ある日の夜…
はじめまして、またはこんにちは。キャシーと申します。
この物語『転生勇者は、魔王とその忠臣たちに溺愛されて逃げられない件』は、
異世界転生・ファンタジー・ヤンデレ・恋愛といった要素を詰め込んだ、“愛されすぎる勇者”の物語です。
「もし、魔王に命より深い愛を捧げられたら?」
「その愛は救いか、呪いか――?」
そんな問いを胸に、主人公カインと彼を取り巻く個性豊かなキャラたちの冒険を描いていきます。
初めての方でも読みやすく、キャラ同士の感情にじっくり浸れるよう心がけていますので、
ぜひ気軽に楽しんでいただけたら幸いです。
【プロローグ:第1幕】ある日の夜…
その日も、終電間際だった。
煌びやかな東京の夜景が、疲労でにじむ視界の中にぼんやりと映り込んでいる。
ネクタイを緩め、重たいビジネスバッグを肩にかけて歩く男の名は、相坂優希。
三十歳。中堅ホワイト企業に勤める営業職――と世間的にはそう紹介されるだろうが、現実は“月40時間超”の残業に日々追われる社畜だった。
「はぁ……今日も俺、ようやく生き残ったか……」
歩きながらふと見上げた空は、冬の東京らしく透き通っていて、ビルの間から覗く星がやけに小さく見えた。
その手に握られているのは、ほんのり熱を持ったスマートフォン。
画面に映っていたのは、**9人組の人気アイドルグループ《Stella Nova》**のセンター――**白銀白亜**の最新ツイートだった。
《みんな、今日も一日お疲れさまっ☆ 明日も一緒にがんばろうね! #白亜ちゃんスマイル》
デビュー以来ずっと不動のセンターで、誰よりも輝く“白亜ちゃん”は、彼にとってただの推しじゃなかった。
可愛らしいウインク。ピンク色のハートで囲まれた自撮り写真。
シンプルすぎるメッセージ――でも、それがたまらなく嬉しかった。
「……うん、頑張ったよ、俺。今日も取引先に理不尽言われて、上司に理想押しつけられて、それでも耐え抜いたさ……」
小さく呟いた言葉に応える人など、周囲にいない。
だが、彼にとっては“白亜の言葉”こそが、疲れきった自分を肯定してくれる唯一の存在だった。
ライブには毎回行けなかったけれど、限定グッズは一通りそろえた。
壁に貼ったポスター、ベッドサイドのアクリルスタンド、着信音は彼女のボイス。
彼女の存在が、人生をなんとか繋ぎとめていた。
その夜、音楽アプリを起動した彼のイヤホンに、白亜の最新楽曲が流れ始める。
――その歌声は、まるで冬の夜空に溶ける雪のように、優しく、透き通っていた。
《……“きみといるだけで、世界はきらきらしてるよ”……》
そのフレーズが胸に触れた瞬間、彼の心は一瞬だけ、現実から解き放たれた。
世界が、音だけになる。
視界は朧に滲み、足元がふわりと浮くような感覚に包まれて――
その時だった。
――キィィィィィィッ!
耳をつんざくようなブレーキ音と、遅れて響くクラクション。
優希は、車が迫っていたことにまったく気づいていなかった。
夢中で、ただ白亜の歌に耳を傾けていたのだ。
目を開けた瞬間、ヘッドライトが目前に迫っていた。
「……死ぬのか、俺……」
体はもう動かない。ただ、胸の奥から、言葉が零れた。
「……せめて、一度でいいから……白亜ちゃんに、会いたかったな……」
その呟きとともに、意識は白くかすんでいった。
⸻
【プロローグ:第2幕】女神の導きと“愛の理”
――あたたかい光に包まれている。けれど、どこか寂しい。
目を開けると、そこにはどこまでも白く、やわらかい光の空間が広がっていた。
空なのか、大地なのか、境界が曖昧な世界。耳をすませば、小さな鈴の音のような響きが風に乗って聞こえる。
「……夢か、これ……」
自分が死んだことを、相坂優希はなんとなく理解していた。
痛みはなかった。ただ、ふわりと意識が途切れて――気がついたら、この白い場所にいた。
これが“あの世”というやつか。それとも、夢の延長線か。
わからない。だが、ただひとつだけ確かなのは――この空間に、**誰かが“いる”**という感覚だった。
「来てくれて、ありがとう。あなたが来るのを、ずっと待っていたのです」
その声は、優しく、けれどどこか芯の通った響きを持っていた。
振り向いた先に、彼女はいた。
まるで神話の絵画から抜け出したような、神秘的な女神。
純白の髪に、虹色に揺れる瞳。
金糸のようなドレスが身体に沿い、宙に浮かんでいるかのように、彼女は優希の前に現れた。
「……君は、誰?」
問いかけるが、女神は名前を告げず、ただ静かに微笑む。
「私は、あなたに“次の人生”を告げに来た者です」
「……次の、人生?」
「ええ。あなたは“死”という扉を越え、別の世界へと進む権利を得ました。そしてその世界は、あなたにとって“理”を知るための舞台となるでしょう」
“理”――聞き慣れないその響きが、胸に静かに残った。
「ちょっと待って。なんで俺が……選ばれたとか言われてるけど、俺、ただの社畜だぞ? 死ぬ間際だって推しの曲聴いてただけで……」
「あなたは、“愛”を信じていました」
女神の言葉は、あまりに自然だった。
「誰かを信じ、誰かのために尽くし、疲れながらも、何かを愛していた。その“心”が、次の世界を繋ぐのです」
優希は、白亜の笑顔を思い出す。
画面越しに支えられた日々。彼女の存在だけが、前に進ませてくれた。
「……それって、推し活のこと?」
「それも、またひとつの愛の形でしょう。
けれど、次の世界では、あなたはもっと――“深く強い愛”と向き合うことになります」
「……“深く強い”……?」
「時にそれは、あなたの世界を歪め、狂わせるかもしれません。
でも、それでもあなたは、それを選び取るのか――それとも、拒むのか」
その言葉の奥に、女神自身の影がほんの一瞬だけ揺れたように見えた。
「愛と理が交わる時、運命は大きく揺らぎます。
でも、どうか……あなたが“愛”を見失わないように――」
彼女の言葉が終わると同時に、光が満ちていく。
「まだ……聞きたいこと、あるのに……!」
伸ばした手は、空を切る。
女神の輪郭が淡く崩れ――
その唇が、わずかに名残惜しげにほころんだ。
そして、次の瞬間――その白いドレスの裾が舞うように翻り、
彼女のシルエットがほんの一瞬だけ、現実世界で見た“誰か”の姿に重なる。
(……え? 今の……誰かに、似て……)
その疑問も、すべて光に呑まれていく。
⸻
(白亜ちゃんの笑顔……もう一度、見たいな……)
それが、相坂優希としての、最後の願いだった。
そして――“カイン・アークライト”としての、最初の鼓動が、異世界で鳴り始める。