【2】長生きおばさんは物知り
「ふうん。ウルリカあんた、竜の生態について調べてたわけ?」
「うん。それもまあ、目的の一部かな」
ソニアはハア、と溜息まじりにブツクサと言い出す。
「やあねえ。あの痩せたおチビちゃんがこうも立派になっちゃって。今のあんた、初めての子育てで育児書を読み漁るお母さんそのものよ」
「ウルリカはオカアサンじゃなくて、メイユウだぞっ!」
不満げに切り返すノアに、ウルリカも苦い顔で同調した。
「そうよ。そもそもあたし、まだ結婚もしてないのに……」
ウルリカが唇を尖らせて不満げにぼやけば、彼女はクスリと笑った。
「あら、あんたを引き取ったばかりのエリオットもまあ似たようなもんだったわよ。『なあ、ソニア。人間のこどもはどうやって育てたらいいんだ?』って、困り果てた顔して、獣のあたしに聞きにきたんだから」
「……ははは」
当時彼はまだ二十代の半ば。
一子を設けていてもおかしくはない年齢だが、未婚で突然できた大きすぎるこどもの扱いに、さぞや困りはてたことだろう。
(人間じゃなくて、〈聖獣〉を頼りにするのも、エリオットって感じよね)
だいたいね、とソニアは続ける。
「竜なんて、どの種族も体が丈夫にできてるから適当でいいのよ。基本的に雑食だし、滅多に病気に罹らない。ただし、種類によっては寒さに弱いわ。大きく注意を払うのは、それくらいでいいの」
「うん、そのあたりはハーヴィおじいちゃんからも聞いているんだけど」
なにせ、ハーヴェイ自身が竜なのだ。ソニアと同じようなことを教えてくれた。
だが、ウルリカの目的はほかにある。
「ノアの親のこと、何かわからないかなぁ、って」
「……それはあんただけじゃなくて、城の連中も血眼になって探してるんじゃない?」
「えっ、そうなの?」
そんな話ちっとも聞いていないし、ハーヴェイも何も言っていない。
ウルリカは本を閉じて、ソニアの顔を覗き込んだ。
彼女は長い尻尾をくゆらせながら、興味なさそうに呟く。
「ま、あんたとは目的は違うだろうけど」
「……どういうこと?」
「召喚術師の世界ではね、一部例外はあるけれど、才能というのは基本的に親の遺伝に左右されるものよ」
そう言えば、以前もエリオットが言っていたな、とウルリカは思い返す。
ウルリカの両親は召喚術師ではないから、才能を持たないとか。
「鳶が鷹を産むなんて万が一にもありえないの。庶民の子が才能を見出されて召喚術師の養子にとられる、なんて話も、大抵が庶民の娘に手を出した醜聞を隠す為ね」
それもよくある話だと、ウルリカも知っている。
だが、それがノアの話とどう繋がるのだろう?
いまひとつわかっていないウルリカに、ソニアは小馬鹿にしたような表情を向けて教えてくれる。
「その、ノアっていう竜の子の親も、〈特異聖獣〉じゃないかってこと」
「あ……!」
ようやく合点がいったウルリカを呆れたように眺めつつ、ソニアは続ける。
「あんたが考える以上に、〈特異聖獣〉は、本当に稀少で貴重な存在なのよ。旧フラホルク諸国同盟が成立した頃まで遡っても、現在までに発見された〈特異聖獣〉はノアを含めて、たったの四人しかいないもの」
「よ、四人!?」
ウルリカは驚きのあまり、声が裏返ってしまった。
それから慌てて、指折り数える。
現在のフラホルク統一王国の前身である、旧フラホルク諸国同盟。
〈魔王〉の襲撃に見舞われる以前は、旧フラホルク神聖王国を含む、三十に近い国家が存在したと、チェスターが歴史学で説明していたのは、記憶に新しい。
(えっと、えっと……旧フラホルク諸国同盟が成立したのは、二千年前、だっけ……?)
