表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名も無き伯爵、政を斬る  作者: 赤白帽子
プロローグ
2/12

序章

ヴァンデール家の屋敷には、かつて栄えた貴族の面影が色濃く残っている。だが今や、その誇りは重税に喘ぐ領民の悲鳴と、家中に漂う冷たい緊張感に押し潰されつつあった。


父グレゴールは書斎にこもりがちだった。理想は高い。だが実行力に欠けるその背中は、長年の政治的敗北の重みを背負い、沈んで見えた。


「民を守るためにこそ、貴族はあるのだ」


それが父の口癖だった。しかし、その理想は誰の心にも届いていない。いや、届かせる力を欠いている。


その象徴が、姉エリセリアである。


彼女は美しく、才気に満ち、そして冷徹だった。魔法の才に恵まれ、王都で学んだ知識を武器に、今や父の影響を完全に否定する立場をとっていた。


「民? 愚民のことなど知ったことか。それよりも、我が家がこの国で生き残るために必要なのは、力よ。影響力と、恐れられる才。それ以外に、誰が耳を傾けるものか」


言葉にすればすぐ叩き潰せる。だが現実は、姉の言う通りだった。国政は腐敗し、力なき理想など笑いものにされるだけだ。


姉の傍らには、次兄ガルヴァンがいた。獣のような気迫を持つ剣士。言葉少なだが、姉にだけは忠実で、姉の「刃」として彼女の言葉を現実に変えていく存在。


そして、二人の最大の障害は――この屋敷にある家督の座だった。


「兄上」


声をかけられて振り返ると、そこには弟のレオニスがいた。彼は珍しく剣の訓練を早めに切り上げたようで、汗ばんだ髪を指でかき上げている。


「父上がまた、領民への減税を進言するつもりらしいです。しかし、王都では相手にもされなかったとか」


「予想通りだ。民に目を向けるほど、今の王政にとって価値のない話はない」


「しかし父上はまだ諦めちゃいない。いつか、王が聞き入れる日が来ると信じてます」


その言葉に、ラウルは小さくため息を漏らした。


父は善人だった。それは疑いようがない。だが、善人であるだけでは国は動かせない。ましてや腐敗した王政では、理想は軽んじられ、無視され、最後には笑われる。


「……父上には、時間がない。姉上と兄上が、いよいよ動き出す」


「家督が姉上に奪われると?」


「いや、奪うというより、自然と押し流される形になる。父上の意志が弱い分、声の大きい者が勝つ。それだけのことだ」


レオニスは眉をひそめた。


「兄上はどうするの? 何もせずに、姉上の傀儡がこの家を継ぐのを黙って見てれるの?」


「黙って見ているつもりはない」


「じゃあ……継ぐ気があるってこと?」


ラウルは少しの間、黙った。そしてゆっくりと首を振る。


「俺は、家督に興味はない。だが、エリセリア姉上のやり方にも賛同はできない」


「……なら、どうする?」


「姉上を正面から打ち負かすのは無理だ。今の俺たちには力も、地盤もない。だが……」


レオニスがじっと兄を見つめる。


「“言葉”ではなく、“政”で勝つ方法を探す。家の中の小さな戦いではなく、国そのものを変える力を持たねば、姉上にも、王にも勝てない」


「……それって、父上が目指したことじゃないか?」


「父上は理想を説いた。俺は現実の中で、それを実現するための道を探す」


その目には静かな炎が宿っていた。何も持たぬ者が、全てを動かす。ラウルが目指すのは、その“力なき者の政変”だった。


「まずは、味方を増やす。屋敷の中でさえ、俺たちは少数派だ。父上すら動かせぬこの家で、どう動くか……」


「なら、まずは僕が兄さんの剣になる」


レオニスは微笑んだ。彼の剣は鋭いが、感情に流されやすい。だが、それでも今のラウルにとっては、唯一の“力”だった。


「……助かる。これから先、俺たちは多くを失うだろう。だが、捨てるべきではないものもある。それを間違えなければ、必ず――」


兄弟の視線が重なる。


その時、遠くから魔力のうねりが屋敷を震わせた。エリセリアの魔力だ。静かな怒りと威圧に満ちたそれは、まるで「始まり」を告げる鐘の音のようだった。


彼女が動く――そして、ラウルもまた動き出す。


理想を抱いた父を継がず、剣と政を手にする少年の、最初の一歩が、静かに踏み出された。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