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ハッピーエンドに花束を  作者: 斎藤海月
牡丹は蕾む
2/2

Prolog

「――ようやく、また会えた」


その声は、風に乗ってどこか寂しげな空気を纏ったまま、数秒遅れて脳に届いた。


何故数秒も遅れたか。


彼のその澄んだ瞳から目を話せなかったから。吸い込まれる様な光を湛えたその瞳に思考も呼吸も、何もかもが奪われた。


――あぁ、綺麗なひと。


 そう、脳が言葉を紡ぐより先に、心が先に落ちていた。

 その目に、その横顔に、身に纏うその儚げな空気に。


 夕焼けが差し込む黒髪が、まるで絹のように風に揺れていた。

 歩道橋の上だけが、まるで世界から切り離されたように、時間の流れを忘れていた。


 彼がなぜそんな場所に立っているのか。

 自分がなぜここにいるのか。

 そんなことすら、思い出せなくなっていた。


 ただ、美しいと思った。


 見惚れていた。言葉も、思考も、感覚も、五感の全てが霞むほどに。


 そのとき、不意に指先から何かが滑り落ちる。


 ――スクールバッグだった。


 はっとして、まばたきを一つ。

 音を合図に、ようやく現実が押し寄せる。


 ここは歩道橋。そして、彼が立っているのは――柵の向こう側。


「――ちょ、なにしてるんですか!? 落ちますよ、死にますってば!」


 叫びながら、少女――凛花はバッグも拾わずに駆け出していた。

 歩道橋の真ん中。男のすぐそばまで駆け寄り、咄嗟にその腕を掴む。


 強く――自分でも驚くほど、強く。


「んー……まあそりゃ、見ての通り。死のうとしてるからね」


 男は肩越しに少女を見て、どこか楽しげに、穏やかに微笑んでいる。


 この状況で、なんて顔してるんだ――。


「い、いや、早く降りて来てください! そっちじゃなくて、こっち側に!」


「そんなにしがみついてたら、君まで落ちちゃうよ?」


「しがみついてるんじゃなくて、引き戻そうとしてるんです! 一緒にこっち来るって選択肢はないんですか!?」


「それってつまり、君が俺と一緒に生きてくれるってこと?」


「は……? いや、え……?」


 言葉が詰まった。頬が、ほんの少しだけ熱を帯びる。


「ははっ、冗談だよ。真に受けないで、忘れてくれていい」


 男は肩をすくめて、わずかに目を細めた。


「――ところで、死ぬまでの間、少し話でもしようか」


「は? いま!? この状況で!? というか、本気で死ぬ気なんですか!?」


「まぁまぁ、落ち着いて。深呼吸して。……君、すごい慌てっぷりだね。見ててちょっと面白いよ」


「そ、そんな場合じゃ……!」


「それで? 名前、なんていうの?」


「な、名前……ですか?あ、綾瀬……凛花、です」


「凛花ちゃん。ふぅん、いい名前だ。歳は?高校生っぽいけど」


「え、あ……高二、です……」


「へぇ。若いね。青春じゃん。てことは今は部活帰りってとこね。なんか眩しいなぁ」


「……そんなこと言ってないで、早く戻ってください……!」


「うん、それはあとで考える。でもまずは、凛花ちゃんの話を聞かせてよ。だって君、助けに来てくれたんでしょ?」


「それは……放っておけなかっただけで……」


「うん、そういうの、嬉しいよ」


 ふわりと笑ったその顔が、思っていた以上に近くて――

 凛花は思わず頬を染め、視線を逸らすように下を向いた。


「……あの、私たちって……会ったことありますか?」


「――いや、無いね」


「そ、そうですか……」


 最初に聞こえたあの言葉――「ようやく、また会えた」。

 やっぱり気のせいだったのかもしれない。

 そう思いかけたそのとき。


「ところで凛花ちゃん、『聖なる光と堕ちた神』って知ってる?」


「し、知ってますよ! ていうかやってます! あの乙女ゲーム、人気だし!」


「じゃあ話が早い。というわけで――一旦、死のうか」


「――え?」


 言葉の意味を理解する前に、世界が傾いた。

 気づいたときには、男の腕が凛花の体を抱き上げていた。


「ちょ、なっ――なにして……っ!」


「大丈夫。すぐ終わるよ。次はちゃんと、すぐに会いに行くから」


「や、だ……やめ――!」


 風が耳を裂いた。景色が裏返る。

 落ちていく。重力が肌に食い込んでくる。

 凛花の叫び声は、すぐに風にかき消された。


 その刹那――


 男の声が、耳元で、微かに囁いた気がした。


 「……次こそは、絶対に見つけるから」


 ――そして、世界は、一度終わった。

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