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おちこぼれ召喚術師と魔王の子  作者: 藤宮晴
一章 長い冬の終わり
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【2】突きつけられた選択

「……こっ、後期はっ! 苦手科目のテストが続いて、調子が、悪かったのよっ!」


 幸いにして、この場にあるのは今年度後期の試験成績表に限られる。

 それまでの試験成績表はないのだから、ウルリカの言い分は見苦しいものの、一応通るのである。

 ウルリカが裏返った声で口にすると、エリオットは「もっともだ」とそれらしく頷いて見せた。


「ああ。ウルリカ、君の言う通りさ。人間誰しも不調な時期はあるだろう」


 しかし、僕は一度も落第点を取ったことはないが、とわざわざ付け足して言うのが、なんともエリオットらしい。


「初めて、だったからな。君が落第点を取ったなんて聞かされるのは、これが初めてだ」


「へ、へー。そうなんだ……?」


「ああ。だから僕も、その時ばかりは大目に見たよ。『娘も初めての失敗を今後に生かすでしょう。今後はこのようなことが起きぬよう努めさせます』と彼には一保護者として、謝罪した」


 初めて、を執拗に強調しはじめると、もう嫌な予感しかしない。

 ウルリカがそっと両手を下ろし、気まずげに目をソヨソヨと泳がせていると、彼は軽く首を傾けた。


「そうしたら彼、どうしたと思う?」


「さ、さあ~……?」


「紐で閉じられた紙の束を引っ張り出してきたんだよ。これは何かと問えば、爽やかな笑顔で言うんだ」


 聞きたくないが、流れを汲んで、聞かぬわけにはいかない。

 ウルリカは怖じ怖じと訊ねた。


「な、なんて言ったのぉ……?」


「『えー、それなら、初年度から絶好調なおたくの娘さんに提出された成果物、見る?』とな」


「…………」


 エリオットは現代言語学の教師のように、もはや『その時の僕の気持ちがわかるか?』と問い質すことはなかった。

 笑っているけれど、怒っている。ものすごく、静かに怒っている。

 そもそもここまで状況を説明され詰められてしまっては、ウルリカはいよいよもう、何も言えなくなってしまうではないか。


「本当の『初めて』提出されたレポートから順繰りに目を通したが、文字もレポートの内容も年を経るごとに上達していた。思いがけず娘の成長を目にすることになって、保護者としては感無量だ。何せ君は、優良な筆記の試験成績表しか見せたがらなかったからな?」


「…………」


 ウルリカは座学の成績はそれなりに優秀だった。というか、実技がいまひとつなぶん、座学に力を入れざるをえなかったのだ。

 エリオットはふいに笑みを消すと、手に持っていた試験成績表を束の上に戻した。


「ウルリカ。君は知らないだろうが、教師間で学生の成績の共有は基本的に禁じられている」


 ウルリカにとって初耳ではあるが、他者の印象が成績に影響を及ぼす懸念を考慮しているのだろう。

 ウルリカはすんなりと納得した。


「そういった点で言えば、エドモン・ソニエール先生の行いは本来咎められるべきだろう。僕をウルリカ・ネヴィルの保護者とみなして、声をかけたからこそ、許されている。……なあ、ウルリカ」


 エリオットは真面目な声色で語りかける。


「僕は君から単位の合否しか知らされていない。君が実技教科で落第点ギリギリどころか、落第点そのものを取っているとは、露にも思わなかった」


 しかし成績の共有は禁じられていても、ウルリカの悪評は耳に届いてはいただろう。

 それでもエリオットは信じてくれていたのだ。養女がつつがない成績を修めていることを。

 ウルリカの胸は、罪悪感でチクチクと痛んだ。

 だが、


「魔導学院の成績? ……うん、概ね問題ないわよ!」


 の一言で長年騙され続けるエリオットも正直どうなのだろうか……と思わなくもない。

 溜息をひとつこぼしたきり、ムスッと黙り込んだエリオットに、ウルリカはしおらしく頭を下げた。

 エリオットは偏屈で、口喧嘩にめっぽう強いのだ。

 こういう時は、下手に言い訳してこじらせるよりも、素直に謝るに限る。


「……ごめんね、エリオット。隠していたことは、謝るわ」


「…………」


「もう、赤点は取らない。…………いや、場合によっては赤点はとるかもしれない、けど……?」


 ゴニョゴニョ、と自信なさげに言葉尻を濁すと、エリオットは気に障ったようにピクリ、と片眉を跳ね上げた。

 これはいかんと、ウルリカは必死に言い募った。


「それについては確約ができなくて、ごめん! でもあたし、頑張るからっ! 赤点とっても、今まで通り落第はしない! それは約束できる! する!」


「…………」


「ねっ、ねっ? だって現に今年も進級は確定しているじゃない? 卒業できるようにもっともっと努力するし……エリオットが悪く言われないように、あたし、もっと、頑張るからぁ……」


