見えないものと月
「何だかアンディ様も変わったわ。そう思わない?フローラ」
周囲に人はいないので様をつけずに呼んでいる。さっきまで呼んでいたことを思い出すと笑いそうになった。
「そう?私はそうは思わないよ」
レイバンお兄ちゃんは昔も今も変わらない優しさを持っている人だと再度知ることができた。
「みんな変わっていっている。ケヴィンもアンディ様も」
そういえばケヴィンが気になることを夜中に言っていた。私のおかげで自分は変われたのだと。
「イーディ、昔のケヴィンと今のケヴィン、どう違う?」
それに対し、イーディは思い出すように話してくれた。
「そうね、昔は冷たい表情をしていた。表面上は笑っていたけど、心から笑っていない。親しい人とは普通に接していたわ。フローラと会ってからはますますまわりには冷たくなったわ。変わりにフローラには優しく、それとうっとおしいくらいに張り付いている」
「何でそこまで私に?」
「物ではないものをたくさんくれるって言っていたわ」
物ではないもの?見えないものってこと?
どういう意味が込められているのかは知らないが、それはひとまず置いておいた。
「あの頃と比べたら本当に楽しそう」
「ケヴィン、いつも笑っているね」
それが嘘の笑顔だとは私も思わない。いつだって隣で笑っている。
「でも、また笑顔が減っている。何か思いつめたような、苦しそうな表情をするときがあるの」
そのときのケヴィンを思い浮かべたのか、イーディは俯いた。
「イーディ」
「その表情はね、フローラを見ているときが多いの。まるで置いていかれた小さな子どものように」
そんな表情をしているのは私だけと思っていたけど、ケヴィンも?
あのときから抱きしめる力が強くなった。必死に縋りつくように。
「ケヴィンはフローラにはかなわないわね」
かなわない?あのケヴィンが?
「ケヴィンはいつだって強いよ?」
イーディは目を閉じて首を振った。
「力があることは認めるわ。けれど、弱いところもあるのよ?」
彼の弱いところってどこ?
私が視野を狭くしているから、見えていないのかな。
「この話はここまでにしておいて、せっかくここへ来たのだから本を読みましょう」
「うん、面白そうなものを数冊持ってきたの」
「じゃあ、これを読ませてもらってもいい?」
「いいよ、どうぞ」
その頃ケヴィンは食事をするところだった。食事の準備をしながら、フローラのことを考えていた。
初めて会ったときのフローラは足元がふらついていて、顔は青ざめていて、少しぶつかっただけで倒れてしまいそうな細身の女の子。俺が近寄ると、気を失ってしまった。抱き抱えると、重くなかった。そのまま城へ連れて行って、ベッドに寝かせ、改めて見ると、可愛らしく、惹かれた。
女の子を見てそんなことを思ったことはなかった。この子と話してみたい、もっと知りたい、自分を見てほしい。
このときから欲望は膨れていった。戸惑いは最初だけ。どんどんそれが嬉しくなってきた。
何の力もない子じゃなかった。弱くなんかなかった。そう強く思ったのは俺と勝負をしたときだった。自分の守りたいものを精一杯守ろうとする姿に目を逸らさなかった。
負けが見えていても、引こうとはしなかった。怖くて堪らないのに、それでも前に出ていた。
フローラはいろいろなものを教え、与えてくれた。それは数えてもきりがないくらい。
安心・感謝・嫉妬・慈悲・素直・驚き・楽しさ・恋・・・・・・。
何をしているのだろう?
無理していないか、泣いていないか、独りじゃないか。
そんなことしか考えられなくなっていった。
フローラは人を惹きつける力も持っていることは前から知っていた。多くの人達が注目する、近づく、変化を見せていく。それは俺も含まれる。
可愛らしいが、ときどき憎らしく思うこともある。俺だけに感情を向けてくれたらどんなにいいか。
フローラのことでよくイーディと言い合いをしてしまう。向こうもフローラのことが大好きだから余計に苛立つ。まったく、もっと別のことをすれば、二人でいられるのに。
俺が好きになっているようにフローラにも同じくらい好きになってほしいから、抱きしめたりキスをしたりした。
初めて唇にキスをしたときの驚いた顔。本人は無意識だろう。そのあと蕩けた顔になっていた。
もっと見たい。
もう少ししたらまた仕事をしなくてはならない。早くあの子のいるところへ帰りたい。
そんなことを考えていると、ご飯を抱えたノアが俺の目の前までやってきた。
「よう!何考えているんだ?」
「ノア!フローラのことだよ」
「相当惚れているな」
「まぁね。あーあ、あの子と一緒に食べたい」
目の前のご飯を見ながら、本気でそう思う。
「本人とは仲直りはしたのか?」
「怒って俺を部屋に入れないようにしていた」
「あはははは!!相当ひどいことをしたみたいだな?ひょっとしてその怪我もあの子にやられたのか?」
その傷とは額の引っ掻き傷のことを言っている。
「これは猫にやられただけ」
ノアはさっきより大声で笑い出した。
「無様だな!」
「五月蝿いな。久々にやるか?」
「冗談、また今度でいいだろ?」
ようやく笑いがなくなってきた。
「お前、恋愛なんてどうでもよかったんじゃなかったのか?」
「今はそう思わない」
フローラに夢中なので、これが恋愛だと自覚する。
「前までは女を見る度に嫌悪に満ちた表情をしていたのにな」
だってうっとおしいから。
「俺に擦り寄ってくるものなんてフローラだけでいい。他は邪魔だよ」
どの女を見ても、同じ顔に見える。視力が低下したのではない。
「そうだ、学園祭のときにフローラ達と会ったぜ」
フローラたちと会った?何それ?
