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かかる雲

いつだって、嵐と言うのは突然現れるものである。実際カトリーヌだのなんだのと名前をつけて騒ぎ立てていられるほどゆとりに満ちたものではない。

それは告知なく、遠慮もなく、自分も周りすら意図せず巻き込む。

嵐とはその名の如く、荒らしかき乱して去ってゆくのだ。

「っしゃー、いい土産も出来たし久々に訪ねてみますかねえ!」

その嵐は、清々しいほど思いきりが良い。

*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*


夢中になっていた。故に忘れ去っていたのだ。俺は芙蓉の小さなつぶやきを聞き逃し、芙蓉が何の気なしに俺の服を捲っていたことにも気づかなかった。


(……え…なにこれ…………?…ひッ!?)


芙蓉が見たものは。


無数の、ひどい傷跡だった。切り傷のような痕、火傷のような痕、削られたような痕、何かが刺さったような痕。どの傷跡も古いものではあったが、肉の至る所がえぐれていて、へこんでいるように感じられたのはそのためだと悟った。


(なんだこれ・・・なんだこれ・・・なんだこれなんだこれなんだこれ!)


見たものはおぞましく、悲惨で、凄惨だった。痛々しくて目を背けた。見たことを激しく後悔した。顔が青ざめてゆくのがわかった。息を呑み、声が震えそうになるのを必死でこらえた。


___見なかったことにしよう____!


手が止まっていたことに気がついて、慌てて作業に専念しようとする。


「・・・あれ、どうした?もうおしまい?・・・・・って、あ!」


芙蓉の指が止まっている。俺が怪我を見られたことに気がついたのはこの時だった。見たかどうか問うまでもなく、芙蓉の態度がそれを物語っていた。


「見てない!見てない!見てないっ!」


体を捻って見上げた芙蓉は、必死に作り笑いをしていて、でも今にも吐きそうなくらい血色の悪い顔をしていた。口元は引きつって、目だけは笑おうにも笑えていなかった。


「ご、ごめん、ちょっと私も疲れちゃって…。つ、次はどこがいい?」


「芙蓉、無理しなくていい。」


すべてを把握した俺は、とりあえず落ち着かせようとそう言った。

パニックになりかけていた芙蓉も、真っ直ぐ見つめる俺の視線に気づいて、少しづつ平静を取り戻していった。しかしそれもつかの間で、すぐに芙蓉は俯いてしまった。


「・・・・ごめん・・・・・・」


謝るようなことはしていないはずだが、芙蓉はそう言った。その心境は俺にも何となく分かった。何をいうのも憚られて、ごめんとしか言えないのだろう。


「・・・・・・なんでかな。私、今日やることなすことずっと裏目に出てて・・・よもぎのために、何かしたかっただけなのに、余計なこと・・・ばっかり・・・・」


「芙蓉」


俺の体は、自然と動いていた。今にも泣きそうな芙蓉を、気づけば優しく抱きしめていた。今までなら誰にもこんなことしなかっただろう。けれど、今はこうするのが一番だと思ったし、芙蓉にならできると思ったのだ。


「気にするな。まぁ、あまり気づかれたくはなかったけど、お前が思ってるほど大したものじゃないし。」


「・・・・・」


驚いているのか、泣きそうなのを堪えているのか。顔が見えないからよくわからないが、吐息が震えているのが耳元で聞こえた。肩を抱くように回した腕の片方を芙蓉の頭の上まで持って行き、今日二度目だが、頭を撫でる。芙蓉を安心させるよう努めているが、頭のなかではそれと裏腹に、俺は少し焦っていた。


あの傷を見られた、とかこんな風に抱きしめて大丈夫だろうか、とかそんな単純な理由ではないと思う。この焦燥の正体はいかなるものか、それはわからない。けど、親に置いて行かれそうになるのを嫌がる子供みたいな、言い知れぬ不安を感じていた。


