第81話 『渦男』、他人の皮を求める自我の無い傀儡達
硝煙が揺らめく煙の幕の向こう。きな臭く鼻を突く匂いは何が燃えたものなのか。
ヴィクターは表情も変えぬままにステッキを振り上げると、横に薙いでは追従する風の圧力で煙を吹き飛ばした。
「……面倒だな。単調な動きしかしないものかと思っていたが……主人の前では、空っぽの脳みそを使うこともできるのか」
そうぼやいた彼の視線の先――クリアになった視界に現れたのは、今の爆発の衝撃をまるでものともしない渦男達の姿。
アレの正体が中身に綿の詰まった傀儡であることは確認済みだ。なにも頑丈な身体に堪えなかったわけでも、幽霊よろしく攻撃がすり抜けたわけでもない。
原因は、あの巨大な手のひら。直前に何体もの渦男達から這い出た丸太のごとき黒腕が集まり、爆発の衝撃からアレらの身を守ったのだ。
これに気分を良くしたのはサイラスだ。
「は……ははは! 大口を叩くものだから、一体どんなことをするのかと思えば……まるで歯が立たないとはこのことじゃないか!」
「……」
「どうした。 言い返すこともできないのか? それならさっさと諦めて投降するといい。ああ……お前のような若くて働き手となる男を私は求めていたんだ。それにさっき逃げた男と女も合わせれば……申し分ない。この最高の魔法使い様から与えられた魔法さえあれば! 町は昔のように豊かな姿を取り戻すことができる!」
なにも言わぬヴィクターを前に、サイラスはそう勝ち誇った笑みを浮かべて大仰に両腕を広げて演説を続ける。
「さあ、諦めたのなら大人しくしていろ。大丈夫、顔が無くても生きてはいける。目も、耳も、鼻も口も無くたって私は全ての住民を愛そう! もちろん本来は生身の人間の方が表に出た方が良いに決まっているが、彼らは非情にも町を出ていってしまうからね。私だけの言うことを聞く傀儡達が成り代わりさえすれば、もう誰にも廃れた町とは言わせ――」
刹那、話も途中にサイラスの右頬をなにかが掠めた。そして間髪入れずに上がる、破裂音に混ざった固いものが抉れる鈍い音。
口を閉じることも忘れた彼が恐る恐る音の先に目を向ければ――粉々になった大岩が、そこには無惨にも転がっていた。
「ひっ……」
「考え中だ。少し黙っていたまえ。それと……勘違いしていそうだから訂正しておくけれど。これでもキミよりワタシの方が遥かに年上だよ。小心者」
そう言い捨てたヴィクターの杖先は、まるで次はお前だとでも言うかのように、今度こそサイラスへと向けられていた。
しかしそんな凶器を向けられた人間が冷静でいられるはずもない。
自分の頬に手を当てて、流れる血を見たサイラスの顔がみるみるうちに青くなり――すぐに焦りと怒りが入り交じった赤に染まっていく。
「な、なにを寝ぼけたことを……ええいもういい! お前達、早くコイツをどうにかしろ!」
魔力が強く長命な魔法使いは、見た目と年齢が必ずしも一致するわけではないということを、この男は知らないのだろう。
サイラスが直接号令を放つと同時に、ヴィクターの背後で渦男達が再びあの気味の悪い合唱を始めた。そして――
「ッ――この、今は考え中だと言ったばかりだろう!」
覆い被さる黒い影。頭上から降ってきた巨大な手のひらを避けて、息つく間もなくヴィクターが駆け出した。
クラリスとアリスタの話を聞く限り、あの渦の中から伸びた手に顔を触れられることを条件として成り代わりは発生するらしい。となれば、第一に気をつけるべきはあの手に捕まること。第二に気をつけるべきは――
――うっかり魔導士を殺さないようにしないといけないな。おそらく無力化すれば、この傀儡達も停止するとは思うが……アレはまだ魔力に侵されきっていない、魔法が使えるだけのただの人間だ。殺ったほうが早いのは間違いないにしても……クラリスからの心象が悪くなるのだけはごめんだからね。
彼を囲もうとする渦男の数は軽く数えて三十体程度。対して自軍は一人。この数ならば――問題なく対処できる。
