想いと刃、再び交わる
第7章 第一節:宿命の刃、重なり合う想い
「……あぁ。受け止めてやるよ、お前の“全部”を」
カインは一歩踏み出した。
その瞳に、もはや迷いはなかった。
剣に再び、蒼白い光が宿る。
彼女を救うために。
彼女の想いに、決着をつけるために。
今こそ、勇者の剣が――真に、目覚める時だった。
「行くぞ、アクアリス……!」
剣を振り上げ、カインは駆けた。
魔力がうねる。風が唸る。
アクアリスの魔法陣が完成し、闇と水が混じり合った光が暴れ回る中――
ふたりの力が、正面からぶつかり合う。
「《アクア・テンペスト》――!」
「《ソウルリンク・ブレイカー》!!」
空が裂け、大地が鳴いた。
凄まじい衝撃がユミナの森を駆け抜け、世界が震えたような錯覚さえ走る。
そして、光の中――
ふたりの姿が、対峙したまま、止まっていた。
カインの剣が、アクアリスの胸元へと突きつけられていた。
しかし、それは貫かれてはいない。
その刃は、寸前で止まっていた。
「……!」
アクアリスの瞳が、微かに見開かれる。
「……本当に、止めてくれたんだ……」
彼女の口からこぼれたのは、泣き笑いのような、壊れかけた声だった。
***
風が止まった。
空は深い蒼に染まり、霧のような魔素が揺れている。
そして、その中心に――彼女は立っていた。
背中にクリスタルのような羽根を広げ、ルビーのように紅い瞳を輝かせながら、静かに、そして狂おしいほどに見つめてくる。
「もう一度だけ……カインくんに全部、ぶつけるね?」
それは愛の告白であり、宣戦布告だった。
「来い、アクアリス。――俺も、もう逃げない」
剣を握り直し、カインは真正面から彼女に向き合う。
次の瞬間、空気が破裂した。
水晶の羽根が刃のように舞い、氷の魔力が森の木々を薙ぎ払う。
《セレナス・ウィングシュート》
「ははっ、カインくん、避けてばっかじゃつまらないよ♡」
舞い降りる羽根とともに、アクアリスの体がふわりと宙を舞い、彼へと襲いかかる。
美しさと殺意が同居する、異形の天使のようだった。
けれど――
「フィリア、支援を!」
「ええ、いま!」
光の加護がカインを包み、リオナの声が響く。
「右、来るわよ!」
「任せて!」
仲間の声が、力が、すぐそばにある。
だからもう、怖くない。
だから、前に出られる。
「《ソウルリンク・ブレイカー》――ッ!」
再び剣が、煌めく。
アクアリスの魔力をまとった羽根が砕け、風が弾けた。
彼女の瞳がわずかに揺れる。
「……ッ! でも、わたしだって……!」
彼女の魔導がさらに高まる。
水と氷の奔流が空を裂き、《アクア・テンペスト》がカインを飲み込もうとする――
「なら、俺も……全部を懸ける!」
その時だった。
カインの背中から、淡い光が溢れ出す。
彼の剣に、仲間たちの魔力と想いが宿る。
「みんなの力を、俺に!」
風を裂く一閃が、大気を貫いた。
そして――
アクアリスの攻撃を破り、彼女の胸元に剣先が届く。
鋭く、けれど深く貫くことはしない。
刃が止まる。そこにあったのは、殺意ではなく、決意だった。
***
アクアリスの体が、ふらりと後ろに揺れる。
地に膝をつき、肩を上下させながら、彼女は笑った。
「……ほんとに、勝っちゃったんだね……カインくん」
その声は、寂しそうで、でもどこか嬉しそうだった。
彼女の羽根が、静かにきらめきを失っていく。
けれど――その瞳の炎は、まだ消えていなかった。
そして、彼女はゆっくりと立ち上がる。
第7章 第2節:残された涙、告げられぬ名
ユミナの森に、静寂が降りた。
アクアリスは地に膝をつき、そっと息を吐くように――笑った。
「……ふふ、これが……“敗北”って、やつなのかなぁ」
その声はどこか誇らしげで、そして、ひどく切なかった。
紅い瞳の隅に、ふるりと揺れる光。
それが頬を伝い、ぽとりと地に落ちた瞬間、彼女は小さく呟いた。
「ほんとはね、負けるつもりなんてなかったんだよ……カインくん」
そう言いながら、アクアリスは顔を上げ、真正面からカインを見つめる。
「“あの方”に命じられたの。勇者を屈服させろって。わたしは、そのために進化して……力も与えられて……」
その手が胸元に触れる。そこに残る、魔王からの加護の痕。
「でもね、それだけじゃなかったんだ。あなたを見てるうちに……気づいちゃったの」
その声は、まるで恋を語る少女のようだった。
「わたし……あなたのことが――」
言葉はそこでふと止まり、彼女はかすかに笑った。
「……もう、いいや。これはわたしだけの気持ち。だから、内緒♡」
水晶の羽根が一度だけきらめき、アクアリスの体が淡く揺れる。
転移の気配。それは、彼女の意思ではなかった。誰かが――彼女を“戻そう”としている。
気づいたその瞬間、アクアリスはなおも踏みとどまろうと、足に力を込めた。
「でも、わたしは――まだ死なない。だって、まだ“使命”が終わってないもの」
風が揺れる。魔素がうねる。
「“あの方”のために、わたしは……カインくん、あなたを――」
言いかけたその瞬間――
「――シルヴィ――」
名前を告げかけた刹那、光が弾ける。
空間が裂け、アクアリスの身体がその中へと吸い込まれていく。
「――またね、カインくん。次は……絶対、逃がさないからね♡」
妖艶な笑みと、どこか名残惜しそうな瞳を最後に――彼女は、消えた。
***
ただ、静寂だけが森に残された。
カインは剣を下ろしたまま、微かに震える息を吐いた。
(シルヴィ……?)
