第一章 主人の帰宅
夕飯の片づけをする。由一さんが帰ってきた時、空腹でも対応できるようにサラダとキッシュ、魚料理にラップをして冷蔵庫にしまった。
由一さんが食べない時は、明日の私の昼食になる。
片づけを済ませて時計を見ると、まだ7時を回ったところ。
ソファに座って、子供達と一緒にテレビを見る。
夕方から夜9時までは、子供にリモコンをジャックされる。
由菜は、9時過ぎのドラマや映画を一緒に見るようになってきた。
翌日起きれている分には、問題ないと思い一緒に見るが、会話は少ない。
時々、話の内容で理解できなかった部分を聞いてくるが、右から左へ抜けるような聞き方をする。 ドラマや映画の所々に官能的や性的なシーンが現れると目を逸らしたり、トイレに立ったり。
本当はすっごく興味がある年頃なのに、親の前で見るのが恥かしいらしい。
〝ふふ、私にもそんな頃があったわ〟
8時を過ぎた。
約束どおりケーキの用意をする。
子供達の分だけ皿にのせる、自分はもう今日は食べ過ぎでパス。
「はい、ケーキよ」
「わ、やった~」
「由紀人、ママの方に行ってよ。邪魔」
〝あららら…〟
「由紀人、こっちにいらっしゃい。ママの隣で食べて」
「うん」
イチゴにいきなりフォークを刺して頬張った。
「あ、やっぱりイチゴから」
「えへへ、美味しい」
可笑しなコントの番組を見ながら口に運ぶ。
「ごちそうさま~美味しかった。また買って来てね」
「じゃ、また今度お留守番お願いね。ちゃんと鍵かけて」
「うん、わかった」
お馬鹿なお笑い番組で、笑い終わるともうすぐ9時になる。
「由菜、お風呂お願いね」
「はいはい……今日ドラマ何?」
「う~んと何だっけ?さっき新聞見たんだけどなぁ」
新聞を取って番組欄を確認する。
「あ、あのイケメンの“純情ホスト物語”あれ、面白いわよね」
「あぁ、あれ、じゃそれ見てから寝る」
「あら?宿題は?」
「うっざい……やるってば」
〝何かと云うと“ウザイ、キモイ”誰よ、こんな言葉流行らせたのは〟
「お風呂入れて宿題持ってくるから」
「はいはい……」
憎らしいから、ちょっと真似してやった。
風呂の湯を入れて、二階から宿題を持ってきた。浴槽は湯がいっぱいになれば止まって保温になる。
最初に由紀人を入らせよう。
まだ一緒に入ることも多いけれど、時々は一人で入らせている。が、一人だと潜って遊ぶとかしている方が長くて、身体なんて洗ったんだか洗ってないんだか?
ドラマが始まった。
純情なホストが主役の物語。
ホストというと女性を騙すとか、褒めて持ち上げて気分良くしてやったんだから金貰って当然!みたいなイメージがある。
でも、これは超イケメンでスカウトされてホストになった男の子が、優しさと本音でお客さんにぶつかり、嘘や体裁を繕わずにナンバーワンになる。
だけど人が良すぎてお客さんの借金を肩代わりしてやったり、自分のヘルプの子の親まで助けてやる。
ホストになってから、初めて好きになった女の子には騙されてると解っていても貢いで。
次に好きになった女の子には、ホストという職業から本当の愛を信じてもらえず、切ない思いを抱えている。
店を辞めたいのはあるが、ヘルプの子の為に借りた借金を返すまでは辞められない。
一体、一日何時間彼女の事を考えているんだろう?っていうくらい妄想までしていて、時に笑えて時に泣けてくる。
〝こんなに思われたら嬉しいだろうに。本当にありそうで…でも、いないだろうな~こんなホスト〟
「あ~こういうタイプ、イラつく~」
「え?由菜……何?」
「だってそうじゃん、お人よしの馬鹿じゃん。ホストって女の人が飲みにきてお金取る仕事なんでしょ?ちゃんと仕事しろって感じ。純情より少し悪くても、お金稼ぐホストの方が彼女もいいに決まってるじゃん」
「由菜……現実的でシビアね~。ふふ、それじゃ普通のホストじゃないの?ドラマにならないでしょ」
「ふ~ん、普通のホストってそんなんなんだ」
「たぶん……行ったことないからわからないけど」
「ママなんて、絶対コロッって騙されそうだよね!」
「なんてこと云うのよ。そんな所、行かないし騙されたりしないわよ」
〝まったくもう、母親をどこまで馬鹿にする気よ、あるわけないじゃない、そんな純情。もうとっくに消え失せたわよ〟
中学生でこんな会話するなんて、先が思いやられるわ。
「由菜こそ、将来こういう男の人達を好きにならないように、気をつけなさいね」
「ばっかじゃないの」
「もう、口が悪いんだから」
もう無視してドラマに見入っている。
風呂の湯がいっぱいになった事を知らせるブザーが鳴る。
「あ、由紀人、お風呂のお湯入ったから、一人で入ってきてね。ちゃんと洗ってくるのよ~。でないと明日、ママのアカスリタオルでゴシゴシしちゃうからね~」
