第89話 実にくだらなくて、馬鹿馬鹿しくて、ふしだらな!
花嫁探し――言葉だけ聞けば、大層楽しそうな催し物だ。
しかし、そうは聞いてもこの場において愉快そうに笑っている者は誰一人としておらず、冷えきった空気が店内を包み込む。
――なにが花嫁探しだ。あんなもの……奴隷市場で値踏みをする、何百年も前の金を持て余した富裕層と同じ目じゃないか。ましてやワタシのクラリスにそんな目を向けるだなんて……
体の内側を駆け巡る怒りを落ち着けるべく、ヴィクターは目を閉じて大きく深呼吸をする。
もちろんそんなもので気持ちが鎮まることは無かったが、心配そうに彼を見上げるクラリスの視線に気がついてしまえば無視することはできない。
今考えなければならないことは、事態の詳細を知ること。その上でクラリスへ危害が及ぶかどうかの判断を下すことだ。
「……それで、店主。その花嫁探しとかいう実に馬鹿馬鹿しい催しについてだが……そもそもその話は本当なのかね」
「もちろん本当だ」
そう言って店主の男は、壁に掛かっている写真に目を向けた。
飾ってあるのはいたって普通の写真。そこに写るのは、彼と――その隣で微笑む、店主と同じ黒髪の女性。
「なにせこの俺、ジェイク・アーキンの妻であるマリーは……花嫁候補として、あのポール・マモナの城に軟禁されているんだからな」
「軟禁、ですか……?」
「ああ。あの王様は、遠征やパレードと称して町に降りて下見をしては、気に入った女を攫っていっちまうんだよ。何人も何人も、自分の花嫁候補だって言ってな」
「攫うだなんて、そんな……」
クラリスはショックを受けた様子でジェイクを――そして、写真の中で微笑むマリーの姿を見た。
彼は、自分の愛する妻が一人の国王の私利私欲のために連れ去られたのだと、そう言ったのだ。いくら王とはいえ、そのように身勝手なことが許されて本当にいいのだろうか。
「ある日突然、あの行進が始まったかと思えば……若い女達は逃げる間もなく城に連れて行かれちまった。何度もマリーを返すよう抗議しにいったが、どれだけ粘っても門前払いでな。これ以上邪魔をするなら店もただじゃおかないとよ。だから残された俺達はこうして家族の無事を祈りながら、ただこの花嫁探しとやらが終わるのを待つことしかできないのさ」
そう語るジェイクの表情には、疲れが滲んでいた。
彼の話から考えれば、きっとマリーと同じ境遇の人間は多くいるのだろう。あの路上で泣きじゃくる子供だって、連れていかれた母親のことを思い出して泣いていたのかもしれない。
――いくら王様だからって、やっていいことと悪いことがある。人の家族を……幸せを奪うだなんて、誰であろうとそんなことは絶対許せない。
クラリスの口元が、ぎゅっと結ばれる。
自分の大事な家族が囚われているというのは、すなわち人質にされているのと同然だ。それが分かった上でなにもできないジェイクの気持ちを考えると、胸が苦しくなってくる。
「……店主。二つほど、質問をしてもいいだろうか」
「なんだ?」
「一つはこの町についてだ。城があったり石畳が敷かれていたりと、ここは都会とは違って昔ながらの町並みをそのままに保っているように見えるが……これは、現代においてまでポールとやらの王政が横行していることと、なにか関係はあるのかね」
クラリスとは対照的に、ようやく少しの冷静さを取り戻したヴィクターがジェイクに問いかける。
町の景観については、ヴィクター自身気になっていたことだ。どこか懐かしさを感じる建物は、どれもが趣深いものであると同時に古典的な様式すらも感じさせる。
もし今までも、ポールと同じように王への権力が集中している流行ではない様式をこの町が取っていたのならば――正直、今回の件は仕方のないことだ。なにせそんな横暴を止める意思が民衆に無かった上で、招かれるべくして招かれた事件だったのだから。
しかしジェイクは首を横に振ると、昔を懐かしむような、寂しく思うような。そんな眼差しを外へと向ける。
ガラス越しに人通りが戻った大通り。先程までうずくまって泣いていたはずの子供は、もうそこにはいなかった。
「……いいや。このマモナ国は見た目こそ昔ながらの町並みだが、これは観光地だからというのが大きい。俺達は長年、この古めかしさを売りにしているのさ。むしろポールがあんな暴君になっちまったのは、先代の王が死んでからすぐの二ヶ月前……そう、それこそ政治を取り仕切っていた権力者達の家族が連れ去られてからだ」
