第96話 囚われの姫達を救う一つのメソッド
《数分後――城門前》
長い階段を越えた先の巨大な建造物。ポール・マモナの城――遠目から見ても城だと分かるほどに大きかったのだ。改めて近くで見ると、圧倒されるような迫力がある。
クラリス奪還のために町中を駆け回ってきたヴィクターは、堂々と正面から乗り込むことを選んだ。こそこそ策を考えていて時間を無駄にするくらいなら、多少の危険は冒してでも直線コースで向かった方が早いと思ってのことだ。
――警備は思ったよりも手薄だな。兵士の配置が下手だというよりは……配置の仕方が分からない人間がそれっぽく置いただけのように見える。入るのには苦労しなさそうだね。
垂直にたたずむ城門の前には、微動だにしない置物のような兵士がたったの二人。開け放たれた門の左右に一人ずつが配置されているが――それだけだ。
ヴィクターがステッキ片手に近づいていくと、兵士達はようやく彼の方へと視線を向けた。とはいっても、兜自体はフルフェイスで顔全体が覆われているため、相手の様相までは分からない。
「お勤めご苦労。ここらで少し探し物をしていてね。おそらく城の中にあるはずなのだが……ここを通ってもいいだろうか」
「……」
そうヴィクターが問うても二人の兵士は何も言わない。否定も肯定もされないというのは、どうにも面倒な話である。
しかし彼が一歩前へと踏み出した瞬間――
「おっと! ……駄目なら駄目だと、最初から口で断りを入れてくれたらどうなのかね」
彼がとっさに避けたのは、頭上から降ってきた両刃の剣であった。兵士のうちの一人が剣を抜いたのだ。
相手は鎧を着た人間だ。あっちがその気であるのならば、少しくらい手荒にしたとて文句を言われる筋合いは無いだろう。
ヴィクターがステッキを持ち上げると、すかさずもう一人の兵士も腰の剣を抜いて構える。そして兵士達は大きく剣を振りかぶり――ヴィクターが違和感を覚えたのは、その時だった。
――なんだ、この動き……脇ががら空きで、上から切り落とす動作も大振りすぎる。踏み込みも甘いし、これじゃあまるで子供のごっこ遊びのような……
瞬間、横薙ぎに迫る剣をステッキで受け止めて、ヴィクターが目を見開いた。
軽い。鉄と鉄がぶつかり合っているはずの音すらも、中が空洞でできたプラスチック製のオモチャをぶつけたかのように軽くて。これではまるで――
「……なるほど、見せかけだけの模造品か!」
ヴィクターはそう確信するやいなや、ステッキを振り上げてのしかかっていた剣を弾き飛ばした。カラカラと地面に擦れて音を立てる剣には――凹みができている。
すかさず右方向からもう一本の剣が迫り来るが、今更刃を恐れて避ける必要は無い。彼はステッキを使って兵士の手元を叩き、剣をはたき落とすと、その背後へと回り込んだ。
「痛かったらすまない。少しの間眠っていてくれ」
あっさり得物を失ったところで、兵士達に慌てる様子は見当たらない。
ヴィクターが宝飾を兵士の後頭部に押し付けると――バチリ。杖先から赤い光が弾け、意識を失った兵士を彼は右腕で支える。
その隙を見て飛び掛ろうとしてきたもう一人の目の前にも宝飾を突き出せば、相手の兜越し――苺水晶から再び赤い光が弾けると共に、もう一人の兵士もその場にあえなく崩れ落ちた。
微弱な魔力を流し込んで気絶させただけだが、鎧越しでも存外に上手くいったらしい。人間相手は、この力加減がなんとも難しいのだ。
ほっとひと息ついたヴィクターは、改めて腕の中の兵士へと目を向けた。
「この軽さじゃあ鎧の方も鉄じゃないな。ずいぶんな粗悪品を着させられているみたいだが、どうしてそんなものを……」
そう言って、ヴィクターが兵士の頭から兜を外す。中から顔を現したのは――この場にはふさわしくない若い女だった。
