【3】幼い少女の夢
「最初から才能がないってわかっていたくせに……それならどうして、あたしが召喚術師になりたいって言い出したときに、とめなかったの? 意味がないことをやらせる、必要があったのっ!?」
「とめられるものなら、とめたかったさ。だが……」
エリオットは口籠ると、寂しげに微笑んだ。
「君の身を襲った、あの不幸でおぞましい事故――凍りついた君の心を融かしたのは、僕やハーヴィの言葉ではなく……召喚術へのひたむきな情熱だったな」
「え?」
ウルリカは目を瞬いた。ふと気づく。彼は思い違いをしているらしい。
「ちがう、エリオット。あたしはエリオットの……」
「僕が召喚術を見せたとき」
反論の言葉を、エリオットは拒絶するように強い口調で被せた。
ウルリカはその剣幕に押され、思わず口を噤む。
エリオットはウルリカに背中を向けると、身の丈ほどある長い杖を手に取った。
彼がかつて宮廷召喚術師であった頃より愛用している、美しい装飾を施されたそれを振るうとき、とてもすばらしい『魔法』をみせてくれるのだ。
それがウルリカの召喚術師を志す、ひとつのきっかけになったのは確かだけれど。
「ウルリカ。君に、その自覚はないと思うが。あのとき初めて笑顔を見せてくれたんだ。何事にも興味を示さなかった人形のような君に、希望を与えた存在が召喚術だった。幼く傷ついた君が前向きに生きようとしている、その意思を否定することは……僕にはできなかった」
(やっぱり、エリオット、勘違いをしてる……)
その誤解を解きたいのに、ウルリカの頭には血がのぼって、唇はワナワナと震えるばかりで、訂正の言葉は喉にずっとひっかかっている。
長く重い沈黙が続いた。ウルリカの心臓は、激しい鼓動を刻んでいる。
ドクドクと脈打つ心臓を宥めながら、ようやく口を開いたときに出てきたのは、しかし彼への弁明の言葉ではなかった。
「……あたしが魔導学院に入学して、『立派な召喚術師になるよう、努めなさい』って応援してくれたのも……、初めて召喚術を成功させたときに一緒になって喜んでくれたのも……、全部、嘘、だったの……?」
言葉に詰まりながら、エリオットの背中に問いかける。
彼はウルリカを軽く一瞥すると、冷たい声音で答えた。
「……まだ、わからないのか? ウルリカ。僕は初めから、悩んでいた。君が召喚術師には向いていないと感じていたから」
「……………………」
――召喚術師に向いていない。
二度目になるその言葉は、ストン、とウルリカの胸に落ちた。ようやく重い意味を持ち始めたそれを、ウルリカはじっくりと噛み締める。
ウルリカが苦い表情で押し黙ると、エリオットは対照的に、フワリと表情を和らげた。
「……なあ、ウルリカ。何も僕は、君にいじわるをしたくて、話を切り出したんじゃない。君の将来を深く案じているんだ。魔導学院を辞めるよう、無責任に発言しているわけではないことは理解して、くれるか?」
肯定も否定もできず、ウルリカはそっと顔を俯ける。
エリオットに引き取られた当時は、栄養失調でひどくやせ細っていた。
魔導学院の制服を纏った躰には、年相応の肉がついている。
幼少期に栄養が不足していた影響か、結局身長は伸び悩んでしまったけれど。
ここまで大きく育ったのは、養父が責任を持って、ウルリカの衣食住の面倒を見てくれたおかげなのだ。
わかっていながら、それを認められない。そうしたらもう、ウルリカには黙り込むしかできなくなってしまう。
「君の今後については、僕のほうでも最大限に便宜を図ると約束するよ。召喚術以外で君が勉学に励み、教養を深めたいと言うのであれば、君が希望する教育施設への転入手続きを進めよう。就労するのであれば僕の知人に経営者がいるから、よい条件で働き口を紹介する。もちろん、君が魔導学院帰りにお世話になっている食堂に勤めたいのであれば、僕はそれでも一向にかまわない。君は働き者だから、どこでも受け入れてくれるのではないかな。……まず可能性は低いと思うが、家庭に入ることを望むなら、釣書も用意しよう。いずれにせよ、君の選択に僕は意義を唱えない」
意義は唱えない、と彼は言う。
だが、ウルリカに許される選択肢に、召喚術師への道だけは残されていないのだ。
「……もうこんな時間か」
ペラペラと捲し立てた彼は、胸元から取り出した懐中時計の盤面を見ると、わずかに眉をひそめた。
「講義に遅れてしまうから僕は家を出るが……。慎重に考えてくれ。君の今後にまつわる、大切なことなのだから。今日明日で結論を出せとは言わない。しかし、年度末の時節としてはあまり時間が許されてはいないから……一週間の猶予を与えよう」
「……一週間?」
何の反論もできず、抵抗するように黙っていたウルリカは、重い口を開いて、小さな声でポツリと問い返す。
エリオットは目だけを動かすと、神妙な声音で答える。
「ああ。その間に君は覚悟を決めるんだ。召喚術師になることは諦めると。……いいな?」
一方的に言い残したエリオットは、ウルリカの返事も聞かずに、家を後にした。
「…………猶予を与える? ハァ? 何それ。意味わかんない!」
エリオットが去ってしばらく経ってから。身勝手な通告に怒りが再び、ジワジワと込み上げる。
感情的に机をバンバンと叩くと、哀れに悲鳴を上げた配達員の〈聖獣〉は、バサバサと翼をはためかせて窓から逃げるように飛び立った。