「そんな話は聞いていない」
「おい、殺気が出ているぞ!何もしていないからな!」
否定すればするほど、怪しく思えてくる。
「じゃあ何をしていたの?」
「ちょっと話をしていただけだ。俺はあの日、ルアナと行動していたんだ」
「変なことはしていないよね?」
ノアをじっと見ると、頭を抱えた。
「少しは信頼しろよ。何もしていない」
「ノア、フローラはいろいろな人達とすぐに仲良くなる。お前もだろ?」
「友達って言うほど、まだお互いのことを知らないぜ」
そう言われたらそうだ。
「数回しか会っていないからね。あの子がどれだけ可愛いか、そんなの俺がよくわかっている」
「惚気話を聞かせる気か?」
ノアは勘弁してほしそうだった。
「そんなに聞きたいんだ。ふふっ、いいよ」
「いや、俺は・・・・・・」
遠慮しているノアに話を聞かせることにした。
「フローラのどんな表情も好きだよ。寝ているときは布団を取り上げたら、俺にしがみついてくる」
布団をかけたままにすると、何の反応も示してくれないからそうする。
「まさか一緒に寝ているのか?」
「最近はね。肌が白いし、柔らかいし、無意識に誘ってくるから理性と戦うことに必死だよ」
ときどきキスをしているけどね。本人は夢の中で起きる気配はない。
「あとは俺が意地悪したときに見せる泣きそうになりながらも睨みつけてくるのもいい」
「頭、大丈夫か?」
ノアは俺の額に手を当ててくる。
「失礼だな」
ノアの手を容赦なく叩き落した。
「だって恐ろしい発言ばかりするから」
痛がりながら自分の手をさすっている。
「素直に言っているだけだよ」
ご飯を食べるノアの速度が遅くなった。
「何を食べているのかわからなくなってきた」
「じゃあ俺がもらう」
ご飯を自分に寄せようとすると、ノアは全力で阻止した。
「てめっ、自分のものがあるだろう!」
「嘘だよ。そんな食べかけのものを本気で欲しがらない」
「誰にもやらない!」
食事に味気なさを感じたので、常に持っているフローラの写真を取り出した。
「それ、学園祭のときの写真か?」
「見ていいのは俺だけ」
見ることに夢中になっていると、ノアが話しかけてきた。
「にやけているぞ」
「それほどにやけていない」
「こんな顔を見たら、さすがにメイドも引くだろうな」
「フローラに俺だけのメイドになってほしい」
「まじかよ!?」
「そしたら今よりもっと独占できそう。それに似合うだろうしね」
「それ本人に言うなよ?」
「どうして?」
「怒るか、真っ赤になって逃げる」
「逃がさない」
「フローラ、厄介な奴に好かれたな」
「本人の前でそんな言い方はないんじゃない?」
「事実を言ったまでだろう」
「早く会って抱きしめたい」
「このあとの仕事もしっかりとやろうぜ」
写真をしまい、残っているご飯をさっさと食べ、仕事を再開した。
それから仕事が終わった夜に俺はフローラを散歩に誘うことにした。
「これから二人で出かけよう」
俺の誘いにポカンと口を開けている。
「どこに?」
「どこか。フローラが行きたいところがあるならそこでもいいよ」
「私はここにいる」
それは言わないでほしかった。
「退屈させないで。時間があるから行こう」
強引にケヴィンに外に連れ出された。
「だんだん人気のないところへ行っていない?」
「二人きりになりたいし、部屋だとゆっくりできない」
どうしてこの人から離れることができないのだろう。いつだってそう。ずるずると何かを引きずっているような感覚。
「今日、少しだけ寝ていたんだ。それで夢を見たよ。俺にとって思い出したくない夢」
「私が聞いて困らない?」
ケヴィンはそっと私の腕を引いた。
「困らない」
私を優しく抱きしめ、髪を撫でながら話を続けた。
「十年近く前に女の子とよく一緒にいたんだ。イーディもその子を知っている。俺は友達としてその子と接していたけど、しばらくしてから告白された。俺は数日後に告白の返事をしに行った。断りの返事を。そしたら、別の男の子と話しているのを偶然聞いた。俺に近づいていれば将来自分にとってとても得をする、金持ちだから何でもできるって。そのあとはその男の子とキスをしていたよ」
「そんなの!」
ひどすぎる。ケヴィンのことを初めから好きじゃなくて、利用するためだけに近づいたってこと!?