「うえっ、あれ痛すぎ、ちゃんと洗ってくる~」
「歯磨きも忘れないでね」
「は~い」
由紀人は韓国製のゴシゴシ擦って垢を出すタオルが嫌いだ。そういえば由一さんも嫌いね。
痛いけど、擦った後は肌がサラサラになって気持ちいいのに。
「由菜、宿題やらないと」
「わかってるってば!」
ドラマを横目で見ながら、宿題を始める。
昼間は、お客さんとの電話やメール。
無理なデートの誘いは上手くはぐらかして、できる限り、好きな彼女に誠実でいられるように努めている。
彼女も好意を持ち始めたのがわかる。好意を持ち始めたからこそ、真実の愛が欲しいという思いが伝わってくる。
届かない思いが、日常の行動にまで影を落として表情も暗くなっている。
店を辞める決心をする。オーナーの所に行き、他の仕事をして、どんな事をしてでも返すから辞めさせてほしいと頼む。
オーナーはイケメン君の性質を見抜いているので、いつでも戻ってきてほしいと云って頼みを受け入れてやる。
「ああ、オーナーもいい人ね~、うんうん」
「マジ、キモ……」
〝毒むすめ、フンだ〟
オーナーの事務所を出て、嬉しい面持ちですぐに彼女に連絡を入れる、電話に出たのは彼女の母親。
交通事故で亡くなったという、それもひき逃げ。
電話を切って、呻く喚く叫ぶ、頭を掻き毟り壁を叩く。
自分に立場を置きかえて空想すると、胸が苦しくなった。
こんなに愛した相手に二度と会えなくなる。
生きててくれさえすれば、何もいらなかったと。
彼女の笑顔や会話を思い出して、イケメン君が泣いた。
「うわぁ~ん、可哀想~」
「……」
目が熱くなって涙がたまった。
〝うう、ドラマで泣けるなんて、私ってかわいい……〟
〝はぁ~イケメンは泣いても、カッコいいのね~〟
携帯が鳴る、非通知だ。
変声器を使って話している。
“おまえの彼女は殺されたんだよ!”
電話に向かって何度も聞き返すが、切れてしまう。電話を持ったまま固まって、最終回へ。
「あら、いや~ん。次回最終回だって~」
「馬っ鹿じゃないの」
「なによ、由菜だって見てたじゃないの」
「ヒマだから……ママみたいな人がいるから、こんなドラマが受けるんだよ」
「そんなぁ~。由菜、本当に最近キツイわよ」
「だって本当のことじゃん」
「ドラマ見て楽しんで何がいけないのよ」
「べつに~。ダメだなんて言ってないじゃん」
〝出た“べつに~”あんたは、それで干された例の女優かって、バカっちょ〟
「さ、もうすぐ10時よ、お風呂入って明日の準備して寝なさい」
「もぅ、わかってるよ」
宿題を抱えて二階へ行った。
由紀人は入浴を済ませて、ペットボトルからお茶をついでいる。
「うちのボクちゃんは、寝る準備OKね?」
「うん、ママ一緒に寝る?」
「誰でしょ、甘えん坊さんは?・・・由菜がお風呂上がってから入るから、先に寝てなさい」
「わかった……あとで来てもいいからね」
「ふふ、了解」
男の子は、まだまだ甘えん坊で可愛い。
由菜が入浴の間に、ケーキの皿を洗って、居間に戻ると散らかっている物を簡単に片付ける。
電話が鳴った。
出ると由一さん、今、駅に着いたところで夕飯を食べたいと云う電話。
〝珍しく早いから、食事の用意ができるか気になったのね。これなら今晩、少し話せるかもしれない〟
由一さんの足なら10分もすれば家に着く。
台所へ行って、冷蔵庫からさっきのオカズを取り出す。
サラダの用意をして、ムニエルとキッシュを順にレンジで温めたところで玄関のドアが開いた。
玄関へと急ぐ。
「お帰りなさい」
「あぁ、ただいま」
「ご飯、すぐに食べられるわよ」
「あぁ、このまま食べるよ」
「ビールは?」
「いや、今日は休肝日にする」
「じゃ、座って。ご飯よそうから」
台所へ戻り、茶碗にご飯をよそって渡した。
「今日は早かったのね」
「うん、さすがに疲れがたまってね。4月になれば異動や新入社員の研修もあるから。早く帰るなら3月中までだな」
「そうなんだ、もうそんな時期。そうよね、由菜も中学2年生になるんだし」
「あ、そうだったな、早いな」
ムシャムシャと口に運ぶわりには、料理の味など、ひとつも褒めてくれない。
「由菜の受験も考え始めないといけないかしら?ねぇ塾はどうする?」
「君一人で頼むよ、何も問題ないだろう?」
「だと思った、少しはどうにかならないの?由紀人だって寂しがってるし」
「おかわり」
〝うん、もぅ!〟
無言で茶碗を受け取り、ご飯をよそって渡す。
「学校や塾だって、もう男親はいいだろう」
「じゃ、由紀人は?」
「夏休みにでも遊んでやるさ。俺だって気にはなってるんだよ。食事中に……頼むよ」
露骨に嫌な顔をされた。
〝これじゃ、話にならないじゃないの。聞いて欲しい事がいっぱいあるのに〟
その日、家族が何をしていたのかも気にならないのだろうか?
