【15】喧嘩のあとは仲直り
どちらが勝利を掴んだか。それは誰の目に見ても明らかだろう。
緊迫した空気の中、口火を切ったのは審判役として呼ばれたエドモン・ソニエールだった。
「これは、ウルリカ・ネヴィルの勝利でよろしいね?」
エドモンの一言で、訓練場はワッと歓声が広がった。
***
エドモンは学生たちに好かれている自覚がある。恰幅が良く、温和な見た目の老人は親しみやすく、声がかけやすいのだろう。
エドモン自身も、その見た目を裏切らず、気さくに、特にはお茶目に振舞っていた。長年教鞭をとって培った知識をもとに、どのように接すれば学生たちと『仲良く』なれるか、打算的に態度を変えている。
エドモンがこうした決闘の審判を頼まれることは度々あった。これはエドモンが学生に寄り添う姿勢を見せることはもちろん、エドモンとその〈守護聖獣〉が結界魔術に長けているからである。
「や、やった……! あたし、勝ったんだぁ!」
項垂れるサラマンダーを前に、ウルリカ・ネヴィルがぴょんぴょんと跳ねる。その拍子に砂埃がパラパラと舞った。
ウルリカ・ネヴィル。
灰色の三つ編みにした髪を揺らし、あどけない表情を浮かべる少女は、あのエリオット・ネヴィルの養女でありながら、召喚術師の才能はない、『おちこぼれ』と呼ばれている。
だが、彼女に尖った才能があることを、エドモンは早いうちから見抜いていた。
「よくやったなぁ、ウルリカ」
上機嫌な彼女に近づくのは、この国一番の宝こそ、ハーヴェイだった。
一見、おっとりとした美青年だが、中身はエドモンに劣らず、狡猾な老人である。
特に戦いにおいては貪欲で、『狩り』となると獣の本性を表す。
自然召喚災害で駆り出されるエドモンは知っている。彼はウルリカに囮としての戦術を叩き込んだ。だからこそ、術師である彼女が最前線に立つことに疑問を抱かず、一切の躊躇いがないのだ。
勝つためにはどんな手段も選ばない。
時に浅はかで卑怯と非難される戦法。エドモンはそれを否定しない。みんな個性があっていいよねぇと感心しきりだ。
だが、彼女の保護者はそうは思わないらしい。
(ふむ)
ウルリカが天使の〈聖獣〉の手を取って駆け寄った先の人物を見て――エドモンは結界魔術をこっそり解除した。
***
「エリオット、あたし勝ったわよ! 魔導学院辞めなくてすむし、エリオットの娘でいられるの!」
エリオットは中立の立場でいるべきと、訓練場や審判の手配こそしてくれたが、それ以上ウルリカにサポートはしなかった。
今も訓練場の片隅で、ノアを頭に乗せて立っている。
眼鏡の奥の青い瞳を眇めて、彼は口の端を持ち上げて、薄く笑っている。
(エリオットも喜んでくれてるんだぁ)
感動のあまりひし、と抱きしめようとしたウルリカの頭に、無言でエリオットの拳骨が落とされた。
「いったああああ!」
「君は本当に、愚かだな」
あまりの痛みにうずくまるウルリカを冷ややかに見下ろし、エリオットは吐き捨てた。
「ウ、ウルリカ、大丈夫ですか?」
プリュムがオロオロとしつつ、ウルリカの肩を抱いた。戦いの凛とした剣のような雰囲気は消え去って、主に似た柔らかさを滲ませている。
ノアは抗議するように、エリオットの綺麗な顔にペチペチと尻尾を当てているが、エリオットにはまるで効いていないようだ。
エリオットは低い、怒気を孕んだ声色で言う。
「その捨て身の戦法は止めてくれ。見ているこちらの心臓が持たない」
「で、でもぉ。結界魔術を張ってるから、万が一切りかかられても平気よ」
「平気なわけがあるか。高位〈聖獣〉の攻撃だ、当たり所が悪ければ最悪死んでいたぞ」
「え?」
ウルリカが思わず固まると、エリオットは気難しい顔で続けた。
「対決闘用に術者に結界魔術を張ることは必須だが、その強度は術者の手腕による。エドモン・ソニエール先生は優れた結界魔術の使い手だが、今回は魔術防衛に特化している」
つまりどういうことだろう。ウルリカは考えた。
「エリオット先生の、おっしゃる通りだね」
ニコニコと笑みを浮かべながら、エドモンがひょっこりと割って入る。
「〈聖獣〉たちの魔術攻撃による巻き添えをくらわないために、吾輩結界魔術をかけているのよね。そうなると、どうしても物理的な攻撃に対しては効果が薄いのよ」
だからね、とお茶目に笑ってエドモンは言う。
「剣で切られたら、ウルリカ君も真っ二つにされてたね」
真っ二つ。想像して、ウルリカはヒクヒクと顔を引き攣らせた。
「いやぁ、でも良かったね。高等実技科でも相変わらず元気でやってるみたい」
青ざめるウルリカに笑いかけながら、エドモンは続けた。
「良かったら結界魔術の講義にも顔を出してね。吾輩、応用結界魔術の担当受け持ってるの。捨て身戦法がお得意なウルリカ君にはピッタリだと思うのよね?」
まるで空気を読まないエドモンにエリオットはすかさず言った。
「結界魔術の学習についてはこのバカ娘に前向きに検討させますが、命がいくつあっても足りない戦法については、改めて教育を施しますよ」
「そお? まあ、あの件も含めて考えて欲しいのよね」
(あの件?)
