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おちこぼれ召喚術師と魔王の子  作者: 藤宮晴
一章 長い冬の終わり
15/48

【15】王女アリアーヌの宝剣

 『黒い門』から飛びだしたのは。ぼろ布を纏った小柄な体躯――ウルリカよりも年下の、八、九歳ほどのこどもに見える〈聖獣〉である。

 一見すれば人間のこどもだが、彼の背中に生えた薄い翅は、彼を獣たらしめる証だ。

 ガリガリに痩せた〈聖獣〉は裂傷だらけだ。ふらつきながらも、門から逃げるよう、細い脚で走ろうとする。

 その彼に続いて現れたのは、獅子型の〈聖獣〉だ。

 鬣は黒い炎のよう。巨大な体躯は、ウルリカの身丈を軽く超える。

 縄のような尾は、蛇が地を這うように不吉に蠢いていた。

 あの鋭利な爪で裂かれ、牙に噛みつかれたら最後、逃げ切ることは叶わないだろう。その躰は無傷。切り傷ひとつない。

 一般的に、人型をとる〈聖獣〉は上位種に値するといわれる、力の強い存在だ。

 その少年をはるかに凌ぐ獅子の〈聖獣〉は、いったいどれほどの力を身に秘めているのだろう。実地経験の乏しいウルリカには見当もつかなかった。

 〈聖獣〉のこどもは、石に足を取られたのか、転んでしまう。どうにか立ち上がろうとしながらも、せいぜい躰を起こすのが限界なのだろう。

 〈聖獣〉のこどもの長い前髪の隙間からは、金色の大きな瞳が見え隠れする。

 爛々と輝く瞳は、まだ戦意が挫けてはいない印だ。対峙する獅子の〈聖獣〉を射殺すかのように睨みつけていた。

 獅子の〈聖獣〉は獲物を狙うかのように、じりじりと距離を詰めていく。


「……だめっ!」


 気づけばウルリカはその場を飛び出していた。

 ウルリカの必死の声に気づいて、ふたりの獣の視線が集まる。

 少年の〈聖獣〉はひどく驚いた顔をして。

 獅子の〈聖獣〉も闖入者の姿に驚きで目を眇めつつ、綺麗に並んだ牙の隙間から、赤い舌をベロリと覗かせる。


「はっ。ニンゲンの若い娘が、甘美な餌に引き寄せられたか――なあ、〈黒杖の公爵〉よ」


 ザワザワと耳朶を擦るような獣の声に、ウルリカの背中を冷たい汗が滴った。

 ドクリ、と心臓が脈打つ。

 獅子の〈聖獣〉の威圧感に息が止まりそうだ。

 だが、今のウルリカは――別の恐怖に心を支配されていた。

 夜を塗り固めたような虚無から、すらりと長い脚が飛び出した。

 『黒い扉』と同じか、それ以上に黒い礼服を見に纏った〈聖獣〉が、優雅な所作で〈召喚の門〉を抜け出てきたのだ。

 新しく呼び出された〈聖獣〉は、人間と見紛う少年の姿。

 人間の身であれば、ウルリカと同じ頃か。面差しはまるで似ていないのに、どことなくハーヴェイと似た雰囲気を感じさせる。

 透き通る肌に、洗練された完璧な微笑み。つくりものめいた顔貌は、ぞっとするほどの美しさだ。

 夜闇に紛れてしまいそうな黒髪の隙間からは、黒くなめらかな角がふたつ、天に向かって伸びている。

 左手に持つは、片腕ほどの長さの黒杖だ。

 彼がコツコツと扉を叩くと、扉はスゥ、と煙が無散するように消え失せてしまった。

 ――〈聖獣〉が、〈召喚の門〉を消した。

 本来であれば考えられない行動に、ウルリカはただただ絶句するしかほかない。


「……ほう。迷い込んだのは、ニンゲンの小娘か?」


 黒い礼服の〈聖獣〉は、細い顎をツン、と持ち上げて呟く。

 それから、ジロジロと値踏みする視線をウルリカへと向けた。


「ニンゲンが至宝と呼ぶ獣が近くにいると聞いたが……どうにも別の存在が、この狩場に誘き出されてしまったようだな。〈老老獅子王〉」


 礼服の〈聖獣〉は獅子の〈聖獣〉――〈老老獅子王〉に楽しげに微笑みかける。


「この娘、なかなかに美味そうではないか。喰ってもよいか?」


 〈老老獅子王〉は獣の面を邪悪に歪ませる――笑っているのだろうか。


