【12】安心できる居場所
それからウルリカとハーヴェイ一行は、森の奥を目指して進んでいた。
ウルリカとハーヴェイの『撒き餌』は抜群に効果があった。
はぐれた〈聖獣〉たちの誘い出しは、次々に成功しているのだ。
「ヨーシヨシ。これで、九匹目になるか」
ハーヴェイは頭に小さな鳥を乗せながら、ほっそりとした指を折りつつ数えた。
小鳥は手のひらほどの大きさで、全体的に黄色い。
一見するとただの小鳥だが、これでも立派な〈聖獣〉である。
逃走防止のため、小鳥の細い足首には紐がくくりつけられ、紐はハーヴェイの人差し指へと繋がっていた。
ウルリカはハーヴェイの少し後ろを、彼を護衛する騎士と並んで歩いていた。
そこからさらに離れたところから、護衛の召喚術師が付いてくる。
距離を取っているのは、国宝様の護衛を務めるのは一等級の召喚術師だから。彼らの魔力に脅えて、か弱い〈聖獣〉は身を隠してしまう。
小鳥につつかれたり蹴られたりして、ぼさぼさに乱れた金髪の頭はまさに鳥の巣。これ以上ない豪華な寝床があるのかな、とウルリカがまんじりと眺めていると、隣に立つ騎士ロドルフが声を潜めて話しかけてくる。
「そっ、そのォ……」
ただでさえ元から小さい声が、ボソボソと小さい。ウルリカはほんの少し、彼に躰を傾けた。
「ウルリカ殿は捜索活動のつど我が君に捕まり、苦労されていますね……。我が君がいつも振り回してしまって、そのっ、すみません……」
内容的には我が君ことハーヴェイの非礼を詫びる類だ。
彼に聞こえないよう声を小さくしたらしい。ウルリカにはない殊勝さである。
ウルリカは返す言葉に悩んだ。
それを言うなら、護衛の任務以外にも捜索活動に付き合わせられる彼も大概だと思ったからだ。
(でも、それも含めて、護衛の任務の一貫かぁ……)
「それほどでも」と無難に答えると、ロドルフはほっとしたように笑った。
ロドルフ・バルビエはハーヴェイの騎士に叙任され、半年が経つ。
二十代半ばの、大柄で気の弱そうな青年だ。
女王アリアーヌの〈守護聖獣〉の護衛騎士と言えば聞こえがよく、非常に華々しい経歴であるのだが、その実情はだいぶ異なる。
何せ彼の護衛対象は自由の化身、あの国宝様なのだ。
あちこち好き勝手に徘徊し、護衛の騎士や召喚術師を巻いては何かと面倒後に首を突っ込みたがる。
そんな彼を監視し、「よそ様でウチの珍獣がご迷惑をおかけしておりませんよね?」と、時にはペコペコと頭を下げるのが、もはや彼らの仕事へとすり変わりつつある。
ウルリカはロドルフとは何度か顔を合わせているが、捜索活動の場で行動を共にするのは初めてだ。
彼は低い木の枝に引っかからないよう、長身をかがめて獣道を歩いている。
ロドルフは鬱蒼と茂る森を前にして、死地に赴く戦士さながらの切迫した表情で「ががが、頑張ります……!」と意気込んでいた。
森に踏み入る前に、ハーヴェイから「彼奴がいつまで持つか掛けないか?」とコッソリ話しかけられたが、「たいして持たない」と互いに解釈が一致したので、賭けは成立しなかった。
予想通り、蜘蛛や毛虫を見つけては青い顔で情けない悲鳴をあげ、茂みが揺れるたびにウルリカに抱きつく哀れな姿を見るたび、ウルリカはそもそも護衛の人選が間違っているのではないか……と思い始めていた。
もっとも後者は「いかにもお化けが出そうな森でワクワクするな!」と不安を煽ったハーヴェイにも問題があるのだが。
ちなみに舌の肥えた〈聖獣〉いわく、「彼奴の魔力は市販のクッキーと変わらん……」とのことで、正直『撒き餌』としての効力もいまひとつである。
ウルリカは地面に獣の足跡が残っていないか、注意深く探しながら口にした。
「苦労する分、報酬は悪くないですからね。捜索活動、ジャブジャブ稼げます」
シュゼットは基本給のほか、捕獲数に応じた報酬も上乗せしてくれる。
ハーヴェイと協力して捕獲した分は二等分。
それでも、基本給を含めた数は普通に稼ぐよりはるかに効率がよい。
浮きたつ気持ちを抑えきれずニヤァ、と笑みを浮かべると、ロドルフがオズオズと訊ねてくる。
「……いっ、以前から気になっていたのですが……、……ウルリカ殿はお金に困っているのですか?」
「えっ?」
「あっ、あっ、気を悪くさせたら、すみませんっ。そのォ……我が君はお金が好きですが、ウルリカ殿も同じくらい、執着しているように見えるので……?」
「……その勝負、あたしの負けでいいです」
