第84話 こんな役回り、納得いかない!
《数日後――パルデ・仮診療所》
クラリス達の姿は、いまだにパルデにあった。アリスタのお願いで、一度渦男に顔を奪われてしまった人々の診察の手伝いをしていたのだ。
幸いなことに大事にいたるような人は一人もおらず、ついに最後の一人の診察を終えたところで――アリスタは大きく息を吐き出した。
「はああ……ようやく終わったぁ……」
「おつかれさまです、アリスタさん。皆さん元気そうで良かったですね」
「そうだね。本当に良かったよ。それと……ありがとう、クラリスちゃん。ごめんね? 何日もこうして手伝わせちゃって」
椅子にかけたままのアリスタは申し訳なさそうにそう言って、後ろに立っていたクラリスへと目を向けた。
彼女の腕には、もうあの赤く腫れ上がった手形は残っていない。
対するアリスタの瞳もまだ黒いモヤが掛かってはいたものの、最初にクラリス達が会った時と同じ灰白色へと少しずつ戻りはじめていた。
「私は全然! むしろ貴重な体験をさせてもらったというか……ナースさんって、小さい頃に憧れていたので。真似っこでも、こうしてお手伝いができて楽しかったです」
そうクラリスが言うと同時に、部屋のドアがノックされた。
まだ診察が終わっていない人がいたのだろうかと二人はつい背筋を伸ばしたが、わずかな間の後に入室してきたのはヴィクターだった。
彼はヨタヨタと壁伝いに歩いては、無人となっていた診察用のベッドへとダイブする。急な来客にベッドのスプリングは悲鳴を上げて、浅い揺れを繰り返してからようやく静かになった。
「えーっと……おつかれさま、ヴィクター。患者さんの案内ありがとう。その……大変だったでしょ?」
「……もう絶対やらない」
クラリスからの労いの言葉にヴィクターはそれだけ返すと、顔だけを横に向けて恨めしげな視線をアリスタに送った。
この仮診療所はヴィクターの魔法によって一時的に作られたもので、診察用の道具やこのベッドにいたるまで、彼が町の診療所からわざわざ借りてきたものだ。
――場所も道具も用意したのはワタシだというのに、どうしてクラリスと一緒に仕事をしているのがこの男なのかね。別にただ診るくらいならワタシにだって……
もちろん本業の人間が優先されるというのは分かってはいるが、ならばアリスタだけで診察すればいいという話ではないのだろうか。
おかげで一人外で診察の順番を待つ人々の相手をしていたヴィクターは、慣れないコミュニケーションの連続にすっかり疲弊しきっていた。
特にキツかったのはご婦人達の相手である。
見た目だけとはいえ、若い男など久方ぶりだったのだろう。あれやこれやと浴びせられる、質問攻めやら昔話のオンパレードにすっかり怯えきっていた姿など、到底クラリスには見せられやしない。……そう考えれば、むしろ一人でよかったのだろうか。
「すっかりお疲れモードみたいだね。でもヴィクターくんのおかげで、こうしてスムーズに診察を終えることができたよ。本当にありがとう」
「……ふん。別にキミに褒められたってなにも……」
恨めしげな視線をものともしないアリスタが礼を述べても、ヴィクターは拗ねたままだった。
しかし彼はなにか言いたげな様子でクラリスへ目を向けると、不思議そうに小首を傾げる彼女に向けて、ずいと頭を差し出した。しかしそれだけされても、困るのはクラリスの方である。
「ん」
「ん? ヴィクター、それだけじゃなにも分からな……ああ、もしかしてこれのこと?」
最初はヴィクターの行動の意図が分からなかったクラリスであったが、ひとつだけ思い当たることがあり――差し出した右手を、ふわふわと柔らかな髪質の彼の頭へと乗せた。
結果はどうやら、正解だったらしい。
「はいはい、今回もよく頑張ったわね。えらいえらい」
「ふふっ」