「見た目通り、獣らしいな、貴君は――」


 もどかしげな獅子を獣と揶揄した〈黒杖の公爵〉は、急に唇を閉ざすと、微笑みを消した。

 瞬間、目では追いきれない動きで跳躍する。

 続けて何かを断つような、迷いのない音が響いた。


「ぐおぉ……!」


 〈老老獅子王〉が低い咆哮を上げる。


(な、なに、何が起きたの!?)


 ウルリカが視線を彼の方へと向けると、異形の獅子の獣は苦悶に顔を歪めていた。

 その太い右脚はぱっくりと割かれ、赤黒い血がダラダラと流れだしている。咽かえる血の匂いが広がった。

 荒々しく呼吸をしながら、〈老老獅子王〉は悪態づく。


「……ふん、よいところで邪魔が入りおった」


「――内輪で盛り上がっているところに水を差して悪いな? 彼女は『撒き餌』でも、おまえさんたちのような穢れた獣の餌ではないぞ。それに……過保護な養父の元に無傷で届け返さなければ、わたしが殺されてしまうのだ」


「ハーヴィ、おじい、ちゃん……」


 ふわり、と重さを感じさせない動きで降りたった〈黒杖の公爵〉。

 彼と向かい合うウルリカの前に身を現したのは、王国の至宝――金色の〈聖獣〉ハーヴェイ・フラホルクだった。

 ハーヴェイはウルリカに視線を送ると、安心させるように、フニャリと気の抜けた笑みを浮かべた。


「助けに入るのが遅くなった。怖い思いをさせて、悪かったなぁ」


「ち、ちが……あ、あたしが、わる、う、あ……ご、めんなさい……」


 喉の奥を引き攣らせながら、ウルリカは精一杯、謝罪を口にする。

 元を辿れば、彼の制止を聞かず、先走ったウルリカが悪いのだ。

 それなのに、ウルリカを叱ることなく、「すまなかった」と申し訳なさそうに繰り返す。

 ハーヴェイは黄金色に淡く輝く剣を右手に掴んでいた。

 彼は普段から帯剣していない。

 魔法で作られた剣だろう。軽く振り払うと、血しぶきが光の粒とともに消える。

 その意匠はここが戦場ということも忘れて、思わず溜息がこぼれるほどに美しい。

 鳥の翼を模した鍔のきめ細やかさ。そして、切先に向かって緩やかな曲線を描く刃先の優美さといったら。

 しかし何よりもウルリカの目を引くのは、彼の凛とした佇まいだ。

 ウルリカは剣を携える彼の姿を視界におさめながら、彼のふたつ名を思い出していた。

 ――〈王女アリアーヌの宝剣〉。

 女王アリアーヌが召喚術師の見習いであり、まだ王女であった頃から従属の契りを交わした彼は、王女アリアーヌの前に立ち塞がり害なす獣は、総じてその黄金の剣で切り捨てていたという。


「ウ、ウルリカ殿っ! だだだ、大丈夫、れすかっ!」


 ヘナヘナとその場に崩れ落ちたウルリカの元に、兎の〈聖獣〉を抱いたロドルフがバタバタと駆け寄る。彼がこの危機を知らせてくれたのだろうか。


「あ、あのおっきな獅子の〈魔獣〉に、食べられちゃったかと、思いましたぁ……」


「い、一応、まだ生きて、ますっ……」


 ハーヴェイの後方には彼を護衛する召喚術師が二人。

 長い杖を構えて、〈黒杖の公爵〉を睥睨している。


「我らがともがら。美しく強い、竜の獣」


 〈黒杖の公爵〉は白い歯を見せて笑う。

 端麗な顔に浮かぶ無邪気な微笑みだけを見せられたら、友好的な〈聖獣〉に思える。

 だが、蕩けるような甘い声の裏には、隠しきれない殺気が滲んでいた。


「ニンゲン如きに飼いならされ、気高き魂を穢された竜よ。只の哀れな獣へと堕ちてしまったか?」


「ああ。折られた角で宝剣をこしらえたのだ」


 ハーヴェイは愛おしげに剣を撫でると、〈黒杖の公爵〉は不愉快そうに顔を歪めた。


「角を折られた竜など、ただの小鳥と何が違う? 羽をむしって、さらに自由を奪って差し上げようか。だが、今は命までは取らない。我々が今優先すべきは、あの幼い獣の王子様なのだから」


