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災禍の魔法使いは恋慕の情には慣れていない  作者: 桜庭 暖
第1部 第4章『成り代わりの町』
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第73話 華麗なる逃走劇には爆発を添えて

 爆風は、離れた場所にいたクラリスの元まで影響を及ぼした。

 熱風が通り過ぎると同時に割れた窓から散らばる破片。とっさにペロを腕に抱いた彼女は、敷かれたカーペットの上で丸くなり、鳴り響く轟音と揺れにただただ耐え(しの)ぐ。



「うっ……すごい爆発……ペロちゃん、大丈夫?」


『きゃん!』


「どこも怪我は無さそうね。よかった。ヴィクターは……」



 ようやく揺れが収まってクラリスが振り返った先。ヴィクターは足元に倒れている例の渦男を見下ろしていた。

 あの爆発を直接顔の中心で起こされたのだ。渦男の頭は綺麗さっぱり弾け飛んでしまっていたのだが――不思議なことに、辺りに血の跡は一切無い。それどころかヴィクターのコートにすら返り血ひとつ付いてはいなかった。



「クラリス。ちょっとこっちに来てくれ」


「なにか見つけたの?」



 ペロを床に降ろして、手招きされるがままにクラリスが渦男の亡骸へと近づく。

 もしもこれで見せられるものが、残虐なスプラッター映画さながらの化け物の死骸であったのならばどうしよう。そんな一抹の不安を抱えたまま、彼女は薄目でヴィクターの指し示す方向に目を向けて――パチリと瞬きをした。



「なにこれ」


「Hmm……(はらわた)ならぬ手芸綿(わた)、といったところだね」


 

 ヴィクターが指を指したのは、化け物の首元。身体の中から飛び出した――真っ白な綿だった。



「もしかして、ぬいぐるみの魔獣ってこと?」


「いや……多分違う。たしかに見た目をオモチャのように擬態する魔獣はいるが、これは正真正銘……本物のぬいぐるみだよ。さすがの魔獣とて、筋肉の代わりに綿なんかが詰まってちゃあ動くこともできないからね。……ん?」



 するとなにか気がついたのか、ヴィクターが顔を上げる。

 視線を追ってクラリスもそちらを見れば、エレベーターが――動いている。一階を過ぎて、二階……そして(この)階を過ぎることなく、停止を知らせる軽快な電子音が鳴り響く。

 嫌な予感というものは、こういう時ほどよく当たるのだ。



『――て――さい』


「ッ、ヴィクター……!」


『顔を……分けて、ください』


「ああ、分かっている。これは俗に言う、ピンチというやつだね!」



 エレベーターのドアが開き、現れたのは何体もの渦男達であった。

 その数は目視で十体前後。いや――それだけではない。耳を澄ませば、クラリスの背後にある非常階段の下からも、なにかをブツブツ呟く声と同時に足音が響いている。


 刹那、さすが危険に慣れた男の行動は早かった。

 ヴィクターが指を弾くと、クラリスの足元で唸り声を上げていたペロが花火の小爆発と共に跡形もなく消える。

 筋力を強化するよう魔法でドーピングをしてしまえば、あとは実行に移すのみだった。



「クラリス、失礼するよ!」


「わっ、ちょ……またこの運び方!?」



 ひょいとクラリスを小脇に抱え、ヴィクターは廊下の反対側へ向けて一目散にその場から駆け出した。



「アナタ、さっきは手も繋いだことないとか大声で言ってたくせに、これはオッケーだっていうの!?」


「これはじ……地肌じゃないから、ノーカンなんだ! やむを得ない事務的なボディタッチはドキドキしないから違うというか……ああいや、もうなに言っても気持ち悪いな。とにかく公私は分けるタイプなのだよ、ワタシは!」



 公私を分けるなど、どの口が言うのだろうか。

 少なくともクラリスは出会ってこの方、ヴィクターの公私の()に該当する姿しか見ていない気がするのだが……運んでもらっている身で、そのような細かい所に口を出すのもおこがましい。



