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おちこぼれ召喚術師と魔王の子  作者: 藤宮晴
三章 噂と予兆
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【6】裏側に潜む者

 ウルリカ・ネヴィルはしょせん、『おちこぼれ』だ。


 座学はそこそこ頑張っているが、実技は底辺の、召喚術師の劣等生である。

 おちこぼれでも、そうじゃなくても。人間どんなに頑張ったって、できないことの方が、たぶん多い。


 ――たとえば召喚術師が持ち合わせる、八種の属性。


(エリオットは天才かもね。でも、万能じゃない)


 エリオットは火、風、雷、光……と得意属性が他者と比べても多い。

 不得手とするのは水や氷の属性。もっとも召喚術師たるもの、時には属性に縛られず〈聖獣〉を使役しなければならない場面もある。


(エリオット、海難事故などで大型種の海魔を呼び出した翌日は、必ずと言っていいほどベッドにぐったりと倒れ込んでいるものね……)


 召喚術を披露する際はけろりとした顔をしておきながら、実際のところ不得手な召喚術は術者の身に膨大な負担を強いるのだ。

 だから、ほとんどの召喚術師は積極的に不得手な召喚術を使いたがらない。

 格好つけのエリオットはさらりとこなしてみせるものだから、「エリオットはどんな属性でも使いこなせるのだ」と思われがちなのである。


(でもそれは知識にだって同じことが言えるのよ)


 エリオットは魔導学院生時代を首席で卒業、卒業後はすぐに宮廷召喚術師となり、退職後は魔導学院の教員と、彼の人生から召喚術学全般は切り離せない。

 召喚術の知識の豊富さで彼を超える者は、なかなかいないだろう。

 反面、心理学、芸術学、言語学といった一般教養方面は弱い部分も多い。

 それでも聞かれたら大抵の答えが返せるのは、彼が合間を縫って多方面への知識の習熟に努めているからなのである。

 もちろん、その努力はおくびにも見せない。なんたって、エリオットという男。たいそうな見栄っ張りなのだ。


(そもそも学ぶことは選ばれた人間にしかできなくて……)


 エリオットに引き取られて初めて書物を手にしたウルリカは。そもそも、十分な学習の機会が、必ずしも誰しもに与えられるわけではないことを、知っている。

 エリオットと比べて不出来である点を落胆されるのは、まあ、百歩譲って許せる。

 世の優秀な両親きょうだいを持つ者はウルリカと同じ思いをしているだろうから。


(ぜんぜん、簡単、じゃないの)


 そう。『簡単』とつけば、話は変わる。

 ウルリカはエリオットのようになりたくて、必死に本を読んで、知識を身につけた。

 ウルリカの知識の大半は、彼が叩き込んだものではなく、ウルリカ自身が目で見て触れた知識。

 覚えることがたくさんあって、知らないこともたくさんあって、やらなくてはいけないことがたくさんあって。

 どれもこれも、簡単に身につけることはできない。

 同じ召喚術師の身であれば。苦労することの辛さを身に染みて知っているはずなのに、どうしてそれこそ簡単に、「できないの?」と言ってしまうのだろう?

 それはとても努力をしている人間について、礼儀に欠いたふるまいだと、ウルリカは腹が立ってしかたがない。


(見てなさいよ、あたしなりに、やってやるんだから)


 ウルリカは軽くエミールを睨みつけたあと、ノートを一枚、ビリリと破った。

 破り取った紙の表面には乱暴な筆跡で、『表層〈ベゼル〉』とだけ書きつけた。裏面にはあえて何も書かない。

 教室の階段を降りるとき、心臓はやけに穏やかだった。

 生徒たちの「こいつはいきなり何をするのだろう?」といった好奇心にまみれた視線はまったく気にならなかった。

 教壇に上る。机の向かいには、チェスターが立っている。彼もまた、ウルリカの行動を静かに見守っていた。

 ウルリカは息をすぅ、と吸い込むと、大きな声で答えた。


「異層、〈ゲヘナ〉です」


 口にしたのは、無難な回答の方。

 やはり彼は想像通り、少しばかり、残念そうな表情を見せた。


(でも、あたしの回答は、終わりじゃない)