「なるほど……思っていたよりも最近の出来事なのだね。するとジェイクくんの話から察するに、それまで象徴的なだけだったはずの王が、世代交代すると共に権力を奪い取った……ということか」
ヴィクターはそう言って、隣のクラリスの様子をうかがう。
胸の前で両手を握ったままの彼女は、苦しげな表情を浮かべながらも真剣に二人の話を聞いていた。きっと連れ去られた女達のことを想いながら、自分の置かれた状況を重ねているのだろう。
だから彼女の不安を少しでも取り除くため……そしてこれからどう行動すべきなのかを探るために、ヴィクターは聞きたかったもう一つの質問をジェイクに問うことにした。
「それじゃあ二つ目の質問をさせてくれ。あのポールとかいう王が、人を攫いに来るというまで……我々に残された猶予は、あとどれくらいあるのかね」
「俺からはなんとも言えないな。今言ったみたいに、最初は突然だったからすぐといえばすぐ……だが、行進があって一週間も経ってから、家に兵士達が来て連れ去られた人がいたなんて話も聞いた。家族が捕まっている俺達は動くことはできないが、君達は外から来た旅人だろう? なら、まだ逃げるチャンスはあるはずだ」
そんな会話をしたのを最後に、ヴィクター達はジェイクの店を後にした。
向かうのは、町の入口ともなっていた巨大な跳ね橋。わずかに日は陰りはじめ、気の早い店は既に店仕舞いの準備を進めている。
通りを歩く観光客の中には、たった今訪れたばかりなのか目を輝かせてショッピングや買い食いに勤しんでいる者もいた。それこそ何も知らなかった少し前のクラリスと、同じように。
「ねぇヴィクター……もしもジェイクさんの話が全部本当なら、私達でみんなにここを離れるように言って回った方がいいのかな。あんな話を聞いておいて、見過ごすだなんて……」
「……クラリスの言いたいことは分かるよ。だが……あまり勧めたくはないね。それは町の人間達にとっては、余計なお節介となりかねるからだ」
「お節介?」
「ああ。もしそうした方がいいという意識が町の人間達の中にもあるのなら、我々が訪れた時点で追い返していたはずだ。そうしなかったのは……まぁ、ここが観光地で、主な収入源が観光に訪れた外からの客だからと考えるのが自然だろうね。彼らは離れ離れとなった家族の身を案じると同時に、家を守らなければならない。外から来た人間のことまでは気にかけていられない状況……というわけなのだろう」
だから、これ以上首を突っ込むことは野暮なのだと。ヴィクターはそう言いたいのだろう。
「それじゃあ、私達は黙ってここを去ることしかできないってこと……なの?」
「他人の国の内情まで口出しするわけにもいかないし、残念だがそういうことになるね。……だいたい」
ヴィクターが鼻先でふっと笑う。
その一瞬の反応を見て、クラリスは経験上この話がこれから脱線するのだろうということを察した。答えはもちろん――正解だ。
「ジェイクくんの言っていた花嫁候補とは、なんなのだね? いくら見た目が醜悪であろうと、男ならば生涯愛する女性はただの一人でいいはずだ! まったくワタシを見習ってほしいものだね。こんなにも一途にクラリスを想っている人間は、世界中探し回ってもワタシが一番に決まっている。そう。二番との差に越えられない壁をつくっての一番だ。それに比べてあの豚王は、権力を利用して女漁りまがいのことなど――」
その時。実に饒舌に演説を繰り広げていたヴィクターの口がピタリと止まった。同時に歩みも止まって、クラリスは不思議そうに彼の顔を――そして、目の前に立ち塞がるそれを見て、思わず口を開いた。
「なんで……橋が、上がってるの……?」
今ならまだ逃げ出せる――そんな考えは甘かった。
二人が入国のために通ってきた正門のそのまた向こう。あの大きな跳ね橋は役目を放棄し、今や頭を上げた頑丈な扉という新しい役目を担っている。
塀にピッタリと収まる巨大な木の板は、どれだけ押しても引いても人の力では動かすこともできないだろう。
軟禁だなんて生ぬるい。
今や、このマモナ国に残された人間達は監禁されてしまったも同然。
呆然としてこの光景を見ることしかできないクラリス達を、塀の上から見ていたのは一羽のカラス。嘲るような笑い声を上げた黒鳥は、小さな子供程の大きさもある翼を広げては――遠く、ポール・マモナの城へと飛び去って行くのだった。




