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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第4章『成り代わりの町』
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第77話 扉をくぐって綿人形の巣窟へ

《数十分後》


 町は、今や不気味なほどに静まり返っていた。

 診療所を離れて建物の陰に隠れ、路地を通り、誰にも遭遇しないことを祈りながら移動を繰り返す。


 これでは月明かりが頼りなだけの、まさに暗闇の中だ。

 正面の曲がり角や家の窓、そして背後にいたるまで。もしもあの気味の悪い笑顔を浮かべた住民達がこちらを見ていたらと想像するだけで、クラリスの足は今にも震えて動けなくなってしまいそうだった。



「……見えた。あそこが役場だよ」



 先導していたアリスタの声を聞いて、クラリスは彼の後ろから顔を覗かせた。その後ろのヴィクターも、ようやく冴えた目で前方にある大きな施設へと目を向ける。

 

 特別建物に怪しい雰囲気は無い。

 白い壁は年季が入って薄汚れており、駐車場に引かれた白線はほとんどが消えて掠れている。花壇に咲いた花々は萎れてしまっていて……きっと、まともな人間がいなくなってからはロクな手入れがされなくなってしまったのだろう。



「あそこに連れ去られた人達が……あまり変な感じはしないけれど、ヴィクターはなにか気になることとかある? ……ヴィクター?」



 反応のないヴィクターを心配して、クラリスが振り返る。

 彼は「大丈夫、聞いてるよ」とだけ言うと、いつにも増して難しい表情のまま、じっと役場を見つめて考え込んでいるようだった。


 しっかり仮眠を取ったおかげで、頭の中は冴え渡っている。それこそ――()()()()()に気がついてしまうほどに。

 答えがヴィクターの口から出たのは、彼がたっぷり三分以上の時間を思考に費やした頃だった。



「……どうやら、例の最高の魔法使い様とやらは、気前よくもう一つプレゼントを残していったみたいだね」


「プレゼント? そんなのどこにも見当たらないけれど……」


「なにかねクラリス。キミ、あんな所にお綺麗に包装紙が巻かれた箱が置いてあるとでも思っているのかね。違う。キミ達はなにも感じないだろうが、あの建物……魔法で中の空間をねじ曲げているみたいなんだ」


「あっ、ちょっとヴィクター!」



 クラリスが止める暇もなく、ヴィクターが彼女達を追い越してスタスタと役場へ向かって歩いていく。ここまで慎重に移動してきたというのに、こんな敵陣の目の前で見つかったりでもしたらどうするというのだ。

 先に行ってしまった彼の背中を、クラリスとアリスタは周囲の安全を確認しつつも早足で追いかける。


 ――空間がねじ曲げられているって……パッと見普通の役場みたいだけれど……


 クラリスからしてみれば、近くまで寄ったところで役場からはヴィクターの言うような異常性は感じられない。

 建物の中だってそうだ。ガラス張りの手押しドアの向こうにあるのは、何の変哲もない受付と、簡素な机や椅子が並べられた空間だけ。

 しかしヴィクターは二人が追いついたことを確認すると、含みのある笑みを浮かべて――自身の手のひらほどの大きさもあるドアノブへと、手をかけた。



「そう疑うような目を向けないでくれ。開けてびっくり、見てびっくりだ」



 そう言って、彼がゆっくりドアを押すと――



「なにこれ。どう……くつ?」



 世界が一変した。

 思わず声を漏らしたクラリスに続いて、アリスタも息を呑んで役場の中へと一歩踏み入れる。

 

 彼女が言った通り、役場の内部はまさに別次元。

 三人を出迎えることになったのは、簡素な受付看板が掲げられたカウンターなどではなく、じんわりとした湿度が肌に絡みつく薄暗い洞窟であった。

 正面には大きく口を開けた、真っ直ぐに奥へと続く穴がひとつ。ゴツゴツとした岩肌にまとわりつく湿気は松明の橙色を反射していて、炎の揺らめきに合わせて洞窟全体を照らしている。



「Hmm……別の空間を繋げたのか、はたまた新たに作り出したのか。どうやら役場としての職務は完全に放棄されてしまったみたいだね。呼び出しベルすら無いようじゃあ、状況改善の申し立てすらさせてもらえそうにない」


「ベルがあったところで、出てくるのは化け物だけでしょ……。それよりヴィクター。役場の中がまさか洞窟になってるだなんて、思いもしなかったけれど……これからどうするつもり?」


「無論、進むだけさ。アリスタくんも異論は無いかね」


「もちろん。……顔を取られた人達は今も苦しんでいるはずだ。一刻も早く、彼らを見つけて治療してあげよう。俺の()()なら、それができる。そのために俺は……ここに来たんだから」



 右手を胸に当てて、アリスタは力強い口調でそう答えた。彼の灰白色(かいはくしょく)の瞳には、覚悟の炎が灯っている。

 しかし今の発言――クラリスには引っかかることがあった。そこには事前に開示されていない、彼女とヴィクターが知らない情報が含まれていたからだ。



「アリスタさん、魔法使いだったんですか……?」



 たしかに彼は自己紹介の際、自分のことを魔法に関する治療専門の医者であると説明していた。だが、まさか彼自身も魔法使いだったなんて。

 クラリスの質問を受けたアリスタは、申し訳なさそうに眉の端を下げて笑った。



「うん。隠すつもりは無かったんだけれど……言うのが遅くなってごめんね。癒しに特化した魔法だから戦うことはできないけれど、人助けには必ず役に立つから安心してほしい。戦力になれれば良かったんだけれど……」


