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おちこぼれ召喚術師と魔王の子  作者: 藤宮晴
三章 噂と予兆
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【7】ニィロ先輩の婚活事情

「あ、いたいた! ウルリカちゃ~ん!」


(……ウルリカ、ちゃん?)


 先の授業ですっかり疲れ切ったウルリカに馴れ馴れしく声をかけるのは、変わった毛色の少年こと――ニィロ・ロジャーズだった。

 ニコニコと人好きする笑顔を浮かべた彼は、ひっかけたローブの下で、両手をブンブンと大きく振りながら近寄ってくる。

 歴史学が終わったばかりで未だ教室に残っていたウルリカ達に、どうやら用があるようらしい。

 彼はウルリカの前の席に座ると、ニッと白く並んだ歯を見せて、快活に笑いかけた。

 いったい何の用だろう?

 ウルリカには彼に声をかけられる心当たりがないので、困惑顔でニィロを見つめる。


「……えっと、ニィロさん、ですよね?」


 あたしに何か用ですか? と口にするよりも先に、目をキラキラと輝かせたニィロが身を乗り出して口を開く。


「えぇー、ニィロさんなんて他人行儀だなー。ニィロでいいよ! 敬語もいらない!」


「はぁ……」


「俺、見ての通りお堅いのって苦手でさ! ってか、名前覚えててくれたんだ! うれしーなー!」


 ニィロはよくよく見れば、整った顔立ちをしている。

 いかにも遊んでいそうな、軽薄な笑みを浮かべて、彼は手を差し出した。


「改めて挨拶しておくね、俺、ニィロ・ロジャーズ! 高等部高等実技科の三年生! 好物は甘いもの。特にケーキが大好き! 嫌いなものはアニキの作った料理を名乗る毒物全般! ヨロシクね!」


「よ、よろしく。ニィロ……」


 三年生。どうも彼は先輩にあたるらしかった。

 先輩ならなおのこと名前で呼びづらいが、こうもペラペラと一方的に捲し立てられれば、自然と彼のペースにのせられてしまう。

 挨拶の握手のつもりだろう。黒い皮手袋に包まれた左手を差し出されたので、思わずウルリカも手を伸ばしかけた――その手を制したのはエステルだった。

 エステルはややこわばった表情で、警戒心を隠さずに言う。


「わたくしはエステル・コルネイユ。高等部高等実技科二年です。ニィロ殿。ウルリカには、いったいどういったご用件があって……」


 几帳面にも名乗りつつ、強い口調で詰問するエステルに、ニィロは華やかな笑顔を浮かべて言った。


「エステルちゃんね! よろしく! え~、君もすっごく可愛いねっ! それに俺、積極的な女の子、嫌いじゃないからさ!」


「……」


 以前、学校終わりに働いていた街の大衆食堂では、たまにこの手の軟派な客と相対することがあった。

 相手が客という立場もあり、ウルリカはうまくあしらえず、たいていは女将さんに対応を任せていたが。

 そう、彼はウルリカが苦手とするタイプの人間にあてはまる。

 しかし、おそらくエステルはより苦手――というかだいぶ嫌っているのだろう。

 ニィロに向ける視線には、もはや隠し切れない嫌悪感が滲んでいた。

 ロイクもやや困惑した面持ちながら、それでも上級生を相手に名乗らずにいるのは無礼と考えたのだろう。

 気を取り直すように、わざとらしい咳払いをすると、手を差し出しながら口を開いた。


「俺はロイク――」


「あっ野郎の挨拶はいらないよ。俺女の子しか興味ないもん」


「…………」


 しかしニィロはそっけなく口にする。ロイクは行き場のない手を浮かべたまま、こめかみをひくつかせていた。


「ウルリカちゃん、エステルちゃん。この後時間あるよね? もう今日は授業ないし! これから街に出てさ、三人でケーキでも食べながらお話しようよ~!」


 いよいよ左と右の空気が怪しい。

 エミールと同じく、無意識に他人の神経を逆撫でするタイプで、本人に悪気がないのだろうか。

 ウルリカがピリピリとした空気を肌で感じている合間にも、ニィロはペラペラと上機嫌に続ける。


「俺、さっきウルリカちゃんの言葉に感動したんだよねー。うちもさ、アニキがえらくて超すごい召喚術師サマでね、昔からしょっちゅう比べられては勝手に失望されるし? そもそもアニキが『俺の弟のくせに、こんな簡単なこともできねーのか? 恥さらしは死ね! 路頭に迷って死ね!』なーんて叱るんだよねー」


「へ、へえ……」


 彼には随分と苛烈な性格の兄がいるようだ。

 ウルリカは返す言葉に悩みながら、とりあえず頷く。


「実際にはそんな真似できないってわかってるから軽く聞き流すけどさ。ジジサマババサマ連中にはそういうわけにもいかなくて、へーこら頭を下げる必要があるわけ。だからウルリカちゃんがセンセに言い返したときにさ、すっげーかっこいいなーって思って! ……あっ、ごめん! ウルリカちゃんは女の子だし、可愛い、の方がいいかなぁ?」