「最初のひとりは、二千年以上も昔に現れた。記録によると、人型の〈聖獣〉で種族は不明。彼は老衰で亡くなった。二人目は約千五百年前。妖精族ということだけはわかっているけれど、記録はほぼ残っていないし、消息も依然として不明」
「じーじ(ハーヴェイ)のように、生きていること、ないのか?」
ノアの率直な疑問に、ソニアは首を振って答える。
「妖精族はそこまで長命じゃないもの。まあ、大方寿命を迎えているでしょうね」
一口に妖精族と言っても、聖獣生物学に基づいて分類すれば、その数はざっと万は超えるという。
最も長寿といわれるエルフでも千年という話だから、ソニアの言う通り生存の望みは薄い。
「三人目は五百数年前に出現した。こちらも情報が殆ど残っていない。わかっていることは翼の生えた人型の〈聖獣〉で、戦に巻き込まれ命を落とした――とだけ」
「じゃあ、今存在する〈特異聖獣〉はノアだけってこと?」
「おそらくは。〈特異聖獣〉は他の国での出現が一切報告されてないのよ。まあ、フラホルクのように隠しているだけかもしれないけど」
なんにせよ、と彼女は呟いて続ける。
「フラホルクが現在地点ではっきりと存在を確認できている〈特異聖獣〉はノアだけになるかしら。フラホルクの生きる化石に比肩するくらい、貴重な存在ね」
「へー。ソニアおばさん、詳しいのね」
最初から彼女に聞けばよかったとちょっぴり後悔するウルリカに、その意図が透けて見えたのか、ムッとした口調で彼女は言う。
「あのね、〈特異聖獣〉については〈魔王〉や『裏層』と同じで本来門外不出の情報なの。だからあんたもその子と出会う前は〈特異聖獣〉の存在すら認知していなかったんでしょ? あまり大っぴらに言いふらさないよう、あんたもあの国宝ジジイから口うるさく言われているんじゃないの?」
だからノアの存在も内密にしているのだ。
しかし、その割には案外あっさりと教えてくれたではないか……、と内心不満を抱きつつ、ウルリカは頷いた。
「うん、そうよ」
「フラホルクでは四体しか確認されていない〈特異聖獣〉だけど、じゃあそれだけしかいない、って話にはならないわ。さっきも言った通り、鳶が鷹を産むなんてありえないのよ。あたしたちが知らないだけで、異層には〈特異聖獣〉がいるんじゃないかって、欲深い人間どもは考えているんでしょうね」
「実際のところ、どうなの? 〈特異聖獣〉は、異層に多く存在する?」
「……あんた、本当に頭が鈍いのね。そもそも〈聖獣〉は異層では自活できるのよ。そんなことあたしがわかるはずないじゃないの」
「あう……」
つまり、実際に呼び出すまでわからないというわけか。
しかし、ソニアの理論が正しければ、ノアの親が〈特異聖獣〉である可能性は高い。
ノアの親のてがかり、例えば名前や住処を見つけられれば、召喚自体はさほど難しくはないだろう。
肝心のノアが親の記憶を有していないことで、実現は遠のいてしまったが。
(ううん、結果的にそれでよかったんだわ)
もし、彼の親が呼び出されたとして、王室は〈特異聖獣〉を間違いなく利用しようとしている。
特に、力のある竜なのだ。利用価値は高いだろう。
(でも、何のために?)
今が戦時中であれば、強力な〈特異聖獣〉を手元に置いておきたいという狙いもわかるが、平和なフラホルクに戦いの気配はない。王室は近隣国とは長らく和平協約を結んでいるのだ。
単に知的好奇心を満たすためだとしても……〈特異聖獣〉の待遇がよいとは考えづらい。
(ノアはあたしと特別な誓約を結んだから、自由にさせてもらってる。でも、そうじゃなかったら、きっとひどいめにあっていたかもしれない)
ウルリカが密かに王室への不信を募らせていると、「で、あんたは」という言葉で引き戻される。
「ノアの親を見つけて、会わせてあげようなんて、馬鹿なこと考えてたりはしないでしょうね?」
ずばり、図星だった。
幼くして親元から引き離されたのだ。誰だってそのように考えるだろう。
特に、ウルリカも似た境遇にいるからこそ、親の顔を知らないノアに、両親と会わせて上げられたら……と考えてしまうのだ。
しかしソニアは、心の底から馬鹿らしい、とでも言いたげな顔をする。
