【10】反撃の時
その翌日。
その日最後の授業は応用戦術学。担当教員はエリオットだった。
宮廷魔導兵団、それも元部隊長を務めていた彼の授業はレベルが高く、また人気も高いのだと聞く。
ウルリカが一般教養科にいた頃、彼は基本戦術学の座学を教えていたが、こちらもなかなかの好評だった。
高等実践家の戦術学は大きく三つの科目に別れる。
共通するのは模擬戦闘を行うということ。
その戦闘パターンはいくつかに分けられるのだ。
一つ目は、召喚術師同士が魔術で戦闘する形式。魔術戦術学。
二つ目は、召喚術師が魔力を送ったり、指示を出したりなどのサポートをしながら、〈守護聖獣〉同士を競わせる形式。基本戦術学。
三つ目は一と二の複合。召喚術師と〈守護聖獣〉が共闘して戦う形式。応用戦術学。
エリオットの授業は三に該当する。
ウルリカの相手は、エミールだった。
今日も彼は、つんと澄ました顔で立っている。
エミール・コルネイユはエステルの双子の弟……のはずだ。
愛くるしい笑顔を振りまいて、ウルリカに親身になってくれるエステルと顔こそ瓜二つの存在であるが、振る舞いはまるで異なる。
愛想がなく、ウルリカには素っ気ない。
彼は若くして宮廷召喚術師のエリート様。事情があるとはいえ、訳ありウルリカの護衛なんて面白くはないだろう。
応用戦術学の組み合わせはエリオットが生徒の能力をもとに、適切に決めているとのことだった。
エミールを指定しているのは事情を知らない人間からすれば、不適切に思えるだろう。一応彼なりに、組み合わせは考慮しているらしい。
とはいえ、彼は授業では手を抜かなかった。
「今日も頑張るわよ、ノア」
ウルリカは頭の上にしがみついて離れようとしないノアに声をかけた。
「ピギャ……!」
ノアには事前に、これからウルリカが起こす行動を伝えている。やる気満々、とでも言うように勇ましく鳴き声を上げる。
「ウルリカ・ネヴィル。随分と意欲的だけど、どういう心境の変化なの?」
「あんたもそのきっかけよ」
「……ボクが?」
理由が思い当たらないのか。彼は澄ました表情を崩して、首を傾げる。
何も知らない彼を、初めてやりこめたようで。ウルリカはちょっとだけ愉快な気持ちになりながら言ってやった。
「あんた、よくも告げ口してくれたわね。この借りは必ず返してやるんだから!」
「……はぁ?」
ビシッと彼を指差した後、ウルリカは身を翻してエリオットの元へと向かう。
動きやすいようにローブを脱いで、シャツとベスト姿の彼は、歩み寄るウルリカの姿に気づいて、教本から顔を上げた。
「エリオット……先生」
今のエリオットは養父ではなく、指導教員だ。
だからウルリカは、慣れないが彼を先生と呼ぶ。
くちびるをキュッと引き締めて、覚悟を漲らせたウルリカがこれから何を言おうとしているのか、エリオットは察しているらしい。
眼鏡の奥の青い瞳を眇めて、ウルリカの続く言葉を待っている。
「あたしの対戦相手を、ロイク・マスカールさんに変更してください」
ウルリカは訓練場に通るほどの大声で言った。
エリオットだけではなく、『彼』にも聞こえるように。
案の定、学生たちは皆どよめき。
名指しされたロイク・マスカールは、黒い眼差しを静かに、ウルリカへと向けた。
***
(やはり、こうきたか)
エリオットの養女がいじめの解決に、穏便な方法を取るとはもとより考えてはいなかった。
何故なら彼女は、フラホルクの千年守護者手づから英才教育を叩きこまれている。
やられたらやり返すが信条。倍返しどころか、その十倍以上にしてお返ししないと、不義理であるからなぁ? と獰猛に笑う獣の顔が脳裏に浮かぶ。
エリオットは少し考えたのち、しかつめらしい表情で訊ねた。
「ウルリカ。なぜ変更を申し出るが、理由を話してくれるか?」
ともあれ、指導教員としては、はい、と簡単に頷くわけにはいかない。
だが、生徒の意向は汲むべきだ。エリオットはすげなく断ることはせず、その理由を問いただした。
「はい! あたしがロイク・マスカールさんと、正々堂々、戦いたいからです!」
「……その心意気は買うが、応用戦術学は私闘の場ではないぞ」
呆れた声でエリオットがぼやくと、ウルリカは言葉を無視して、ロイクに告げた。
「ロイク・マスカールさん。姑息な真似はやめて、正面から立ち向かって来なさいよ! あたし絶対、あんたになんか、負けない!」
「ぴぎゃ~!」