 口を開けばもう止まらない。

 ウルリカはその情報量に圧倒させられていたが、何やら彼の話を聞いているうちに親近感を覚え始めた。

 ニィロはウルリカとは真逆の人間ではあるが、どうやら優秀な家族を持ち、外野からあれこれ言われるという点においては、似たような境遇にあるらしい。

 もっとも、エリオットは自身をウルリカと比べるような言葉は口にしない。

 たびたび優秀であることをひけらかす節はあるが。


「悪く言われたくないのでしたら、居眠りなんかせずに、真面目に授業を受けることから始めたらどうでしょう? 話を聞き逃したら、受講登録した意味がありませんよ」


 エステルも毒気が抜かれたのか、呆れたように正論を言うと、エミールは肩をすくめる。


「俺、正直座学って苦手なんだよねー。だってさあ、座ってセンセの話を聞いてるのって退屈で眠くならない? フラホルク歴史学に出たのも今日が初めて。っていうかそもそも俺、歴史学とってないし」


 聖マルグリット高等魔導学院はカリキュラムが固定化されていない。

 新年度頭に生徒各々が科目を選び、受講登録を行う仕組みとなっている。

 当然、召喚術の専門であるために、ある程度の必須科目は定められているが、一般教養や高度実技召喚術分野の科目選択は学生の裁量に委ねられる。


(極端な話、実技科目ばかりを選び、座学は必須科目のみで一切取らない、といったカリキュラムでも問題なく卒業できるのよね……あたしには絶対無理だけど)


 こと高度実技科の生徒のカリキュラムにおいてはそちらの方が一般的だろう。

 一方ウルリカは昨年度までは座学を中心に組んでいたが、今年度は入院中に転科が決まっていたこともあり、養父によって座学、実技のバランスよく受講登録がされていた。

 座学が苦手ということは、彼もまた、実技科目を中心に受講登録しているのだろう。


(でも、登録をしていない授業に出たところで、単位は貰えないんだけど……)


 果たして授業に出る意味があるのかと言いかけてやめたのは、実際にそれと同じことをしている生徒ロイクがウルリカの隣にいるからである。

 きっと彼にも何か深い事情があるのだろうか、とウルリカが勝手に想像していると、彼はあっけからんとして言った。


「空き教室で寝て、起こされたら、授業が始まってたんだよ!」


「……」


「いやー、アニキからサボってないで、たまには授業にも出ろって言われたから、朝から久しぶりにやる気をだしてみたんだけど、お昼ご飯を食べたら眠くなっちゃって!」


 お昼休憩からフラホルク歴史学の授業開始まで、ゆうに三時間以上は間が開いている。それまでずっと眠りこけていたのか。

 ウルリカは愕然とした。さんざん『おちこぼれ』と呼ばれたウルリカだが、高等実技科にはウルリカ以上の問題児がいるではないか。


「君、そんな調子で大丈夫か? 講義に出ないと落第……進級も危ういぞ」


 見るに見かねたのか、ロイクが口を出す。

 相手が男だからか、ニィロは視線だけを動かすと、しれっと軽い口ぶりで言う。


「えー、俺べつに魔導学院卒業できなくていいよ?」


「は?」


「俺、学校にはお嫁さん探しに来たんだよねぇ」


 エステルはお嫁さん、と復唱し、ロイクは絶句していた。

 それまで話に一切混じろうともしなかったエミールが、前髪をいじりながら、ぽつりと呟く。


「ふうん。ロイク・マスカールの妹と同じだね?」


「なっ、俺の妹は違う!」


 ロイクは目をカッと見開くと、顔を真っ赤に染めてエミールに反論する。

 するとロイクに欠片も興味を示さなかったニィロが、とたんに目を輝かせた。


「へー、へー。えーっと、ロイク?……の妹ちゃんもお婿さん探してるの? それならさ、俺なんてどうかな、お兄ちゃん?」


「お、お兄ちゃんだと!? 君のような婿を、認めるものか!」


 調子よく売り込み始めたニィロに、ロイクは唾を飛ばして怒鳴った。

 一同の騒がしいやり取りを聞きながら、しかしさして珍しいことではないのだと、ウルリカは考える。

 聖マルグリット高等魔導学院は、未来の召喚術師の育成機関。

 名門であるために、高名な召喚術師の家系の子息子女も多く在籍している。


(ジジサマババサマ連中が煩いって言ってたし、老人が力を持つ家だもの、ニィロも案外いいとこのお坊ちゃんなのかしら?)