「いえ! むしろ連れ去られた人達に出会った時のことを考えれば、アリスタさんの存在は絶対に必要です。だから……ヴィクター、もしもの時はお願いね」



 そうクラリスが言うと、ヴィクターが頷き、左手にステッキを呼び出した。

 慣れた手つきでくるりと回せば、先端の苺水晶(ストロベリークォーツ)が淡い光を放つ。

 松明の明かりがあるとはいえど、それはゆらゆら頼りがない上にひとつひとつの間隔が離れている。宝飾が放った薄桃色の暖かな光は、そんな頼りない光を上書きするかのように岩へと反射し、洞窟内を幻想的な光景へと塗り替えてしまった。



「任せたまえ。アレらがどれだけ群れて押し寄せて来ようとも、二度とあの薄汚い手でクラリスに触れさせやしないさ」


「まだ根に持ってるのね、それ……」



 ヴィクターらしいといえばらしい返答である。

 そこから先。数分も歩いていれば、洞窟の奥行はとっくに役場の大きさを越えてしまっていた。

 先頭にヴィクター、そしてクラリスを挟んだ最後尾にアリスタの順で歩きつつ、敵に挟み込まれることが無いようにと細心の注意を払いながら洞窟内を進んでいく。


 ――おそらく、我々がここに侵入していることは既にバレているはずだ。視界も悪いし、できればこの細道で敵に遭遇するのは避けたいところだが……いかんせんこれ以上光量を上げると、こちらが見つけるよりも先に見つかる可能性の方が高くなる。……まぁ、もう少し先くらいなら照らしてもいいか。


 そうヴィクターが前方へとステッキを傾けてすぐ。彼の足が止まった。



「……む。道が二手に分かれているね」



 光が照らす先、それまで単調だった一本道が突如として分かれ道となった。

 ヴィクターの後ろから顔を覗かせたクラリスも、この光景を前には思わず顔をしかめるしかない。なにせ今回は行き先を教えてくれるような看板は無い。ノーヒントで進む他に道が無いのだ。



「どうする、ヴィクター? 探索する効率を考えると……分かれて行動した方がいいのかな」


「いや、それは……あまり得策とは言えない。ワタシが付いていないチームが襲われた場合、対処ができないからね。クラリスの安全は言わずもがな、アリスタくんが襲われてしまった場合……もしかすると我々が人々を救うための(すべ)が無くなってしまう可能性もある」



 そう。目下の目標は魔導士を止めること。そして渦男達によって成り代わられてしまった人間達を助け出すこと。

 ひとつ、ヴィクターが懸念している点があるとすれば――それは魔導士をなんとかしただけで、一度住民達から離れてしまった()があっさり戻ってくる保証が無いということだ。


 もしも魔導士を倒して魔法が解けたところで、顔を奪ったままの渦男達がそのまま消えてしまった場合……元の住民達は二度と自分の顔で生活することができなくなってしまう。

 憶測の域を出てはいないが、その懸念を払拭できる手段がアリスタの魔法だけなのかもしれないのだ。ならば彼の安全もクラリス同様、最優先で守らなければならない事項のひとつとなる。



「そっか……それならみんなで行動したいところだけれど、どっちに進めばいいかも分からないし……とりあえず左でいいかな?」


「ワタシはかまわないよ。決まらなきゃコレ(ステッキ)を倒して決めようかと思っていたんだ。クラリスが決めてくれるなら傷を付けずに済むからね」


 

 そう言ってヴィクターが左の道に進もうとした、まさにその時だった。



「――いやああ! 誰か、誰か助けてええっ!」



 それは、女性の甲高い叫び声だった。

 クラリスがびくりと肩を震わせて、声が聞こえた方向に目を向ける。

 反響していて分かりづらいが、声は――彼女達が進もうとしていたのと逆。右の方から聞こえてきたはずだ。



「今の悲鳴、もしかして誰かが襲われて――あっ、アリスタさん!」



 悲鳴を聞いて間もなく。ヴィクターとクラリスを押しのけるかのようにアリスタが走り出した。

 クラリスが名前を呼んでも聞こえていないのか、彼は後ろを振り返ることもなしに声の聞こえた方へと駆けていく。

 分かれて行動することの危険さを確認した矢先のことだ。このままアリスタを一人で行動させることは、作戦全体へと影響を及ぼす可能性がある。



「ヴィクター、アリスタさんを追わないと! それに右の道……もしも襲われてる人がいるなら、今ならまだ助けられるかもしれない!」


「……ああ。彼を一人にして、死なれると困るからね」



 ヴィクターはなにか言いたそうに口元に手を当てて考えているようだったが、今の優先順位はアリスタだ。

 じとりと嫌な予感と共に背中を伝う汗。彼らは悲鳴に招かれるがままに、見えなくなったアリスタの後を追うことにしたのだった。

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