夏休みに遊ぶって?ここ数年、夏休みの半分だって家にいた例が無いじゃない。
「私達が毎日どうしているとか、何があったとか、気にならないの?」
「気にしてるよ。でも君が、ちゃんとやってくれてるだろう?心配なことなんて無いじゃないか、重大な問題でもできたのかい?」
「重大ななんて無いけど……」
「なら、いいじゃないか。うちは何も問題がない幸せな家庭だ、だろ?」
〝重大じゃないと問題じゃないの?問題無いように見えるのが怖いんじゃないの?わかろうとしてくれない由一さんに云っても無駄?いつから、こんなに話の歯車がずれるようになってしまったの?〟
昔は、お互いにもっと相手を理解しようと努力したはずなのに……いつから……?
同じ屋根の下に住んでいても離れてる時間が、話を合わなくさせてしまうの?
こうしていつの間にか、ずれてしまうものなの?
私は、家事と育児をして子供の手が離れたら、ボランティアやサークル活動でもして年取っていけってこと?
年取って由一さんが定年になったら……なったら……?
それじゃ年取ってから一緒に、手を繋いで歩けるような夫婦になれるわけないじゃない。
今から家族と夫婦のコミュニケーションを取ってなくちゃ、心から死ぬまでこの人いたいなんて思えるわけない。
苦楽を共にじゃないじゃない……。
家庭内の苦から逃れようとしているんだから。
定年離婚する人の気持ちが良くわかるわ。
修正は早いほどいいのに……。
「風呂入れるだろ?」
「ええ、由菜も上がって寝たと思うから、そのまま保温になってるはず、見てくるわ」
家の風呂は二階にある、築7年ほどの中古物件を由紀人が生まれた年に購入した。
新築の建売物件も検討したが、築7年とはいえ綺麗で注文建築。
玄関に部屋の間取り、浴室がちょっと洒落ているのが気に入ってこの家に決めた。
住宅街なので駅まで10分以上は歩くけど、気に入った自分の城なら充分近い距離。
浴室でお湯の温度をチェック……ほどよい温度。シャンプーやら洗面器が散らばっているので元に戻して、洗面台にタオルを置く。
下の階に行く前に、由一さんが上がってきた。
「あ、お風呂大丈夫よ。タオル出てるから、お腹足りた?」
「ああ、ご馳走様、じゃ入るよ」
由紀人の部屋を覗く。ぐっすり眠り込んでいるが布団を半分蹴っ飛ばしたのか、片足が出ている。静かに入って足を布団の中に入れ、頭をそっと撫でてオデコにチュッとした。
「おやすみ」
由菜の部屋、ドアの隙間から部屋の明かりは見えない。
そっと開けて起きているとノックの事でまた言い合いになる。
静かにドアを開けた。
布団を顔の半分まで掛けて眠っている。
下手に触ると起きた時がコワイので、お腹の辺りを布団の上からポンポンとする。
寝ているときは、まだまだ可愛らしい少女にみえる。
「由菜ちゃん、おやすみ」
一階に降りて、テーブルの上を片付け洗い物を始める。
オカズは全部綺麗に平らげてあった。
〝一日に何回洗い物するだろう〟
夕方寝たので眠くない。いつもなら10時には、由紀人を寝かせつけるのに一緒にベッドに入って、11時頃夫婦の寝室に戻って寝る。
時にはそのまま朝まで由紀人のベッドで寝ることもある。
〝寝る前にベッドで話してみようか?由一さん、先に寝ちゃわないといいけど〟
洗い物を済ませると、部屋を見回してから戸締りのチェック、一階の電気を全部消して二階に上がる。
由一さんが、脱衣所で身体を拭いていた。
少し横腹に脂肪がついてきたけど、背があるのでスタイル良く見える。
