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おちこぼれ召喚術師と魔王の子  作者: 藤宮晴
三章 噂と予兆
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【10】秘密の任務

「え?」


 キョトンとするウルリカに、苛立たしげに舌打ちしたミルカが、飛び掛かるようにして覆い被さった。

 ミルカの突然の行動に理解が追いつかず、ウルリカは無抵抗でソファに押し倒される。

 彼の紺色のローブに視界が隠されたと同時に、轟音とともに窓ガラスが一斉に割れる甲高い音が響いた。


(えっ、なに、なに? 何が起こっているのっ!?)


「怪我はないか? ウルリカ・ネヴィル」


 ソファに片手をついて、躰を起こしたミルカに、硬い声音で問いかけられる。

 そのミルカに咄嗟に庇ってくれたのだ。怪我はない。

 いきなりのことに、心臓はバクバクと激しい鼓動を刻んでいるけれど。


「は、はい……」


 ウルリカは呆然と頷いて、彼の頭から流血していることに気づく。

 真っ赤な血が、ミルカの細い顎に滴っていた。飛び散ったガラスの欠片が掠めたのだろう。


「ミ、ミルカ先生、怪我、してます……!」


「こんなもの、怪我のうちに入らない」


 ミルカは袖口で乱暴に頬の血を拭うと、今までに見たこともない険しい視線を、窓の外へと向けた。

 窓ガラスは粉々に吹き飛んで、外からの砂塵がブワリ、と居室内に舞い込んでいる。


「一体何が起こった?」


「――召喚事故です」


 切迫した声音のミルカに応じたのは、凛、と透き通ったこどものような声。

 声が聞こえた方を見れば、ガラスが割れた窓枠から一匹の白猫がヒョイ、と飛び降りたところだった。

 白猫は音もなくミルカに近寄る。

 黒と金のオッドアイ、しなやかな体躯と毛並みが美しい。

 白猫はミルカを見上げ、口を開いた。


「ミルカ・カスタニエへ伝令。先刻、聖マルグリット高等魔導学院敷地内で、大規模な召喚事故が発生しました」


 ミルカはすう、と目を細めた。


「自然召喚災害か? それとも――」


「聖マルグリット高等魔導学院の召喚術同好会の学生たちが、監督者のいない不適切な環境下において合同召喚術を行使し、召喚に失敗しました」


 ミルカは眉間に皺を寄せて呟いた。


「召喚術同好会の顧問は……スティーブ・ニーンだったか」


(スティーブ先生って、少し前から体調不良で魔導学院には姿を見せていなかったわね……)


 それに伴い、合同召喚術学は他の教員が代理で指導している。召喚術同好会の方は、活動休止となっていたのだろう。

 だが、こっそりと合同召喚を行い、結果として召喚事故を巻き起こしてしまったのか。


「身の丈に合わない召喚で呼び出された〈聖獣〉を、学生たちは制御できませんでした。暴走した召喚の門の出現は中庭奥の訓練場。迷い込んだ〈聖獣〉は現状確認されるだけでも五十を超過。いずれも凶暴な〈魔獣〉へ変異しました。至急、事態の収拾に動くように」


「承知した」


 ミルカは白猫に向かって答えた。人語を解する獣――明らかに〈聖獣〉だ。

 ミルカの返事を聞き届けた白猫の〈聖獣〉は、現れたときとは異なり、煙のように姿を消した。


(召喚事故……それも暴走召喚事故が、魔導学院内で起きるなんて……)


 ウルリカは身をブルリと震わせた。悪夢のようだが、決して他人ごとではないのだ。

 以前、合同召喚術学でセルヴィッジを呼び出したとき、ウルリカは迂闊にも召喚の陣を書き間違えてしまった。

 些細なミスと言えばそうだが、その小さな過ちが今回のような、取り返しのつかない事故に繋がるのだ。

 召喚の門は狂い、暴走する。魔術式が〈聖獣〉を操り、彼らを〈魔獣〉へといたらしめるのだ。

 ブルブルと震えるウルリカの手を引き、ソファから立たせながらミルカは叱咤する。


「しっかりしろ、ウルリカ・ネヴィル!」


「は、はい」


「俺の使い魔から聞いた通りだ。現在、魔導学院内は非常に危険な状況下に置かれている。ウルリカ・ネヴィル。貴様の『騎士』とともに、可及的速やかに避難するように」


 それからミルカが小さく詠唱を口にすると、扉がひとりでに開いた。

 扉の前に立っていたのは、左手に杖を構えたエミールだ。


「ウルリカ・ネヴィル。君の『騎士』が参上したよ」


 エミールは右手で取り外したドアノブをプラプラと揺らしながら、おっとりと首を傾げた。


「それで、ミルカ・カスタニエ先生に聞きたいのだけれど。鍵を掛けて、ご丁寧に防音結界まで張って、女子学生とふたりきり。どんないかがわしい内緒話をしていたの?」


 こんな状況でも軽口を叩く余裕が残っているのか。

 ミルカは無視して口早に言い募る。


「特殊警備部第一部隊所属、エミール・コルネイユ。貴君も状況は理解しているだろう。護衛対象を伴って、魔導学院外に離脱せよ」


「ふうん」


 エミールは銀色の瞳を細めて、不敵に微笑む。


「ボクの経歴を口にするなら、ミルカ・カスタニエも素性を明らかにしないと。だって、不公平じゃない?」


(エミールのこと知ってる……。それに、護衛対象って)


