『噂は貴族の耳にまで』
まるふく商店の名は、あっという間に街中に広がっていた。
最初は衛兵御用達の飯屋だったが、彼らが恋人や家族を連れて来たことで「特別な日に行く店」という噂が生まれ、さらには商人や役人まで足を運ぶようになった。
その日、ショウイチは厨房の真ん中で新しいメニューの試作をしていた。
手に持つのは、港で仕入れた脂の乗ったサーモン。
皮を引き、骨を抜き、分厚く切り分ける。
横では異世界製のパンを冷凍庫で固く凍らせ、それを砕いてパン粉にする。
(こっちのパンはやたらモチモチしてるから、砕くといい感じに粗めのパン粉になるな)
下味は塩と胡椒だけ。
パン粉をまぶした切り身を、異世界産のオリーブオイルらしき香り高い油で揚げる。
油の中でサーモンがじゅわっと音を立て、衣が黄金色に変わっていく。
仕上げはソースだ。
バターを溶かし、醤油とレモンを加えて軽く煮立てると、爽やかな香りとコクが立ち上る。
皿にサーモンフライを盛り、熱々のソースをかければ完成だ。
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開店直後、すでに店の外には行列ができていた。
その中に、金糸の刺繍を施した外套を羽織る男と、その護衛らしき騎士たちが混ざっている。
客がざわめく。
「……あれ、侯爵家の次男坊じゃないか?」
「本物の貴族が、まるふくに?」
やがて、その貴族――カリオス侯爵家のジュリアンは、上等な椅子を勧められるでもなく、他の客と同じ木の椅子に腰を下ろした。
彼は礼儀正しく、しかし好奇心に満ちた目でショウイチに告げた。
「あなたが噂の料理人か。衛兵たちの話を聞き、どうしても味わってみたくなった」
運ばれてきたサーモンフライを、ジュリアンはナイフで切り分け、口に運ぶ。
瞬間、彼の表情が変わった。
「……衣は軽く、身はしっとりと柔らかい。そして、この香り高いソース……」
「レモンと醤油とバターです。庶民でも作れる、俺の国じゃ普通の食い物ですよ」
「庶民の食べ物? これが? いや……これは王宮の食卓に並べても遜色ない」
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その日を境に、「侯爵家も訪れる高級店」という肩書きがまるふく商店に加わった。
ショウイチは内心でほくそ笑む。
(干物にツナマヨ、そしてサーモンフライで貴族まで釣れるとはな……この世界、やっぱりチョロすぎる)