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 大理石の床に足音が響く。空気は重く、焚かれた香の甘い匂いの奥に、血と鉄の気配が微かに薫る。

 少女はその場に似合わないような華やかなドレスを身にまとい、美しい金色の髪を揺らしながら、女に手を引かれ、無表情のまま真っ暗な檻を見て回っていた。

それに従う屈強な男たちは沈黙を守り、異質な雰囲気を纏う商人だけがただ一人卑屈な笑みを浮かべている。


「お嬢様、気に入った物はありますか?」


 女――少女の乳母のその場にそぐわない程の優しげな声が静寂をやわらげるように響きわたった。

 お嬢様と呼ばれた少女は小さく首を傾げ、檻の中の子供たち――商品を順に眺める。痩せ細った者、怯えた目をした者、すでに諦めきった者。


「しかし、お嬢様。期限がありまして、奴隷商に来れるのもこれが最後かと……」


 卑屈な笑みを浮かべていた男の声が、やけに静まり返った部屋に低く響いた。

少女はしばし黙ったまま見渡し、やがて一人を指差す。


「……あの子にするわ」


 彼女の小さな指が指すのは奥の檻にいた少年。

 煤けた黒髪。ぼろ布を纏い、視線を落としたまま動かない。だが、よく見るとその顔立ちは整っていて、幼いながらもどこか気品を感じさせた。


「いや……あれは……」


 奴隷商人が言い淀む。その声音に、乳母が小さく目を細めた。


「まぁ!こんな上等なものを隠していらっしゃったなんて!」


 乳母の声には感嘆が混じる。それに反応することなく少女はただ檻に近づき、鉄格子越しに少年を覗き込んだ。


「貴方、名前は?」


 少年は答えない。返るのは沈黙。


「……ないの?」


 彼女は淡々と問いを重ね、次いで小さく頷く。


「じゃあ、私がつけてあげる」


 小さな声は、ためらいなく続いた。


「……アドニス。貴方の名前はアドニスよ」


 その瞬間、少年がわずかに顔を上げた。その琥珀色の瞳が一度だけ少女の牡丹色の瞳を見て、また伏せられる。

 香の煙が揺れ、鉄の匂いが静かに満ちていた。

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