 古く名のある家系では、生まれる前より許嫁が決められている慣わしは一部残るらしい。だが、時代の移り変わりとともに、たいていは優秀な召喚術師同士がつがうことが一般的になってきている。

 そもそも名家の生まれだからといって優秀な子が生まれるとは限らない。

 名家の子はより優れた血筋を残すために。歴史の浅い家系は繋がりを作るために。無名の家系は成り上がるために。

 様々な思惑を抱きながら、婚姻を結ぶ人間関係構築のためだけに魔導学院に入学する学生は、一定数いるらしい。

 もちろん、目的が達成されれば魔導学院に残る理由はない。

 学業という学生の本分を忘れて結婚活動に勤しむ学生が年々増えていることに教師一同は頭を悩ませている――と以前エリオットから、耳にしたことがある。

 おそらくニィロもその類の人間なのだろう。

 ニィロは腕を組んで残念そうな顔で口にする。


「でもすまん、お兄ちゃん! 俺実は年下ってそれほど好みじゃなくてさー」


「勝手に兄と呼ぶな!」


 怒鳴り散らすロイクを無視して、ニィロはうっとりと語る。


「そもそも俺の好みの女性って、バリバリ稼いでくれるコなんだよねー。稼いでくれるなら年齢は赤ちゃんでもおばあちゃんでも問題ないよ!」


 それって正確には女性のタイプに当てはまらないのでは……とウルリカが内心思っていると、ニィロは溜息まじりに、悲愴に満ちた顔でぼやく。


「だから魔導学院じゃ先生くらいしかいなかったんだけど……」


「まさか、先生を口説かれたんですか?」


 だしぬけに口説かれたものの、言外にタイプではないと言われて安心したのか、エステルが軽い口調で訊ねる。

 可愛らしい顔からは険しさがすっかりと抜け落ちていた。お調子者だが人懐っこい彼は何だか嫌いにはなれない、そんな不思議な愛嬌があるのだ。

 ニィロは手をひらひらと振りながら返した。


「うん、もう全滅」


「……」


 だろうなぁ、とウルリカは思った。

 名門の魔導学院の教師は男女を問わず身持ちが固い。学生に手を出したとなれば不祥事になるからだ。


「アニキにバレたらバレたでで『本分を果たせ愚弟が』、ってひっぱたかれたからさ、学生らしく授業でも受けてみようかなって気になったわけ」


 ニィロは後頭部を擦りながらニコリと笑う。


「そうしたら、今日一日魔導学院内をブラブラ歩くだけで、楽しい噂を耳にする」


「噂……」


 ウルリカはわずかに身構えた。それが自分のことだと思ったからだ。

 しかし彼は口にしたのは、予想外の言葉だった。


「今年〈魔王〉が復活するっていう噂話。聞けばなかなか、面白い話があるじゃない?」


「……〈魔王〉復活?」


「うん」


 ニィロは知っているのがさも当然とのように頷くが、ウルリカは首を傾げた。

 魔導学院一の情報通であろう国宝様からも聞いたことがない。

 こういうときはロイク。ウルリカが困ったようにロイクに視線を向けると、ロイクは顎に手をあてて、少し考え込んだのちに口を開く。


「……もしかして、この魔導学院に〈魔王〉が封印されているという、あれか?」


「そうそう!」


 それは初耳だ。エステルも同じなのだろう、困惑した表情で首を傾げた。

 ニィロはどこかワクワクした口ぶりで、丁寧に説明してくれる。


「女王アリアーヌとハーヴェイが封印したといわれる〈魔王〉が、聖マルグリット高等魔導学院に眠っているらしいんだよ。だからコクホー様も魔導学院に足を運んで監視してるって話じゃない?」


「ハーヴィおじいちゃんが毎日足を運んでるのはただの暇つぶしのためだと思うけど……」


 しかし考えてみれば、〈魔王〉がフラホルクで封印されたとは言うが、どこに封印されたかまでは聞いたことがない。

 当の本人であるハーヴェイが露わにしないのは、流石においそれと口に出せるような内容ではないからだろう。封印された〈魔王〉の居所が悪いことに利用しようと企む連中に知れたら、何をされるか簡単に予想がつく。


「ほら、〈魔王〉が封印されて、今年で千年を迎える、特別な節目だ。最近、自然召喚災害が頻発しているのも、そのせいじゃないかって、言われてるんだぜ?」


(言われてみれば、確かにここ数年、自然召喚災害は増えているわね)


 数年前から駆り出されるウルリカだが、その回数が年々増えているのは気のせいではなかったのだ。


「この噂、国宝様も耳にしているだろう。しかし、否定しないことで事実だと思い込む学生が出てきている……」


 口元に手を当てたロイクは腑に落ちないようで、首を捻っている。

 魔導学院としても、都合が悪い噂だろう。それを放っておく理由はないはずだ。

 なんだかきな臭い話ねとウルリカが考えていると、


「ウルリカ・ネヴィル」


 名前を呼んだのはエミールだ。

 彼は噂話なんてちっとも興味がない顔で、ウルリカに言う。


「噂話で盛り上がっているのは勝手だけど、君も学生としての本分を忘れていない?」


「え?」


 ピンとこない顔をウルリカを、どこか憐れむ視線を向けて、エミールは口にする。


「この後、補習で呼ばれていたとボクは記憶しているけれど」


「あー!」


 ウルリカは顔を真っ青にして、席を飛び上がった。


 ――そう、すっかり忘れていた。

 

 この後、実践召喚術学のミルカ・カスタニエに呼び出しを受けていたことを。

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