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異世界の扉が開くとき

第一節:暁都・神苑通りにて


 鈴の音が遠くから聞こえる気がした。

 それは風が鳴らすものか、誰かの祈りか、それとも新たな運命の始まりか――。


 カイン・アークライトとして目覚めてから、どれほどの時間が経ったのかはわからない。

 しかし、確かに言えることがひとつあった。


 (……ここは、俺の知っている東京じゃない)


 瞼の向こうに映るのは、まるで和の文化と近未来が融合したような都市。

 瓦葺きの屋根とガラスの魔導塔が並ぶ通りを、空中を走る魔導列車が煌めく軌跡を描きながら走っている。


 (これは夢か……いや、違う。違和感があっても、あまりにも鮮明すぎる)


 自分の名は、相坂優希。――だったはずだ。

 都内で営業職をしていた、ごく普通の社畜。

 推しアイドル「白銀白亜」を心の拠り所に、無理やり前を向いて生きていた30歳。

 過労と疲労が積み重なったある夜、白亜の歌声に導かれるように命を落とした……はずだった。


 (それが、なんで……こんなファンタジーみたいなとこに?)


 目の前には、神苑と呼ばれる広場が広がっていた。

 巫女装束の女性たちが神託を受けるように祈りを捧げ、奥には荘厳な城郭のような建物がそびえている。


 その中心に、自分がいる。


 (まさか……これが“転生”ってやつか? いや、そんな都合のいい話……)


 そう思いながらも、自分の身体はもう“相坂優希”ではなかった。

 背は少し高くなり、剣を扱えるような筋肉もある。鏡がなくても、感覚だけでわかる。これはもう別人の身体だ。


 だが、だからこそ思う。

 (こんな状況になっても、俺の中には、まだ“あの気持ち”が残ってる)


 白亜ちゃんの笑顔。

 あのとき最後に耳に残った歌声――それが、今の自分の精神をつなぎ止めていた。


 「……勇者カイン様ですね?」


 声をかけてきたのは、蒼い軍装に身を包んだ青年。凛とした態度と明晰な瞳を持つその男は、まるで軍の精鋭そのものだった。


 「王より命を受け、勇者様をお迎えに上がりました。王城まで、ご案内いたします」


 「……ありがとう。でも、正直まだ状況が……」


 「すべては、王がお話しくださるでしょう。どうぞ、こちらへ」


 促されるまま、神苑の鳥居をくぐる。

 その瞬間、空気が変わった。


 (……魔力?)


 それは言葉にはできないけれど、身体の芯が“世界の理”に触れたような感覚だった。


 「ここ神苑区は、魔と霊を統べる“聖域”です」


 軍装の青年が言った。


 「人間、神官、陰陽師、魔導士が共存し、祈りと政を司る都の中枢です。しかし今、世界は静かに崩れ始めている――その兆しが、見え始めています」


 言葉の奥に隠された不穏な響きに、カインは言葉を失う。


 そして、ついに王城――“暁の座”と呼ばれる城が、その姿を現した。


 ***


 王の名は、リュミエル=あかつき


 神官と魔導士の血を引く中庸の賢王として知られる人物であり、白銀の装束に身を包んだその姿は神々しさすら漂わせていた。


 「……勇者よ、ようこそ我が国へ」


 低く柔らかな声が、広間に響いた。


 「あなたがこの世界“ラグナ=カダステア”に召喚された理由――それは、“魔王の目覚め”によるものです」


 魔王。


 その言葉がカインの背筋を冷やす。

 だが同時に、女神が言っていた“深く、強い愛”という言葉が、どこかで重なった気がした。


 「あなたに託された使命はただ一つ。魔王を討つこと――それだけです」


 「……俺が、魔王を……」


 プレッシャーは重い。

 だが、不思議と逃げたいとは思わなかった。


 (もし、ここが俺の新しい人生なら――この使命もまた、“意味のあるもの”であってほしい)


 「……わかりました。やってみます。俺にできることがあるなら」


 「心強いお言葉です。ですが……いま我が国は、余裕を持てる状況ではありません。あなたに指南役も、仲間も与えることはできません。まずは、自らの力を試していただきたい」


 「つまり……“ひとりでやってこい”ってことですか?」


 王は静かにうなずく。


 「その通りです。あなたの歩みが、この世界を救う第一歩となるのです」


 鐘の音が、神苑に鳴り響いた。


 ――それが、カインの旅立ちの合図だった。


第2節:孤独なる勇者、ギルドの扉を叩く


 王宮をあとにしたカインは、神苑通りの街並みに足を踏み出していた。


 (ここが……俺の“始まりの街”ってことか)


