003:「大人になったら」はくだらない
「なぁ。今まで気にしたこともなかったんだけどさ。レイって魔法動物が好きなのか?」
「うん、そうだけど⋯⋯ どうして?」
「詳しかったからだよ。それと、なんか楽しそうだったから」
ドリーとしては珍しく歯切れの悪い語尾だった。金具の咬み合わせが優れていないのか、ランタンはカチャカチャと小刻みに音を鳴らしている。
「今よりもずっと小さいときにね、お父さんが魔法動物の保護区に連れて行ってくれたの。それがすっごい楽しくてね。お土産で買ってもらった魔法動物図鑑を毎日毎日読んでたんだ」
空を見上げたレイの瞳に、数個の星々が遊泳するように反射する。レイは大きく息を吸うと、「ちょっと寒くなってきたね」とドリーに肩を寄せた。
「訊かなかった方がよかったか? 気分悪くしてたら、ごめんな」
ドリーは少し申し訳なさそうにしながら、用事もないのにランタンの調子を確認した。「別にあんたにされる心配じゃないし、大丈夫だよ」と言いながら、レイは小さく頷いた。
「そのさ。そんなに魔法動物が好きならさ、俺といろんなところに魔法動物を見に行こうぜ。今日だけじゃなくてさ、もっとたくさん」
ドリーが尋ねたのにレイは大きな反応をせず、ただ二人は暗い山道を黙々と進んでいる。ドリーもレイの方を見ないでいて、少しの間沈黙が続いた。
「毎日勉強勉強ってやってるけどさ、魔法動物についても勉強してるのか?」
「ちょっとだけでてくるよ。メインじゃないけど、全く扱わないわけでもないかな」
静寂を突いたのはドリーだった。まるで興味なんてなさそうに、ドリーは「ふーん」とまた小さく相槌を打った。レイはドリーの片腕をそっと掴んだまま、斜め下を向いて口を閉じている。
「なんちゃら魔法学校みたいなのの、受験勉強なんだっけか? そこに入れば、例えば将来は魔法生物学者? とかになれるのか?」
「うーん⋯⋯ 絶対ってことはないんだろうけど。中央化学魔法大学では、魔法術化学とか、魔法倫理に比べて、魔法生物学は重要視されていないから⋯⋯ 別に、魔法生物学者を目指してるわけじゃないし、関係ないけどね」
ランタンに灯る小さな炎は、たびたび空を見失ったかのように細く彷徨っている。靴底が地面に触れると、朽木の湿った匂いがしきりに立ち込めた。ドリーの指先に掌を重ねたレイは、ぎゅっと力を込めて指を握った。
「お母さんは、私を心配してるの」
「心配?」
不安定な声色で口を開いたレイに、安堵を躊躇って間を空けられなかったドリーは、被せるように問いを連続で投げかけた。
「ここ数年は魔物がどんどん増えているって、最近では街のどこでも言っているでしょう? ハジマの周辺は弱い魔物が多いけど、私たちが大人になるときは、そうじゃないかもしれないって」
ドリーが地面に落ちた小枝を踏み、バキッと甲高い音がなる。音に危険を感じたのか、周囲の生き物がバサバサと移動していく気配が広がった。それを気にせず、レイは強かに続けた。
「私、力も弱いし、魔法がどうもうまく使えない体質だから、魔物と戦う適性がないんだ。だからいざ魔物とあっちゃったら、どうすることもできないの」
「うん」
「だから、いっぱい勉強して、基礎教養をつけて、中央都市の偉いお役人さんのところに嫁ぎなさいって。中央都市なら強い人もたくさんいるし、魔物が攻めてきても、高い身分になればそう簡単に身に危険が及ぶことはないからって⋯⋯」
自分で訊いておきながら何と返事をしてよいのか分からず、またドリーは意味もなくランタンの調子を確認した。ドリーを一瞥したレイは、また空を見上げて小さく息を吐いた。ドリーの指先に、微妙な温度が伝わる。
「この話は、なんかあれだね。たぶん、ちょっと非日常だから、話過ぎちゃったかも」
ケラケラと転がらずに滑っていくような声で、レイは詰まりながらも軽く笑った。
夜はさらに深まり、生暖かい湿気めいた植物からの空気が、夜風に交じって余計に誇張されて感じられる。
「今度はさ、ドリーのことを教えてよ。あんた毎日いろんなところに行って馬鹿馬鹿しいことやってるけどさ。何が目的なの?」
「うーん。目的? 大げさなものはないけど、『楽しいから』とか?」
「ふーん。『楽しいから』ねぇ。随分ざっくりしてんだね」
レイは意地悪そうに笑いながら、ドリーの手元のランタンを小さく爪で突いた。
「勉強と違ってさ、楽しいって形として残らないじゃん? それでも『楽しいから』のために毎日泥んこひっくり返してるの? 楽しさって、思ってるよりもずっと不定形な気がしてる」
