【12】浮気は良くない
〈特異聖獣〉であるノアと、その誓約者であるウルリカを〈黒杖の公爵〉ら魔の手から守るために、王室から特別に遣わされたエステルとエミール。
初めから興味がないと素っ気ない態度をしていた弟エミールとは異なり、エステルはいつだってウルリカに笑いかけて、落ち込んでいるときは励ましてくれて、困ったときは手を差し伸べてくれて。
それは護衛騎士ではなくて、『友達』だって、友達の少ないウルリカだってちゃんと、わかっていた。
エステルは友達を守ろうと、規則を破ったのだ。
だったらウルリカが、尻込みしていては格好がつかないだろう。
「エリオット、先生」
隣に座る養父に真剣な声色で呼びかけると、彼は青い瞳だけをウルリカに向けた。
「彼女を暴力行為で罰するなら、ロイク・マスカール、アンジュ・バルト、ウォーレン・ノールズも罰せられるべきです。あたし、告発します。彼らはあたしの私財を奪い、そして暴言によって傷つけた」
「だ、そうだが?」
エリオットはロイクらに問いただす。
ロイクは平然としていたが、残る二人は停学処分を恐れているのだろう。
互いに視線を彷徨わせては、顔を真っ青にしている。
皆揃って実家に帰り、こってり叱られれば、だいぶ反省するかもしれない。
でも、ウルリカやエステル、ロイクが抱えたわだかまりは、それでは解消しないのだ。
「エリオット先生。今ここであったことは、なかったことにしてほしいの。さっきのあたしの告発も含めて。ロイクの暴言も、エステルの暴力も。……あと、教本の件も」
「……なかったことにしても、根本的な解決には至らないだろう?」
「うん」
だからウルリカは考えた。どうしたらいじめをやめてもらえるか。
強さを示せばいいと、エリオットは言った。
相手がもう、こいつには勝てないと諦めてしまうような、絶対的な勝利。
そして、閃いたのだ。とっておきの方法があると。
ウルリカは立ち上がる。ここにいる一同を見渡して、覚悟を決めて、宣言した。
「ロイク・マスカール。あたし、ウルリカ・ネヴィルはあんたに決闘を申し込むわ。負けたらあんたの言うこと、何だって聞いてやる。魔導学院を辞めるし、エリオットの娘も、やめてやるっ」
***
しん、と静まり返る研究室で、ウルリカに続けて言葉を発する者はいない。
それが計画的なものではなく、この場の勢いで言ってやった感があるのを、エリオットは察していた。
昔から度胸と勢いだけはある娘だ。祖父に似たのか、母親に似たのか。
あるいは……とエリオットが内心頭を抱えていると、クツクツと笑い声が漏れる。
「くふふ……いやあ、ウルリカはわたしに似て、威勢があってよいなぁ!」
子守爺だった。
ウルリカを引き取った当初は忙しく、また独り身であったエリオットが頼れる伝手は限られていた。
実家からも、孤児であるウルリカを引き取ることに難色を示されていたのだ。
そんな状況でハーヴェイの立場は非常に有用だった。王城暮らしの自由な獣の腕の中は、何よりも安全だろう――とエリオットは踏んでいたのだが。
スクスクと、子守爺の厄介な気質を受け継いでしまった。
多感な幼少期、彼にウルリカを預けたことを後悔しながら、エリオットは口を開く。
「ウルリカ。はっきり言って、君とノアに、勝ち筋はない」
「わかってる」
ウルリカはしおらしく頷くと、俯いた。
灰色の柔らかい髪が、彼女の白く小さな顔を覆う。
制服に包まれた、華奢な肩が小刻みに震えている。まるで、泣くのを堪えるように。
「……でもここまでやらなきゃ。あたしも、マスカールさんも、納得できないでしょ……」
ボソボソと力なく呟く、勝ち目の薄い戦いに挑むウルリカは、無謀で、しかし、潔い。
(……………………おかしい)
ウルリカはいつだって、見切り発車で計画性のないところがあったが、ここまで短慮な少女だっただろうか。
頑なに養父を『父』と呼ばない彼女は、エリオットの娘という立場に、そこまで固執していないのだろう。
だからあっさりと『エリオットの娘もやめる』などと、育ててもらった恩も忘れ、不義理にも抜かすのだ。
エリオットはウルリカを、愛おしく大切な娘と思い、日々接しているというのに。
エリオット・ネヴィルの娘、と呼ばれるたび彼女が顔をこわばらせているのを、エリオットは知っている。
あくまで彼女が欲しいのは、本当の両親を救う研究成果と、金と、そして……宝物と呼んでいたから、本なのだろう。彼女にとって、エリオットは潤沢な資金を持つ、いち養育者にしかすぎないのだ。
