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おちこぼれ召喚術師と魔王の子  作者: 藤宮晴
三章 噂と予兆
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【2】ロイク・マスカールの教本

「ウルリカ、遅かったですね。わたくし、すごく、心配してたんですよ?」


「ピギャ」


 頬を膨らませるエステルの両手で、脇の下を子猫のように持ち上げられたノアが、不満そうに鳴く。

 教室の最後列の、真ん中寄りの席に座るのは、もう一人の護衛騎士で、エミールの双子の姉であるエステルだ。


「エミールが代わりに見に行くからって、勝手に出て行って。ふたりでピギャ~ピギャ~って文句を言いまくってたんですよ、ねぇ、ノア~?」


「ピギャ」


 その絵面は面白そうなので見てみたいなぁ……と思いながら、ウルリカはノアの頭をやわやわと撫でる。


「ごめん。ちょっと一悶着あって」


「むぅ。仲間外れ、ずるいです」


 ウルリカが隣に腰を下ろすと、エステルは可愛らしく唇を尖らせて、預けていた鞄を渡してくれる。

 ノアがぴょん、とウルリカの膝に飛び降りた。ノアは講義中は膝でおとなしくしてくれるのだ。


「そんな楽しいもんじゃ、ないんだけどね……」


 呻くウルリカに、エステルはクスリ、と笑い声を立てると、困った顔でぼやく。


「……………………いつになったら、諦めてくれるんですかね?」


「えっ?」


 エステルの視線はウルリカの背後に向けられていて。その視線を辿ると、ロイクの姿があった。


「……あんたもたいがい、しつこいわね……」


「……」


 あれだけ言われて、まだ付き纏うとは、なかなかしぶとい男である。


「マスカールさん。だから、さっきも言ったけど……」


 ウルリカは筆記具を並べながら、モゴモゴと口にする。


(あたしの口から、迷惑だって、ハッキリ言わないと、ダメなのよね……)


「いや、そうではなく……その」


 どこかモジモジと、やけに歯切れの悪いロイクを不思議に思いながら顔を上げると、彼の深い黒色の瞳はウルリカの教本へと注がれていた。

 どうしたというのだろう。ウルリカが内心首を傾げていると、彼は申し訳なさでいっぱいの顔で、


「すまなかった」


 と頭を下げた。


「……君の教本を、壊してしまっただろう?」


「う、うん」


 ウルリカはあっけにとられていると、彼は自身の鞄から、一冊の書物を取り出した。

 中身を手に取って確かめるまでもない。フラホルク歴史学の、新品の教本である。

 ロイクはポツリ、と呟く。


「教本を用意したが、遅くなってしまったから……。既に新しい教本を君の方で用意していたのだな」


 机の上に置かれた新品の教本は、エリオットが即日、用意してくれたものだ。

 もちろん、エリオットによってウルリカ・ネヴィル、と名が記されている。


「うん……。新しい教本があるから、問題ないわ」


「それでは、代わりに購入代金を払おう」


 なんて強情なのだろう。ウルリカは片手をヒラヒラと振りながら、答えた。


「いいってば……。だって教本買ってるなら、マスカールさんが二重にお金を払うことになるじゃないの」


「それはそうだが……。しかし、俺の気が済まないのだ」


「あんたの都合ぉ? そんなの、あたしからすれば知らないわ。そもそも壊したのは、マスカールさんじゃなくて、アンジュとウォーレンでしょ?」


「……知っていたのか?」


 ロイクは目を丸くして驚いていた。


「そうだったんですか?」


 エステルも目をパチパチと瞬いている。

 エリオットに告げ口したエミールは、しかし何も言わない。この様子を見るに、初めからすべて知っていたのだろう。


――「何の話だ? 俺は知らない。教本を汚損したのか?」


 後半に続いた言葉のせいで、ウルリカはその時深く考えなかったが、思い返せば彼本人が教本を壊したことについて否定していた。

 ウルリカはその現場に立ち会ってはいない――しかし、過去の状況を鑑みて、彼が直接手を下したとは考えづらい。


(ロイクは確かに、アンジュやウォーレンと行動を共にしている。でも、あたしへの悪評を口にしたり、嘲笑したこと、なかったわ。……無視されたり、睨みつけられたりはしたけど)


