第64話 モノクロ双子は男の心に何を見る
《翌日》
大きな傘は、今日もクラリスの頭上に咲いている。
見送りに来てくれたのはサラとシロ、そしてクロであった。
ダリルは町の偉い人と話があるとかで、ここに来ることはできなかったらしい。本来であればサラが行くべきところではあるのだろうが、どうやら彼なりに気を使ってくれたようだ。
「それじゃあサラ、元気でね」
「クラリスもね。サントルヴィルに着いたら会いに来るって約束、忘れないでよね!」
「もちろん。……シロくんとクロくんはこれからどうなるの?」
魔法局がどのような場所なのかはクラリスには分からないが、できることならば彼らにはのびのびと過ごしてもらいたい。
サラなら狭い檻に閉じ込めるようなことはしないとは分かってはいるものの、心配は心配なのだ。
「それなら安心して。相互作用による人への影響がどれくらいまで落ち着くのかを調べたら、魔法局が運営している保護施設でそのまま預かるつもり。酷いことは絶対しないって約束するわ」
そう言い切るクラリスの後ろで、じっとこちらを見つめるクロとは対照的に、シロは居心地が悪そうに身を縮こませていた。
どうやらヴィクターが怖いのか、はたまたベッタリとくっついたクロが煩わしいのか、その両方か。視線を地面に落としたままの彼は、朝の暖かな日差しに照らされて薄らと汗をかいていた。
「よかった……サラ達になら安心して任せられる。ね? ヴィクター」
「まぁそうだね。そこらで野放しにしておくよりはいいんじゃないかな」
「アナタはまたそんなこと言って……」
なぜこういつもいつも、この男は余計な火種を生みかねないことばかり言うのだろうか。
最後までツンとした態度のヴィクターにクラリスは呆れ顔だったが、対照的にサラはそんな二人の姿を見てはクスクスと笑い声を上げた。
「あれだけ凄い魔法使いが、クラリスの前ではなんだか子供みたいで夢でも見てるみたい。本当に不思議な二人……あっ。そんなことを言ってたら、もうこんな時間。いつまでも話していたら二人に迷惑かけちゃうわね」
そう言うと、サラは両手に握り拳を作った。
その動作にはクラリスも見覚えがある。あれは、彼女が魔法を発動する際の予備動作のようなものだ。
「これが旅立つ二人へ、アタシからのプレゼント。いってらっしゃい、クラリス、ヴィクター! また会う日まで!」
そしてサラが両手を開き、空へと大きく手を振り上げた。
タイミングを合わせたかのような、まさにその瞬間――五人の間を、暖かい春風が駆け抜けた。
サラの両手から溢れ出たのは、無数の花びら。赤、黄色、オレンジ、ピンク、紫、白――それは色とりどりの花びらが風に乗った、花吹雪であった。
花びら一枚一枚は色だけではなく形や大きさも違っていて、クラリスの手のひらに乗ると雪のように溶けて消えていく。
昨日町に咲かせた花畑について、ダリルから怒られた後だ。後始末に影響が出ない魔法の使い方を、彼女なりに考えたのだろう。
「綺麗……ありがとう、サラ。いってきます!」
そうして豊かな花の香りに包まれながら、クラリスとヴィクターは町を後にした。
今日も空は晴れ晴れとしていて、気持ちがいい。ひとつの出来事が終わった安心感と達成感からか、自然とクラリスの足取りは軽く、心なしか隣のヴィクターの表情も天気につられて晴れやかに見える。
そんな天気の中、ふとクラリスはあることを思い出した。
「それにしても……成り行きとはいえ、まさか魔法局の手伝いをすることになるだなんて。実はね、サラからヴィクターと一緒に魔法局に来ないかって誘われたのよ」
「魔法局に? ワタシは初耳だが……もちろん断ったのだろうね」
「断ったから、こうしてここにいるんでしょ。私はまだまだこうして旅を続けていたいもの。アナタもそうなんじゃない?」
「聞くまでもないね。一生こうでもいいくらいだ」
「それは言いすぎ」
一生このままでは、サントルヴィルでサラと再会する約束も果たせなくなってしまう。
スケールの大きいヴィクターのジョークをクラリスが軽くあしらうのと、そんな彼女の後ろから誰かの足音が聞こえてきたのは同時であった。
音はパタパタと二人分。気がついたクラリスが振り返ると、見知った白と黒の二つの人影がこちらへと走ってきていた。
「シロくんと……クロくん?」
それは先程別れたはずのシロとクロ――ラヴ達であった。
シロが「待って!」と声を上げると、ようやくヴィクターも気がついたのか、少し先で彼も足を止めて振り返る。