「えっ? ウルリカ殿? な、なにかボク変なこと言いました? 顔は笑ってるのに、なんでちょっと、怒ってるんですか?」
「今日から〈強欲の獣〉の徒名は、あのオトボケ木の実通貨ジジイに引き渡します」
「な、何の話ですか?」
ロドルフはビクビクとしながら、恐る恐る口にする。
「えっと、ボク、ひとさまの家庭に口を挟める立場ではありませんが……、エリオット殿から不当な待遇を受けているのかな、って思っただけで……」
ロドルフの疑問に、ウルリカは小さく唸った。
ウルリカがお金に執着すればするほど、エリオットに風評被害が及んでしまうのか。
考えてみれば当然だ。宮廷召喚術師を辞しても、転職後は名門校で教鞭をとる彼は、世間が想像する通りの高給取りである。
支援を受けてはいないが、実家も太い。そんな彼の養女であれば本来、働く必要はまったくないのである。
最近はことさらお金の工面で頭にいっぱいになって、その方面にはちっとも気が回らなかった。
(……お金は欲しいけど、エリオットが悪く言われるのは嫌だなぁ)
「いえ、養父にはとてもよくしてもらっていますよ。ただたんに、あたしは欲しいものがあってお金を貯めているだけですから」
正確には、したいこと、だ。その詳細までを伝えるつもりはない。
ウルリカはニッコリと笑顔を作りなおしたあと、それとなく話題を逸らした。
「ところで、ほかの生徒は国宝様を手伝ってはくれないんですか? あたし以外に、姿を見かけることは稀ですけど」
ハーヴェイを信奉する人間は存外多い。
一部の例外はいるが、召喚術師にとっては崇拝の対象だ。
かつて偉大な召喚術師であった女王アリアーヌが唯一傍に置いた〈守護聖獣〉。その彼が声をかければ労働力には困るまい。
(〈守護聖獣〉が人間を指示するっていうのも、なんだかおかしな話だけど)
ウルリカの純粋な疑問に、ロドルフは少し、苦い表情を浮かべる。
「いっ、いえ……。皆さんは話を聞くと無償で対応すると申し出ます。しかし、そのォ、我が君はとてもなんというか……ひねくれて」
ロドルフはちらちらとハーヴェイに視線を送っては、ゴニョゴニョと声を小さくする。
ウルリカは爽やかな笑顔を作った。
「オホホ。ロドルフさんってばぁ。さっきから全っ然聞こえないので、もう少し大きな声で言ってあげてくれませんか? ひねくれて、で、続きは?」
ロドルフは委縮して、さらに声を小さくする。
「えっ、あうっ、すみませんっ……。わ、我が君は、人の行為を素直に受け取れない方なのです……。『信仰される神みたいな扱いは飽き飽きだ』と」
「ああ……」
柄じゃない、とぼやく彼の姿が容易に想像できる。ウルリカは頷いた。
「召喚術師は〈守護聖獣〉に対等な関係を求めますからね」
「は、はい……。〈聖獣〉であるあのお方は、一方的に甘受する立場を許せないのかも、しれません……。それよりも、きちんと代価を求めてくるウルリカ殿、あなたと捜索活動にあたるのが、精神的に向き合いやすいのだと思います……」
「なるほど」
「それに……」
はにかみながらロドルフは口にする。
「ウルリカ殿と一緒にいる、我が君は、楽しそうというか、生き生きとして見えます……」
それはそうだろうな、とウルリカは思った。
自惚れと言われるかもしれないが、ウルリカから見ても、そう見えてしまうのだ。
対等な存在である女王アリアーヌを失い、生きる伝説であるハーヴェイはフラホルクの民から信仰され、崇拝され、傅かれる存在となった。
自由を何よりも好む彼からすれば、なんと窮屈なことだろう。
そしてそれは、とても寂しい。
だからウルリカ以外にも、例えばエリオットなり、シュゼットなり、彼が等身大でいられる存在に出会えたら、彼は迷わず、鬱陶しいくらいに絡みにいく。
ウルリカにとって、ハーヴェイは自称老いた、変わり者の〈聖獣〉でしかない。
国のお宝ですと言わんばかりに澄ました顔をされたら、むしろ気持ちが悪いと感じてしまうだろう。
だから、ウルリカは彼を「ハーヴィおじいちゃん」と呼んでいる。
それは彼に逃げ場所を作ってあげたい、心の現れだ。
(ロドルフさんが、そういう存在になれるのは案外遠く、なさそうだな)
護衛する騎士にしてはおっとりとした笑顔を浮かべるロドルフから、見た目はおっとり系なのに行動がそぐわない彼の護衛対象へと視線を移しながら、ウルリカは「そうかもですね」と相槌を打った。




