【3】ぼっちにはならない
聖マルグリット高等魔導学院の必須科目のひとつに、合同召喚術学、というものがある。
名前の通り、複数人で〈聖獣〉を呼び出す召喚を『合同召喚』と呼ぶ。
一般的に召喚術はひとりで行うのが主流だが、強力な〈聖獣〉に力を仰いだり、一度に複数の〈聖獣〉を呼び出す場合においては、個人でできることにも限界がある。
喚び出す〈聖獣〉の力に応じて、召喚の陣の規模は大きくなり、作成に時間を要するのだ。
特に個体識別名を持つような〈聖獣〉ともなれば、〈召喚の門〉顕現のために、個人では賄えない大量の魔力を消費する。
本来では不可能である召喚を可能とするため、あるいはより効率を求めた召喚術の行使のために、軍や研究施設ではたびたび、合同召喚が実施されるらしい。
(ついにこの日が来てしまった……)
合同召喚。つまり、『チーム戦』。
合同召喚術学の授業では、三、四人でチームを組み、〈聖獣〉を召喚する実技課題の結果をもとに評価点がつけられる。
これまでの授業では座学で基本的な知識を学んでいたが、本日よりついに、実践に入るという。
周りの生徒たちは待ち遠しかったのだろう、修練場の雰囲気は全体的に浮ついているように思えた。
しかし、杖と教本を胸に抱くウルリカは、不安でいっぱいだ。
ぼんやりと立ち尽くすウルリカの肩をぽん、と優しく叩いたのはエステルだった。
彼女は楽しそうな表情を浮かべて、ウルリカに話しかける。
「ウルリカ。わたくしたち一緒のチームで、初めての共同作業ですねっ! そのっ、一緒に頑張りましょう!」
「あ、うん……」
「ピ~ギャ」
どこか気のない返事をするウルリカとは対照的に、頭の上に乗っていたノアはエステルと同調するように、ペシペシと尻尾でウルリカの背中を叩いた。ノアにできることはないが、なかなか心強い。
わずかに肩の緊張を解きながら、しかしウルリカの胃は、キリキリと痛んでいた。
一般教養科でも合同召喚術学は必須科目だ。
ウルリカは入学して二年後から学び続けているが、ウルリカにとって最も苦手な科目なのである。
三人から四人のチーム評価。
他の実技科目であれば、ウルリカの実力のみが評価されるが、合同召喚術学は個人の力量以外にも、チーム全体を加味して評価が下される。
飛びぬけて優秀な生徒がひとりいても、そうでない生徒が足を引っ張って評価が落とされることもままあるのだ。
ウルリカは『おちこぼれ』で名が知れていたから、以前から、ウルリカとチームを組みたがる生徒はいなかった。
どうにかあまりもののチームに混ぜてもらっても、当然、歓迎はされなかったのだ。
ウルリカにとって幸か不幸か、エステルとエミールがいるおかげで、チームを組むことはできる。
しかし、優秀な彼らのお荷物となってしまうことが、ウルリカの気懸かりであった。
やけにはりきっている姉とは対照的に、エミールが気だるげに訊ねてくる。
「ねえ、ウルリカ・ネヴィルは、どの〈聖獣〉を呼び出したいの?」
「そ、そうね……」
ウルリカは授業の初めに手渡された資料にいそいそと目を通す。
今回実技課題を実施するにあたり、条件や評価点などの要項がまとめられた資料である。
課題テーマは三つ定められており、その中の一つを選ぶ形式となっている。
一つ目は火・水・風・土の指定された中位精霊を、いずれか一匹召喚すること。
二つ目は指定された種の〈聖獣〉を複数召喚すること。
そして三つ目は任意の〈聖獣〉の召喚だ。
一つ目と二つ目に関しては、初回課題ということもあり、優しい難易度が設定されているらしい。
事前の授業で召喚陣の作成や詠唱などを教わっているので、どのチームもよほどのことがなければ失敗はしないだろう。
合格点は取れるが、より高い評価を求めるのであれば三つ目のテーマ、任意の〈聖獣〉の召喚を選ぶ必要が出てくる。