〈聖獣〉配達員が逃げた窓からは、春らしい暖かな風とともに、白色の花びらが何枚か舞い込んでくる。
もうすっかり、春なのだ。
「エリオットの馬鹿。あたし、覚えてるのに……」
ウルリカはそのうちの一枚を指でつまんだ。
白雪のようなそれは、〈春の女神〉が見せたまぼろしではない。
雪のように溶けないし、魔法のように消えないのだ。
その確かな触り心地を感じながら、ウルリカは呟く。
「あのとき、あたしが笑ったのは――」
ウルリカは花びらを見つめると、ひとり唇を噛みしめた。
***
ウルリカは山間のとある小さな村に生まれた。
エリュシオン大陸北部全域を占めるフラホルク統一王国の、そのまた最北部に位置する辺境の名もなき村。それは一年の大半が雪で覆われる不毛な土地の上にあった。
長い冬が訪れる前に、村の痩せた畑から野菜を収穫し、山中にひっそりと隠れ住む獣たちを狩る。
肉は加工し、剥ぎ取った毛皮は街に卸し、日持ちする食糧へと変えた。
凍える冬を乗り越えるためには大量の薪も必須となる。年端のいかないこどもたちでも薪材集めには総出で駆り出され、小屋いっぱいに蓄えた。
しかしどれだけ準備を整えても、極寒の冬だ。耐え切れず、体力のない幼いこどもや老人どころか、おとなですら命を落とすことも珍しくない、厳しい環境。
年を重ね、ウルリカが七歳の冬のときのこと。
その年は、例年よりも食料が確保できず、また雪害もひどかった。
――そんな折に予兆もなく村に現れたのは、〈雪の獣〉。
〈雪の獣〉は〈魔獣〉の一種。
人に害をなす獣は、総じて〈魔獣〉と呼ばれる。
〈雪の獣〉は暴力的な雪と風を引き連れて、村を瞬く間のうちに氷漬けにしたという。
事態を知ったフラホルク王室は急ぎ宮廷魔導兵団を派遣したが、彼らが到着する頃にはすでに〈雪の獣〉は村から姿を消した後だった。
当時、王室に仕える召喚術師の中でも卓越した実力を備え、若くして宮廷魔導兵団防衛部第一部隊長まで上り詰めたのは若き日のエリオット・ネヴィル。彼は上位精霊〈春の女神〉を従えて村の雪融け作業にあたった。
〈春の女神〉の魔法により、氷の彫像と化していた村人たちはすべて救出され、幸いなことに昏睡状態にあったウルリカは意識を取り戻したのだ。
ところが、ほかの氷漬けにされた人間たちは、氷が融けてなお、長い眠りについたまま目覚めない。
未だに眠り続ける村人たち。〈雪の獣〉の魔力の残滓が消え失せても、堅固な呪いの術式がその身に刻まれているせいで、彼らの目覚めは妨げられている。
彼らが再び目覚めるためには、術者である〈雪の獣〉が解呪するか、術者自身の命が失われるかのいずれかの方法しかない。
宮廷召喚術師は選りすぐりの集合知。
彼らの知恵を持ってしても、為す術はなかったのだ。
幼いウルリカに情をかけたのか、あるいはただの気まぐれか。ウルリカの身に呪いの術式は記されていなかったことから、ウルリカは村民の中で唯一目覚めることができた。
しかし当然ながら、幼いウルリカにはほかに身寄りがなく、ひとりで暮らしを立てるのは難しい。
そんなウルリカを引き取ると申し出たのが、他でもないエリオットだったのだ。
ウルリカを養子としたエリオットは方々から引き止められながらも、栄誉ある宮廷召喚術師の職を辞した。
それから、彼が数年前まで生徒として通っていた召喚術師育成機関である聖マルグリット高等魔導学院の教師として勤めることとなる。
ウルリカが彼を追って聖マルグリット高等魔導学院に入学したのは、その五年後の十二歳の春のことだ。
入学して四年。
ウルリカはこの間、〈守護聖獣〉の契約に成功していない。
人間は非力な存在だ。
複雑な詠唱で何もないところから火を起こしたり、水を生み出したりすることはできても、それこそ村ひとつ丸ごと凍らせるような、大がかかりな『魔術』を易々と扱うことは叶わない。
召喚術師とは異層に住む獣、総じて〈聖獣〉と呼ばれる存在を呼び出し、人の身ではとうてい困難な『魔法』を行使することが可能な優れた術者を指して言う。
――人間と〈聖獣〉との間に定められた誓約。
互いに裏切らないこと。
存在を維持するために必要な魔力を与えること。
そして人の世界での名を授けること。
三つの決まりごとを誓うことで、召喚術師は自らを守護する存在、つまり〈守護聖獣〉として〈聖獣〉から力を貸してもらうことができるのだ。
凡人の係累であるウルリカの魔力は、言うなれば「一般人よりはまだマシ」程度。
力の弱い〈聖獣〉を一時的に呼び出し、協力を仰ぐことはできても、誓約するための魔力が足りていない。
仮に誓約までこぎつけたとしても、彼らへ一定の魔力の供給、それも恒久的なそれを約束することはできないのだ。
だから、召喚術師を志す身でありながら、未だ〈守護聖獣〉のひとりもいない体たらく。
――召喚術師の素質や適性がない。
エリオットに言われずとも、そんなことウルリカ自身が一番わかっている。
実技が芳しくないそのかわりに、座学ではそれなりに優秀な成績を修め、課外活動は身を粉にして、積極的に取り組んだ。
だが、結局のところ召喚術師の本質である、召喚術に長けていなければ意味がない。
魔導学院の生徒や教師たちが、ウルリカを陰で『おちこぼれ』と呼び蔑んでいることは、本人の耳にもバッチリ届いているのだ。
(それでも、あたしは『夢』を叶えるために、召喚術師にならないといけない……)