彼はしばらく女の顔を見てなにか考えているようだったが、なにかに気がついたのか、彼女の腕から籠手を外してその綺麗で華奢な手指を持ち上げる。
――思った通り、素人どころかこれは剣すら握ったこともない人間の手だ。誰が作ったのか鎧がこんなにペラペラなのも、元々用意されていたサイズが合わずにこんな粗悪品に手を出すしかなかったのだろうね。
女を城門の端に寝かせ、もう一人の兵士も同じように確認をする。しかし結果はやはり……先程と同じく若い女。警備を任せるには、あまりにも頼りが無さすぎる。
――これが、連れ去られた女性達の行き先……いや、捨てられた先か。ならばなぜ、彼女達は逃げようとはしなかったんだ? 周りに監視の目は無いようだし、助けを求めるチャンスなんていくらでも……
その時、ヴィクターが思い返したのは初めてここに訪れた時。声を掛けても反応の無かった彼女達が、ヴィクターを侵入者であると認識した途端に襲いかかってきた時のことだ。
あれはまさに、そうするようにとプログラミングされたロボットのような行動だった。ましてや助けを求める声すら上げなかったということは、その意思が無いのか、はたまたそうすること自体ができない状況だったのだと考えられる。
では、そんな状況とはいったいなにか。
仮に話すことのできない理由が、逃げることのできない理由が……外ではなく彼女達自身にあったのだとしたら。彼女達自身に与えられたのだとしたら。それはすなわち――
「……そういうことか。連れ去られた花嫁候補はまず、城に捕らわれ婚姻を迫られる。断られれば次の候補を連れ込み、用済みとなった候補は家に帰すまでもなく手元に置いて人形遊びだなんて――本当に悪趣味だな」
ヴィクターが立ち上がり、足元に転がる剣に目を向ける。
精巧に作られた模造品の剣は、パッと見だけでは偽物だと分からない。
ここにいるのが剣も扱えぬ女性であることを知らなければ、切っ先を突きつけられたとて一般人には寡黙な兵士が威嚇をしているようにしか見えないだろう。
――仮にあの豚王が他人を洗脳する魔法を使うのだとすれば……元々配属されていた兵士や使用人は追い出されている可能性が高いな。となると中にいるのは洗脳された一般の女性達……
「なら、手荒なことはできないね」
そう言って、城門をくぐり抜けると同時にヴィクターが指を弾いた。
彼の足元に藍色と橙色の火花が混ざった花火が咲き、煙の中から愉快な和音が鳴り響く。
『――ぷぁ?』
煙が晴れた先に現れたのは――一匹の猫だった。
しかし猫は猫でも身体を覆うのはふかふかの毛皮なんかではなく、鈍い輝きを帯びた鋼の板。錆色の皮膚に黒いペイントがキジトラ風の模様となっていて……いや、特筆すべきはそんなところではない。
そのブリキの猫は、大きく広げた口の中にハーモニカを詰め込んでいるのだ。
先日ヴィクター達が訪れたパルデでは顔の中心から腕を生やした渦男なんてものがいたが、こちらは猫である上に笑顔を浮かべたかのような愛らしさが残っている。
ブリキ猫は歩く度にカシャカシャぷわぷわ音を立てて、主であるヴィクターの足へと擦り寄っていった。
「うん。プレートは問題なし。調律の必要は無いみたいだ。今回は頼りにしてるからね」
『ぷぁっ、ぷぁ!』
少し屈んで額を撫でてやれば、ブリキ猫は嬉しそうにハーモニカを吹き鳴らした。
ヴィクターが城を見上げると、先程の詫びのつもりだろうか。最上階のベランダの欄干に止まったカラスと目が合った。おそらくクラリスがいるのはあの辺りということなのだろう。
――ふん。わざわざ教えられなくたって、最初から上には向かうつもりだったよ。
もちろんそこにクラリスがいる確証なんてものはなかったが、それでもヴィクターはそこを目指すつもりでいた。
なにせ――囚われのお姫様の奪還をする決戦は最上階であると、昔から相場が決まっているのだ。