髪には白髪がちらほら混じり、若い頃は甘めだった顔が、仕事で責任感がついてきたのか、思慮深そうな顔つきになってきた。
〝家の事にも思慮深くなってっていうの〟
「私、次、入るわね」
「ああ」
出てくるのと交差して、脱衣所に入った。
脱いだ物が全部、脱衣カゴの上でてんこ盛りになっている。
小さなため息が出る。
〝ふぅ~っ〟
衣類を脱いで浴室に入る。
軽くシャワーで身体を流すと湯に浸かった。
由紀人の髪の毛と見える柔かくて細い髪が
何本も湯船に浮いていたり沈んでいたり。
〝ふっ、やっぱり潜って遊んだんだわ〟
湯船で伸ばせるだけ身体を伸ばした。
「はぁ~気持ちいい~」
やっぱりお風呂が一番ね。
〝綾子、今頃、メールしてるのかしら?〟
帰り際の綾子の言葉を思い出した。
“会ってもいいって思ってる人”
そんな人がいるって云ってた。
〝どうして、そんな風に思えるんだろ?さっぱり理解できない、せめてメールだけにしておけばいいのに〟
〝やっぱり明日電話して注意しておこう、絶対そんなことしない方がいいのよ〟
湯船から出て、頭と身体を洗う。
〝やばい、これ〟
掴むと意外にある、お腹の余分な肉、脂肪。
〝またダイエットしようかな〟
最近、そんなに食べてないのにすぐ体重が増える。20代の頃は食べて体重が増えても、一日二日食べなければ、すぐに戻ったのに、今では戻らない。
〝陽子も云ってたもんね、これからもっとだって〟
再度、湯で身体を温めてからあがった。
タオルで身体を拭い、バスローブを着て寝室に入る。
クィーンサイズのベッド、左右にサイドテーブルを置いてライトがのせてある。
ベッドサイドのライトをつけて何か読んでいる。
鏡の前で、化粧水とナイトクリームをちゃちゃっと塗って、バスローブを脱ぎネグリジェに着替える。ネグリジェといってもナイトウェアのタイプで色気は無いに等しい。
髪の毛はまだ濡れているから、枕にタオルを置いて自分のベッドに入ると話しかけた。
「ねぇ、何読んでるの?」
「明日使う資料の一部」
「あのね、由菜の反抗期がかなりキツクなってきたんだけど」
「……」
「あなたから、何か話してもらえないかしら?」
「何を話すの?由菜の話を君が聞いてやったら?」
「聞いても話してくれないわよ、文句ばっかりだし、ただ反抗したいだけなのよ」
「二人で良く話し合ったら」
「話にならないから困ってるんじゃない、それに最近、夫婦でほとんど会話がないってどうなの?これでいいの?」
「……忙しいし疲れてるんだよ」
「そうやって夫婦の仲って冷えていくんじゃないの?」
「君の考え過ぎだよ、もっとリラックスして生活してたらいいじゃないか、その分、僕が頑張って働くんだから」
「そんな事言ってるんじゃないわ、小さな事でも会話って必要よ」
「くだらないこと考えてないで、家庭を守っててくれよ」
「私は、あなたと話がしたいのよ!」
「勘弁してくれよ、明日も朝から会議があるんだ、寝るよ」
書類を置いてサイドテーブルの灯りを消すと、布団を引き上げて後ろ向きになった。
「ねぇ、少し話してよ」
「話だけじゃないんじゃないのか?頼むから寝かせてくれよ」
〝うそ、誘ったと思われた?そりゃ少しは、そうなってもと思いはしたけど……ひどい〟
〝信じられない、これでも一生懸命言ったのに。会話が減った分、言いにくいと感じる言葉も増えてきたみたいなのに〟
むかつく……。
「別に誘ってなんてないわよ、失礼ね」
「はぁっ~」
つい、ため息が出る。桃色じゃなくて青色の吐息ばかりじゃないの。
〝今度誘ってきても無視だから、なによ、もう知らないわよ〟
自分も布団をかぶって寝た。