 だから、「また、アンジュかウォーレンのどちらかのしわざだろうなぁ」とウルリカはざっくりと目星をつけていたのだが、どうやら当たっていたらしい。

 彼はその高貴な家柄のためか、非常に愚直で、そして面倒くさいほどに責任感の強い男だ。

 たとえ彼がリーダー格であっても、その責任を負う必要は、彼にはないのに。

 ウルリカは溜息まじりに忠告する。


「マスカールさん。友達のために、あんたが泥を被る必要なんてないわよ。……あたしがそんなこと言えた義理はないけど。ああいう連中とは、つるまないほうが身のためよ」


 ウルリカの上からな忠告を一蹴することなく、ロイクは苦々しげな表情で口にする。


「……アンジュ・バルトとウォーレン・ノールズは家ぐるみでの交友がある。俺の一存で完全に縁は切れないが、俺個人としては、既に、彼らとの交流と断たせてもらっている……」


「つまり、君は今、友人がいないんだね」


 今まで沈黙を保っていたエミールが、ボソッと、しかし一同に聞こえるように呟いた。

 エステルは顔をひきつらせて弟の口をふさぐが、ロイクは「かまわない」というように首を横に振る。


「事実だ。俺には友人がいない。……誰かの大切なものを奪った友人は、不要だ」


 それは紛れもない、彼の本心なのだろうけれど。

 寂しげな横顔は、誰かに重なって見えた。

 それはかつての――『おちこぼれ』だったころの、ウルリカの姿である。


(あたしも昔は、友達なんていらないって、強がってた)


 なにしろ、おちこぼれだったウルリカに近づく学生はいない。同じ園芸クラブのよしみで部長ルイーズだけは、ポツポツと話しかけてはくれたけれど。

 自分の力だけではどうしようもないことがある――強情で自惚れやだったウルリカは、あの決闘で身を以って知った。そんなこと、本当はずっと昔からわかっていたのだ。

 ウルリカは非力で、心も弱い。それでも、誰かが寄り添ってくれるそれだけで、誰よりも強くなれる、と思った。

 だからそんな風に、言わないでほしい。

 その辛さを、ウルリカは誰よりも知っているから。


「あのさ……えっと、あんたは……。歴史学の授業、選択してなくて、教本を渡すために、教室の中までついてきたのよね……?」


 流石に下僕は諦めてくれているだろう。

 ぎこちなく声をかけると、彼は困惑した表情を浮かべながら、コクンと幼いこどものように素直に頷く。


「あ、ああ……」


「だよね……。今まで授業で、見たことなかったし……。だから、単位は取れないけど……せっかく教本、買ったんだし……その、」


 膝に視線を落とし、ノアの手をフニフニと握ると、ノアはちょっと迷惑そうな表情をしながらも拒むことはなかった。

 落ち着きなく視線をさ迷わせて。ウルリカはモジモジモジモジとしながら、懸命に勇気を振り絞って、言葉を紡ぐ。


「ロイクも……一緒に、歴史学の授業、受けない……?」


――友達になってほしい。


 そうなかなか素直に言えないウルリカにとって、これが精一杯の譲歩だった。

 今まで、一緒に授業を受けようと、言える友達だっていなかったのだ。

 重い沈黙が落ちる。それからしばらくして。


「……いいのか?」


 パァ、と華やいだ顔のロイクに訊ね返されると、なんだか無性に恥ずかしく感じる。ウルリカはコクコクと頷いた。


「う、うん。あたしは、いい。……だよねっ、エステル、エミール!」


「わ、わたくしは嫌ですけど……」


「ボクも嫌」


 この双子は、どうして肝心なときに、こうなのだろう?

 息をピッタリ揃えて口にする双子に交互に視線を向けると、エステルはフッと吹きだすとクスクスと笑いながら、口を開く。


「冗談ですよ。ふふっ、友達百人できるといいですね?」


 それはいつぞやの、国宝様が口にした台詞だった。

 そうねぇ、と適当に返しながら、ウルリカはロイクの教本に、彼の名前を書き入れたのだった。

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