「・・・・・・よもぎ」


「うん」


何を言われてもいいように、ちょっとだけ身構えて。


「・・・・・私・・・・勝手だね。よもぎはこんなに辛そうなのに、私はよもぎにこうされて、一人だけちょっと嬉しい気持ちになって」


「辛くないよ。というか、それを言ったら俺だって勝手だろ。・・・えっと、いきなりこんな、こと、してるんだから」


自分で言って、現状を再確認させられる。とっさの判断でこういう風にしてしまっているが、今度はこちらが冷静になる番でだんだん芙蓉のからだのぬくもりとか、そのからだの、主に胸とかの柔らかさとか、同じシャンプー使ってるのが嘘みたいないい匂いとかが気になってしまって落ち着かなくなってくる。


「ホントによもぎは優しいなぁ」


そう言って、芙蓉は俺の背に腕を回してきた。傷の溝を探るような手つきで、俺の背中を撫でる。

 再び俺の傷跡に触れて、ぞっとしたらしい。芙蓉の肩がビクリと跳ねたのがわかった。


「痛くないのか?」


恐る恐ると言った面持ちの声だった。一言だけだいじょうぶだと答えると、そうかと労るように傷跡をなぞった。

そんな中、俺の中ではいつ離れようかとそんな打算が働いていた。勢いに任せて『ただしイケメンに限る』な行動に走ってしまってるわけだが、はっきり言って相手が芙蓉でなければ通報されていてもおかしくない。時間が経つほど芙蓉に触れている箇所の感覚は研ぎ澄まされていき、しかし雰囲気が雰囲気なだけに身動きが取りづらい。全ては数秒前に芙蓉が言った言葉に起因する。

 『ちょっとだけ嬉しい気持ちになって』


 これが脳内を幾度も反復する。


わ オレニ? か コウサレテ? り ウレシイ? た ナンデ?? く ナニソレ??? な ワカラナイ い 


頭ン中がぐちゃぐちゃしてきて、口の中がカラカラに乾いている。言葉の真意を確かめるかとかそんなことにかまける余裕もなくプスンと思考が停止して、結局言うことはといえば押すもなく引くでもない当り障りのない言葉。


「えっと・・・落ち着きましたか、芙蓉さん」


とにかく何かしゃべろうとその場しのぎくらいのつもりで発した言葉だった。


だからだろうか。またもや芙蓉の言葉を理解できなかったのは。


____落ち着くわけねぇだろ、バカヨモギ


それは熱にうなされるように、吐息と混じって発せられた、聞き取るのも難しい呟き、或いは囁きだった。



 ゾクリと背中が震えた。



耳に遠く残る、聞き取れなかった言葉の意味。


首筋に微かにかかる、少しだけ粗く生温い吐息。


極めつけは、抱き返すように回された、弱々しくも離そうとはしない芙蓉の腕。



不思議な気分だった。なんとも言えない心持ちだった。形容しがたいエモーションが、それでも繭に包まれたような心地だった。それはずっと拒んできたような、しかし心の奥底で望んでいたような。良かれと思ってしていることではあるが、払拭しきれない背徳感に苛まれているような。今この絵面の中にあるのは、女の子を抱きしめている女のような男が一人という事実だけなのに。

なぜかさっきまで感じていた不安を差し置いて、今芙蓉に対して抱く感情は『ズルい』という言葉に基づく劣等感に近い何かだった。


「ズルいなぁ」


「えっ」


たった今思っていたことを口にされて、ドキッとする。


「私の知らないよもぎが、こんなに・・・・・・知りたい。もっと知りたいよ、よもぎ」


「な、なに言って・・・」


よもぎ、よもぎ、よもぎ・・・・・!と何度も芙蓉は俺の名前を呼ぶ。たじろぎ芙蓉の顔をのぞこうとする俺を離すまいと抱き返す腕に力がこもる。


「よもぎ・・・知りたい・・・。よもぎ・・・知ってほしい。よもぎ、私やっぱり、よもぎが・・・・!」


芙蓉が何か言おうとした・・・その瞬間だった。何の前触れもなく、部屋の扉が開き、





「オーーーーーーーッス!!久しぶりじゃのうーーーーーーー!!!・・・・・・あれ?」




 嵐がやってきた。




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