ドリーは少し悩むようにしながら、下唇を軽く噛んだ。そして、ゆっくりと口を開く。
「まぁ、死んだら何も残らねぇしな。とにかく、『自由でいたい』って、無性にそう思うんだよ。深く考えたら、たぶん何が楽しいとか、そういうの分かんなくなるし⋯⋯ 自由に気のままに的な?」
吹き飛ぶような涼しい顔で、ドリーはそう言いながらおどける。「へんなの」と口を手で押さえながらレイは微かに笑った。
木々がだんだんと疎らになり、山道の先からは水分量を多分に含んだ風が吹いている。
そろそろドリーの話す『目的地』が近いようだった。
「えぇ、なにこれ! すごく綺麗!」
鬱蒼として茂る木々を抜けた先には、大地を匙で掬ったあとのような雄大な湖が広がった。
視界の額縁から食みだすほどの夜空には、遮るものが一つとして存在しない。
吸い込まれるような黒の下地に、薄青や薄黄の光の靄と大小様々な星々が溢れ零れそうなほど散らされている。
滴り落ちたその雫に触れれば、骨の裏側まで景色に溶け込んでしまいそうだった。
湖は星空で編んだ上等な絨毯となって、あたかも天空を彷徨っているのかと旅人たちを錯覚させる。その場を泳ぐ空気や匂いでさえ劇団の一員となって、温度質感を天高くのそれに変質させる。
「なぁ、綺麗だよな! サボってまで見にきた甲斐があっただろ?」
甲高い声を上げて感動を漏らしたレイに対して、ドリーは自慢げに手を広げて笑ってみせた。だがレイは目の前の壮大な景色に目を奪われたままで、ちっともドリーのことは気にしていない様子だった。
フィン山の中腹に広がるキレーク湖は、物好きな旅人のみが知っている景勝地である。
「あんたに見せてもらったもので一番マトモだった」とシニカルに笑うレイの顔は、星の薄暗い光に照らされていた。ランタンを足元にそっと置いたドリーは、レイと感想を分け合い始める。夜空の下には疎らな談笑が生まれた。
「そういえばさ。ポイポイキャウィリスって奴らは、毒のない木の実も食べられるのか?」
「子供の状態でのみ食べることが可能だって書いてあった気がする。でも、自発的に食べることは少ないよ」
「大人になって初めて食べると、お腹を壊すようになっちゃうんだって」と補足を続けるレイに、ドリーはあたかも興味がないかのような浅い返事をする。レイは「なんでその話?」と小さく笑いながら、星空を再び見つめた。
「別に食べれるならさ、毒のないやつを食べてもいいじゃんって思ってさ」
「んー。でも彼らにとってそれはあまり得策じゃないんじゃない? 小さいうちに毒を食べないと、毒のあるやつを食べられなくなっちゃうの。逆も然りって感じで」
ドリーはしばらく星を眺めて黙っていた。ドリーの瞳を覗き込むようにして、レイが続ける。
「体の少し小さいポイズキャウィリスにとって、ドックリとかに比べて毒のない木の実は競争率が高くて危険。せっかく頑張れば毒を食べられるようになる体に生まれたんだから、毒を食べたほうが得でしょ? 母は自分の子供に毒のある木の実を渡して、それを教えるの」
「へぇ」とドリーは微かに呟くと、じっと夜空を見つめなおす。レイはドリーの表情に疑問を抱きながら、姿勢を直してまた景色の方に目をやった。
少しの沈黙ののちに、ドリーが話す。
「やっぱり、毒がないやつを食べたいんだったらさ、食べたらいいじゃんって思う。体質とか、死にやすくなるとかあるかもだけどさ、それを含めて自由だなって。毒があるやつも毒がないやつも、食べたかったら自由に食べりゃいい。それで死んだら、それまでだけど」
言葉を吐き終わると、ドリーはレイの瞳をじっと見つめた。レイは「なにそれ」と微笑みながら、ドリーの肩に耳を添わせるようにして寄りかかった。
「『生きていく』って、そんな簡単な話じゃないよ」
夏の夜風のように、温かさの中に確実性のある冷たさを感じる声色だった。ドリーはどこかを見つめて動かない。レイはゆっくりと目を閉じて、ドリーに体重を預けた。
夜空には靄がかかり始め、絵画のような景色は、夏らしい空模様に瞬く間に塗り替わっていく。絨毯は黒い大穴へと姿を変えて、その湿り気がひどく怪しいようだった。
「でも嬉しい。ドリーらしくって」
ドリーの片腕を、レイがぎゅっと握り込む。「心配してくれたんだよね」と微笑みながら小さく呟いたレイの目は、固く閉じたままだった。
ランタンの炎がゆらりと燃えて消える。
最後の星の輪郭が、薄雲の裏側に溶けていった。




