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おちこぼれ召喚術師と魔王の子  作者: 藤宮晴
一章 長い冬の終わり
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【16】盟約

 黄金の剣を〈黒杖の公爵〉へと薙げば、〈黒杖の公爵〉は躱すことなく大鎌の柄で受け止めた。ぶわり、と風圧で土煙が舞う。

 二人の戦いはほぼほぼ互角だった。

 初めはハーヴェイが優勢だった。彼の振るう剣は一撃一撃が重く、受ける〈黒杖の公爵〉は押されているように見えた。

 だが、持久戦になるとどうしても主のいないハーヴェイが不利になる。

 一向に姿を見せない召喚術師からたっぷりと魔力の供給を受けているのだろうか。〈黒杖の公爵〉の力に陰りは見えない。

 ハーヴェイは目に見えて出力が落ちていた。次第に劣勢へと変わっていく。

 やがて、召喚術師の一人が膝をつく。

 魔力が切れたのだ。もう一人はゼェゼェと息を吐き、杖を支えにしながらも口にする詠唱でハーヴェイに魔力を送っていく。

 限界に近いのか、口の端からは血が流れていた。

 逃げろ、と言われても、ウルリカ達はその場を離れることができなかった。

 何もできない身がもどかしいとでもいうように、ロドルフは何度も手を伸ばしてはギュッと握りしめる。

 でも、それはウルリカも同じだ。


(何か、何か、しないと……!)


 しかし、おちこぼれで、無力なウルリカに何ができるというのか。

 魔力だって送れない。オロオロと戦況を見守るくらいしかできないというのに。

 攻撃を受ける側だった〈黒杖の公爵〉は、ついに攻撃に打って出る。

 彼は大鎌を振る――ハーヴェイはギリギリのところで、その一振りを黄金の宝剣で払いのける。


「ふっ……!」


「終幕としよう。堕竜よ」


 〈黒杖の公爵〉は口の端をニィ、と持ち上げると、その長い右脚でハーヴェイに向かって蹴りを入れた。


「なっ!」


 ハーヴェイは目を見開く。彼の躰はフワリと浮くと、勢いよく飛ばされ、太い木の幹に叩きつけられる。

 グシャリと耳障りな音とともに右腕があらぬ方向へ曲がったハーヴェイの躰は、ズルズルと滑り落ちた。

 右手から黄金の剣が離れると、剣は空気に溶けるように消える。

 最後の召喚術師が膝から崩れ落ちて、地面にベッタリと倒れ込む。


「我が君!」


 真っ青な顔をしたロドルフが、慌ただしくハーヴェイへと駆け寄った。

 口の端から血を流したハーヴェイは未だ戦意が挫けていない。

 激痛を耐えるような表情で〈黒杖の公爵〉に視線を向けようとするが、宝石のような瞳はゆらゆらと、焦点が合わないように見える。


「――さて」


 〈黒杖の公爵〉は少年の〈聖獣〉のクルリと向き合うと、雅やかな笑みを浮かべた。

 わずかに髪が乱れた程度で、その立ちふるまいは余裕綽々として見える。


「〈孤高の獣〉。我らが主は貴君を手中に欲している。降伏し、配下に下るといい」


「いや、だ……。俺は、オマエのこと、何も知らない……。そんなやつのはなし、聞くもんか…………!」


 〈聖獣〉のこどもは息も絶え絶えに応じた。

 〈黒杖の公爵〉は秀麗な顔を崩さずに言う。


「では……少し、痛い目を見てわからせる必要があるようだな?」


 〈黒杖の公爵〉は大鎌の柄を両手で握ると、その場を駆け出した。

 あの大鎌で切りつけられたら、〈聖獣〉のこどもでも、ただではすまないだろう。

 〈聖獣〉のこどもの手足はただでさえか細く、非力な存在に見えるのに、全身ひどい創傷を負っている。

 震える小さな手は、何も武器を持たない。

 避けられない。


(……あの子、このままじゃ、死んじゃうよ……)


 どうしたら彼を、助けられる?

