【9】ミルカ先生の尋問のお時間
「ウルリカ・ネヴィル。もう十分も経つけど、いい加減入らないの?」
呆れたようなエミールの声を聞きながら、ウルリカはミルカの研究室前で立ち竦んでいた。
ちらり、とネームプレートを確かめる。ミルカ・カスタニエ。
あの威圧的で怖い男の顔が脳裏に浮かび、ウルリカはブルリと震えあがった。
「ね、ねえ。エミールもついてきてくれない?」
ウルリカが頼み込めば、彼はすんなりと「いいよ」と答えた。
「護衛だからね。でも、ボクがついていけば、ただでさえ低い君の評価、落ちるところまで落ちるんじゃない?」
「…………わかったわよぉ、ひとりで行くわ……」
彼の言はごもっともである。
ウルリカは深く深呼吸をしてから、扉を軽く叩いた。
「ミルカ先生。ウルリカ・ネヴィルです」
「入りなさい」
怒っているような、硬いミルカの簡潔な返事を聞いて、ウルリカは覚悟を決めて、えいやと扉を開けた。
ウルリカは他の教員の研究室に何度か訪れたことがある。
ミルカの研究室はエリオットやエドモンと同じく、それなりの広さが確保されていた。
部屋の左右は本棚になっていて、ぎっしりと書物が詰められている。
部屋の手前にはローテーブルと来客用のソファ、それとは別に彼が研究時に使用しているだろう、部屋の奥には書類がこんもりと積み重なった机がある。
透明な窓ガラスからは、柔らかい陽が差し込んでいた。
教員用のローブを身に纏ったミルカは、書架に背を預け、その手には教本だろう、書物を携えている。
彼はパタリ、と本を閉じると、厚い眼鏡の奥の瞳で、ウルリカをジロジロと検分した。
「ウルリカ・ネヴィル。〈守護聖獣〉は連れていないのか」
「えっ? ノアですか? お邪魔になると思ったので、友人に預けてきました」
「……一般的に〈守護聖獣〉は、主を守るため存在するのだがな」
冷ややかに指摘され、ウルリカはアハハ、と愛想笑いを浮かべて誤魔化した。
確かに本来であれば、〈守護聖獣〉は召喚術師を守るために傍にいるべきだ。
しかし、守られる立場であるからこそ、彼はエステルの保護下にいる方が安全なのである。
ウルリカが呼び出しを受けたのは、先日の実践召喚術学の授業が終わった頃。
なんとかギリギリ追試を合格したウルリカに、彼は「後日、私の研究室に来るように」と命じたのだ。
「おほほほほ、てっきり説教かと思って。ほら、うちの〈守護聖獣〉ってまだ赤ちゃんだから、そういうの情操教育に悪いですよねぇ~?」
「……そうか。自覚があって何より。そこに座りなさい」
「ハイ……」
彼はウルリカに来客者用の長椅子に座るよう促した。
やはり、説教の類で呼ばれたらしい。
ウルリカが座ると、彼も向かいのソファに座り、口を開く。
「ウルリカ・ネヴィル。貴様は私が受け持つ講義を受講する学生の中でも、最も成績が悪い」
地を這うような低い声で告げるミルカに、ウルリカは顔を引き攣らせた。
(まあ、そうでしょうね……)
「魔導学院の『おちこぼれ』。貴様が高等実技科にいることを、邪推する教師や生徒も多いようだな」
遠慮のない物言いに、ウルリカはムッとしながら聞き返した。
「……それってあたしが何か、ズルして転科したんだって、先生は言いたいんですか?」
「私はそうは思わん」
意外にも彼はキッパリと否定の姿を見せた。
おや、とウルリカは片眉を上げると、彼はバサリ、と紙の束をローテーブルに投げた。
嫌な予感がした。それも覚えのあるタイプの、ものすごく嫌な予感である。
「ところで、貴様の転科前の成績を調べさせてもらったが」
ミルカはいつかの朝のように、無造作に書類を広げて見せた。
ウルリカは震える手でそのうちの一枚をとってみる。
想像した通り。
それはウルリカが一般教養科に在籍していた頃の、成績表である。
今見てもひどい。相当ひどい。魔導学院の『おちこぼれ』にふさわしい評価がズラズラと並んでいた。
「ひどい点数だ。見るに堪えない」
そう吐き捨てながらも、彼の瞳は、机一面に広がる試験成績表に向けられている。
「ウルリカ・ネヴィル。貴様、以前から成績が芳しくないようだな?」
「は、はい……」
(ミルカ先生が、どうしてあたしの成績表を持っているのぉ!?)