一般教養科の生徒の大半は指定テーマから選んでいたが、高等実技科となるとやはり任意の〈聖獣〉を呼び出すのが前提となってくるらしい。
あちらこちらから、どの高位〈聖獣〉を呼び出すか、悩む他のチームの声が聞こえてくる。
エミールはウルリカのレベルに合わせるため、ウルリカに意見を求めたのだろう。エステルもおそらく同じ考えのはず。
それを申し訳なく思いながらどちらのテーマを選ぶか考えていると、近くにいたクラスメイト――ウォーレン・ノールズに声をかけられる。
「転入生さんたち、馬鹿だなぁ。その『おちこぼれ』とチームを組むと、仲良く及第点しか貰えないぜ?」
「……」
ウォーレン・ノールズは茶色の髪を切り揃えた中肉中背の少年だ。
どうやら彼が声をかけたのは、エステルとエミールらしい。
だが、その悪意に満ちた嗜虐的な瞳は、ウルリカへと向けられている。
ウルリカが何かを言い返す前に、彼はあたりに聞こえるような大きな声で言う。
「おーい、だれかこの可哀想な転入生たちを入れてあげられないか? まだ友人がいないから親しくする相手の見極めもできていないらしい!」
突然のウォーレンの言葉に戸惑いながらも、ちらほらと、どうする、と悩んでいる生徒の姿も見受けられる。
エステルもエミール。いずれも召喚学では優秀な成績を修めていた。
彼女らを迎えれば、チームの平均点向上が確実に見込まれる。どのチームも、こぞって誘いたかったのだろう。
ウォーレンとよくつるんでいる、同じチームメンバーのアンジュ・バルトが、エステルに白い歯を見せて笑いかけながら、手を差し出した。
「コルネイユ嬢。良かったら僕たちのチームに入らないか? 僕たちは炎か光の上位精霊を呼び出そうと考えていてね。クラス一の才女の君がチームに居れば、これほど心強いことはないよ。なあ、ロイクもかまわないだろう?」
「……ああ」
ロイクと呼ばれた黒髪の少年は切れ長の瞳を細め、逡巡したのち頷く。
ロイク・マスカールは高等実技科全体で見ても、その技量は上位に位置する。
ロイクは、入学三年目にして上位精霊の召喚に成功。なおかつ〈守護聖獣〉の誓約を結んだと聞く。
アンジュ、ウォーレンも上位精霊の召喚経験はないが、彼に追随する実力を兼ね備えているらしい。
彼ら三人だけでも上位精霊の召喚成功は確実と思えるが、どうやら未だ謎の多い、才能ある転入生を手の内に加えたいのだろう。
マスカール家の当主は代々宮廷召喚術師を束ねる要職に就き、アンジュやウォーレンの生家も軍の上層部に務めていると聞く。
軍に所属する双子たちにとっても、ロイクたちと親しくするのは、悪い話ではない。
しかしエステルは、俯きがちにボソボソと口にする。
「すみません、その……。わたくしは、ウルリカと一緒が、いいですっ……」
どもりながら断るエステルの顔は真っ赤だ。
どこか人見知りの気がある彼女にとって、これが精いっぱいなのだろう。
おそらく断ったのも護衛の任務というのもあるが、今まで話したことのないクラスメイトと親しくするのが怖いと考えたか。
「そう、じゃあ、エミールくん。君は?」
断られるとは思いもしなかったのだろう。アンジュは少し固まって、だが、取り繕ったように澄ました表情で、今度はエミールに問いかける。
「付き合う友人は選んだ方がいいと思うけれど?」
エミールは姉と違って、人見知りしない性格だ。
彼は姉とそっくりな人形のように整った顔に、愛想の欠片もないような表情を浮かべて、口を開いた。
「アンジュ・バルト。君のそれ、お節介だよ。だいたい、誰と組んでも、足を引っ張られることには変わりがないもの」
「は?」
「わからない? 君たちも、ボクらの足手まといだってこと」
人形のように美しい少年は、鼻をフン、と鳴らして問いかける。
「ボクは君に言われるまでもなく、友人は選んでいるつもり。それで、君たちと親しくするメリットって、あるの?」
「なっ……!」
(えっ、えっ、えっ、エミールさん!????)