「二人共……どうしたの? サラは?」
「どうしても伝えたいことがあるって言ったら、俺達だけで行ってきていいって」
「俺達、お姉さんに用があるんだぁ」
「私に?」
クラリスは思わず自分に指をさすと、ヴィクターへと目を向ける。
彼は好きにしろとでも言うかのように肩を揺らして返事をすると、傘をクラリスに預け、自分は日差しを避けて木陰へと避難していった。
「私に用って……どんな用なのかな」
「……あの男のことなんだけどさ」
そう言って、シロがじっとヴィクターを見つめる。
「気にかけててあげてほしいんだ。アイツ……あんなんだけど、俺と同じで怖がり……だと思うんだ」
「ヴィクターが? 彼がなにかに怖がる姿なんて、想像もできないけど……」
もしや虫やお化けが怖いとでもいうのだろうか。いや、その線は薄いだろう。グロテスクな魔獣を見ても、びくともしない彼なのだ。今さら他に怖いものがあるだなんて、クラリスには到底考えられない。
しかしクロはそんなクラリスの考えを見透かしたかのように首を降ると、これまでずっと笑顔を見せていた彼には似合わない、眉間に皺が寄った渋い表情でシロの言葉に続いた。
「あの人はねぇ、お姉さんが自分から離れてしまうのが怖いの。だから繋ぎ止めようとして、ずっとずっと必死なんだよ。……俺達には見えるんだ。プラスチックのオモチャみたいにちっぽけなハートが、寒そうに震えているのが。たくさんヒビが入ってて、少し押し潰せば簡単に粉々になっちゃうけれど――それを虚勢のテープで何重にも貼り付けて、磨いて、宝石なんだって偽ってる」
「だからそのハートが割れちゃわないように、そばにいてやってほしいんだって。俺にクロが必要だったみたいに、アイツにはオマエが必要みたいだから」
シロとクロの言葉は抽象的なものではあったが、ぼんやりとした意図だけは伝わった。
これが道端で声をかけてきた占い師の言葉であったのならば、にわかに信じ難い話だとクラリスは笑い飛ばしていたことであろう。だが相手は人の心に敏感な悪魔と呼ばれる魔獣達。
彼らの目にはきっと、本当にそのちっぽけなヴィクターのハートとやらが見えているのだ。
「もしかして、そのことを伝えるために二人はわざわざ追いかけて……?」
「うん。さっきサラとオマエらが話してる時に、クロが気になって見てたんだって。俺はアイツのこと嫌いだけど、これからは見習いとはいえ愛を司る魔獣なんだからね。師匠が助言した方がいいって言うから、着いてきただけ」
「そっか……ありがとう。ちゃんと心に刻んでおくね」
クラリスがそう言って二人の頭を撫でると、クロは嬉しそうに笑い、シロは恥ずかしそうに目を逸らした。
話が終わり、ラヴ達と別れの挨拶をする。彼らは仲睦まじく互いに手を繋いで、サラの待つ場所へと戻っていった。
「クラリス、話しは終わったのかね」
「うん。待たせちゃってごめんね」
ヴィクターが日陰を出ると、クラリスの頭上の傘が小さくなった。どうやらいつの間にやら三人用のサイズになっていたらしい。彼が合流すると傘はまた二人用のサイズへと戻っていった。
――私が見たことのない、怖がりなヴィクターか……
先程シロとクロに言われた言葉が気になり、クラリスがヴィクターの顔を見上げる。するとちょうど彼もクラリスに目を向けたところだったのか、タイミングよく目が合った彼は嬉しそうに顔をほころばせた。
――もう少し旅を続けていれば、ヴィクターのことだって……クロくんの言っていた言葉の本当の意味が分かる時も来るのかな。
「クラリス? どうかしたのかい」
そんなことをクラリスが考えている間に、彼女は無意識に彼の顔をじっと見つめてしまっていたらしい。なにも言わずに見られていることを不思議に思ったヴィクターが、そう尋ねてきた。
「なんでもないよ。シロくんとクロくんみたいに、私達も良いコンビになれたらいいなぁって思っただけ」
「えっ!? そ、それってもしかして、こく……」
「こぉら。良いコンビって言ったでしょ。勝手に解釈して舞い上がらないの」
そう軽く窘めると、ヴィクターの眉がしょんもりと下がった。
今日のヴィクターも通常運転。誰にだって塩対応の彼が、大好きなクラリスの前では、彼女の一挙一動に喜んだり、落ち込んだり。
そんな相棒のコロコロ変わる表情の変化を密かに楽しみながら、クラリスはまだまだ続くと信じてやまない二人だけの旅路を歩き続けるのだった。