どうやら彼女の〈守護聖獣〉も闘争心に燃えているようだ。可愛らしい鳴き声は、雄たけびのようにも思えた。
(さて、ロイク・マスカールはどう動くか)
エリオットは依然として黙り込んだままのロイクに視線を向ける。
「……」
思わぬ喧嘩をふっかけられたロイクは、しかし驚いている様子はない。
だが彼の黒い理知的な瞳は、ただただ、ウルリカへの憎悪を滲ませているように思えた。
(ふうん……)
ロイク・マスカールは先導して陰湿ないじめをするような人間性をしていない――とエリオットは考えている。
面識があるので知っているが、彼の祖父や父は高潔な人柄をしている。それはロイクにも受け継がれているのだ。
エミールから報告を受けたときも、違和感はあった。
何かすれ違いが起きているか。それも、恣意的な。
だが、それを正す絶好の機会であることは、エリオットも理解している。
「ロイク。君はどうする?」
公平に、エリオットは訊ねる。
「かまいません」
ロイクはエリオットを見ることなく、ウルリカを睨みつけたまま答えた。
「両者が望むなら、ウルリカ。君の申し出を受け入れよう。エミール、ウォーレン。君たちも異存はないか?」
「はい。問題ありません」
問いかけられたエミールは殊勝に頷いた。
「誰が相手でも、ボクは本気で捻り潰すだけですから」
下手をすればウルリカよりも好戦的なエミールに対し、本来ロイクの対戦相手だったウォーレンは震えあがりつつも、断れなかったようだ。
「そうか。では各組、対戦相手を交換するように」
エリオットはパンパン、と訓練場に響き渡るように、手を叩いた。
「他の組も、それぞれ戦闘準備を始めるように!」
学生たちはエリオットに注意され、姿勢こそ戦闘態勢に入ったが、興味は目の前の相手ではなく、ウルリカたちから離せないようだった。
***
エステルの対戦相手はアンジュ・バルトだった。
エステルは模擬戦闘でも手を抜かない。
だって実際の戦いでも、ちょっとした油断が命取りとなる。
エステルはそんな過酷な戦場を、何度も渡り歩いた。それは双子の弟も同じだ。
アンジュ・バルト。彼が個人的に嫌いな相手というのもあり、いっそう士気は高揚した。
エステルは開始早々、宿敵を打ち負かして、結果、彼は訓練場の片隅で伸びている。
(これでウルリカをじっくり見守れるわ……!)
ぜひ特等席で見なければ、と目論むエステルに声がかけられた。
「なあなあ、エステルよ。ウルリカとロイク、どちらが勝つと思う?」
声の主は、フラホルクの国宝こと、ハーヴェイである。
相変わらず派手なローブに身を包んだ美しい国宝様は、暇を持て余して、また城から抜け出してきたのだろう。
だがその彼は、一度痛い目にあったせいか、しっかりと護衛騎士を連れている。
彼らは授業の邪魔にならないよう、遠くからコソコソとハーヴェイを監視していた。
本来であれば邪魔にならないよう、ハーヴェイの手綱を握っていてほしいところではあるが。
獣らしく好戦的なハーヴェイは、今の状況を心から楽しんでいるらしい。
宝石のように美しい瞳は、興奮でギラギラと輝いていた。
(どちらが勝つ、か……)
エステルは桃色の髪を指先にクルクルと巻きつけながら、考え込む。
私的にはウルリカに勝って欲しいところが、それは不可能に近いだろう。
〈特異聖獣〉ノア。自ら魔力を生成できる、特別な存在。
幼いがその性質から、彼の魔力は無尽蔵に等しい。今はまだ、主ともどもそれを制御できていない。
ノアの力を使いこなせるようになれば、契約者たるウルリカは召喚術師だけではなく、魔術師としても一流となれるだろう。
だが、それには障害がある。
彼女が未だにノアを正しく使役できていないこと。そして、ノアが〈特異聖獣〉である事実は秘すべきと、王命による制約があること。
力の弱い『黒トカゲ』としてのふるまいしかできないノアをパートナーとして、ウルリカはそれに見合った戦いしかできない。
「ウルリカは、ロイクに勝てません」
結果として意味合いは同じだが、負ける、とは言いたくなかった。
だが、私情を抜きにして冷静に判断したエステルに対し、「そうとも限らんぞ?」とハーヴェイは言う。
「……どういうことです?」
「エステルはまだ、『ウルリカ』の本質を理解していないようだな」
ハーヴェイはくちびるを薄く開き、八重歯を覗かせる。
美しい獣の、残忍な笑みを浮かべて。
「あれはこのわたしが全身全霊をかけて躾けた、獣だ」