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動き出す魔王の影

第1節:共鳴する想い、魔に宿る愛


 ユミナの森。朝露が湖面に淡く揺れる頃、そこにはひとり、静かに佇む影があった。


 少女のように華奢で美しく、それでいてどこか人ならざる艶やかさを纏う――クィーンスライム・アクアリス。その身を覆う青き粘膜が、水を思わせる滑らかさで揺れ、薄く笑みを浮かべる。


 「ふふ……カインくん、あの時の傷、癒えたかな……? ねぇ、今も、あたしのこと……思い出してくれてる?」


 その問いに返事はない。けれどアクアリスはうっとりと目を伏せ、唇を舐めるように笑う。


 「ううん……思い出してなくても、いいの。だって――“もう一度出会えたら”、きっと全部、思い出させてあげる♡」


 そのとき、湖のほとりに舞い降りる気配があった。


 「恋に身を焦がす魔物……悪くない光景ね」


 濃青の軍装に身を包み、片眼を眼帯で隠した美女――魔王軍幹部アルビダが、静かに歩み寄る。瞳の奥に浮かぶものは、哀れみでも嘲笑でもない。共感だった。


 「……アルビダ様」


 アクアリスは濡れた身体をくねらせながら、彼女へと近づいていく。


 「ねぇ……もう一度、強くなりたいの。もっと……“愛せる”ようになりたいの。カインくんを、全部、包んであげられるくらい……」


 その言葉に、アルビダは静かに微笑んだ。


 「あなたのその想い、かつての私も抱いたものよ。どうしようもなく、あの人を想って……傍にいたくてたまらなくなったあの夜を、私は忘れないわ」


 ――まるで、“あの人”とは誰かを匂わせるように。


 「だから、共に進みましょう。愛のために、すべてを捧げられる存在へと……」


 「アルビダ様ぁ……!」


 アクアリスはその胸に抱きつき、身を溶かすように融合し始める。滑らかな粘膜がアルビダの肌を這い、愛に染まった力が注がれていく。


 「ふふ……すごい……あふれてる……アルビダ様の“愛”、ぜんぶ、あたしの中に……♡」


 彼女の身体が、ゆっくりと、変化し始める。


 淡い光が体表に走り、スライム状の身体が美しく洗練された輪郭を形作る。肌はより人間に近い、滑らかな光沢を持ち、背中からは光の羽根が芽吹く。


 水晶のように透き通っていた羽根が、今や――水を宿した煌きの翼へと進化していた。


 瞳にはルビーのような紅が灯り、妖しくも聖なる輝きを宿している。


 「……この感覚……わたし、変わったのね……」


 「ええ。あなたは今、“セレナス・スライム”。愛に生き、愛で人を魅了する、魔の化身よ」


 アクアリスは進化した己の姿を湖面に映し出し、思わずうっとりと微笑んだ。


 「ねぇ……カインくん、見てくれるよね? “今のわたし”を……愛してくれるよね?」


 「願わくば――あなたには、彼に愛されてほしい。心から、そう願ってるわ」



第2節:覚醒する愛の暴走


 空が、裂けた。


 蒼き光の尾を引きながら、アクアリス――セレナス・スライムは降り立つ。天より舞い降りたその姿は、神々しさと妖艶さを併せ持ち、人々に錯覚を与えるほどだった。


 「……カインくん……どこ……?」


 彼女の瞳は艶めく紅。宝石のような輝きが、狂おしい恋情を静かに宿す。


 都市シブリアの空に浮かぶその姿を、人々は最初、“神の使い”と誤認した。


 ――だが、それは錯覚だった。


 「上空より魔力反応接近! ……これは、魔王級!?」「都市結界に歪み発生!防衛機構が耐えきれません!」


 水晶の羽根が微かに羽ばたいた瞬間、空が震えた。


 「ねぇ……見つけてほしいの、カインくん♡」


 アクアリスの囁きと共に、空に浮かぶ指先が弧を描く。


 「《セレナス・アクア・テンペスト》」


 降り注ぐ蒼の嵐。


 水柱が街の各所で噴き上がり、浮遊通路が凍りつく。地下の魔導網からは水が逆流し、光の都市を濁流が呑みこもうとしていた。


 「や……やめろぉぉ!」「全住民に避難勧告を!魔素浸透、臨界値を超えました!」


 防衛部隊が展開されるも、セレナス・スライムの放つ愛の暴走は止まらない。


 「こんなに騒いでるのに……来てくれないなんて……ひどいよ、カインくん」


 涙すら浮かべながら、アクアリスは嬉しそうに微笑んだ。


