その時にちょっと。・・・いろいろと。」
「はああああああああ!?お前、そういう大事なこと・・・・・・・!ああもう、クソッ!くっそぉ、また涙が・・・・蓬、顔こっち向けろ。せめてほっぺただけでもよこせ。」
芙蓉は返答を待たなかった。優しくとか言っておきながら力任せに頭を引き寄せられ、頬に唇を押し付けられた。情欲にまみれた押し付けがましい接吻しか知らない蓬には、この強引さすらも今は心が温められた。
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー
翌朝、若干苦しそうに眠る蓬の横で、芙蓉は先に目を覚ます。愛おしそうにその顔を見つめた。
芙蓉は着崩したジャージを軽く正すと、ベッドの近くに転がっているだろう蓬のスマホを探り、それを拾い上げた。充電の少なくなっているのを見たが、芙蓉は構わずラインを起動し、キンギョに向けて通話を試みた。しばらくして眠たげな声がスピーカーの向こうから聞こえてきた。
「んー・・・?蓬くん?どしたん?」
「あ、キンギョ?私。」
「あれ、芙蓉ちゃん?おはよー、どうかした?」
「なあ、一つ聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「なんか深刻そうだけど、ほんとにどうしたの?まぁ、私に答えれることならなんでも聞いてよ。」
「・・・・・キンギョと蓬が出会ったのって、いつどこでか覚えてる?」
「え?あー・・・・・いつだっけな。ああ、覚えてる覚えてる。確か私は8歳くらいだったかなぁ?バスの中であったんだ」
「それって、紅葉狩りのツアーバス?」
「いんや?普通の市バスだよ?たまたま会ったんだけどぐずってるのをお姉さん気分であやしたら懐かれちゃってさ。それで家が近いのを知ったから、それからよく会うようになったんだよ。あの頃は純粋で可愛かったのにねえ。それがどうかした?」
「いや・・・・ありがとう。それだけ聞きたかった。」
「・・・・?芙蓉ちゃん、ねえ、なにか・・・」
そこで、充電が切れてしまったため、通話は強制的に途切れてしまった。
芙蓉は黒い画面と、蓬の顔を交互に見やる。そして誰にともなく静かに呟いた。
「蓬・・・・キンギョ・・・どっちだ・・・・?」