「――ヴィクター! 後ろ!」



 後ろ向きに抱えられているクラリスから見て、正面。つまりヴィクターの背後で渦男達に動きがあった。

 エレベーターを降りるやいなや、頭を抱えて全身を痙攣させていた渦男。それらが二人の方へと振り向き――濁流のごとく、顔の中心から黒い腕を放出しはじめたのだ。



「チッ。人の声マネばかり磨き上げておいて、さっきからなんなのかねあの顔面は! あんなゲテモノ、芸を磨く前にまずは見た目の方から磨くべきだろう!」


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! あれ、どんどんこっちに迫ってくるわよ!」



 そうクラリスが言っている間も、侵攻は止まらない。

 渦男達から伸びた腕は身を寄せ合うかのように一つの大きな束となり、うねり、のたうつ蛇のごとく廊下の壁を破壊しながら迫り来る。

 その指先が彼女の鼻先へ触れようとするのは時間の問題であった。



「ヴィクター、なにか考えはあるの!? エレベーターはもう使えないし、部屋はどこも鍵が掛かっていて逃げ込めない。窓から飛び降りるくらいしかないんじゃ――」


「いや、それはできない。さっきの爆発で窓は割れてしまっているからね。残った破片でキミを傷つけてしまう可能性がある」


「破片でって、こんな緊急事態な時くらい――ああもう分かった。じゃあそれに変わるプランがあるのね!?」


「もちろん。ワタシを誰かと思っているのかね。既に逃げ道は用意してあるよ」



 ヴィクターがそう言ってすぐ、右頬にかすかな熱を感じてクラリスは目線をそちらに向けた。

 ジリジリと音を立てて、ステッキの先端に鎮座する苺水晶(ストロベリークォーツ)が熱を放っている。

 いつもは綺麗だと思うだけの宝石が、間近ではこのような音を立て、火傷してしまいそうなほどの熱を放つだなんて。今まで肌で感じたことがあっただろうか。


 ――ということは、まさか……


 この熱がヴィクターが魔法を放つ上で起きる現象だというのは、彼の戦いを何度も目撃してきたクラリスにはよく分かっている。

 つまり、これから彼女の前で起きる出来事はただ一つ。



『顔を――顔を、顔を……!』



 渦男達はまるで輪唱(りんしょう)するかのように、同じ言葉を、男女の区別も曖昧な感情の見えない声で唱えつづける。


 逃げるヴィクターとクラリスを追うのは、たくさんの黒い腕の先に形作られた、勢いを増す巨大な手のひら。

 渦男の一人一人の顔から何本も伸びた腕の集合体であるそれは――よく見れば、小さな手のひらの中で無数の手指が蠢いていた。



「ヴィクター!」



 クラリスの鼻先一メートル、手のひらが迫る。

 そしてその巨大な手のひらが彼女の頭をわしずかみにしてしまう、まさにその瞬間――



「任せたまえ! ――飛ぶよッ!」



 ヴィクターが床にステッキの宝飾を突き刺すと、衝撃に応えた苺水晶(ストロベリークォーツ)から溢れた魔力が爆発力を生み出した。

 慌ててクラリスが両手で耳を塞ぐと同時に、爆風に押し上げられた彼女達の体は天井――否、ヴィクターが先程階層を下りる際に開けた、六階にまで連なる穴を通って高く飛び上がったのだ。


 ――やっぱり! なにかしら爆破させると思った!