そうクラリスに頭を撫でられると満足したのか、ヴィクターはポコポコと肩周りに小さな喜びの花火を咲かせながら、枕に顔をうずめてしまった。頭を撫でてもらえたこの喜びを、じっくりと噛み締めているのだろう。
スモーアでの事件を解決をした際にクラリスが思った通り。どうやら彼はこうして物理的に褒められることに味をしめてしまったらしい。
「あははっ! どうやらヴィクターくんにはこれが一番の薬になったみたいだね」
「私としては、大きい犬か子供でも相手にしている気分です……」
恥ずかしさ混じりにクラリスがそう言葉を返す。
あのヴィクターの不思議な体質の花火にはアリスタも興味を持ったのか、手をかざしては熱を感じないそれに首を捻っている。魔法専門の医者とはいえど、なかなか分からないこともあるようだ。
「そういえば、アリスタさん。今回捕まえた魔導士って……この町の町長さんだったんですよね? あの人は今……」
「彼ならあのままの状態で待ってもらってるところだよ。治療してあげられないのは心苦しいけれど……一度サントルヴィルまで連れて行って、魔法局に引き渡そうと思うんだ」
「魔法局に?」
クラリスがそう反復して尋ねると、アリスタはゆっくりと頷いた。
「幸いにも役場の電話は生きていたから、魔法局に対応を仰いだんだ。そうしたら、迎えを出すから連れてきてほしいって。最近は今回みたいな魔導士による事件が増えてきてるから……きっと彼がなにか情報を持っていないか聞いてみるんだと思う。だから後のことはこっちに任せてもらっていいよ」
「分かりました。それじゃあ……アリスタさんはまだパルデに残るつもりで?」
「うん。しばらくはね。クラリスちゃん達はそろそろ旅立つんだよね。ホテルの爆発の件も、見逃してもらえたって聞いたけど……」
そう、思い返せば数日前。
渦男達の襲撃から逃げるためだったとはいえ、ホテルの天井を破壊して逃げ回っていたのは当のクラリス達――いや、ヴィクターに他ならない。
本来であれば床に頭を擦り付けてでも謝らないといけないのであるが、町の危機を救ってくれたのだからと、ホテルの支配人はそれは広い心で彼女達の罪を許してくれたのだ。
「なんというか、申し訳なさでいっぱいって感じです。オマケに無事だった部屋まで使わせてもらっちゃって……三日後のバスで離れようかと思っていたので、それまで瓦礫の撤去とか、できる限りのお手伝いはするつもりです」
「そうなんだ。それなら俺も手伝うよ。診察も終わって手持ち無沙汰になっちゃったからね。二人の役に立てるのならいくらでも――」
「アリスタくん! キミはまだこれ以上クラリスの好感度を上げようとするつもりなのかね! キミにはできないかもしれないがね……ワタシなんて、やろうと思えば一瞬で瓦礫の撤去くらいできるのだよ!」
アリスタの言葉を遮って、そう大声を上げたのはヴィクターだった。また眠ってしまったのかと思っていたが、どうやらちゃっかり聞き耳を立てて話を聞いていたらしい。
もちろん彼の言う好感度なんて、アリスタにはまったくそんなつもりなど無かったのだが……その焦って張り合おうとするヴィクターの表情がなんとも面白くて。クラリスとアリスタはまた顔を見合せて吹き出してしまった。
それを見たヴィクターの機嫌がまた損なわれてしまったことなど、言うまでもない。
成り代わりの町、パルデ。ここ最近噂されていた、人々が突然町に移住を決めてしまうという奇妙な事件は無事に幕が下ろされた。
しかし町の課題はまだ解決されたわけではなく、続く過疎化や今回できてしまった悪いイメージを払拭するため、住民達は新たな課題へと立ち向かうこととなるのだろう。
そんなこの町が発展を遂げて――子供達の笑顔が咲き誇る『再生を果たしたニュータウン』として、テレビで紹介されるのをクラリスが目にするのは……今はまだ、先のお話し。
第1部 第4章『成り代わりの町』――完