 血の繋がりがないとはいえ、不出来な娘がいれば、エリオット・ネヴィルという人物評価の形成にも強く関わってくることだろう。

 もうすでに散々言われているのも知っている。

 だとしても。


「……あたしね、どうしても、召喚術師になって、やりたいことがあって……。だ、だから、魔導学院には、通い続けて、卒業したいのよ……」


 ウルリカが情けない声で懇願すると、彼はようやく口を開く。


「ウルリカ。君はなぜ、召喚術師になりたい?」


「それは……」


 ウルリカはモゴモゴと口を噤む。

 咄嗟に出た言い訳ではなく、召喚術師になりたい理由は確かにある。

 しかし、その目的は彼にはどうにも打ち明けにくい類のものなのだ。


(他の人に言えても、エリオットだけには、言えないわよ……)


 ウルリカが躊躇っていると、彼は物憂げな表情で、人差し指の爪を親指で撫で始めた。

 無意識なのだろう、それは彼が思案に耽るときの癖である。

 それから長い時間を要して、重い沈黙を破り、口火を切ったのはエリオットだった。


「――ウルリカ」


「はい……」


 名を呼ぶ声は固い。ウルリカは静かに背筋を伸ばし、返事を口にする。


「遅かれ早かれ、君には伝えようと思っていた。口に出さないだけで、切り出す時期は見計らっていたさ。何も今回のことだけが、原因ではないんだぞ」


 エリオットはふたたび溜息をこぼすと、「いいかい」と聞き分けの悪いこどもを言い聞かせるように言葉を継いだ。


「ウルリカ。君は十六歳になった。聖マルグリット高等魔導学院に入学して、早いもので四年が経つ。名門の教育機関の一つと言われる、かの魔導学院で教育を受けたにも関わらず――君の才能はまったく開花しなかった。この年になって〈守護聖獣〉のひとりも従えることができないのは、君くらいのものだよ。そんな君が召喚術師への道を志し、勉学に励む意味があるのかと……僕は常々考えていた」


 おとなしく耳を傾けるウルリカから、エリオットは新聞を取り戻す。

 それから慣れた手つきで丁寧に折りなおし、ローテーブルの上に置くと、ソファからスッと立ち上がった。

 白いシャツに、共布のリボンタイ、濃い灰色のベストに、細身の黒いズボン。

 定番の組み合わせだが、クラシカルで上品な雰囲気は落ち着き深い彼によく似合っている。

 革靴は艶があり、汚れひとつない。腰ほどまで長く伸ばされた金色の髪は、毎朝じっくりと櫛けずられ、瞳と同じ青いリボンで結われている。

 胸元を彩るのは、とろりとした色合いの緑の花のブローチ。

 彼の相棒――〈春の女神〉の棲みかだ。

 聖マルグリット高等魔導学院に従事する教員の印である、ゆったりとした紺色のローブを身に纏いながら、彼は続けた。


「君が召喚術への学習の意欲を示したとき、正直に言えば僕はとても悩んだ。召喚術師の才能の是非の多くは、親の遺伝に依存する先天的なものと統計が出ている。君は……猟師の娘で魔力に乏しい。おおよそ一般的な召喚術師が必要とするそれには遠く及ばないだろう」


 ウルリカはただ養父に言われるがままに、魔導学院に通い始めたわけではない。


 ――召喚術について学びたい。


 望みを口にしたウルリカに、それであれば……、と聖マルグリット高等魔導学院に入学するよう、彼は手続きを進めたにすぎなかった。

 その意志を告げたのは、魔導学院に入学する二年の前のこと。

 つまり六年間、彼はその思いを内に秘めていたということになるのだ。

 ウルリカに内緒で、ずっと。


「……それってつまり、最初から……?」


「ああ」


 頭に、カッと血が上る。ウルリカは甲高い声で、叫んだ。

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