 クラリスの見下ろす先。獲物を失った渦男達の腕が廊下の突き当たりに激突して、押し潰されたゴムチューブのようになっている。


 ――あと一歩遅かったら、私達も巻き込まれていたかも……


 そうなっていたらという、()()()の想像。

 ヒヤリとする嫌な感覚は、クラリスの体の内側から彼女の内臓を撫で上げた。


 爆発の衝撃は計算通り。六階まで飛び上がったヴィクターは廊下に着地すると、カーペットの上へとクラリスを降ろす。

 そこには腹に穴を開けた渦男の死骸がひとつ転がっていたが、これもどうせぬいぐるみだ。今になって改まったコメントをするほどではない。



「ありがとう、ヴィクター……もうあんなホラー映画みたいな追いかけっこはこりごり……」


「ワタシも全力疾走で走るだなんて、しばらくはゴメンだね……今はいいけれど、明日は筋肉痛かもしれない」


「あはは……次の町に行ったら、良いマッサージ屋とかがあればいいんだけれど」



 そんな他愛もない会話で気を紛らわせつつも、どうしても穴の下が気になるクラリスはそっと階下を覗き込む。

 渦男達が伸ばすだけ伸ばしたあの無数の黒い腕の集合体は――そこにはもう、いなかった。



「いなくなった……?」


「Hmm……住処(すみか)に帰ったのなら好都合だが、アレがあっさり諦めてくれるとも思えないね。エレベーターも階段も生きてはいるだろうし……もしかするとこっちまで移動してくる可能性もある。早めに場所を変えよう」


「えっ? でもここ……六階よね。また穴を飛び降りて移動するってこと?」


「それでもワタシは良いが、なるべく鉢合わせするリスクは低くしたい。下から行くのが駄目ならば――」



 ヴィクターがくるりとステッキを半回転させ、宝飾を上に向ける。

 そして自由になった右手で彼が指を鳴らすと――



「わっ! なに!?」



 驚くクラリスの目の前をガラガラと瓦礫が落ちてくる。

 聞き慣れた破裂音に音の聞こえた先を見上げれば、天井にはぽっかりと穴が開いていた。その先に広がるのは、煮詰めたブルーベリージャムに砂糖を散りばめたような星空。


 あまり階数を気にしてはいなかったが、どうやら六階から上は屋上に繋がるような構造になっているらしい。

 穴から入り込む夜風に肌寒さを感じて、クラリスはぶるりと体を震わせた。



「ちょっとヴィクター。近くで爆発させる時は先に一言言ってよね。そのうち私がびっくりしすぎて倒れちゃってもいいわけ?」


「HAHA! それはすまないね。どうにも口より先に体が動いてしまうんだ」


「なにそれ……アナタ、前に自分のことを慎重派だって言ってなかった?」


「昔は昔、今は今だ。ワタシは常にアップデートを続けているのだよ」


「そう……ならもうそれでいいわ。こんな時は瞬間的な判断も必要だし、その行動力にはさっきも助けられたばかりだもんね」



 どうせまたの機会に()()()などと言い出した際にも、同じような言葉を口にするのだろう。アップデートとは実に都合のいい言葉である。

 クラリスは呆れたような、感心したような。そんななんともいえない感情を抱えて、肺の底から込み上げてきた息を吐き出した。



「……クラリスは、行動力がある男の方が好き?」


「まぁ、無いよりはね」


「ふぅん……」



 すると、目に見えてヴィクターの様子がソワソワと落ち着きなくなってきた。彼はクラリスと天井の穴とを交互に見ては、なにかを言いたげに唇を巻く。

 そして――さすが慎重派を改め行動派。彼は大きく横に一歩、クラリスの方へと近づくと、目にも止まらぬ速さで再び彼女の体を掬い上げた。



「えっ!? 待ってヴィクター! まさかアナタ、またこの状態で移動するとか言うんじゃ……」


「さすがワタシのことをよく知るクラリスは察しがいい! 効率よく逃げて体勢を立て直すためにも、移動は全てワタシに任せたまえ! なんたってワタシは()()()()()()()なのだからねっ!」


「それは意味がちが――」



 ヴィクターの右腕に抱えられたクラリスが口を開いた、まさにその刹那――人の話に耳を傾けることを知らない魔法使いは、自らの行動力を示すために魔力を解き放った。

 この光景はついさっきも見たばかりだ。クラリスの目の前に広がる硝煙、鼻腔を焼き付けるかのようなカーペットが焦げる臭い。そして――



「わああっ! 近くで爆発させる時は言ってって、さっき言ったばかりでしょお! 行動力があるっていうのは無茶をしていいって意味じゃないんだからねぇっ!」



 ヴィクターの足元で起きた爆発の圧力で、クラリスの全身が浮遊感に包まれる。

 相手に聞こえているかも分からない彼女の叫び声は、自身の体もろとも穴の向こうに広がる星空へと吸い込まれてしまったのだった。

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