「どうせワタシも彼も、ここから出られやしないんだ。まずは厄介者の数減らしといこうか」
横殴りに迫る、丸太のごとき黒腕。ヴィクターは右足を引いた低い前傾姿勢でそれを躱すと、前方へ向けて杖先の苺水晶を突き出した。
鍾乳石から零れ落ちた水滴が、白い煙を上げる宝飾へと垂れてはじゅわりと音を立てて蒸発する。その直線上に観測できる敵の数はたったの一体。
――また守りの姿勢に入られると厄介だ。広範囲への攻撃で威力を落とすくらいなら……確実に仕留めていった方が早いな。
片目を瞑って照準を合わせ――カチリ。ヴィクターの目が見開かれた。
「――そこ」
ヴィクターの口がそう呟いたのと同時に、杖先から伸びた白く細い光が直線上の渦男を捉え――刹那。魔力が増幅し、熱をもつ。
すかさず渦から伸びた巨大な手のひらが、光を遮るように立ち塞がったが既に脅威ではない。
先程岩を削った時よりも熱く、そして明るい光線が。突き出された渦男の分厚い手のひらを焼き切り、その先にある化け物の綿の詰まった柔らかい身体を貫いたのだ。
『オ、オオォ……!』
「ついでだ。そのままキミの身体、利用させてもらうよ」
ヴィクターが立ち上がってステッキを引くと同時に、光線は収束――否、それは徐々にか細くなりながらも、渦男の貫かれた体内へと吸い込まれていく。
その間もわらわらと集まり来る他の渦男達の姿は、まるでわずかな光源へと集る虫のようである。
――勝手に集まってくれるなら都合がいい。
仕込みは上々。そしてヴィクターが石突きを地面へと打ち付けた、まさにその瞬間――雷が落ちたかのように弾ける、閃光と、轟音。
あのヴィクターの魔力そのものを体内に蓄えていた渦男の身体が、膨張し、鍾乳洞を揺るがす大爆発を引き起こしたのだ。
「BOOM!」
彼がそう言い放つと共に爆発の衝撃と熱風は岩をも砕き、周囲の渦男達に守りの姿勢をとらせる暇もなく飲み込んでは全身を焼き尽くしていく。
鼻につく、なにかが焼けたきな臭い匂い。
ついさっき嗅いだものと寸分たりとも変わらぬこの匂いが、渦男達の身体が焼け焦げた匂いであると分かったのは大きな発見だ。これが気になって夜に眠れなくなるということも、きっと無くなる。
「あっはは! いいね。思った以上によく燃えるじゃないか!」
巻き込めた数は、目視で十体近くだろうか。
どうせ相手は人でも魔獣でもない、中身に綿が詰め込まれた傀儡人形にすぎないのだ。ましてやこの場所がパルデの役場とはいえ、実際はまるで無関係な別の空間であるのだとすれば――
「人様の迷惑を考えず、遠慮しなくていいのは楽でいいね」
そう言った直後、ヴィクターの視界の両端から迫る影。
それが爆発に巻き込まれずに済んだ渦男達の黒腕であると気がつく前に、彼の体は先に動きはじめていた。
苺水晶を地面に突き刺し、爆風伴う魔力を解き放つ。その衝撃で、ヴィクターの全身は空中へ。
間もなく、それまで彼のいた場所では、左右から迫っていた渦男の手のひら同士がぶつかり合って破裂音を響かせていた。虫を潰すかのように遠慮の無い行動は、まさしく人ならざるものの行動のお手本のようである。
重力に引かれるがまま、ヴィクターが合わさった手のひらの上へと着地したのは、それからすぐのことだった。
「これはもう、ワタシの顔を奪うどころか殺しに来ていないかね。こんなものに潰されちゃあ、せっかくのハンサムフェイスが台無しになる」
杖先の宝飾が渦男――正確には二体の渦男の黒腕に触れ、パチリと音を立てる。
瞬間、人間であれば指先から電流を通されたかのように小さな違和感が、黒腕を伝って渦男達の顔の中心へと流れた。そして――
「これで、二体」
ヴィクターが呟くと同時に、指を弾く。直後に黒腕の先で響く――轟音。
彼の後ろでこの光景を目の当たりにしていたサイラスは、さぞや絶望したことだろう。なにせ戦うことのできない自分の代わりである優秀な傀儡達が、またもや目の前で爆破されたのだ。