 事情を知っているミルカは何者か。

 見上げたミルカの顔が、緊張に強張る。


「いかん、来るぞ!」


 ミルカが叫んだ時、割れた窓枠と壁をなぎ倒しながら、〈魔獣〉が猛進してきた。

 それは奇しくもウルリカが最も苦手とする生き物――豚の〈魔獣〉だった。


 ***


「ぶっ、ぶっ、ぶっぶぶぶぶぶぶぶ…………!?」


「お、おい? ウルリカ・ネヴィル?」


「ぶっ、ぶたっ、豚の餌はっ、いやぁ……!」


 ウルリカは思わず、悲鳴を上げていた。


 ――それは巨大な豚だった。


 大きさは成人男性が二人ほどと高さか。もちろん、横幅もある。

 丸々と肥えた体躯に、つぶらな瞳。毛皮は黒くなめらかで、手足は短い。

 そして口からはボタボタと涎をこぼしている。

 壁に半分埋もれた豚の〈魔獣〉の視線は定まらないが、ウルリカを狙っているように思えるのは気のせいではないだろう。

 何せウルリカの身は、最上級の餌らしいから。


「いやぁ、やだやだやだやだっ、豚の餌、やだあっ!」


 ウルリカの頭が恐怖で支配される。躰からはズルリと力が抜けて、もはやその場に立っていられない。

 間近に立っていたミルカにしがみつくと、ミルカはギョッとした顔で目を剥いた。


「おい、ウルリカ・ネヴィル! 逃げろと言っているだろう!?」


「むっむっむっむりっ、むり、むり……だって、嫌いなものは嫌いなんだもんっ……!」


 ミルカは臨戦態勢のエミールに向かって、怒声を上げた。


「おい、エミール! 貴様、こいつの護衛騎士だろう? この足手まといを連れて、さっさとこの場を失せろ!」


「……ボクだってそうしたいけど。美味しそうな匂いに誘われて、何体か〈魔獣〉が引き寄せられているみたい」


 そう告げたあと、エミールは詠唱を紡いだ。

 彼が得意とするらしい、雷の魔術だ。

 エミールの二の腕ほどある雷の槍は、的確に豚の〈魔獣〉の眉間を貫き、脳髄を抉った。

 豚の〈魔獣〉が耳障りな断末魔を上げる。その漲る憎悪に、ウルリカの喉元を、不快感と恐怖がせり上がった。

 エミールは〈魔獣〉の対処に慣れているのだろう、いたって平然としている。だが、ウルリカはミルカのローブの裾を握りしめたまま、へたりこんでしまった。

 チラッとウルリカを一瞥して、エミールは言う。


「それじゃあ、ミルカ・カスタニエ先生。そのうちにもう一人の『騎士』が来ると思うから、彼女は任せるね」


「なっ、おい、どこに行くつもりだ!?」


「召喚の門」


 豚の〈魔獣〉の亡骸を軽く押し、猫のような身軽さで瓦礫を踏み越えたエミールは、薄く笑って言う。


「学生を守るのも先生の立派な役目だよ。ミルカ・カスタニエ――先輩?」


「おい、エミール!」


 チッ、と粗野にミルカは舌打ちをするも、エミールは既にその姿を消していた。


(ぶ、豚の〈魔物〉は死んだけど……)


 ウルリカはチラチラとミルカに視線を向けた。

 衝撃でヒビが入ったのだろう。眼鏡をポイっと放り捨て、ミルカは前髪を掻き上げる。

 たいした怪我ではない、と彼が申告した通り、頭からの流血は止まっていた。

 そして眼鏡を外した顔は意外にも若く見えた。しかし顔の怖さは相変わらずだ。


「あのクソガキ。俺にお荷物抱えて逃げろっていうのかよ?」


 口の方はもっとひどい。


「あ、あの、ミルカ先生? なんか急に別人みたいになったような……」


「あん? こっちが素だっての」


 ミルカはウルリカをひょいと荷物のように肩に担ぐと、研究室を後にする。


「ミルカ先生、その、エミールは大丈夫、なんですか?」


「ウルリカ・ネヴィル。他人の心配してる場合かよ。ああいう火事が起きたら真っ先に火の元見に行くようなバカ、放っておけばいい」


「でも……暴走した召喚の門なんて、すごく危険なんじゃ……」


 ウルリカがボソボソと食い下がると、彼は呆れたように溜息をこぼしたのちに言う。


「他の先生たちも事態の収拾に、召喚の門に駆けつけてるだろ。それに、あいつもまがりなりにも宮廷召喚術師だからな。自分の身くらいは守れる」


 職員棟の廊下も同じく、窓ガラスが砕け散っている。

 足早に器用にガラスの破片を避けて歩くミルカのローブを握りしめながら、ウルリカは密かに考える。


(ミルカ先生、エミールが宮廷召喚術師で、あたしの護衛騎士だって気づいてる……。それに先輩、って呼ばれてた……)


 エリオットやエミールは彼の素性について触れなかったが、彼もまた、宮廷召喚術師なのだろうか。

 だが、それを隠しているということは、彼もまた秘密の任務についているのだろう。

 ぼんやりと考え込むウルリカの思考は、ミルカの苛立った声で遮られた。


「おい。ウルリカ・ネヴィル。あれこれ考えるのはてめぇの勝手だが、俺の正体を詮索するのはやめろ」


 心を読んだかのような言いつけに、ウルリカは身をビクリ、と震わせた。

 それからミルカは低い声で続ける。


「もし俺の邪魔をするなら、一切の容赦はしない……殺す」

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