ウルリカは首を傾げた。エリオットをチラリ、と見上げるが、彼は何も答えない。
「それじゃあ、また次の機会があったら、誘ってね?」
「有難い申し出ですが、次はありませんので」
エリオットはぴしゃりと言い放つと、エドモンはやはりニコニコと笑いながら訓練場を後にした。
「ねえ、エリオット、あの件って……」
「そんなことより」
ウルリカの腕を掴んで立ち上がらせながら、エリオットは言った。
「敗者が勝者の言葉を待っているようだが?」
エリオットの視線の先には、覚悟を決めた表情のロイクの姿があった。
***
ロイク・マスカールは、召喚術の名家マスカール家の長男で、いずれその名を継ぐことになる身だ。
家長であり、現役で宮廷魔導兵団の総帥である祖父からは、幼い頃から期待を寄せられている。
その期待に応えるよう、努力と研鑽を重ねた。そしてロイクが中等部の三年次、上位精霊サラマンダーを召喚し、〈守護聖獣〉の誓約を結んだ。
「お前は歴史に名を刻む、偉大な召喚術師になるだろう」
中等部での上位精霊の召喚は、なかなか前例のない快挙だ。祖父はたいそう喜んで見せた。
時に厳しく、時に優しい。立派な祖父はロイクの憧れであるが、次に憧れるのは若くして宮廷魔導兵団の隊長となったエリオット・ネヴィルだった。
かつて祖父の部下であったエリオットの数々の活躍を耳にして、幼いロイクは彼と同じく宮廷魔導兵団の防衛部に配属され、フラホルクを守る未来を描いたのだ。
英雄のような彼を支える存在になりたかった。
(だが、エリオット・ネヴィルの将来は閉ざされた)
その道を閉ざしたのは、ウルリカ。
ロイクとの決闘に勝った、少女だ。
「あのロイクが『おちこぼれ』に負けるなんて」
「マスカール家の長男なのに……」
失望と嘲笑交じりの声が、ザワザワと、訓練場の至る所から聞こえてくる。
(俺だって、負けると思わなかったさ)
中には、ウルリカを卑怯だとなじる声もあった。
だが、観衆の声を気にした様子もなく、ウルリカは天使の〈聖獣〉を背後に従えて、ロイクの元へと歩み寄る。
灰色の髪を三つ編みにした小柄な少女は、ロイクより頭二つほど低い。
ウルリカは何やら緊張した面持ちで、ロイクを見上げていた。
少々卑怯な手段とも思えたが、勝ちは勝ちだ。
ウルリカは自身が勝利した際には、ロイクをこき使うと宣言していた。もし魔導学院を退学させると言うのであれば、ロイクは素直に従う所存だ。
ロイクは静かにウルリカの言葉を待った。
ウルリカは何やらモジモジと、ああ、とか、うう、とか唸ったあと、頭を下げた。
「…………ごめんなさいっ」
「は?」
灰色頭のつむじに視線を落として、ロイクの口からは思わず疑問の声が漏れた。
頭を上げたウルリカはくちびるを尖らせつつ、ボソボソと謝罪する。
「その……何回も殴って、ごめん。痛かったでしょ。さっき、エリオットに拳骨落とされてものすごく痛かった。マスカールさんも、殴られていたかったでしょ?」
ロイクは以前殴られた頬を擦った。確かに赤く腫れたが、力の弱い少女に打たれて、強い痛みはなかった。
むしろ、エリオットの拳骨のほうがよほど痛んだだろう。
「ご、ごめん、まだ痛む……?」
「いや……」
「そ、そう……」
ウルリカはほっとしたように言った。
それからオズオズと手を差し出した。
「……」
「……」
「…………ちょっと、マスカールさん?」
ウルリカはロイクを睨みつけながら、差し出した手をワキワキと握っている。
ロイクはハッとした。握手を求められているのだろう。不思議に思いながらも、その小さな手を取った。
「……喧嘩をした後は、握手して、仲直りするの。エリオットと喧嘩したら、そうするのよ」
ウルリカはボソボソと言う。
「だから、その……えっと」
続く言葉が見つからないのか、彼女はモゴモゴと口にする。
いや、違う。これは一方的な謝罪だから。
「俺も、すまなかった。重ねての無礼、謝罪させてくれ」
気づけば、ロイクは口にしていた。
「意地を張っていた。憧れていた人を君に取られたようで、面白くなかったのだろう」
エリオットは誰のものでもない。彼がどの道を選び取り、誰とともに生きるか、それは彼の自由だ。
そしてウルリカについてもそれは同じ。
「そう……それなら、あたし、エリオットの娘でいてもいい、の?」
「聞くまでもないだろう。君は、まさしくエリオット・ネヴィルの娘だ」
「そっか……」
ウルリカは嬉しそうにはにかんだ。
「そうよね、あたし、エリオットの自慢の娘なのよ!」
かつて『おちこぼれ』と呼ばれた少女は、ふてぶてしく笑う。
訓練場は日が暮れて、赤く陽が差していた。
ウルリカの白い肌は、顔も耳も真っ赤に染まって。
初めて見たときの、サラマンダーの炎のように。キラキラで美しいな、と不覚にもロイクはしばし見惚れてしまった。




