第63話 水仙の花束を抱えた獣達
そう。そこにいたのはラヴであった。とはいっても、ダリルが連れてきた方のラヴは髪が黒く、白いラヴとは違って落ち着いた雰囲気を放っている。
黒いラヴはまっすぐに白いラヴの元へ歩いて行くと、しゃがみ込んでは後ろ手に隠していたなにかを取り出した。
あれは――花だ。すらっと伸びた黄色い花と白い花を一輪ずつ。彼は見た目の同じ目の前の魔獣へ向けて、その可憐な花を差し出した。
「ん」
「な、なにオマエ……花なんていらないよ」
「いいから受け取って。仲良しのしるし。いっぱい咲いてたから、そこで拾ってきたの」
嫌がる白いラヴのことなど気にもせず、黒いラヴはぐいぐいと花を押し付ける。
どうせまた断ったとて、大人しく引くつもりもないのだろう。仕方なしに受け取った花からは、心休まるほのかな甘い香りがした。
「……ワケわかんないけど、それならとりあえず貰っておく。ありが――わっ!? なんだよ!」
驚きで白いラヴからは素っ頓狂な声があがった。前触れもなく、突然黒いラヴが抱きついてきたのだ。
サラは笑ってばかりで、どうやら助けてくれる様子はない。
助けを求めるように、白いラヴはダリルを見上げた。――が、彼の口から放たれたのは救いの言葉などではなく、一度地獄の底から這い上がりかけた白いラヴを、再び突き落としてしまうかのように残酷な事実だった。
「その子はアンタがなりたかった、愛を司る魔獣です。名前は――ラヴ。アンタと同じ、ラヴですよ」
「えっ……?」
そのダリルの言葉は、白いラヴの心を傷つけるには十分だった。
この男が――愛を司る魔獣だって? 自分のなりたかったもの、自分が欲しかったもの、自分にはできなかったこと、その全てを持っている男。そう。ましてやそれを手にしているのは、自分と同じ顔をした相手なのだ。
――俺は、頑張ろうとしても無駄だった。なにもできなかった。なのにコイツは……
黒いラヴと目が合うと、彼は不思議そうに首を傾げた。
「なんだよそれ。この黒い奴が……俺? こんなのを連れてきて、見せつけに来たの? それとも俺を笑いにきたわけ? そんなの……酷いじゃないか。やっぱり俺のことなんて、みんないい笑いものだと思ってるんだろ。俺のことなんて……」
不思議と白いラヴから得意の憎しみの感情が顔を出すことはなかった。あるのはちっぽけで弱々しい、悲しさと虚しさだけ。
すると、黒いラヴが心配そうに白いラヴの頬に手を伸ばした。彼からもあの花と同じ、ほのかな甘い香りがする。
「白い俺……泣いてるの?」
「泣いてないよ。というか、いい加減どいてくれる? もう一人にさせてよ」
「やだ。怖い時や悲しい時は、誰かが側にいてあげないといけないんだよ。だからそういう人を見つけた時には、俺がぎゅうってしてあげるの」
「なんなんだよ、それ……」
悔しいはずなのに、憎いはずなのに。不思議と嫌な感じはしなくて、触れられた頬がただただ暖かい。
こんな感情、今まで感じたことがあっただろうか。
ますます抱きつく力を強くする黒いラヴに対して、白いラヴは困惑こそしてはいるものの、振り払う様子や押し退けようとする素振りは見せなかった。
そんな二人の姿を見て、口を開いたのはダリルだ。
「まだ分からないんですか。僕らがアンタを護送していたのは処分するためでも、笑いものにするためでもありませんよ。ええと白い方の……ああもう面倒だな。顔も名前も被ってるんで、シロとクロでいいですか」
「し、シロ……」
「俺はクロでさんせぇ。なんか犬みたいで愛されてるって感じぃ」
ダリルの提案に、ラヴ達――改め、シロは微妙な反応を示したものの、クロは嬉しそうに「えへへ」と顔を蕩けさせて笑った。
「別に最初から話は簡単だったんです。ちょうど同時期に、とある地方では急に人間達の争いが活発化し、また別の地方では色恋沙汰で町がひとつ滅びかけただなんて話が入ってきましてね。調査依頼が僕らの元に入ってきたんです」