「それからだよ。女性に興味を持たなくなったのは。これがずっと続くと思っていた。けど違った」
強い眼差しが私を捉えている。
「俺もわからなかった。ここまでフローラを好きになったのか。だけど君と過ごすようになってから楽しいって思えるようになったんだ」
「思わなかったの?私がその女の子と同類かもしれないって」
すぐに返事をしてきた。
「うん。だってお金があることを知っていても、俺やイーディを頼ろうとしなかったし、何よりフローラは他の人達と違うからね」
「違う?」
「違う」
はっきりとした声だったので、嘘ではないと判断した。
「他の女の子達といても楽しくなかった。目的はほとんど同じだから。でもフローラはそんなことを考えていない。初めは計算で動いているのかと考えたこともあったけど、すぐにそれは消された」
「金持ちになりたい訳じゃないし、それ目的で近づくなんて馬鹿馬鹿しいと思っているよ」
「どんな未来にしたいとか考えている?」
このとき私の表情は曇った。
未来。私にとってとても遠いもの。手に届くことなんてない。
「私、未来について考えたことがない。イメージが全然できない」
今まで明るい人生をほとんど送ったことがない。味方と呼べるものは極わずかでその人達はずっと一緒にいられなかった。
いつだって馬鹿にされ続けていた。どこへ行っても駄目と言われた。
力を求めて、少しずつレベルを上げていった。それでもまだ弱いことを実感する。
「フローラ、幸せになりたくない?」
冷たい風がそっと頬を撫でた。
「俺は幸せになりたい。だけど一人ではなれない」
何が言いたいの?
「フローラ、俺の傍にいて。でないと、俺はいつまでも幸せになれない」
ケヴィンの声が少しかすれている。
「俺にとってたった一人の女の子なんだ」
「私は・・・・・・」
以前のようにケヴィンの背に手を回すことができたらどんなにいいか。
どう言葉にしたらいいのかと頭を回転させていると、私の唇に指を添えた。
「いいよ、ゆっくりで。気長に待つから」
あんなことをしなければ、この子は俺の恋人になってくれたのかな。
欲を出した俺への罰だろうな。
時間をかけていくか。それとも何をしてももう無理なのかな。
そんなことを考えていると、フローラが話しかけた。
「ケヴィン、寒くない?」
「それは俺の台詞。寒くないよ。フローラは?」
「寒くないよ」
「こうして抱きしめているもんね」
「もう!すぐにからかう」
ケヴィンの笑顔につられて私も笑った。こんな風に笑いあうのは久しぶりでどこか懐かしく感じる。
今夜は満月。綺麗で心を奪われる。
「満月には人を狂わす力があるんだよ。フローラは俺にとって月のような存在だよ」
「そんなことを言ったのはケヴィンだけだよ」
「フローラの初めてか。いい響き。これからも増やしていきたい」
うっとりとしながら呟く表情は誰もが見蕩れるだろう。
「今夜はフローラの夢を見たい」
恥ずかしいことをサラッと言われてパニックになる。
「そんなことを急に言わないで!」
「だってさっきから思っていたから。夢でも会いたい」
「だったら夢の中の私は何をしているのかな?」
ケヴィンは少し考えてから口を開いた。
「お菓子を食べているとか?」
「私、そんなに食べているかな?」
「それを俺が横からパクッと食べる」
食い意地が張っている。
「夢の中でも怒られているの?」
「怒ったフローラか。怖いな」
「そう言いながら笑っているケヴィンが怖いよ」
実際、全然怖がってなんかいないじゃない。
「フローラがぬいぐるみだったらいいのに・・・・・・」
どうしたらそんな話に飛んで行ってしまうのか。
「話が飛んでいるよ、ぬいぐるみ?」
「そう。そしたらずっと一緒にいられる。逃げられる心配もなくなる」
「私がそうなったら、こうして話をすることができなくなるよ」
「それは寂しいな。どうしたものか・・・・・・」
「私は人間だよ」
「そうだったね」
本当に忘れているような言い方だった。
「そうだったねって・・・・・・」
「フローラ」
声のトーンが低くなった。
「このまま時間が止まればいいのに」
「そんなことを願うのね」
「フローラの願いは何?できることならいくつも叶えたい」
「私の願い?」
願って、叶うのであれば私は・・・・・・。
「今は思いつかない」
嘘。本当の私の願い、幸せになりたい。
ケヴィンと同じ願い。
だけど言葉にすることができなかった。
「いつか教えて?」
私よりも私のことを知っているのではないかと思って、ときどき怖くなるよ。
何もかも見透かされているような気がしてならない。
私は小さく頷いて返事をした。ケヴィンはそれを見逃さなかった。