 街には魔導の力で動く屋台、浮遊式の案内板、蒼く輝く街路灯が並び、行き交う人々は剣や杖を腰に提げていた。

 和の趣を残した街並みの中に、どこか近未来的な魔導技術が溶け込んでいる。


 (ほんと、東京に似てる……けど、やっぱり違う)


 ふと目に入った看板には“冒険者ギルド 暁都支部”の文字。

 街の一角にある木造三階建ての建物で、人々が慌ただしく出入りしている。


 カインは扉を押して中へ入った。


 カウンターには眼鏡をかけた女性職員が立っていた。

 事務的で、どこか気怠そうな雰囲気――だが、その背筋はまっすぐ伸びている。


 「ご用件をどうぞ」


 「あの……俺、今日この街に来たばかりで。名前は、カイン・アークライト。できれば冒険者登録をしたいんだけど……」


 「新規登録ですね。冒険者名、種族、人種、生年月日、戦闘経験の有無、現在の所持装備をお願いします」


 (結構、ちゃんとしてるな……)


 答えられる範囲で答え、登録は無事完了。

 その結果、最低ランクの“仮冒険者”として扱われることになった。


 「依頼は掲示板をご確認ください。仲間を募る場合は、パーティ結成申請も忘れずに」


 礼を言い、カインは掲示板に視線を向ける。

 そこには“スライムの討伐”や“薬草の採集”、“配達任務”といった初心者向けの依頼が並んでいた。


 だが――


 (仲間募集の張り紙、どれも“熟練者限定”ばっかりだな……)


 勇者として異世界に呼ばれたはずなのに、現実は甘くない。

 どんなに肩書きがあっても、実力が伴わなければ信頼も得られない。


 (ま、俺は“会社”っていうダンジョンで散々修行してきたからな……。孤独に強いのは自信あるぜ)


 そう自嘲気味に思いながら、カインはスライム討伐の依頼を選んで外へ出た。



 *


 暁都の北西に広がる草原地帯――

 ここは初心者冒険者たちが初狩りの練習場として使うエリアだ。


 「……よし。やってみるか」


 手にしているのは、細身の片刃剣と予備の短剣。

 二刀を握る感覚は最初こそ戸惑ったが、剣を振るうたびに少しずつ身体が馴染んでいくのがわかる。


 現れたのは、ぷるぷると揺れる青いスライム。


 「せいっ!」


 一閃。

 剣がスライムの身体を真っ二つに裂き、やがて消滅する。


 (……なんとか、なるな)


 カインはスライムの素材を拾い、次の個体へと向かった。



 こうして、カインの“孤独な修行”の日々が始まった。


 スライム、ゴブリン、少し強めのコボルド。

 街のギルドから依頼を受け、日々を戦っては稼ぎ、夜にはギルド併設の酒場でパンとスープを食べる。

 誰にも頼れず、誰にも頼られない。だが――


 (不思議と、悪くない)


 時間に縛られない自由。成果が自分に返ってくる明快さ。

 何より、誰かの機嫌を伺う必要がない。


 (会社にいた頃より、よっぽどマシかもしれない)


 そう思えるほどには、カインの心と身体はこの世界に馴染み始めていた。



 数週間が過ぎたある日――


 カインはギルドの屋上で、ひとり空を見上げていた。


 (……何か、足りない気がする)


 力も経験も、少しずつ積み上がっている。

 だが、戦いにはどこか“壁”があった。足りないのは、実戦か。それとも――


 (……もっと、“異世界”ってやつを見てみたい)


 ふと視線を上げた先、神苑通りの外れ。

 北東へと延びる街道の、その先に――誰も足を踏み入れようとしない森がある。


 “ユミナの森”。

 帰らずの森。地図には簡単な輪郭しか描かれていない。

 それでも、不思議と心が引かれた。


 (何かが、呼んでる……)


 ふっと立ち上がり、剣の柄に手をかける。


 「行くか――今度は、俺の“本当の力”を知るために」


 そうしてカインは、未知の森へと足を踏み出した。


第三節:ユミナの森にて ――出会いと敗北


 暁都・神苑通りから北東へ続く小道を抜けた先、どこかひんやりとした空気が肌を撫でる。


 木々が生い茂り、昼でも薄暗いその森――ユミナの森は、“帰らずの森”とも呼ばれていた。


(これまでの敵じゃ物足りない……強くなるためには、挑まなきゃ意味がない)