「それで魔獣が関係していると突き止めたアタシ達は、ダリルさんはクロを、アタシはシロを保護するために一度分かれたのよね」
「いざ合流しようとしたところで、まさか逃げられて泣き寝入りしようとしているだなんて思いもしませんでしたけどね」
そう語るダリルの目の下には、よく見れば隈ができていた。
思えば、初めてクラリス達がサラと出会った時の彼女の焦りっぷりは、それは凄いものであった。もしかすると、二人は夜通しシロを探して走り回っていたのかもしれない。
「魔法局に着く前に合流しようと考えたのは、憎悪を司る魔獣と、愛を司る魔獣……愛と憎しみは表裏一体だなんて言いますけど。アンタら二人をぶつければ、周囲に影響を与えるその面倒な体質も緩和されるんじゃないかと思ったからです。あんな大都会で暴動が起きたとなっちゃあ、たまったもんじゃありませんからね」
「緩和?」
「ええ。だってアンタ、下手すれば戦争を起こしかねないような影響力を持ってるんでしょ? もちろん同類であるクロも同じです。ここに来るまで、コイツに感化された人間がそこかしこでイチャイチャと……いや、思い出すだけで寒気がするな」
意図せず背筋を走り抜けた悪寒に、ダリルが思わず身震いをする。
「……とにかく。そんな地獄絵図をあっちで起こさないよう、先に手を打つ必要があったわけです。予定より遅くはなりましたが、アンタらが揃ったおかげで周りに与える影響がどちらかに片寄るってことは無くなったはずです。僕らは、アンタらを助けるために引き合わせようとしていたんですよ。……待って。サラ、もしかしてアンタ……シロにこのことを説明してなかったんですか?」
「……ごめんなさい。なんとか着いてきてもらおうと説得するのに必死で、理由を説明するのを忘れてたかも」
「だからこんなややこしいことになったのか……」
呆れたものである。そもそもサラが説明義務を果たしてさえいれば、今回の事件は起こりえなかったかもしれないのだ。
いくら結果オーライとはいえ、この後の後始末のことを考えると頭痛がしてくる。
するとそんな大人達のやり取りをよそに、それまでシロにベッタリとくっついていたクロが、ようやく離れて立ち上がった。
「シロは自分の体質が好きじゃないんだよね。実はね、俺もそうなの」
「クロも……?」
「うん。俺の愛はね、与えすぎちゃって駄目なの。人の恋を応援したくて力を貸そうとしたことが何度もあったけれど、みんな溺れて駄目になっちゃった」
そう言うと、クロがシロに向けて手を差し伸べた。
不思議そうにシロがその手を見つめていると、クロは陽だまりのような優しい微笑みを浮かべて、言葉を続けた。
「でもね。ダリルの話を聞いて、シロと一緒なら大丈夫かもしれないって……そう思ったから。俺、今日シロに会うのをとっても楽しみにしてたんだ。せっかく人間には色んな感情があるんだもん。ラァブはもちろんいいけれど、たまには怒ったり泣いたりもしないとね」
「……この手を取ったら俺も……クロと一緒にいたら、みんなに好かれるような愛を司る魔獣になれるの? なってもいいの?」
「それは俺の専売特許だから無理。シロでもなれるとしたら、ラァブを届ける俺の手伝い……見習いってところかなぁ」
「見習い? ……あははっ! 見習い! 俺……本当に見習いの悪魔になっちゃった。クロと一緒なら、もう一人で頑張らなくても……自分を嫌いにならなくてもいいんだ……」
シロは花を握っていない手でクロの手を取ると、彼に引かれるがままに立ち上がる。
そして――顔は笑っているのに今にも泣き出しそうな声のシロを見て、クロはもう一度彼を強く抱き締めた。
そんな彼らの姿を目にしては、つられてクラリスも涙ぐんでしまいそうだった。
それはサラも同じのようで、彼女はハンカチで目元を押さえながらクラリスの元へとやって来る。
「本当にありがとう、クラリス。アタシと一緒に戦ってくれて。アナタ達がいてくれなかったら……アタシだけじゃ、きっと彼らにこんなハッピーエンドを迎えさせることなんてできなかった」