遠慮がなさすぎる。
これにはさしものアンジュも唖然としたように、口をパクパクと動かしている。
ウルリカもその辛辣で、あまりにも友好的とは程遠い発言に耳を疑っていると、エミールが銀色の瞳だけをすい、と動かして、どこか不機嫌そうな声色で言う。
「ダラダラとおしゃべりをしている暇はないと思うけれど。ウルリカ・ネヴィル。それで、どの〈聖獣〉を呼び出すの?」
「えっ、うそっ、もうこんな時間なのぉ!?」
懐中時計を見れば、試験時間の五分の一は経過している。
ウルリカの焦りで裏返った声を聴いて、集まっていた周りの生徒たちも我先にと、慌てて課題にとりかかる。
「こっ、後悔しても、知らないからなっ!」
ポツリと残される形になった、アンジュは真っ赤な顔で吠え立てると、ドシンドシンと足音を立てながらその場を後にする。
苦々しい表情のウォーレンに促され、彼らもまた、課題にとりかるようだった。
一瞬だけ向けられた、ロイクの刺すような視線が気になると言えば気になるが、今はまったくそれどころではない。
「ねぇ、エミール。知っていると思うけど、あたし、風と光の属性が得意で、でも、呼び出せる〈聖獣〉は初級精霊とか、低位種の存在くらいなのよ……」
召喚術や魔術において、火、水、風、土、氷、雷、光、闇――全八種の属性が存在する。
人間には生涯不変の、生まれつきの得意属性があり、大抵は親からの遺伝で決まるらしい。
風属性を持つ召喚術師は鳥獣と、水属性を持つ者は海魔全般、光属性を持つ者は妖精族と相性が良い……というように、属性は呼び出す〈聖獣〉との相性にも関わるのだ。
「わざわざ説明してくれなくても、軍の報告書を読んで知っているよ。君の魔力の低さから、詠唱に期待はしていない」
「す、すみません……」
「けれど、まがりなりにもマルグリットの生徒なのだから、召喚の知識はあるだろう? 召喚の陣は何が書けるの?」
「何がって……それなりに、書けるほうだと思う、けど」
合同召喚術学では、ウルリカの詠唱は期待されていなかったので、召喚陣を書くのはもっぱらウルリカの役目だったし、そのおかげで召喚陣学は人一倍熱心に取り組んだのだ。
だから、まあまあ、書ける自信はあった。
「そう。だったら、上位精霊も?」
「うん、大丈夫だけど……」
あんたまさか呼べるの、と聞く前に、エミールはさらりと答えた。
「ボクは大抵の〈聖獣〉は召喚できる。竜だって、ひとりでも呼べるけれど」
ウルリカは唖然とした。
簡単に言ってのけるが、竜なんて上位種の中の上位種である。そう易々と呼び出せる存在ではない。
だが、彼は現役のエリート宮廷召喚術師様である。
誇るでもなく、ごくごく当然のように語る顔つきはいつもの不愛想なそれではあるが、彼の言葉に偽りはないだろう。
そしてやはり、ウルリカは召喚陣を用意する担当になるらしい。
「ウルリカ、わたくしも、何でも、大丈夫ですっ」
やる気満々の姿勢の双子に対し、しかしウルリカは腰が引けていた。
「な、なんでもって言われると、逆に困るよぉ……」
オロオロとしていると、エミールは首を傾げて訊ねてくる。
「ウルリカ・ネヴィル。君はなぜ、召喚術師になりたいの?」
「なぜって……」
ウルリカは口を閉じる。
ウルリカが召喚術師になりたかったのは、エリオットのようになりたかったから。
エリオットのように、誰かに希望を与えられるような、そんな存在になりたかったから。
だが現実は、エリオットのようにはなれなくて。そして再会を希う〈雪の獣〉を討伐できるほどの力も持ち合わせていない。
――君は、召喚術師の素質がない。
以前、エリオットに称された言葉が心に重くのしかかる。
結局のところ、〈守護聖獣〉と誓約を結んでも、ウルリカは何ひとつ変わらない。
ウルリカ自体は『おちこぼれ』のままで、だから高等実技科のクラスメイトには認められない。
「……召喚術師だけが、〈聖獣〉を呼び出せる。彼らと強い絆を結び、その力の一部を借り受けることができる」
ぽつり、と呟くエミールの言葉に顔を上げる。
「君には力を借りたい、〈聖獣〉はいないの?」
「え?」
「君が呼び出したいと思う、〈聖獣〉を思い浮かべて、その召喚の陣を書けばいい。ただそれだけの話だよ」
(あたしが友人になりたい、〈聖獣〉……)
ウルリカは少し考え込んだのち、杖の先を地面に突き立てた。