 ウルリカは破いたノートの、表層〈ベゼル〉と記した面を、バッと彼の前に突きつけた。

 それから、記した面を下に、机の上に置く。

 そして何も記されていない――裏面を、指先でコツコツと叩きながら声を張り上げた。


「真の〈ゲヘナ〉は、ここに」


 遠目では、紙に描かれた文字を読めなかっただろう。

 だが、ウルリカの一連の行動で、勘のいい、そして本当の答えを知る生徒は気づいたかもしれない。

 チェスターはゆっくりと目を見開いた。

 悪魔たちの住まう世界。異層〈ゲヘナ〉。

 魔王発祥の地。


 一般的に異層とされている〈ゲヘナ〉は、しかし実のところ、表層おもてがわ〈ベゼル〉の――裏層うらがわに存在するのだ。


 ***


 チェスターはわずかに悔しさをにじませた表情で、破顔する。


「さすがは、エリオット・ネヴィルの娘さんですね。正解です。悪魔が住まう地は一般的に『異層』〈ゲヘナ〉と呼ばれています。ウルリカ君、席に戻ってもよろしいですよ」


「先生、あたしからもひとつだけ、よろしいでしょうか?」


「……どうぞ」


 意地の悪いことをした自覚があるためか、チェスターはすんなりと、しかし身構えがちに頷く。


「答えられたのは、あたしがエリオット・ネヴィルの娘だからではありません。あたしが出した結果はすべて、あたしの実力のものですから」


「……」


 言外に、「エリオットの娘だからといって、色眼鏡で見るな」と釘を刺しておく。

 無用な心配かもしれないが、ことあるごとに彼が「エリオット・ネヴィル」の名を口にするのが、やけに気にかかったのだ。


(他の先生も、何かとエリオットの名前は出すけど、それとはなんかちょっと違う気がする……)


 ウルリカは奇妙なモヤモヤを抱えながら軽く一礼すると、座っていた席へと戻った。

 腰を下ろした途端、どっと疲労感が押し寄せる。今にもくずおれそうだったのを、懸命に耐えていたのだ。


「ウルリカ、すごいですっ。すごいですっ。自分のことじゃないのに、わたくし、すごくドキドキしました!」


 頬を薔薇色に染めて褒めるのはエステルだった。


「……百点満点の回答ではないと思うけれど」


 不快そうにぼやくのはエミール。たまに口を開けば、出てくるのは嫌味ばかりだ。

 確かに百点満点とは言い難いが、面白くない。

 ウルリカが口を開く前に、ムッと顔をしかめたロイクが彼に問う。


「では、君であればどのように答えた?」


「裏層〈ベゼル〉」


 臆面もなく、エミールはサラリと答えを口にする。

 周囲に聞こえないよう小声で呟いているのには、彼には珍しい配慮が感じられるが、うっかり耳にしたウルリカはたまったものではない。

 なぜなら、彼が口にしたのは、みだりに口にしてはならない類の名前なのである。

 

 ――世界は複数の層で成り立っている。


 表層〈ベゼル〉。それに連なるよう、複数の層が重なり合っているのだ。

 通常、層には表と裏が存在する。生態系には殆ど変わりがない。裏の層に近いほど強力な種が住んでいると言われていた。

 現時点で、すべての層の表裏が判明している。

 表層〈ベゼル〉を除く、四つの層。

 異層〈アスガード〉。

 異層〈灰塵の谷〉。

 異層〈ミラ・ルナ・ミラ〉。

 異層〈オリム・マーテル〉――。

 そして最奥部、深淵に位置するは――異層〈ゲヘナ〉。

 だが実際に、その層を確認できたものはいない。

 では、どこにある?

 人間が自らの背中を見ることが叶わない。しかし、それは必ず、存在している。


 ――だから、表層〈ベゼル〉にも裏層があるとしたら?


 悪魔召喚そのものが禁忌とされた時代、フラホルク統一王国と、その近隣国家は悪魔召喚に関する書物をすべて焚き上げた。

 〈悪魔学〉と呼ばれる、悪魔の生態系を示した一冊のグリモワールを残して。

 〈悪魔学〉には異層〈ゲヘナ〉に住まう悪魔の知識が記されている。

 異層〈ゲヘナ〉ではなく、裏層〈ベゼル〉を追い求めることは、禁じられた悪魔召喚の扉を開くことと同義だ。

 公にするのは禁じられているが、だからといって公に裁くのは難しい。

 せいぜい「頭のイカれた発想だ」と糾弾することはできても、なぜ裁かれるべきか、その理由が説明できないのだから。

 涼しい顔をして悪魔の住処を問うチェスターは、結構な曲者と言えるだろう。

 ウルリカが知らないだけで、召喚術師協会は過激な人間が集まっているのかもしれない。


(……協力を仰ぐのは、ちょっと考えたほうがいいかも)


 と、ウルリカがうんうん考え直していると、ちょうど授業の終わりを知らせるベルが鳴った。

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