第68話 笑顔が素敵な町『パルデ』
《翌日――バスの車内》
窓の向こうには、のどかな景色が続いていた。
時刻は夕方。バスに揺られてもう何時間が経過しただろうか。ヴィクターはぼおっと外を流れる景色を眺めながら、何度目かも分からぬ大あくびをした。
クラリスは早々に眠ってしまったのか、ずっと起きる気配がない。
振動に合わせてカクカクと動く頭が心配で、どうせなら寄りかかってでもくれればいいのに――などと思いながらも引き寄せるなんて勇気も出ず、彼はただモヤモヤとした気持ちを抱えたまま暇を持て余していた。
「……ん?」
すると、そんな景色に突然変化が訪れた。
移り変わりゆく風景が次第にゆっくりとなり、やがて完全に停止。バスが止まってしまったのだ。
「あれ……ヴィクター、もう着いたの……?」
「いや、どうやらトラブルのようだね。少し様子を見てみよう」
寝ぼけ眼のクラリスにそう伝えて、ヴィクターはバスの外へと目を向ける。
運転手の男が外を見回り、バスの下を覗き、忙しなく駆け回る。しばらくしてどこかへ電話を掛けはじめたかと思えば、彼は車内へと戻ってきた。
バスに乗っている乗客はそう多くはない。ただ……運転手が一人一人になにかを話しているそばから、乗客達が荷物をまとめはじめているのだけは遠目にもよく分かった。
「……なんか、みんな降りていってない?」
「なに? まさかこんな道のど真ん中で降ろりとでもいうのかね。……はぁ。こういうことが起こり得るから、乗り物に頼るのは嫌いなんだ」
そうヴィクターがボヤいている間にも、運転手はクラリス達の元までやって来た。
事情を聞けば、どうやらエンジントラブルらしい。復旧の見通しも立たず、代行を呼ぶにしてもここまで何時間も掛けてやって来た道のりだ。そんなものを待っていれば夜中になってしまう。
「本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません……。ただ、幸運にもここはパルデという町の近隣になっています。大変恐縮ではございますが、一晩そちらでお休みいただきまして、明日の便で改めてご乗車いただいてもよろしいでしょうか。もちろん掛かった全ての費用は当社で負担させていただきます」
運転手は本当に申し訳なさそうにそう言って、深々と頭を下げた。
他に選択肢は無いのだ。ヴィクターとクラリスは顔を見合わせると、間もなくして下車をした。
「まさかこんなことになるとはね……クラリス。気は乗らないが、言われた通りパルデに向かおう」
「正気? 昨日のオーナーさんの話を聞いたでしょ。あの町は人が入ったら出てこられないような、不気味な現象が起きているって……ほら、アナタの魔法でログハウスを建てられるって前に言ってたじゃない。致し方なしってことで、今日は野宿にしない?」
「やだ。長時間座ってて体中バキバキなんだ。絶対今日はホテルのふかふかのベッドで寝る」
「やだって……子供じゃないんだから」
こんな時、頑固なのはヴィクターの方なのだ。
クラリスはそれ以上説得することを諦めて、パルデへ向けて本来バスで向かうべきだった進路をそのまま進むことにした。
それから三十分と経たずに、パルデの外観は見えてきた。
建物は全体的に低く、周りは草原一色。かろうじて畑なんかがあるが、手入れがされていなく雑草は伸び放題で、人が出入りしている気配すら感じられない。
町の入口まで近づくと、ちょうど花壇でジョウロを片手に花の手入れをしていた老婆が二人に気がついた。
「あらあら、こりゃあエラいべっぴんさん達が来たこと。今日はいつにも増してお客さんが多いけれど、なにかあったのかい」
「こんにちは、おばあさん。実はこの近くで乗っていたバスが動かなくなってしまったんです。ここ……パルデという町ですよね。泊まれる場所とかはありますか?」
「泊まるところならもう少し先に行けばあるよぉ。遠くから来て、ここでひと休みする人もいっぱいいるからねぇ」
そのひと休みが永遠となっているという噂話を、果たしてこの老婆は知っているのだろうか。
しかしニコニコと可愛らしい笑みを浮かべて、孫のような年齢のクラリスと話す彼女には一見、おかしいところはなにもない。
