『異世界支店、開店』
赤字。
何ヶ月も、その二文字が脳裏から離れなかった。
街外れの小さな雑貨屋「まるふく商店」。
オープン当初は物珍しさでそこそこ客も入ったが、大型チェーンとネット通販に飲まれ、売上は右肩下がり。
在庫は膨らみ、支払いは滞る。
夜中、伝票を見つめると胃がひっくり返るような感覚が続いた。
「……もう、やめてやる」
呟いた瞬間、何かが切れた。
ショウイチは棚を蹴り、レジ横のガラスケースを叩き割り、売れ残りの商品を次々と床に叩きつけた。
レトルトカレー、ツナ缶、謎メーカーのサプリメント。
全部、もう金に見えなかった。
そのときだ。
奥の棚に、小さな銀色のベルが置かれていた。
値札も説明書もなく、見覚えすらない。
まるで、そこだけ切り取ったように冷たい光を放っていた。
「こんなもん、知るか」
カウンターに叩きつけた瞬間、耳を裂くような金属音が響き、視界が白く弾けた。
気がつくと、店の外には石畳の道と賑やかな往来が広がっていた。
荷馬車、行商人、見慣れない看板。
遠くに高い城壁がそびえ、その向こうから鐘の音が聞こえる。
試しに蛇口をひねると、水が勢いよく飛び出した。
ガスコンロの火も、蛍光灯の明かりも問題なく点く。
メーターは、どこを見てもゼロ。
「……あー、これ、ヤバいやつだな」
最初にやったのは、ドアに張り紙を出すことだった。
『あったかいご飯あります』
言葉は通じるか分からないが、炊き立ての匂いは万国共通だろう。
昼前には、革鎧の男や商人風の男女が恐る恐る店内を覗き込んできた。
ショウイチは黙って炊飯器を開け、湯気立つ白飯をよそい、サバ味噌缶を皿に盛って差し出す。
彼らは驚きと警戒を入り混ぜた目をしながらも、干し肉や香草、見たことのない硬貨を置いていった。
「……いけるな、これ」
在庫にはまだまだレトルト、缶詰、インスタント食品の山。
電気・ガス・水道が無限なら、数ヶ月はこのままでも食っていける。
その間に、この街の物価や食材を調べれば――
だが、そんな計画を立てた矢先。
夕暮れ、二人の衛兵が店に入ってきた。
槍を持ち、胸には城の紋章。
一人が真剣な声で言う。
「市民から妙な香りが漂っていると通報があった。火を吐く箱と鉄の箱を見せてもらおう」
ショウイチは心の中でため息をついた。
「……初日から役所仕事かよ」
だが同時に、口の端がわずかに上がった。
この世界で、この店がどこまで通用するか――試す時が来た。