だいたい、召喚術師になることに拘る彼女の口から『魔導学院を辞める』なんて言葉が出てくるのも、異常である。
入院生活中も、『退院したら、絶対絶対魔導学院に通うんだから!』と医者が止めてもかたくなに勉強をやめなかった彼女だ。
これは何やら策があり、勝機を確信しているようだ。
だが、いささか不安しかないのはなぜだろう。
彼女は肝心な時に、盛大にやらかす。それは、養父である自分が一番よく知っている。
エリオットが密かに不安を深める間にも、話は進んでいく。
「ねえ、マスカールさん……。あたし、本気よ。最初で最後の決闘。受けるの、受けないの……?」
蚊の鳴くような小さな声で問いかけられたロイクは、逡巡しつつも、彼女の必死の決意に応えることにしたようだ。
ロイクは毅然として頷く。
「……ああ。このロイク・マスカールが受けて立つ。ウルリカ……ネヴィル」
「……………………ふっ」
ロイクの宣言に、震えていたウルリカは、パッと弾かれるように顔を上げた。
その顔に浮かぶのは、悲愴ではなく、喜悦。
途端に勝ち誇った笑みを浮かべると、ウルリカは高笑いした。
「あーはっはっは! 言ったね、言ったわね! 取り消すなんて、なしなしなし!」
「……何だって?」
「この決闘、あたし絶対、ぜーったい、勝つからね! こちとら勝たない決闘なんて言い出すわけないでしょ、ばぁーーーーーかっ!」
その変わり身に、エリオットとハーヴェイ以外の面々は唖然となった。
(……喧嘩で調子に乗っているウルリカの素は、こちらだからな)
普段は猫を被っている――まあ、隠しきれていないのだが、興奮すると彼女は途端にこどもっぽくなってしまう。具体的に言うと、精神年齢が十を下回ってバカになる。
よほど鬱憤が溜まっていたところを、解放して気持ちよくなっているのだろう。
ウルリカはまるで悪役顔に、下品な笑顔を浮かべて続けた。
「あたしはね、あんたたちと違っていじめなんてみみっちいことはしないのよ! 優しいから魔導学院から追い出したりもしない。あたしが卒業するまで散々こき使うし、卒業後もあたしの夢を叶えるために、ボロボロになるまで利用させてもらうんだから!」
これではどちらがいじめっ子か、わかりやしない。
普段からやり返せばいいのにおとなしく嫌がらせを受けているのは、養父の名誉のためだろうか。
だが、今後は爆発する前に、適度にやり返してほしい。大事になるまえに。
エリオットは、ここまで自信たっぷりな娘に対し、もはや嫌な予感しかなかった。
前髪をかきあげたエリオットは、口元を押さえ、グフグフと嬉しそうに笑う娘に訊ねた。
「ウルリカ。はっきり言って、君とノアに、勝ち筋はないが」
「ええ。あたしとノアでは勝ち筋はないでしょうね。でもね、あたしには強力な助っ人がいるのよ!」
じゃーん、と言いながら、彼女はこの国の至宝を手で示した。
「あたしのバックにはね、この国最強の、〈聖獣〉ことハーヴィおじいちゃんがついてるんだから!」
***
聖マルグリット高等魔導学院では、〈聖獣〉とともに戦い、望みを果たす『決闘』なるものが存在している。
過去にも恋人や貴重な魔導具、時には兄弟同士で家督を賭け、決闘を行った者が数多くいるらしい。
おしゃべりな図書館こと、ハーヴェイがペラペラと語ってくれたのだ。
魔導学院が公認していない、学生たちに作られた未熟なルール。だからこそ、いくらでも裏をかける。
ウルリカは、その緩いルールの穴を突いた。
「決闘はね、なにも〈守護聖獣〉ではないといけないという決まりはないの! あたしはこの最強のカードを切る。ハーヴィおじいちゃんと一緒に挑むわ! 『何か困ったことがあればわたしを呼べ。躰ひとつは貸そう』って約束、今こそ果たしてもらうわよ!」
数日前に花壇で誓った、彼との約束。
ハーヴェイとしては軽い気持ちだったのだろうが、口約束でも約束は守って貰わねば。
本来〈守護聖獣〉ではないハーヴェイは、戦闘に多くの魔力を消費するだろうが、邪竜はともかく、相手は遥かに寿命が短い炎の上位精霊サラマンダー。
ハーヴェイがちょっと本気を出せば、開始数秒で勝負がつくだろう。
念のため、前日には魔力を完全に満たしてもらって、決闘当日は準備万端で挑む。
なんなら、ロイクのほうから勝ち目がないと不戦勝を申し出るかもしれない。
ほぼ勝利を確信して浮かれているウルリカに、しかしハーヴェイは申し訳なさそうに言った。
「なあ、ウルリカよ。すまないが、今回ばかりは力になってやれぬ」
「……………………はぁ?」
「わたしは一途な男でな。アリアーヌ以外を主として戦うことは、できぬ。浮気なんてできるものか」