 必死に考えたウルリカの右手は、無意識に制服のポケットへと延びていた。

 指に触れる固い感触で閃く。

 飛翔の象徴はウルリカの背中をほんの少しだけ押してくれた。

 恐れはあっても、もはや迷いなどない。

 ウルリカは立ち上がると、風のようにふわりと駆け抜けた。

 軽い躰はほとんど跳んでいるようだ。

 尋常ならざる速さは、ポケットに潜ませていた〈魔道具〉のなす力である。

 〈聖獣〉の少年を突き飛ばして、〈黒杖の公爵〉が振るう大鎌の前に飛び出したのは、その刃が届く、本当に直前のことだった。

 〈黒杖の公爵〉は標的だけをその目に入れていたか。あるいは思わぬところで邪魔が入るとは考えもしなかったか。

 彼は突然目の前に現れたウルリカに驚愕し、目を見開いた。攻撃の手を止めようとして、だが、鎌を振るう勢いは殺しきれない。

 〈黒杖の公爵〉の大鎌が、ウルリカの腹をザクリと、裂いた。


「ああああああああああああああああっ!」


(痛い。痛い痛い痛い痛い、痛い!)


 なんて痛みなのだろう! こんな痛み、初めてだ。

 迷い込んだ〈聖獣〉たちに齧られたときの痛みとは、まるで比べ物にもならない。絶望的に強烈な痛みがウルリカを襲った。

 ウルリカは身を焼くような痛みに絶叫を上げ、その場に倒れ込む。

 その時、〈黒杖の公爵〉もまた、くぐもった呻き声を上げて、よろめいた。

 何が起きたのか。ウルリカは荒い呼気を繰り出しながら、チカチカと点滅する視界に、〈黒杖の公爵〉の姿を捉える。

 彼は白い手袋に包まれた手を、腹部へと当てていた。

 指の隙間からは赤い鮮血がドクドクとこぼれ、白い手袋を赤く染め上げていく。

 その腹に生えるのは、黄金の剣。

 ハーヴェイが投げたのだろう。金色の光の粒子を残しながら、サラサラと消えていく。

 呼吸が苦しい。ウルリカの両目からは涙がボロボロと流れた。


「ウルリカ殿!」


 ロドルフが名を呼ぶ声が聞こえる。彼はよい護衛騎士だ。この状況で、ハーヴェイの傍から離れず、彼のその身を介抱している。


「潮時だ、〈黒杖〉の」


「〈老老獅子王〉……」


 地を這う禍の声。〈老老獅子王〉は怪我をした前足を庇うようにしながら、片膝をつく〈黒杖の公爵〉にヒョコヒョコと歩み寄る。


「堕ちてもしぶといな、あの男は。ここは一旦引くぞ。〈孤高の獣〉を得る機会は、後にも巡るだろうよ」


「……」


 彼も痛みに耐えているのだろうか。〈黒杖の公爵〉は額に脂汗を滲ませながら、無言で大鎌の柄を大地に一突きすると、それは美しい黒杖に様変わりする。

 彼は〈老老獅子王〉の背中に飛び乗った。

 ギラギラと輝く瞳は、ハーヴェイへの憎しみの炎を宿している。


「勝負は持ち越しだ、〈貴石の魔神〉シグアイルトラ。次に相まみえた際には、堕竜、貴君の命も頂こう」


 不吉な予言を言い残して、〈老老獅子王〉と〈黒杖の公爵〉はその場を後にした。


 ***


 傷を負ってなお、天高く跳躍する〈老老獅子王〉の背中を目にしながら、ウルリカはお腹に手を当てた。

 血が、止まらない。

 息を吸っているのか、吐いているのかわからない。指先の感覚はほとんどない。流れる血がつめたいのか、あたたかなのかも、わからない。


(あたし、死ぬのかな……)


 思い返せば、前にもこんなこと、あったような気がする。

 〈雪の獣〉に凍らされた時は。穏やかに死の世界への旅路を辿っていた。

 その道すがら、幼いウルリカは考えたのだろうか。


「おい……」


 ウルリカは瞼を震わせた。

 血の気を通り越して青白い顔をした〈聖獣〉のこどもが、強張った表情でウルリカの顔を覗き込んでいる。


「オマエ……ニンゲン、のくせに、どうして俺を助けたんだ…………?」


 どうしてって。そんなこと、ウルリカにもよくわからない。

 ただ、目の前で誰かが死ぬと考えると怖くて、躰が自然と動いていただけだ。

 その結果自分が死にかけている。ざまはない。

 ただ、ウルリカは。かつてはこんなふうに、誰かを助けたいと思うような人間ではなかったはずだ。

 いつからだろうな。ウルリカはぼんやりとする頭で考える。

 エリオットが言った通り。あの日、ウルリカの心は凍りついたのだろう。

 その心を融かしてくれたのが召喚術と言う希望だったのだろうか。

 