 カインは、自らの力で進むと決めたのだ。

 誰かに与えられた使命ではなく、自分の意思で。


 そうして森の奥へと進んだ彼の前に、静かな湖が現れた。

 霧が立ちこめ、鏡のような水面に周囲の木々が映り込む幻想的な光景。


 ――その時だった。


「ふふっ、ようこそ……可愛い勇者さま♡」


 水面が音もなく揺らぎ、その中心から“それ”は現れた。


 蒼く透き通るような長い髪、ルビーのように赤く潤んだ瞳。

 滑らかな肌と妖艶な肢体、柔らかく笑う唇に毒を含んだ甘い声。


 まるで、湖が生んだ美しい幻想。だが――それは、“魔物”だった。


「私はアクアリス。このユミナの森を統べる、クィーンスライムよ♡」


 彼女の一歩ごとに、水がきらめくように足元から湧き上がる。

 スライム特有の半液状の体が、ぬめりとした柔らかい質感を保ちながら、人の姿を模している。


「……人間じゃないんだな」


「んふふ、ざぁんねん♡ でも……お兄さんみたいな子、大好物♡」


 アクアリスの目が細くなり、くすくすと喉を鳴らして笑う。


「“ひとりぼっちの勇者さま”、こんなところにぽつんと来るなんて……寂しかったの? それとも――わたしに会いに来てくれたのかしら♡」


(……言葉に悪意はない。けど、軽い。掴みどころがない……)


 カインは剣の柄に手を伸ばす。


「その煽り……敵意と見なす」


「きゃっ……怖ぁい♡ でも、そういう顔……嫌いじゃないよ? ――さぁ、たっぷり遊びましょ♡」


 ぬめるような笑みを浮かべたアクアリスが、水と共に跳ねるように飛びかかってくる。

 その身体は斬撃をするりと受け流し、こちらの攻撃を無効化していく。


「わたし、痛いのキライなの♡ 物理なんて、効かないの♡」


「……っ、《フレイム・エッジ》!」


 剣に炎をまとわせ、一閃。だが、それも表面を焦がすだけで決定打にはならない。


「ざぁこ♡ 勇者のくせに、これっぽっち? がっかりだなぁ♡」


 その声は、からかうようで、どこか――嬉しそうでもあった。


(……何だ、この女……本気で楽しんでるのか?)


 ――否、それだけではなかった。


(……なにこれ……この人……ちょっと、面白いかも……)


 水の流れに紛れるように、アクアリスの瞳に“熱”が灯った。


(もっと見てたい。苦しむ顔、怒る顔、諦めそうな顔……ぜんぶ、見せて?)


 その想いが、アクアリスの動きを速める。


「《アクア・ブレード》……今度は、ほんのちょっと、痛いの♡」


 無数の水の刃が襲い掛かり、カインは回避しきれずに片膝をついた。


 魔力が削られる。体力も限界だ。


「うう……っ、まだ……!」


 膝を震わせ、剣を握る。

 それでも、立ち上がる意思だけは、折れていなかった。


「……あれ? 逃げないんだ……ほんと、変わってる♡」


 アクアリスの心の中で、何かが揺らぎ始めていた。


(あんな顔して……ぜったいもう、動けないくせに。

 でも……なんで、見てたいって、思っちゃったんだろう)


 ぞくりと、胸の奥が熱くなる。


 身体の中心が、くすぐったくなるような感覚。

 思わず、舌先で唇をなぞった。


(……わたし、なにしてるの?)


 カインを追い詰めながらも、アクアリスの表情に“揺らぎ”が生まれる。


 それは、ただの“遊び”だったはず。

 けれど――


 「はぁ……はぁ……っ……!」


 限界まで追い詰められながらも、なお諦めない男の姿が。


(ねぇ……もっと、あなたを見ていたい……)


(もっと、もっと――わたしだけのものにしたい)


 次の瞬間、アクアリスの手がカインに伸びかけ――


 しかし、突如として光が弾ける。


「え……?」


 彼女の身体が、霧のように溶けていく。


「だれっ……?」


 ――そう。転移だった。

 彼女自身の意思ではなく、誰かによる強制召喚。


「でも、わたし……まだ終わってないのに……」


 アクアリスの目が、未練を残したままカインを見つめる。


「ねぇ……絶対、また会いに来てね? 今度は、もっと……近くで」


 その囁きは、湖の水面に溶け――彼女の姿は、消えた。


 ただその場には、余韻と――胸の奥に、熱を残して。


(……あれは、一体……)


 カインは剣を支えに立ち上がりながら、深く息を吐いた。


 体はボロボロ。けれど、その心は……不思議と折れてはいなかった。


(……強く、ならなきゃ。今度は……負けない)


 そう誓うように、彼は再び歩き出した。

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