教師間での成績の共有はしない、とエリオットは語っていたが、ミルカは新任教師だ。
受け持つ生徒の能力を知りたいと、特別に融通してもらったのだろうか。
「貴様が去年まで受けていたのは、基礎召喚術学だが。成績がまったく変わらないな」
「うっ、成長しなくてすみません……」
成長の見込みがないことを、失望しているのだろう。経験則から、こういうときはとにかく、謝罪するに限る。ウルリカはペコペコと殊勝に頭を下げた。
頭を下げながら、ちらりとミルカの顔を窺うが、彼は険しい顔で試験成績表を睨みつけている。
「貴様が〈守護聖獣〉と契約して、二月は経つか」
「ま、まあ、そろそろ経つ頃ですね……?」
「だが、〈守護聖獣〉と誓約をかわしながら、魔力が減った形跡が見られない」
「えっ?」
「魔力の減少に伴い、本来であれば、成績が下がるはずが、それが見られない。そもそも貴様に、〈守護聖獣〉と誓約できるほどの魔力はないだろう?」
試験成績表からウルリカへと視線を移したミルカの声には、疑念が含まれていた。
「あれは本当に、ただの〈守護聖獣〉なのか?」
(も、もしかして、ノアの正体が〈特異聖獣〉だと疑われてる!?)
問い詰められ、ウルリカはどうしよう、と内心頭を抱えた。
〈聖獣〉は人間と異なり、生きるために魔力を要するが、自ら魔力を生成するすべはないと言われている。
――〈特異聖獣〉。
〈聖獣〉の中にも、ごくまれに魔力を生成する体質の〈聖獣〉を、そう呼ぶらしい。
ノアが〈特異聖獣〉であることは、公にしてはならない、とフラホルク王室から緘口令を敷かれている。 それはノアが、極めて価値ある存在で、〈黒杖の公爵〉のような、身元が不明の敵に狙われているからだ。
(ミルカ先生は事情を知らないから、絶対にバレちゃ駄目なのに……!)
ウルリカはアワアワとしながら、何とか言い訳を口にする。
「その、あたし成長期だし、魔力が増えたんだと思いますっ」
「馬鹿が。中等部からやりなおせ、ウルリカ・ネヴィル。魔力の量は生まれつき決まっていて、加齢によって減少はあっても、増えることはないと学ばなかったか?」
「そ、そうでしたっけぇ……?」
ウルリカはダラダラと冷や汗を流しながら頷いた。知っていたが、それくらいしか言い訳が思い浮かばなかったのだ。
眼鏡の奥の瞳がウルリカを睥睨する。
「ええと……その……」
こんな時、ハーヴェイであれば口先で何とか乗り切ったはずだ。
(ハーヴィおじいちゃん、お城の人に怒られてるときは、相手をおだてたり、それとなく話を逸らしてなんとか誤魔化してたな……)
しかしミルカはおだてると逆効果な性格に決まっている。
(何か、ミルカ先生も知ってそうな話……そうだ!)
思いついたままに、ウルリカは口走った。
「ミルカ先生、あのっ、〈魔王〉復活の噂について、いかが思いますでしょうかっ……!」
脈絡がなく無理やりが過ぎるが、彼は意表を突かれたのか、わずかに威圧感が薄まった。
だがそれも、一瞬のこと。
「なるほど。全く予想していなかったが、貴様がそうなのか?」
「ふぇっ?」
顔をこわばらせたミルカは膝を浮かすと、ウルリカの両肩を掴んだ。
先ほどよりも、明らかに敵意のようなものを滲ませている。何故だろう。
――そのとき、ウルリカとミルカの緊迫した雰囲気を壊すように、空気が震えた。
途端に顔色を変えたミルカが、珍しく慌てた声音で叫ぶ。
「伏せろ!」