(違う……)


 幼いウルリカの瞳が見た〈春の女神〉の吐息は甘く優しくて、美しい魔法だった。

 それでも、ウルリカの冷たく閉ざされた氷を融かすには至らない。

 ウルリカがウルリカでいられたのは、気難しくて、不器用で、優しい養父がいたからだ。


(こんなときになって、そんな風に思うだなんて……)


「わか、……らな、い…………けど」


 ウルリカはゲホゲホと咳き込んだ。

 口の中いっぱいが血の味で満たされる。

 グラグラと揺れる視界で、幼い少年がウルリカの頬に手を伸ばした。

 彼の手のひらは……あたたかい、と思う。もう、自分の体温でさえわからないのに。

 ウルリカは目を細めた。


「し……ぬ、のっ……て、すご、く…………こわ、い……んだね………………」


 〈聖獣〉のこどもは目を見開いた。


(ああ)


 あの時は、凍っていた時は。何も怖いことなんてなかったのに。


「…………ま……だ、しに…………たく、………………ない、な………………」


 手の指先の感覚もだんだんと薄れてきた。

 でも、それなのに。どうして少年の手のひらはあたたかく、縋りたくなってしまうのだろう。


(〈春の女神〉が見せた、まぼろしのような…………)


 ウルリカは気づいた。彼の手から、あたたかく柔らかな力が流れ込んでいる。


(魔力…………分け与えてくれているんだ)


 〈聖獣〉である彼が、どんな思いでウルリカに魔力を注ぎ込んでいるかは知らない。

 無駄なのだ。ウルリカの傷では誰が見ても、助からない。魔力をどんなに注いだって意味がない。

 むしろ、このまま魔力を分け与えたら、彼の命だって危ういのに。ボロボロの躰なのに必死な顔をしてウルリカを助けようとする。

 ウルリカは彼の手から顔を離そうとした――でも、躰は言うことを聞かず、ぴくりとも動かない。


「に、ニンゲンっ……死にたくないなら、俺と……『メイヤク』しろっ!」


 ウルリカは今にも意識を手放してしまいそうだった。

 そのか細い糸を繋ぎ止めるのは幼い少年の魔力と、声だ。


(『盟約』……?)


 笑えれば、笑っていたと思う。

 名前も知らない〈聖獣〉のこどもは、ウルリカの事情も知らないだろう。

 魔力がなくて、あまつさえ死にかけているウルリカには、盟約なんて無理だ。

 ウルリカには今まで〈守護聖獣〉のひとりもいなかった。


(でも、もしそれが叶うなら…………)


 どんなに嬉しいことだろう。

 ハーヴェイが女王アリアーヌを語るたび、また惚気かと何でもない顔をしながら、心では彼らの関係を羨ましく思っていた。

 エリオットが自らの〈守護聖獣〉をねぎらうたび、同級生が〈守護聖獣〉に笑いかける姿を見ながら、ウルリカは彼らが羨ましくて仕方がなかったのだ。

 エリオットも、ハーヴェイも、ロドルフも、シュゼットも、優しいひと。

 でも、ウルリカの対等な友人にはなれない。なってほしくない。ウルリカの真の理解者にはなれないのだ。

 ウルリカの憎しみを知って、それでもウルリカの手を取ってくれる人は。

 ウルリカの願いを知って、ともに戦ってくれる人は。


(君は、あたしの理解者になってくれるの?)


 ウルリカの心の問いかけが聞こえるはずもないのに、いよいよ暗くなった視界の奥で、彼が頷く気配を感じる。


「俺は、あんたのユイイツになる、それが――『メイユウ』、だからっ」


 ウルリカの意識が遠くなる。意識を手放したその瞬間に、あたたかな風がウルリカの躰を包み込んだ。


 それはまるで、春を告げる風のようだった。


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