 「でもね……大丈夫。きっと、もうすぐ来てくれる……あたしの“運命の人”が」


 ――愛する人に、再び会うために。


 少女の、いや、魔の天使のような存在となったセレナス・スライムの“想い”が、都市シブリアを蒼く染め上げる。


第3節:交わらぬ想い、決着の地へ


 シブリアを包んだ未曾有の氾濫と魔力災害――そのニュースは、魔導通信を通じて大陸全土に広まりつつあった。


「魔王級反応……アクアリスだな」


 リーファリア練域。訓練を終えて戻ったばかりのカインは、通信端末を睨みながらつぶやいた。


 背後で、レイナが腕を組み、眉間に皺を寄せていた。


「行かせないわ。今のあなたじゃ、まだ“飲まれる”可能性がある」


「でも、あれは……あいつの声だ。アクアリスの“願い”が、聞こえた気がした」


 拳が小さく震えていた。

 怖いわけではない。ただ、あの瞳を思い出しただけだった。

 戦ったあの夜。彼女の声には確かに、寂しさと切実さが混じっていた。


 「恋だとか、愛だとか……そんな感情で暴走するなら、止めるしかない。

 でも、あいつを“否定したまま”にしたくないんだ」


 カインの声には、覚悟と痛みが混じっていた。


「……感情で動けば死ぬことになる。わかってる?」


「それでも行くよ。彼女に、“ちゃんと応えるため”に」


 その言葉に、リオナが一歩前に出た。


「勝手に一人で突っ走らないで。……あたしが横にいるんだから、任せなさいよ」


 「んふふ~、ボクも一緒だよ? カインくんに“奪われちゃ困る”しね♡」


 「カインさん。あなたが選んだ道なら、私は迷わずついていきます」


 レオナ、フィリアの声が続く。強く、優しく、心を支えてくれる声。


 「……ありがとう、みんな」


 


 ***


 


 水と氷に沈みゆくシブリアの中心――白銀の獣神像広場。

 崩壊しかけた浮遊通路の上に、紅い瞳の少女が立っていた。


 アクアリス。進化を遂げたセレナス・スライム。

 その手には武器はなかった。けれど、彼女の瞳には、鋭くも儚い光が宿っていた。


「来てくれたんだ……本当に、カインくん」


 その笑みは、初めて出会った時のあの狂気的な微笑みとは違っていた。


 「また、会えて嬉しい。ほんとに……嬉しいの。でもね――」


 ふわりと水晶の羽根が揺れ、彼女の足元に氷の華が咲く。


 「わたしね、ずっと考えてたの。“好き”って気持ち、伝えたら変わるかなって……」


 アクアリスは胸に手を当てる。その小さな身体がわずかに震えていた。


 「でも、あなたはきっと、受け止めてくれないよね……今はまだ」


 カインは、わずかに俯き、唇を結んだ。


 「……すまない。アクアリス。お前のことを“可愛い”とも、“憎めない”とも思ってる。

 けど……“好き”とは、違うんだ」


 言葉を選び、吐き出すように告げた。


 アクアリスはしばらく沈黙したまま、カインの目をじっと見つめていた。


 「……ふふ、やっぱり、そうだよね。わかってたよ。カインくんは、優しいから……だから、ちゃんと向き合ってくれるって信じてた」


 その声に、涙はなかった。ただ、どこまでも静かで、澄んでいた。


 「じゃあ、次は――ユミナの森で。あたしと、もう一度……決着、つけよう?」


 羽ばたく。風が吹き、氷の結晶が舞い上がる。


 「全部、ぶつけて。あなたの“答え”を、その剣で聞かせて」


 そう言い残し、アクアリスは霧のように空へと舞い上がり――その姿を、夜空へと溶かして消えた。


 


 ***


 


 カインは、仲間たちと共に瓦礫の上に立ち尽くしていた。


 「ユミナの森……かつて、俺が初めて“敗れた”場所」


 その瞳は、過去を見つめてはいなかった。未来を、しっかりと見据えていた。


 「今度は――彼女の想いに、“俺自身”で答えを出す」


 リオナが一歩前に出て、力強くうなずいた。


 「行きましょ、カイン。今度こそ、あの子と向き合うために」


 仲間たちが一人、また一人と頷き、彼の背を押す。


 この再会が、“終わり”ではなく“決着”となるように――


 その舞台へ、カインたちは歩き出した。

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