――ざっと周りを見てみたが、人も、建物も、おかしなところは無い。たしかにオーナー殿から聞いていた話にしては、若者は多いようにも感じるが……見ただけじゃあ住民か、たまたま立ち寄った旅人かまでは分からないな。
ヴィクターがそうやって周囲に目を向けている間に、どうやらクラリスの方は話が終わったらしい。
老婆は笑顔で二人に手を振ると、またヨタヨタと花壇まで歩いては水やりを再開した。……ずっと同じ箇所に水を撒いているが、あれは良いのだろうか。
少し不思議には思いつつも、ヴィクターはすぐに視線を外して戻ってきたクラリスに話を聞くことにした。
「クラリス、なにか有益な情報は手に入ったかね」
「今は有益というのはなにも……普通のおばあさんだったし、聞いてたような変な感じもしなかったよね」
「うん。ワタシも付近の様子をうかがってはみたが、不審な行動をしている人間はいなかった。だが……火のないところに煙は立たないと言うからね。引き続き注意はしておくとしよう」
そう言って、ヴィクターはクラリスを連れて町の中を見ていくことにした。
結果としては、オーナーが言っていた通りなにも無い町。たしかに中継地点となるだけあって旅に役立ちそうなものは売ってはいるものの、特別面白いなにかがあるわけでもなければ、家や商店が並ぶだけの町並み。
クラリスの頭に退屈の二文字が浮かび上がるのは、時間の問題だった。
――たしかに……悪いとは思うけれど、すごく住みたくなるっていうような場所ではない気がする。若い人がみんな都会に出ていっちゃったのも分かるかもしれないな。
かくいうクラリス自身も都会に憧れて旅へと出た身だ。そういった若者達の気持ちもよく分かる。
そんなことを思いながらクラリスが住民達の様子を見ていると――ふと。とある商店で買い物をしている店主と客に目が止まった。
「はいよ、おつりね。まいどあり!」
「いつもありがとうねぇ。また買いに来るよ」
店頭には野菜や果物が陳列されている。あそこはきっと八百屋なのだろう。
そこで繰り広げられているのは……ごくごく普通のやり取りのはずだった。
――あれ?
クラリスが気になったのは、彼らの手元だ。
会話の内容からして、客の女がなにか購入したのだろう。しかし――店主の男の言うおつりが客の手に渡っている様子もなければ、そもそも商品が入った袋なんてものはそこに存在していない。
――どういうこと? あの人達……なにのやり取りをしてるの?
客の女の体勢は、まるで買い物袋を腕から下げているようだ。
満足気に立ち去る客を、店主も笑顔で見送っている。それこそ本当にその場で金銭のやり取りが発生したかのように。商売が成立したかのように。
「……ヴィクター、なんかここ……やっぱり変だよ。今の見た? まるであの人達、お店の人とお客さんでおままごとでもしているみたいで……ヴィクター?」
クラリスが見上げた先。ヴィクターは端正な顔を歪ませて、難しい表情をしていた。
前を向いてはいるが、辺りを警戒しているのか目つきは鋭く、すれ違う人々の一挙一動にすら注意を払っている。
「クラリス。キミは気がつかないのかね。……先程から、ずっと誰かに見られている」
「えっ!?」
驚きの声と共に、クラリスは思わず背後を振り返った。
変わった様子は無い。住民達はそれぞれの生活をしていて、特別二人を気にかけているような人物は見当たらない。
「こら。目立つ行動は控えたまえ。我々が勘づいていることがバレれば、なにかしら危害を加えられる可能性もある。状況が把握できるまでは普段通りに振舞っていればいい」
「そうは言われても……あんなこと言われたら気になるじゃない……」
コソコソ誰かに見られているだなんて、到底気持ちのいいものではない。
一度気になってしまえば、店も、路地裏も、そしてショーケースに映る自分の姿さえも気になって――
「――ひっ」
その時、思わずクラリスの喉から小さな悲鳴が漏れ出た。
見られている。
何気なく目を向けたショーケース。そこに映る自分、そしてヴィクターを除いた町の人間達が――全員、例外もなく。彼女達の方を向いては歯茎を剥き出しにして不気味に笑っていたのだ。