思わず一歩後ずさったサイラスの足元で、砂利が擦れて音を立てる。そのわずかな物音を、ヴィクターが聞き逃すはずもなかった。
「そろそろ降参するかね。サイラスくん。キミの願いが町の復興……すなわち自分に都合のいい、見せかけの町を作り出すことが目的であるとすれば、残念にもその目論見はここまでだ。どれだけキミがアレらを呼び出そうが、ワタシには敵わない。今のを見て分かっただろう」
「そ、それはまだ――」
「率直に言おう。キミがその最高の魔法使い様とやらに与えられた魔力を行使し続け、蝕まれて死ぬ前に身を引けと。そう言っているのだよ。二度もワタシのクラリスに夢見の悪い思いをさせるつもりかね、キミは」
そうヴィクターが告げる先。いよいよ追い詰められたサイラスは、焦燥感に顔を引きつらせながらも、逃げるわけでもなくヴィクターを――いや、その後ろの渦男達へと目を向ける。
彼の表情が再び勝ち誇ったものに変わるまで、きっと数秒もかからなかった。
「降参? 降参するのはお前の方だ、魔法使い。なにせ……私の忠実な傀儡達に背中を見せた時点で、お前の敗北は決まっていたんだからなぁ!」
サイラスが言い放つと共に、ヴィクターの背後で生き残りの渦男達が一斉に黒腕を放出する。
――さあ、これでお前も町の一部となるんだ!
無数の黒腕がヴィクターの背後、そして左右から襲いかかる。
その指先がまさに彼を掴みあげようとした次の瞬間――この短時間で聞き慣れた破裂音。
「なっ……また飛んだだと!?」
そう声を漏らしたサイラスの見上げた先、ヴィクターの姿は空中にあった。
やることはいつもと変わりない。先程と同じように、ただ魔力を地面へと放った衝撃で飛び上がっただけ。
しかしそれが同時に自分の逃げ場を無くしてしまう行為だと、サイラスが気づかぬはずもない。
「馬鹿め! 空中に逃げようが、その手はしつこくお前を追い続けるぞ! 自分から捕まりに行くだなんて、愚か者がするこ――あ、えっ?」
そんな間抜けな声を上げた彼の口は、ぽかんと開いたまま塞がることがなかった。なにせたった今まで見上げていたはずのヴィクターの姿が、もうひとつの破裂音を境にサイラスの後ろへと移動していたのだ。
もちろん瞬間移動をしたわけでも、分身したわけでもない。原理はヴィクターが飛び上がった時と同じく、空中で放った衝撃を移動に利用しただけ。
これはあくまで、凡人のサイラスには予想できなかった動き。そして見えてはいなかっただけの話なのだ。
「愚か者……それは自己紹介のつもりかね。サイラスくん」
「ッ!」
すぐ後ろから聞こえた声に、サイラスが振り向く。
彼と目が合ったヴィクターはにこりと微笑むと、ステッキを持っていない右手で上を指さした。
「ほら。ワタシではなく、上を見たまえ」
「う、うえ……?」
ヴィクターに言われるがままにサイラスが天井へ目を向け――彼は絶句した。
そこにあったのは、一面の黒。ヴィクターを追っていた渦男達の無数の黒腕が、滝のごとく彼ら目掛けて降り注いできていたのだ。
「や、やめろ……来るな、来るな……」
その距離わずか数メートル。いくら傀儡を操る魔導士本人とはいえど、今更この勢いを止めることなんてできやしない。
ようやく喉から絞り出たサイラスの声は、実にか細く、それでいて惨めと思えるほどに震えてしまっていた。そして――
「んー……この辺がギリギリかな」
そんなことを口にしたヴィクターが、長い足を活かしてひょいと後ろへ下がった。
つまり。衝突間もなくの黒腕の射程圏内に残っているのはサイラス一人だけ。そのことに気がついた彼の間抜け面は、最近ヴィクターが見たどんな映画のコメディシーンよりも滑稽なものだった。
「や、やめろ……やめろおおおッ!」
静止しようにももう遅い。
そんなサイラスの叫びも虚しく、彼に向けて降り注ぐ傀儡達の手指は、ようやく捕らえた獲物の輪郭へと次々に伸びていき――静寂。
最後にこの場に残ったのは嘘のような静けさ。そして、取り残されたのは三つの人影だけだった。