それからノアに向かって、「チビ竜」と呼びかけた。
「ねえ、あんた、『親』ってわかるわよね?」
「うん。俺を産んだ、そんざい?」
「そうよ、赤ちゃんのくせしてまあまあ賢いじゃない。で、あんたはその親に会いたいと思う?」
「うーんと、会えなくても、いい」
これにはウルリカも驚いて、すかさず問い返す。
「えー、会いたくないの!? だって、親よ? 肉親なのよ?」
「だって俺、オヤなんてよくわかんないし……」
「よくわからなくても、血の繋がった存在なのよ? 普通、会いたいと思うものじゃない?」
ノアはまだ赤子で、精神的に未成熟だからか、親への愛情も薄いのだろうか。
目を丸くして問いただすウルリカに、ソニアはどこか憐れむような視線を向けた。
「あんたは自分の可哀想な境遇と重ね合わせているのかもしれないけど、親に興味のないこどもに、親と会わせてあげるなんてそんなの自己満足にすぎないわよ。ノアが親と会えたことで、あんたが満たされたいだけでしょ?」
ソニアの指摘は冷酷だが、的確だ。
ぐっと喉を詰まらせるウルリカに、ソニアは訊ねた。
「そもそもあんた、ノアを元の世界に戻すなら、誓約を解除することになるけど、できるの?」
「それは……」
「わかってると思うけど、今の立場上、あんたの安易な行動は許されないわよ。それも含めて、護衛と言う名の見張りがついているの。変なことをしないようにって。お国が守ってくれるのは、あんたの手元にノアがいるから。ノアを元の世界に戻したら、あんたは国を敵に回すことになるわ」
ソニアにたたみかけられて、ウルリカは口を噤んだ。
それから彼女は、どこか試すような目つきで、ウルリカを見上げる。
「それにそういうった事情を抜きにして。あんた、ノアと離れることができるの?」
(あたし、ノアと離れたくない……)
今となっては、ノアは盟友であり、家族のような存在だ。だから、ひどく離れがたい。
(でも……)
ノアはきっと、ただの竜の幼子ではない。
ウルリカには憶測があった。彼の出自は特別なのだと。だからこそ、彼を親元に返すのが安全なのではないか。
「――おい、ウルリカをいじめるな、ねこっ!」
ウルリカが考え込んでいると、歯茎を剥いたノアが、ソニアをポカポカと叩いていた。
「なっ、ノア!?」
きゅっと眦を吊り上げて、ノアはソニアの長い尻尾を掴んだ。
ソニアはシャア、と毛を逆立てて、怒りを露わにする。
「なにすんのよ、このクソガキ!」
「よくわかんないけど、ウルリカ、かなしそうな顔してるっ! 俺、ウルリカのメイユウだ。ウルリカは俺を助けてくれた。だから、ウルリカをいじめるやつは、おれがやっつけるっ」
しっぽをギュウギュウ握って威嚇するノアの小さな手の甲に、ソニアはガブリと嚙みついた。
「ピギャっ」
「ノアっ!?」
「いじめないわよ! ふん、これからガキは嫌いなの! あんた、ずいぶん懐かれたもんね」
ノアから解放されて、そそくさと退散しようとするソニアに、ウルリカは咄嗟に声をかけた。
「待って、ソニアおばさん!」
「何よ」
ソニアは不機嫌な声ながらも、止まって頭だけをクルリ、と向けて言う。
「あのね、ソニアおばさん。……『黒い召喚の門』って、何か知ってる?」
黒い召喚の門。どれだけ探しても記述は見つからなかった。
その門から、〈特異聖獣〉であるノアが飛び出して、怖ろしい魔獣が追いかけた。
名前のない門。どちらも出自は不明だ。
その意味を、ウルリカは考えて。ある憶測を立てていた。
もしかすれば、物知りな彼女は知っているだろう。もちろん、彼女へ問うことにも、当然リスクはあるが、王室に所属するハーヴェイに訊ねるよりは、危険性が少ないだろう。
黒い召喚の門、と耳にして、彼女の顔は驚愕で目が開かれていた。
「……ソニアおばさん?」
「……さあ。あたしは知らないわ」
間が開けた、素っ気ない返事。彼女はプイ、と顔を背けて、ドアの方へと向かう。
僅かに空いた扉の隙間に躰を捻じ込ませたソニアは、最後にボソリと忠告する。
「……ウルリカ。あんた、余計なことに顔を突っ込むんじゃないわよ」
「うん……」
何も知らないと嘯く彼女が、何かを知っていることは明白だった。




