想像上の無生物学
練習作ですが、非常に短いのでどうかお付き合いください。
それは、唐突に訪れた。
僕の全身に鈍い衝撃が走り抜ける。胸の辺りに重力を集中させているような重みを感じた。肺が圧迫されているためか、少し息苦しい。
ああ、またか。
僕は自分の身体にかかる重さの原因に目を向けた。
黒髪の少年。歳は、たしか十六歳。どうやらまだ風呂に入っていないようだ。ものすごく汗臭い。まったく、迷惑にもほどがある。人の上に乗るのであればニオイに気を使って欲しい。
もっとも、この思いを彼に伝えることは声の出せない僕には不可能だったりする。
だからと言って、このニオイに堪えられるかどうかというのはまた別の話。このままでは気が狂ってしまう。
なんとかしなければ。
とは言っても、身動き一つとれない僕にできることなんてたかが知れている。けど、なにもしないよりはなにかしたほうがマシだろう。
とりあえず僕は、彼を力の限り睨みつけてみることにした。
が、案の定彼は僕の視線に気付いていない。その証拠に彼は僕の胸の上で間抜け面をさらしている。
――って、人の身体にヨダレ垂らすなっ!
……まったく、つくづくふざけた奴である。
僕は無駄だとわかっていながらも、さっきよりも鋭い眼差しで少年を睨まずにはいられなかった。もし僕に目があったとしたら、彼は僕の目を見ただけで土下座をし、泣きながら謝罪したことだろう。
でもそれは所詮「もしも」の話でしかなく、残念ながら現実はそううまくはいかない。そのことは相変わらず口を半開きで眠っている少年の存在が物語っていた。
もう今日は汗臭いニオイの中で身体にヨダレを垂らされ続けるしかないのだろうか? そう諦めたかけたとき、救い――もといオッサン――の声が部屋中に響きわたった。
少年は突然の大声に覚醒を促され、不機嫌そうに身体を起こした。
よしっ、ヨダレがやんだ!
僕はなんとも言えない安堵感に包まれた。が、少年が僕の上にいる以上、まだまだ油断できない。満足感と達成感に酔っていた自分に喝をいれ、再び少年を睨みつけた。
少年も少年で自分の父親を睨みつけている。
そして父親も父親で少年を睨みつけており、歳のわりには若く見えるその顔には怒りが浮き出ていた。彼の全身から不機嫌の色が滲み出ている。
父親は早く風呂に入るよう少年に促した。それに対して少年は「アラームをかけてるから」と反論。
二人の会話はまるで噛み合っていなかった。
空洞化した発言と正論の応酬が繰り返される。三度程繰り返されたところで決着がついた。 ついに父親がキレたのだ。
彼は大声で少年を怒鳴りつけた。
間近で聞いていたため、当然僕にも被害が及んだ。耳がひどく痛い。
流石の少年もこれには参ったようでぶつくさと文句を言いながら嫌々風呂へと向かっていった。
どうやら、危機は去ったようだ。
緊張から解放されたため、自然と息がもれた。これでようやく、安心して眠れる。
僕は声が大きな救い主に感謝しながら、ゆっくりと目を閉じた。
その直後。ドスッという音とともに再び衝撃が全身にかけめぐった。しかも、さっきより重い。
嫌な予感がする。僕は恐る恐る目を開けた。
目に入ってきたのは、僕の上でうたた寝をしている図体の大きな黒い髪の人間――元・救世主の姿であった。
って、結局お前が寝たかっただけなんかいっ!!!
そう、全力で叫びたかったけど、生憎僕の身体は声を出せる構造をしていなかった。そもそも生物ですらない僕にそんなことは不可能なのだ。
なにせ僕は、ただのしがない「ベット」なのだから。
そんな僕には、彼を鋭く睨むことでしか怒りを表現すること精一杯だった。
僕は無力感と軽い絶望感に包まれながら海に沈むように眠りについた。
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