第67話 その町に踏み入れてはならない
「帰らぬ人になる? それって、亡くなってしまった人がいる……ってことですか?」
それは、町中のカフェで聞くにしてはあまりにも物騒な言葉であった。
クラリスは無意識にプリンへ伸びかけていた手を引っ込めて、オーナーの話に耳を傾ける。
しかしオーナーは慌てて両手を振ると、申し訳なさそうに笑って話の続きを語りはじめた。
「ああいえ、すみません。自分の言葉が悪かったですね……。正しくは、帰ってこなくなるという方が正しいでしょうか」
そう言ってオーナーは空になっていた二人のカップに、それぞれ紅茶とカフェラテを注いで差し出した。
プリンのサービスの上に、おかわりまでくれるとは。なんとも気前のいいものである。
「実はその昔、パルデは山を切り開き作ったニュータウンとして賑わっていた町だったのですが、近年では見る影もなく過疎化が進んでおりまして……若者は都会へ出たがりますから。少子高齢化と言うんですかね。とても栄えているとは言えない状況となっていました。……しかしそんな現状だったあの町に、変化があったのは一ヶ月程前のことです」
「その時期からパルデを訪れた人間が帰ってこなくなった……そういうことかね」
「ええ。なにも事件に巻き込まれ亡くなったわけでも、大病を患ったわけでもありません。パルデを訪れた人達は皆……そのままあそこに移住するようになってしまったんです」
「ほう……」
思いもよらなかった答えに、ヴィクターは片眉を上げて興味深そうに声を上げた。
腕を組んで背もたれに深々と寄りかかった彼とは対照的に、クラリスは話を聞きながらも、ちゃっかりプリンを手に取っている。
先程は驚いてつい手を引っ込めてしまったが、せっかくの厚意なのだ。デザートに目がない彼女が、この甘い誘惑を話が終わるまで我慢するだなんてできるはずがない。
――うん! カラメルソースが苦めで美味しい。スモーアのスイーツフェアでもプリンはたくさん食べたけれど、こういう場所で食べるプリンがやっぱり一番美味しいのよね。ヴィクターは食べないのかな。
喫茶のプリンは固めが多いイメージだが、その例に漏れずにこのカフェレストランも固め。すっかりクラリスはこのプリンの虜となってしまった。
そんな彼女の様子を横目に、ヴィクターは自分の分には手をつけることもなくオーナーとの話を続けていた。
「皆が移住してしまうくらいだ。それは大層素敵な町なのだろうね、パルデは。なにか絶景となる名所や、住みたくなるほどの設備でも整っているのかね」
「いえ……そうでもないんです。先程言ったように、あそこは近年過疎化の進んでいる町ですから。わざわざ人が来るような名所やインフラ設備なんてものもありません。自分から言わせてみれば、訪れた人々が理由もなく住み着くようになってしまっただけなのです。……それって、なんだか不気味じゃありませんか?」
「Hmm……たしかに、話だけ聞くとまるでチープなホラー映画のようだね。……クラリス、よかったらワタシの分も食べるといい。さっきのパスタだけでお腹いっぱいになってしまってね」
話の途中、そう言ってヴィクターがクラリスの方へとプリンの乗ったカップを寄せた。ちょうど彼女が自分の分をたいらげたところなのだ。
クラリスは「いいの?」と聞いてパチパチと瞬きを繰り返したものの、本当に食べていいと分かるやいなや、嬉しそうにスプーンを手に取った。
正直、美味しそうにプリンを食べるクラリスを見て自分も気にはなってはいたのだが……あのように物欲しそうな目で見られてしまえば、譲らざるを得ないだろう。
「……それで、オーナー殿。話を戻すと、キミは最初にワタシ達に警告をすると言っていたね。それはつまり、このままワタシ達がパルデに向かうことになれば、先人達のようにそこに住み着くようになる……いや、なんらかの理由で町を出ることができなくなる危険があると。そう言いたいのだね」
「まさに、その通りです。先日も医者を名乗る若い男性にこの話をしたのですが……結局その方がどうなったのかは分かりません。彼も無事に他の町まで辿り着いているといいのですが……なんて。こんなお節介な話をしてしまってすみませんね」
そんな話をしているうちに他のテーブルから注文が入ったのだろう。オーナーは話を切り上げると、慌てて伝票を持ってカウンターを離れてしまった。
ヴィクターはぬるくなった紅茶に口をつけると、今聞いたばかりの話を頭の中で整理する。
不思議な話ではあったが、なんてことはない。訪れたら出られなくなる町。ただのそれだけのことなのである。行ってもないのに理由など知るはずもない。ただ一つだけ分かることは――
「クラリス。今の話を聞くに、そのパルデとやらには立ち寄らない方がよさそうだ。次に近い町に行くにはどれくらい歩かねばならないのかね」
そうヴィクターが尋ねると、クラリスは一度スプーンを置いてスマホの画面を操作しはじめた。
地図アプリを開き、ルートをチェックする。道路はあるが、線路が敷いてある気配はなし。列車を使ったような移動は期待できないだろう。
「そうね……距離的にどうしても丸一日以上は掛かっちゃいそうだけれど……あっ。ここからバスが出てるみたい。それに乗ればパルデを越えて半日くらいで着くところがありそう」
「バスで半日か……Um。ワタシはあまり、乗り物で長距離の移動をするのは好きではないのだが……仕方ないね。それで行くとしよう」
そう言って、ヴィクターが再度紅茶に口をつける。
列車を使った移動ならばともかく、車を使った移動に関して彼はあまり得意ではなかった。単純に酔うのだ。それも長距離の移動なんかとなれば、最悪ずっと気分の悪いまま半日近くを過ごさなくてはならない。
――酔い止め、買い足しておかないとな……。こういう時だけはフィリップの瞬間移動が恋しくなるものだが……
ヴィクターが隣に目を向けると、半分残っていたプリンに手をつけようとしていたクラリスがその視線に気がついた。
しかし彼女はなにを思ったのか、プリンとヴィクターを交互に見比べると……そっと皿を彼の方へと押して、こう尋ねた。
「やっぱりヴィクターも食べたい……のよね? まだ半分残ってるから、残りは食べていいよ?」
「……えっ」
そういう意味で見ていたわけではまったくないのだが、どうやらクラリスの目には、不本意にも一度手放したスイーツを物欲しそうに見つめている男として映ってしまったらしい。
いや、今問題なのはそこではない。半分残っている――すなわち、もう半分はクラリスが既に口にしているということなのだ。それを口にするということは――
――こ、これは、遠回しな関節キスになったりは……しないのかね。
果たしてそんな判定があるのだろうか。
しかしそんなことを考えた途端、ヴィクターの顔は火を吹いたように熱くなっていた。クラリスが怪訝な表情を浮かべるのも当然である。
「……ヴィクター、なんか余計なこと考えてない?」
「そ、そんなことはないよ……お言葉に甘えて、ひと口だけ……食べようかな。スプーンは……」
「まだ使ってないのがそこにあるでしょ」
「ああ、はは……本当だ。わあ、どこから食べようかな……」
ただの半分になったプリンだ。どこから食べようとも味が変わることはないのだが、考える前に口から出たのはそんな中身の無い言葉だけ。
スプーンを手に取ったヴィクターは、おそるおそるカラメルソースの掛かった頂へと手を伸ばし――クラリスが手をつけていなかった反対側からひと掬いだけを頂き、口にした。
「どうヴィクター。美味しい?」
「……おいしい」
これはカラメルソースの味なのか。
甘いと思って食べたはずのプリンは、ヴィクターにとってはどこかほろ苦い味がした。