心の奥に残るその言葉の余韻。
彼女が言いかけた“誰か”の名が、戦いの裏に潜む存在を予感させる。
「……まだ、終わってないんだな」
誰にともなく呟くカインの瞳に、静かな覚悟が宿っていた。
第7章 第3節:認められし勇者
アクアリスが消えた森に、再び静寂が戻っていた。
葉擦れの音だけが響き、戦いの余韻を洗い流すかのように、ユミナの湖畔を風が撫でていく。
「……お見事、ね」
その声に、カインがゆっくりと振り向いた。
木陰から現れたのは、一人の女性――導師レイナ・ヴァルティアだった。
月明かりに照らされたその姿は、戦場に舞い降りた女神のように静謐で、そしてどこか誇らしげだった。
「レイナ先生……見てたんですね」
「当然でしょう。あなたを送り出したのは、私なんだから」
レイナはゆっくりと歩み寄り、カインの前に立つ。
彼の頬にかかる泥をそっと指で拭い、その額をじっと見つめた。
「もう、“駆け出しの勇者”なんて呼べないわね」
言葉の中に、微笑みと、少しの寂しさが混じっていた。
「あなたは、確かに自分の力で乗り越えた。仲間を信じて、前に進んだ」
「……いえ、俺だけじゃ……。リオナも、レオナも、フィリアも……みんながいたから、俺は――」
「それが“勇者”なのよ、カイン」
言葉を遮るように、しかし優しくレイナが言った。
「力だけが勇者を定義するわけじゃない。“絆”を信じ、自分の心に向き合うこと。あなたは、それを果たしたわ」
それは、師としての最高の評価だった。
カインは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
レイナは微笑むと、カインの肩に手を置く。
「この先に、もっと厳しい道が待ってる。けど、あなたなら大丈夫。そう――“彼女”に出会ってしまったあなたなら」
“彼女”。
その言葉に、カインの胸にアクアリスの紅い瞳がよぎった。
戦い、交錯し、想いをぶつけ合った彼女――
名前を言いかけた“あの方”の存在が、カインの背中を不気味に撫でる。
「……その覚悟、忘れずに進みなさい」
レイナがふっと身を翻す。
仲間たちが待つ方へ、彼女は歩いて行った。
***
夜が明け始めていた。
森の中に差し込む朝焼けの光が、カインたちの顔を照らす。
リオナが小さく伸びをして、「ふぁぁ……ようやく終わったって感じね」とつぶやく。
「さて、どうする? このまま暁都に戻る?」
レオナが少し悪戯っぽく笑いながら尋ねると、カインは静かに首を横に振った。
「いや……次に行くよ。王都へ」
「王都……?」
フィリアが目を細める。
「うん。“魔王”のことも気になるし……アクアリスの背後にいる“あの方”のことも。俺たちは、もっと強くならなきゃいけない」
カインの言葉に、三人の仲間たちは力強くうなずいた。
戦いは終わった――しかし、物語はまだ始まったばかりだ。
彼らは再び歩き出す。
目指すは、王都。
魔道列車が走るその先に、次の出会いと戦いが待っている。
そして、カインはまだ知らない。
遠く離れた魔王城で、自分を見つめる“彼女”の存在を――