「幼い獣の王子様、か」


 ハーヴェイは視線だけを〈聖獣〉のこどもに向けた。


 〈聖獣〉のこどもは右腕を庇うように、荒い息を吐いている。


「何が目的か、申して見よ。悪しき獣たち」


 〈黒杖の公爵〉はハーヴェイの問いかけには答えず、薄く微笑み返す。

 彼は黒杖を振りかざすと、黒杖は彼の身の丈はある大鎌へとすげかわる。

 曲がる刀身はぬらぬらと怪しい光沢を帯びていた。

 ハーヴェイは嫣然と微笑みながら、柄を握りなおす。


「そうだな。戦場に言葉は必要ない。久方ぶりの戦に、腕が鳴る」


 現役を退いて、九百数十年。

 落ち着きのないふるまいや、突飛な行動は大胆に人々を驚かすけれど、彼は何物にも害成す存在ではなかった。

 殴り合いの喧嘩上等。力こそが最大の正義。

 口にはしても、人間や獣相手に手を出した姿をウルリカはこれまで一度も目にしたことはなかったのだ。

 噛みついた〈聖獣〉相手にさえ、無抵抗を貫いている。

 しかしそんな彼は、その嫋やかな体躯から想像がつかなくとも、かつては女王アリアーヌとともに、幾多という戦場を駆け抜けた偉大な戦士なのだという。

 それでも。


(ハーヴィおじいちゃんの、分が悪い……)


 ウルリカは不安で胸がいっぱいになる。

 ハーヴェイを援護する召喚術師は二人。

 しかし、彼らはハーヴェイの主人ではない。

 彼に魔力を送る効率は、通常時より著しく劣るのだ。

 この得体のしれない〈黒杖の公爵〉の主が、どの程度の実力を秘めた召喚術師であるか現時点では判断はつかない。

 それでも、主のいない〈聖獣と〉いる〈聖獣〉。

 どちらが強いかは考えるまでもなかった。


「わ、わっ、我が君。こっ、ここは、ぼぼぼ、ボクがっ、出ますっ……!」


 ウルリカに付き添っていたロドルフが、歯をガチガチと鳴らしながら言う。

 護衛の任務を果たすべく、情けなくも勇ましく名乗りを上げたのだろう。


「下がれ」


 しかしハーヴェイは〈黒杖の公爵〉と向き合ったまま、一蹴する。


「〈老老獅子王〉といったか。手負いの獣はわたしの相手にもならないが、あちらさんにはまだ手ごわい獣が一匹残っている。いくら剣の腕が優れようと、邪竜を相手に、人の子は容易く命を刈り取られるのだ」


「じゃ、邪竜ぅ……!?」


 ウルリカは顔を青ざめさせた。

 なんてことだ。そうそうお目にかかれる存在ではないと、つい先ほど聞いたばかりだと言うのに。


「し、しかし……」


 ロドルフは主の命令に困惑しつつも、なんとか食い下がる。

 ハーヴェイは駄々をこねるこどもに言い含めるよう、穏やかな語り口で言う。


「ロドルフ。むざむざと命を散らされたいのであれば、止めはしない」


「で、でもっ! ボッ、ボクの命は我が君のために……」


「しかし。わたしはロドルフ、友に死なれたくは、ないよ。だから、ウルリカを連れて逃げてくれないか?」


 ハーヴェイの懇願に、ロドルフはウロウロと視線をさまよわせて、唇を噛みしめた。

 ハーヴェイは黄金の剣に視線を落とすと、微笑みを深くする。

 その慈愛に満ちた表情は戦いの場にはひどくそぐわない。


「我が盟友アリアーヌ。君の愛した民を守るために、どうか今だけは力を貸しておくれ」


 彼は笑顔を消すと、〈黒杖の公爵〉に向かって風のように駆け出した。

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