「ううん、いいの。ラヴくん……じゃなくて、シロくん。やっと笑ってくれて、よかったね」
「そうね。これでもう逃げ出すこともないでしょうし、一安心ってところかしら」
そう言って、サラはぐるりと辺りを見渡した。
一安心とは言ったもののそれはラヴ達のことで、町の復興が終わるには数週間から数ヶ月の時間を要するだろう。
これからのことを考えると気が重いが、なんといったって今回は自分が担当している任務なのだ。今度こそ義務は果たさなければならない。
「アタシ達はこの後、町の被害状況を確認して然るべき対応をさせてもらうつもり。謝りに行ったり調査したりでバタバタするだろうし、クラリス達とはここでお別れね」
「お別れなんて……私達もてつだ――」
「いいの。もう十分に手伝ってもらったし、この被害の責任は魔法局にある。アタシにも少しくらい良い顔させてちょうだい」
「そうですよ。責任はサラにしっかり取ってもらわないといけませんからね」
そう声をかけてきたのはダリルだ。
彼はクラリス達から数歩離れた場所で内ポケットからタバコを一本取り出すと、慣れた手つきで火をつけた。
「ここに来るまでざっと見てきましたけど……サラ。なんなんですか、あの花畑」
「えっ!? あ、あれはその、町のみんなを逃がすために必要だったというか……」
「だとしても。百歩譲って道路は分かりますけど、建物の壁にまで生えてますよね、アレ。いくらなんでも必要量を超えていて、他人様にとっちゃあ迷惑です。ましてやアンタの出す花は生命力が強いんですから……一箇所回収するだけでも日が暮れますよ」
「ごめんなさい……」
どうやら町の被害はシロだけでなく、サラの創り出した花による被害にも侵されてしまったらしい。
あれだけ綺麗な花畑、そうそう見られるものではない。残ってほしいという気持ちがクラリスの中にある反面、町の人間達の暮らしを考えればそんな甘えたことを言っていられないという、ダリルの現実的な指摘も頷けるものであった。
――サラ……大丈夫かな。
クラリスの目の前でサラがしょんぼりと肩を落とす。花よりも先に、彼女がしおれてしまった。
「とはいっても、僕に頼らずに仕事をこなせたのは評価点です。それでええと……アンタはクラリスさんでしたっけ」
「はい。アナタはダリルさん……ですよね」
先程から話している姿は見ていたが、彼が自分に向けて話しかけてきたのはこれが初めてだ。
クラリスの元へと近づいてきた彼からは、ほんのりとバニラのような甘い香りがした。
「僕からもお礼を言わせてください。サラを手伝ってくれて、ありがとうございます。この子が言った通り、後処理は僕らでやりますから。ああそれと……今日はもう日が暮れますし、泊まる場所は僕らが手配します。あっちにいるのがお連れさんですよね? 二人くらいなら経費で無理やり落とすんで」
「そんな……こちらこそ、ありがとうございます。私とヴィクターが役に立てたならなによりです」
「ん?」
「えっ?」
ふと、ダリルが大きく首を傾げた。
彼はただでさえ悪い目付きをさらに細めて、じぃっとクラリスの顔を見る。おかしな態度はなにもとっていないはずだが、こういう職種の相手に見つめられるというのは、なにもしていないとはいえ違った意味でドキリとしてしまう。
「あの……私の顔になにか……」
「んー……んんー……いや……今、なにかを思い出しかけた気がするんですけど。出てこないってことはそこまで重要なことじゃないんでしょ。気にしないでください」
「そう……ですか?」
思い出せそうで思い出せない、歯にものが挟まったみたいにもどかしい感覚だ。
ダリルはなにかに引っかかった様子ではあったが、そもそも彼自身、自分でもなにに引っかかったのかがよく分からない。
それ以上考えることを早々に諦めて、彼は携帯していた灰皿にタバコを押し付けたのだった。




